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2014年9月2日火曜日

お堀端に帝都東京の面影を残す 〜明治生命館〜

 子供の頃、夏休みに母の実家のある東京へ遊びに行くだびに、心に残った景色があった。皇居お堀端の景観である。日比谷通りと晴海通りの交差点(日比谷交差点)から、重厚な近代建築ビルが並ぶ日比谷堀、馬場先堀を眺める。第一生命ビル、帝国劇場、東京会館、明治生命館... 水面に影を映す高さのそろった美しい堂々たる街並。田舎からやって来た少年は、これぞ首都東京だと眼を見張ったものだった。

 なかでもひときわ美しい古典主義様式のビル、これが明治生命館である。大阪にも素晴らしいビルが沢山あった。かつて大阪が日本の経済・産業の中心であった大大阪の時代の、中之島の住友銀行本館ビルやダイビル、御堂筋の日本生命ビルも堂々とした大建築。しかし、皇居馬場先堀端に屹立するフルブロックのビルは、その前面のコリント式列柱が、皇居の松の緑、日比谷通りの柳と銀杏の並木と相まって、ひときわ威風堂々たる風格を誇る。戦前は、まさに帝都東京を代表する建物であった事であった。

 明治生命館は、昭和9年(1934年)3月に竣工。設計は建築家で東京美術学校教授の岡田信一郎。しかし岡田は竣工を見ずに急逝し、実弟の岡田捷五郎に引き継がれた(意匠)。また構造設計はあの、東京タワーや通天閣で有名な塔博士、内藤多仲。当時の第一級の建築家の作品だ。あの頃のビルディング(ビルヂング)には、現代の合理主義一辺倒で無駄のない簡素さとは異なり、ある意味では実用性よりも古典的な装飾性を取り入れた非合理主義が表現されている。建物に対する価値観の違いだろうか。

 終戦後は第一生命ビルとともに占領軍に接収され、GHQの諮問機関である、米英中ソ4カ国の対日理事会が置かれた。今も残る二階の重厚な会議室では164回に及ぶ対日理事会が行われ、昭和27年のサンフランシスコ講和条約締結、すなわち日本の独立回復まで使用された。歴史の生き証人である。ちなみにビルの返還は昭和31年(1956年)になってからだ。

 平成9年(1997年)重要文化財指定がなされている。明治生命館も辺りの近代建築ビルの例に違わず、オフィスとしては手狭になったため、平成13年(2001年)リニューアル工事に着手。30階の高層棟を継ぎ足す改修工事は平成16年(2004年)完成した。しかし、重要文化財指定であるため、第一生命ビルのように外観以外、内部が大きく変更されてしまったケースと異なり、内装も見事に創建当時のデザインがそのまま生かされ、往時の姿が保存されている。また、内部は一般公開されており、対日理事会が開催されていた会議室などが見学できる。モダニズム建築も良いが、かつて日本にはこのような壮麗な古典主義建築があったのだ、とついノスタルジックな感傷に浸ってしまう。


 都市には、その街の歴史の長さと厚みを象徴する建築物が存在し続けていることが大事だと思う。日本の場合、木造建築が多かったので、大方が火事や、地震などの自然災害、戦乱で跡形も無くなってしまうことが多かった。そうでなくても「古い」イコール「汚い」、という感覚で、随時建て替える文化だったようだ。建物が不動産ではなく、消費材として扱われてきた文化なのか。明治の近代化以降、せっかく石やレンガの文化の建築物が入って来たにもかかわらず、古くなったら、汚い、狭いと言って壊して建て替えるDNAは、容易には消えなかったのだろう。お堀端や丸の内の古い写真を見ると、まさに一丁ロンドンよろしく、ここには典雅な赤煉瓦や石造りの近代建築の街並がかつてはあったのだと知る。それは震災や戦災はともかく、世の中が平和で豊かになった経済発展期に、土地バブルの狂乱でで破壊されてしまったのであると知る。

