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2019年11月30日土曜日

九州大学病院界隈散策 〜九大病院、崇福寺、東公園〜

11月21日、九州大学医学部キャンパスの百年講堂で、グラミン銀行を設立し、貧困層の自立に尽力、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド.ユヌス博士をお招きして国際会議があった。Social Business,SDGs 2019,及びSocial Tech Summit 2019 in Fukuokaである。私は光栄にもユヌス博士とのパネルディスカッションのモデレーターを努めさせていただいた。

何十年ぶりの母校医学部キャンパス。父が人生をかけて研究に没頭したこのキャンパス。その創設に参加し、学部長まで務めた薬学部。東大から勇躍福岡の地に降り立ち志を打ち立てた場所。私が高校3年生の時、肺炎をこじらせ九大病院に入院し、一年の休学を余儀なくされた場所。奇しくも、復学した翌年、東大紛争で入学試験が取りやめになったため受験先を急遽変更し、九州大学に進学することになった。そのきっかけとなった場所である。入院していた第一内科の建物はいまも残っていた。父の薬学部も増築/改装されてますます堂々たる学舎を誇っている。いろいろ思い出深い所だ。跡形も無く破壊され更地になってしまった箱崎キャンパスと違って、ここにはアカデミズムの歴史と伝統が受け継がれ、今尚息づいているいる。

そんな母校での国際会議。父が生きていたら喜んでくれただろう。医学部博物館には父の写真が飾られていた。今の私よりもはるかに若く、青雲の志に満ちた父の姿に思わず涙が出そうになった。医学、薬学の道はトント苦手だった不肖の息子だが許してくれただろうか。もっともそんなことで父から意見された事は一度も無かった。私が選んだ道を応援してくれた。

会議を終えて、懐かしい医学部キャンパスのある馬出界隈を散策した。子供の頃、父の研究室によく遊びに連れて行ってもらった。今はもう廃線になってしまった市内電車の東車庫前電停で降りて東門から入る。電停の横に小さな駄菓子屋があった。父はよく大学の帰りにここでオマケ付きグリコを買ってきてくれた。給料日には一つ大きな二十円のグリコだった。今はもうその駄菓子屋も無い。考えてみると、この界隈の思い出と言っても医学部キャンパスの思い出ばかりで、実はお隣の崇福寺も東公園も、福岡に住んでいた頃には一度も行ったことが無かった。故郷を出て45年。初めて博多の名所、旧跡を行く不思議を味わう。



1) 九州大学医薬歯系キャンパス、大学病院 薬学部。

大学病院正門
昔のまま残っている
旧第一内科
かつて入院していた建物が残っていた
現基礎研究棟

九大病院新館
旧第一外科
現医科学研究所


正門全景
増築改装されたか?

薬学部本館

薬学系研究所新館



医学モニュメント
大学病院車寄

九大医学部百年講堂
ここで国際会議が開催された
大森博士像

医学部博物館
旧解剖教室



医科大学創設当時の面影を残す建物



薬学部旧館写真

薬学部創立時の教授陣
若き日の父の姿が...

旧正門衛所





2) 崇福寺 藩主黒田家墓所



崇福寺山門
福岡城から移設された
塔頭


唐門
旧名島城から移設



黒田家墓所
黒田如水、長政父子のほか歴代藩主と室が埋葬されている。
この日は残念ながら敷地内にはいることができなかった。



崇福寺境内







3) 東公園 亀山上皇銅像、日蓮聖人銅像 元寇記念館 県庁

東公園



十日恵比須神社
東公園に隣接する


福岡県庁
東公園の正面に建つ
東公園のランドマーク
亀山上皇像

日露戦争のさなか、1904年(明治47年)に除幕式を迎えた。
「敵国降伏」の文字
元寇の時に国難を追い払う祈祷をしたとされる。
東公園を展望

日蓮聖人像
亀山上皇像とおなじ1904年(明治47年)に除幕式

日蓮聖人も元寇の時
祈祷を行い敵国を退散させた
旧西鉄市内線東車庫前電停付近

父がグリコを買って帰ったお菓子屋さんはもうない
医学部東門の門柱
創立時はこちらが正門であった