今回は2000年の時空を超えて開花した古代蓮「大賀蓮」に会いに千葉へ行った。
「大賀蓮」とは、東京大学の検見川演習農場で見つかった縄文遺跡(落合遺跡)から発掘した蓮の実を苦労の末発芽開花させたもの。この古代蓮の発見、開花に貢献した植物学の大賀一郎博士(1883〜1965)にちなんで「大賀蓮」と命名されている。
大賀博士は東京帝大理学部を出て、八高教授、満鉄調査部をへて、戦後は蓮の研究者として活動をした。日本で縄文時代の蓮を開花させたことは当時、国内外で話題になり、アメリカの雑誌「ライフ」にも大きく取り上げられた。しかし、日本ではこれを疑う人もあり、大賀博士は種子が出土した場所から発掘された木片の年代鑑定をアメリカ・シカゴ大学に依頼し、放射性炭素年代測定法により2000年前のものであるという結果が出、縄文晩期の蓮であることが証明された。大賀博士は苦労の人であった。満州事変を機に満鉄調査部を退職し戻った日本では、決して恵まれた研究環境にあったとは言えず、戦後はいろいろな大学の非常勤講師などを務めながら蓮の研究を続けた(発見当時は関東学院大学非常勤講師)。こうした地道な研究は、今も昔もなかなか世間の日の目を見ないもので、研究者として厚遇されることもなかった。しかし、アメリカで認められたことで日本でもようやく研究成果が認められることとなった。こうした話は戦後の日本の貧弱な研究環境や研究者の評価制度にありがちなエピソードだ。
一方で、大賀博士の快挙は地元の千葉の人々の協力がなければなし得なかった。発掘には大勢の学生や地元の人々が参加し、まずは縄文遺跡から蓮の実を探し出すところから始まった。しかし、なかなか発掘成果が現れず挫けそうになる中、1951年(昭和26年)に、ボランティア参加の地元中学生がようやくハスの実1粒を見つけた。続いて2粒が見つかり計3粒となった。しかしその開花はさらに困難をきわめる。大賀博士の地道な努力のおかげで1952年(昭和27年)に、その最初の1粒からようやく発芽、開花させることに成功する。現代の「大賀蓮」として全国に広まった古代蓮は、この原種から分けられたものの子孫である。その最初の一株がここ千葉公園に移植された。発芽/開花から今年でちょうど70年。ちなみに蓮は千葉市の花である。千葉公園には最初の一株から分かれて生育した古代蓮900株が植えられている。ちょうど6月中旬から7月にかけてが開花のピークであり、ベストタイミング。勇んで出かけた。その甲斐あって今回の「時空トラベル」はついに2000年の時を超えた。その一種気高さをも感じる蓮華を愛でることができた。なんという幸運であろうか。
大賀一郎博士(1883〜1965) Wikipediaから |