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2022年4月15日金曜日

新緑の太宰府路(1)〜都府楼、観世音寺、戒壇院界隈散策〜

 久しぶりに仕事と墓参を兼ねて福岡に行った。雨が心配されたが、日頃の行いが良いせいかその懸念も払拭され、天気は薄曇りから晴天へ。しかも気温が25度を超える真夏日のような毎日で久しぶりに汗をかいた。なにしろコロナ禍による旅行自粛で3年ぶりの墓参り。その後足を伸ばして、筑紫路太宰府の新緑の季節を堪能した。その故郷の風景は、「コロナ巣篭もり」でのストレスフルな生活や、都会の喧騒、職業病としての資本主義的合理性に疲れた心に、忘れていた遠い昔の潤いを思い出させてくれた。特にこの季節、桜狂想曲も終焉を迎えた風景に鮮やかに輝く新緑が目に沁みる。さすが九州、早緑色のクスの巨樹は特に印象的である。大野城の山肌を彩る新緑のグラデュエーション、筑紫の古都に華やぎを与えてくれる青紅葉、山藤と菜の花、レンゲの彩。ツツジも咲き始めている。今回は歴史散歩ではなくて新緑探訪。歴史のウンチクは手短にして写真中心に現地の春をお届けしたい。ただし今回は「令和の里」坂本神社(大伴旅人居館跡)と水城には足を伸ばさなかったので悪しからず。なお「太宰府天満宮編」を、次回に続編としてアップする予定。


都府楼跡(太宰府政庁跡)

遠の朝廷(とおのみかど)大宰府政庁跡。創設時期は実は不明だが、記録に残るものとしては664年、白村江の戦いののち、博多湾岸にあった糟屋の官家を内陸の現在地に移し、水城、大野城、基肄城を築いて防御の要としたとある。しかし、それ以前から大陸との交易、防衛、西国統治の拠点としてなんらかの出先が設置されていたようで、幾度かの建て替えがあり、平安時代末期までこのような広大な官衙があった。その長官は大宰の帥。皇子や摂関家のから任命される高位高官。実際には現地に赴任しない遥任官であった。現地へ赴任したのは太宰権帥(次官)で、吉備真備、大伴旅人、菅原道真が有名。平清盛は大宰大弐(ナンバースリー)で、博多での対外交易を独占した。最後の大宰の帥は幕末の有栖川宮熾仁親王。今は広大な敷地と建物の配置がわかる礎石群が残されているのみだ。


大クスの新緑と背後の大野城(四王寺山)の山肌のグラデュエーションが美しい




大宰府政庁の礎石群

都府楼の山藤


新緑と山藤のアレンジメント



山椿の落花

太宰府歴史の散策路

学業院跡

学業院跡に建つ山上憶良「貧窮問答歌」歌碑


クスの新緑を見ながら散策する

散策路にはお大師様の祠も

観世音寺の北を守る日吉神社
豊臣秀吉ゆかりの神社





観世音寺

奈良時代、中大兄皇子により、母である斉明天皇の菩提を弔うために建立された筑紫最古、最高位の官寺。聖武天皇によりに日本三戒壇(大和東大寺、筑紫観世音寺、下野薬師寺)が制度化され、鑑真により公式に授戒を行う戒壇院が設けられた。菅原道真の漢詩にも歌われた梵鐘は日本最古のもの。妙心寺の梵鐘と兄弟鐘。現在は創建時の伽藍は残っておらず、礎石により、その広大な寺域と隆盛を偲ぶのみである。現在の講堂、金堂は江戸時代に再建されたもの。ご本尊は聖観音。巨大な立像三体(馬頭観音、不空羂索観音、十一面観音)を含む仏像群は戦後に新設された宝蔵に収められている。


観世音寺講堂

参道は新緑のトンネル

講堂と青紅葉


鐘楼
日本最古の梵鐘は九州国立博物館に収蔵されている

観世音寺僧坊跡

観世音寺収蔵庫





青紅葉


観世音寺石仏群




戒壇院

先述の通りかつては観世音寺に設けられた戒壇院。観世音寺の西隣に位置している。この配置は東大寺と戒壇院の配置と同じ。聖武天皇により開かれた日本三戒壇(僧侶に正式の受戒を行う)の一つ。現在は博多の栄西創建の臨済宗聖福寺の末寺となっている。現存する建物は江戸時代の再建によるものだが、寺域はほぼ当時のままで、観世音寺よりは明確な形で現在まで引き継がれている。



境内のクスの巨樹

山門

築地塀





観世音寺側の門

正面の山門


(撮影機材:Nikon Z9 + Nikkor 24-120/4)