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2022年10月12日水曜日

Leica M11について 〜何が進化したのか?〜

 

Leica Japan HPより

新しいライカのM型、M11は今年の1月21日に発売開始された。M10から5年が経過してのモデルチェンジとなった訳だ。今回はすぐには予約申し込みせず、少し考えてから4月に申し込んだ。どうせすぐには手に入らないだろうと考えていたら、案の定9月24日になってようやく入荷連絡があった。5ヶ月待ちであった。ライカは相変わらず毎回の新製品の供給が滞る事態が続いている。それもマーケティング戦術なのかもしれないが、今回は特に世界的な半導体供給不足が影響を及ぼしているようだ。ライカに限らずニコンも、人気のニコンZ9が去年の12月の発売開始以来、未だにバックオーダーを抱えていて納期未定という有様。10月に入ってようやく一部で納品が再開されている。

正直言うと、今回はM11に買い換えるかどうかかなり迷った。2400万画素から6000万画素に高画素化した以外、M10との違いがあまり明確ではなかったのが理由。M10がかなり成熟した完成度であったこともある。6000万画素が活躍する場面がどれくらいあるのだろうか。世の中には既に使用レポートやコメントが出ているが、ニコンZ9に比べても、品不足もあってかあまり盛り上がっている感じはしない。しかし、M11の進化度を自分の目で確かめるために、M10から買い換えることにした。

手にしての第一印象は、全体のクオリティーがまた一段上がったということ。モンスターマシンを手に入れて欣喜雀躍するというような興奮はない。しかし、まずなんといっても「良いお道具」から叩き出される高画質な画像には眼を見張る。圧倒的な画質向上は、明らかにM10の2400万画素からアップグレードした6000万画素裏面照射型CMOSセンサーの威力だ。高解像、高ダイナミックレンジ。また高感度ノイズもよく抑えられている。この新しいセンサーの威力こそM11の真骨頂だ。操作性も安定しバランスが良くなった。全体的な完成度が上がったということだろう。マット調のブラックボディーは質感が非常に良い。相変わらずビルドクオリティーも最高。ただ真鍮からアルミ合金になったので、経年使用に伴うペイント剥がれが出て来たときに、どのような下地が現れるのか。「黒皮病患者」はそれを今から心配している。メニュー設定がQ2, SL2と共通化されてことは良い。しかしなんと言っても6000万画素という高画素であるため、普段の撮影にはオーバースペックだが、クロップやポストプロダクションに余裕で対応できる点は評価したい。こうした元データの情報量が作品作りにおけるポスプロの可能性が拡大した。ますますライカはLight Roomを用いたポスプロを推奨しているように感じる。Q2のようなデジタルクロップをMに導入したことは驚きだが、それだけの理由があると感じる。ただし手ブレ補正機能は相変わらず搭載されていない。(高画素化したことで)手ブレにはこれまで以上に注意を払う必要がある。iPhone, iPadとのUSB直接ケーブル接続は便利だ。しかしiMacとの接続がサポートされておらず不十分である。特にマスストレージ・モードがサポートされていないので、せっかくのカメラ内蔵メモリーのiMacへの読み込みができない。多分、次期ファームウェアーで解消されるのだろうが、最初から何故装備しておかないのか。ブラックボディーアルミ合金化されたので軽くなったが、実際の使用ではあまりそれを感じない。今回は、前回のM10, M10-P入手時に遭遇したような初期不良や、ソフトウェアーのバグにも遭遇していない(今の所)。ソフトウェアー・デファインドに弱いライカの汚名は払拭されたのだろうか。


主なスペック:

1)6000万画素裏面照射型フルサイズCMOSセンサー採用。トリプル・レゾリューションと称して、60MP,36MP,18MPと解像度をスイッチできる。これはクロップとは異なり、どの解像度を選択してもセンサー全面を使うので高画質なまま。一方でデジタルズーム機能も導入しており、こちらはQ2と同じクロップ方式(センサーの一部を使う)。