 古いからといってすぐに壊して新しいものを求める。そういう時代もあったね,とならないものか。いざとなったら,いつでも更地に戻せる薄っぺらいプレハブ工法の建物と、商業主義的なネオンサイン(デジタルサイネージもだ)と看板だらけの街は品格が無い。もちろん都市は今を生きているのだからそういう地区があってよいのだが、歴史を感じさせる地区だってあっても良い。パリやロンドン、バルセロナ、ローマなどの欧州の街の旧市街は、その都市を威厳と品格が漂う街にしている。欧州に比べれば歴史が新しく経済合理性、マネー優先に見えるニューヨークでさえ、その歴史を物語る建物や景観が残されている。土地一升金一升の東京では、つい古いものを壊して、猫のひたい程の土地に、新しく空に向って高い建物を建てがちだ。古い建物を保存しろ、という言われるから、「外観だけは残しましたよ」みたいな「看板建築」型高層ビルが流行するのもどうなんだ。一つ一つの建物は建築家が自慢する見事なデザインと構造設計技術の粋を集めた建物だし、クラシックな外観を皮一枚のこした「看板建築」ビルも、それだけ取り出せばよくデザインされている。しかし、それらが連なった街並はバラバラで、その街の悠久の時の流れのなかで熟成された佇まい、そこから来る風格を感じさせないことがままある。悲しい。

 一方、街並の美観を守るための高さ規制もどんどん緩んでゆく。お堀端の景観論争は昭和41年の東京海上ビルの建て替えを機に起こった。現在は何事も無かったかのように建っている故前川國男設計の「高層ビル」も、当時はお堀端の景観を壊す、皇居を上から覗く恐れがある、などとカシマしい論争となったが、とうとうこれをきっかけにお堀端の高層ビル解禁となった。それまではビルの高さ31mと定められ、そろっていて美しかった街並も、最近ではすっかり高層化が進み、セットバック方式がとられているものの、グラス&スチール高層棟の高さも、ファサードも不揃いなビルが林立する街に変わりつつある。東京会館ビル、東京商工会議所ビルも建て替えとなるそうで、低層部は31mは守られるが、高層部どのようになるのか... 東京の顔である皇居周辺の美観地区としての景観保存という観点からは、時代の流れとはいえ残念だ。

 ビルの高さがそろった街は美しい。パリ中心部がそうである。ワシントンDCもそうだ。街中から見上げる空が広い。幕末にベアトが愛宕山から撮ったの江戸の街も整然とした武家屋敷の黒瓦の家並が壮観だ。ちなみに我が故郷、福岡もビルの高さがそろっている。福岡は空港が町中にある(というか、もともとは郊外だったんだが、市街地が広がってしまった)ため、ビル建設に高さ制限があり、都心で高層ビルが建てられないためだ。福岡市民の中には、これを悔しがっている人がいるようだが、乱雑に高層ビルなど建たない方が美しい街並を誇ることが出来る。むしろこうした都市景観は、今となっては希少だ。福岡の空も広い!

 幼い眼に焼き付いた、美しい東京のお堀端は、これからどこへ行ってしまうのだろう。明治生命館が残ったのがせめてもの救いだ。銀座などはドンドン再開発が進んで、街の景観が変わりつつある。老舗の街,銀座は、ショッピングモールと外国人観光客向けDuty Free Shopsの街に変わって行くのか。

 日本という国の成長が緩やかになり、成熟した大人の国になるのは良いことだ。かつての「老大国」イギリスのように、厳しい再生の時代を経ねばならないだろうが、成熟に向かって美しく老いることを学ばねばならぬ。そのとき、はたして「老大国」日本に残せる遺産レガシーはあるのか。イギリスは1760年に始まったと言われる産業革命以来250年以上の繁栄の時代を謳歌してきた。近代化の歴史の厚みがある。日本は明治維新から数えても140年だ。GDP 世界第二位という戦後の高度成長期はたかだか30年ほどだ。近代国家としての繁栄の時代が短く、蓄積したレガシーが少ない分だけ、建築物や都市景観を含む「近代化遺産」を大切に後世に引き継ぐ必要がある。

かつての高さ31m規制は、低層部にその面影を留めている。
中央が明治生命館ビル。セットバックを大きく取っているので,高層棟が目立たない。

コリント様式の列柱が辺りを圧倒するファサード

占領下で連合国対日理事会が開かれた会議室

天井の明り採り窓


一階の営業室の見事な天井と列柱



会議室から続くコリドー
二階コリドーから営業室を見下ろす

こうした街区景観はもう生まれないだろう