この外見をシンプルにした製品を、ライカ社は「P」すなわちプロフェッショナル向け、として通常のMよりもプレミアプライスで売り出す。まあいつものライカ商法だ。ちなみにTypeコードは通常のMと同様、Type240である。
中味は全く通常のMと変わらないのに外見だけ変えて、「高付加価値商品」(価格がプレミア!)とするいつもの手法に、若干の引け目を感じたのか、今回はバッファーメモリーを2Gに増設して、連写機能を改善した。そして、M3の時代からあったフレームセレクターレバーを復活させた。「どうだ!プロフェッショナルだろう」。もっとも連写などライカMに期待していないアマチュアの私にとってはあまり引かれない改善だが。
ネット上で今回の「新製品」の評判を見ると、「ライカM-Pには、顧客の意見を丁寧に聞き、その結果がうまくフィードバックされている。」(どの部分を言ってるのか分からないが)と、高く評価しているものもあるが、いまさら特にコメントすることはない、と言わんばかりに、公表されたスペックだけを記述して、製品発表を淡々と紹介しているものが多い。いつものことだから特段の驚きもないということか。
尊敬、憧れ、期待、優越感、驚き、楽しみ、魅力、満足、失望、軽蔑、嫌悪、嫉み、いらだち、落胆、敵意、怒り... 人間の感情には肯定的な感情と、それと対をなす否定的な感情があるが、時として正反対の感情が一つの対象に向けられる事がある。ライカ(とくにそのデジタルカメラ)というカメラには、いつも高評価と、その反面の低評価の両方が寄せられる。実にアンビバレントなカメラだ。高級ブランドカメラというイメージが定着していて、価格が「庶民の懐具合などどこ吹く風」なので、憧れから来る高評価がある一方、低評価には嫉妬の感情も紛れ込んでいる。それにしては現代的な量産機の方がコストパフォーマンス、性能面で勝っているのでは?という、「それを言っちゃあおしまいよ」な「裸の王様」的懐疑心も。
私もこうしたアンビバレントな感情に苛まれている一人である。フロイトが言うように、憧れと尊敬の感情の下に抑圧されているいらだちと失望の感情。これが葛藤に結びつきその結果、神経症になる。たかがカメラのことで神経症なんて、全く馬鹿げている。「されどライカ」なのだから始末に悪い。これはただの工業製品ではなく、人の心に分け入るジークフリートの魔剣「バルムンク」なのだ。
そうして、とうとう永遠のアンビバレンスに身を委ね、物欲煩悩と遊ぶライカ病患者になっている自分を発見することになる。もう軍資金はとっくに尽きているので、注入する薬も無く、完治はもとより期待できないので、こうした駄文を書き連ね、症状の緩和を図りながら、この不治の病と闘い続けている。
中身はLeica M(Type240)な新Leica M-P。 正面の大きなマイナスネジ頭はプロフェッショナルなのだろうか? |
しかしこの写りはやはり魔性のものだ... |