今回のM11のキモはコレに尽きる。以下にこの他の改良点を挙げると、

2)画像エンジンはMESTRO III。SL2やQ2と同じエンジンだ。「レンジファインダーカメラとして初めて」マルチ測光が可能に。シャッター膜のグレイがなくなった。バッファーメモリー3GB化とあわせ連写機能が大きく向上した。60MPでは10枚程度までの連写であるが、36MP以下ではほぼ制限の無い連写が可能である、としているが... やっぱり15〜6枚程度で息切れが始まる。

3)シャッターはメカニカルシャッターと電子シャッターのハイブリッド方式に。電子シャッターで1/6000まで高速化。昼間での開放撮影も可能。電子シャッターでは無音なので写せたのかどうか確認しないと不安だ。電子シャッターの場合ローリング現象が生じる。

4)バッテリーの強化。 M10用に比べ64%パワーアップ。EVF使用で撮りまわってもほぼ一日持つ。ただ連写とiPhone 接続を多用するとパワー消費を加速する。またバッテリー残量が%で表示されるようになった。

5)デュアルメモリー方式で、SDカードの他、64GBの内蔵ストーレージが装備された。

6)Mの伝統のベースプレート廃止。底部のバッテリー・SDカードアクセスが、裏蓋を取る伝統的なMの「お作法」を必要としなくなった。Q2やSL2と同様の方式。これはMにとって革命的!ただし、Q2やSL2と違ってSDカードは、いちいちバッテリーを外さないと出し入れできない。

7)メニュー表示、ボタン配置、割付機能がQ2やSL2と統一化された。ライカシステム間でユーザビリティーが向上した。

8)USB-Cポートが底面に設けられ、USB給電が可能に。またiPhone, iPadとのインターフェースが標準装備され、付属のケーブルを直接繋げてLeicaFOTOが使える。ただしiMacとのマスストレージのインターフェースが未装備。次期ファームウェアーで対応するのか。ただ、このポートにはカバーがないので防水、防塵は大丈夫なのか心配。

9)ブラックペイントボディーは上部プレートがアルミダイキャスト製となり20%(100g)軽くなった(シルバーは、従来どおり真鍮製なので重量は同じ)。フィルムMと同じ重量。マット調の塗装でQ2よりは高品位な感じ。

10)付属のEVFがアップグレードされてVisoflex IIに。370万ドット、視野率100%、角度を90度まで変えられるなど視認性が向上した。角型の金属筐体。ボディーに装着するとレンズの真上に位置し視覚的なバランスが良くなった。もちろんパララックスなどないので...あくまでも見た目デザイン的なバランス。

11)付属のハンドグリップは、底がゴムとなり、グリップ自体を外さなくてもバッテリー、SDカード、USBポートにアクセスできる。底部プレートはアルカスイス対応で、このままアルカスイス三脚に取り付けられる。


