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2018年9月5日水曜日

猛暑の夏「自分史」初版刊行!

 今年の夏はひどい夏だった。六月の大阪の地震に始まり、七月の西日本の広域豪雨水害、六月末の梅雨明けとともに全国的に連日35度越えの猛暑、九月に入ってからの大型台風の関西直撃。何人の尊い命が奪われたことか。夏は災害目白押しの苛烈な日本列島という印象。2020年の東京オリンピックはこんな七月に開催される。本当に大丈夫なのか? そんな中、我が家ではニューヨークから娘夫婦が孫娘連れて里帰りしてくれた。ジジババ大喜びで孫と夏休みを楽しむはずが、娘一家が羽田についた翌日に母が転んで骨折、救急搬送、入院、手術。転院してリハビリの開始。連日病院通いすることとなった。予定していた夏休みの計画は全てパア。幸い母は順調に回復してくれリハビリに専念しているが、この猛暑に弱い定年男は精神的にも体力的にもへばってしまった。

 しかし、グッドニュースもある。ようやく懸案の「自分史」の初版が出来上がってきた。いわゆる「私家本」という非売品の限定出版だ。この歳になると、これまで過ごしてきた社会人としての自分の仕事人生を振り返り、過ごしてきた時間、経験したこと、感じたことを思い起こしながら記録しておきたい衝動にかられる。定年男が一度は夢見る「自分史」出版だ。私も3年ほど前から構想し、企画し、時間に余裕が出てきてからは原稿を書き貯め、編集して出版原稿にまとめる作業に取り組んできた。なかなかまとまらず苦労したが、ようやく出版にこぎつけた。編集が難物であった。プロの編集者のようなわけにはいかないが、商業ベースに乗っけるわけではない限定版の「私家本」なので自己流でやった。自費出版にしては体裁はなかなかの出来栄えとなった。これは印刷会社のデザイナーさんのお知恵を借りた次第。

 そもそもなんで「自分史」を纏める気になったのか?もちろん自分の人生の中で最も多くの時間を過ごした仕事世界を振り返り記録しておきたいという自分のためであることは間違いない。しかしもうひとつには、家族に家庭人としての私以外の「私」を知らせておきたいということがある。リタイアーエイジになると、非常勤の仕事を引き受けてはいるものの、以前に比べると自由な時間ができて家にいることが多くなる。と、家内と話す時間も増えた。しかし、家内は私の家庭人としての側面はともかく、社会人としての人生を知るよしもなかったことに気づかされた。人生をずっと寄り添ってくれた家内ですらそうなのだ。まして子供達はどうなのか? 気がつくと息子、娘はとっくに独立して家を出ている。それでも時折、家族が集まり話しをすることがある。しかし、私がどういう人生を送ってきたのか、なぜあんなに海外転勤が多かったのか、世界中飛び回って一体何をしていたのか。何に喜び、何に悔し涙を流したか。実は彼らは何も知らない。そのことに愕然とした。さらに今やそんな昔のことなぞ関心すらなくなっている。そりゃそうだよな。今や自分たちの家庭と人生で手一杯なのだから。家のことも顧みず、ただ企業戦士として外を駆けずり回り、時々家に帰ってきて寝そべっているオヤジのことを、なんで知らないのか、なんで関心がないのか、という方が無理というものだ。気づくと家にいて仕事のことや人生をじっくりと家族と話す機会もなかった。もっとも当時はあんまり仕事のことは家族に話したくもなかった。「会社レジャーランド」説を提唱した偉大な先輩がかつて我が社におられた。なぜオトーサン達は家に帰らないのか?会社に夜遅くまでいるのか?会社を出ても新橋を徘徊して家に帰らないのか?それは会社が楽しい楽しいレジャーランドだからだ。家に帰りたくないからだ。「でなきゃ、こんなに会社にいつまでも居る筈がね〜じゃね〜か!」と。私は当時このご高説に苦笑はしつつも、「なワケないよね」と。人々に敬愛される大先輩の独特の皮肉と受け止めていた。が、今振り返ると家に帰らない理由はそれだったのかもしれない。少なくとも会社がオトーサン達の居場所だったのだ。家は寝に帰るところ。私もそんな怠惰な昭和/平成のオトーサンだったのだろうか。「子は父親の背中を見て育つ」と言われるが、背中を見ている時間すらもなかったに違いない。あるいは垣間見た「背中」に嫌気がさして、父親とは違う道を選んだに違いない。

 人に語れるような大した人生を送ったわけでもないのだが、年取ると、せめて子供達、孫たちに、お父さんは、お爺ちゃんは、こんなことしてたんだよ、ということを知って欲しいという衝動にかられる。だからと言って今頃こんなもの書いても手遅れ感は否めない。多分これを読んだからといってそれがどうしたと言うのだ。急に父親を理解し、共感を抱くことはないだろう。私も父から研究者としての人生の集大成である退官記念論文集をもらった時、それを読んだ記憶はない。父もその論文集に関してなんの説明もしなかった。それよりも父は日常の生活の中で「親父の背中」を見せてくれたものだ。その「背中」が色々語ってくれた。父が亡くなり、父の思い出を家族で語ろうと、小冊子を企画した時に初めてこの論文集のページをめくった。本箱の片隅に埃をかぶって忘れられた存在然として並んでいる冊子を見つけて手に取り、ああこんな本があったのだと思い出す。それでいい。私は父のようにはなれなかった。今更後悔しても後の祭りというものだ。私のささやかな「自分史」もせめて本棚の片隅に残っていてくれれば良い。エンディングノートとして残ってくくれれば良い。


カバー写真はニューヨークマンハッタン42丁目の通り。
東側の陸橋から撮影した。