いつもの逡巡

ライカMを語る時、いつも逡巡する点だが、ライカMを手にするということは何を手に入れることなのだろうか。半端でない大枚を叩く意義は何なのか。ライカを持つと人より写真が上手に撮れるのだろうか。いや、そもそもライカMというカメラを語る時、あるいは買うか買わないかを判断する時、「写真が上手に撮れるか否か」は判断の基準ではない。スマホがあれば、誰でもそれなりのきれいな写真が撮れる時代に、ライカMを所有して撮る意味はなにか?水を飲むだけなら紙コップでもよいのだ。しかし、お茶を飲むことにこだわるならそれなりの茶器が必要だ。飲むための「お道具」に拘る意味を、写真を撮るための「お道具」についても考えてみる必要があるだろう。技術的な合理性、経済的な合理性の行き着くところはコモディティー化だ。コストパフォーマンスが良くて誰でも簡単に問題解決と目的実現ができるようになるプロダクト、サービス。素晴らしいことだ。こうした技術と合理的な思考で日本はこれまで高度経済成長してきた(もっともスマホの領域では日本はカラッキシ意気地がなかったが)。しかし、最新技術はすぐに陳腐化する。そして誰でも安く大量に作れるようになる。そんなことで成長できる時代はとっくの昔に終わっている。技術イノベーションでは実現できない「ゆらぎ」や「ノイズ」のようなものを人間の手に取り戻す、と言ったら抽象的かもしれないが。何か技術的な合理性が取りこぼしているもの、置き去りししてきたスタンダードならざる品位、感覚や価値を拾い集める。人はそんなものを求めるようになる。ライカMはそんなカメラと言ったら良いだろうか。ライカMは現代的なミラーレスに比べると使いやすいカメラとはいえない。それなりの技量と勘所を押さえた撮影姿勢、そして「お道具」の使いこなしが求められる。使い手を選ぶカメラだ。使い手に「お作法」を強いるカメラだ。したがって失敗も多い。いまだに「手ブレ」「ピンぼけ」があって撮影結果の歩留まりが悪い。そして使い手の意思がはっきりしていないと意図するような表現ができない。これはニコンのハイエンド機にも言えるのだが、ライカMにおいて最も顕著だ。ライカMは、20世紀中盤の最先端技術を駆使して生まれ、そうして半世紀以上たった今、デジタル全盛の時代になおそのDNAが生き残っている稀有な「写真機」である。このアナログな、ケミカルな、メカニカルな、オプティカルな技術が、どこまでデジタルな技術で置き換わるのか。置き換わらないのか。それが「お道具」としての価値を高めるのか。高めないのか。これがいつもライカに大枚を叩く人間を取り巻く妄想と逡巡なのだ。

今後ライカMはどこへゆくのだろう。どう「進化」するのだろう。毎回新しいMが出るたびに言っていることだから特に目新しい指摘はなにもないのだが。AFは諦めるとしても、いまや当たり前となった手ブレ補正機能くらいそろそろ加えても良いんじゃないか。望遠レンズ対応の困難さ、ズームレンズのラインアップなし、最近流行りのテーブルフォトなどに対応する近接撮影(70cmの呪縛)ができないなどの「欠点」を、いつまで「Mのレガシー」として引きずるのか? いつになったら外付けじゃなくて内蔵EVFを採用するのか(ミラーレスになるのか)? これらの「欠点」はそもそも「光学式レンジファインダー」に固執するところから来る限界なのだ。いまやデジタル技術の申し子であるミラーレスカメラが、ライカの怨念の宿敵の「光学式一眼レフカメラ」を打倒し、その旗手ニコンはミラーレスへの転換を果たしたにもかかわらず、まだライカは「光学式レンジファインダーカメラ」にこだわる。そんなことにこだわるフォトグラファーはどれくらいの市場規模を形成し続けるのか。今回ついに「ライカのお作法」に不可欠のはずのベースプレートは廃止されたではないか。一気にパラダイムシフトしないのがライカMなのか。そもそも万能カメラになるつもりなど無いのだろう。これからもパラダイム転換でなくて、インクレメンタル転換に固執する「遅々として進化するM」を見守ってゆくことななるのだろう。そこにソフトウェアー・デファインドな世界とテクノロジー・イノベーション、ビジネスモデル・イノベーションという「カタカナバズワード」に抗うことの現代的な意味を見出すことができるかもしれない。そして「合理性」とはなにかを常に考えさせるカメラとして存在し続けるのだろう。


外見はM10とほぼ変わらない
外付けEVF(Visoflex II)がレンズ軸線上に装着できバランスが良くなった。


Visoflex IIはチルト可能

グリップを取り付けた姿

M伝統のベースプレートがなくなった
バッテリーの出し入れはSL2, Q2と同じ方式に

ハンドグリップの底面はゴム製で、グリップを取り外さずにバッテリー、SDカード、USBポートにアクセス可能

iPhoneと専用ケーブルで直接つなげることでLeicaFotoが使える
USB給電も可能に

水準器も初期バージョンから

ボタン配列、メニュー配列はSL2, Q2と同じになった


作例:

Leica M11 + Summilux 50/1.4, Apo Summicron 75/2








クロップ



Apo-Summicron 75/2