ページビューの合計

2021年9月23日木曜日

お江戸日本橋の復活へ 〜いよいよ「橋上橋を架す」の愚を解消することに!?〜


「日本橋」に覆いかぶさる首都高速
戦後長く東京を代表する景観となってきた

銀座サイドからの景観
右は野村證券本社

日本橋室町サイド三越側からの景観
最近の若者はこの高架が「日本橋」だと思っているようだ

高速道路架橋の間にあまりデザイン的にもシンメトリカルでない形で
道路元標が設置されている。

「日本橋」のたもとに立つオリジナルの道路元標

日本橋三越が橋の袂に


「西河岸橋」から見る日本橋

「常盤橋」の頭上を走る首都高速

「日本橋」の親柱も高架橋の間で肩身が狭い

東京都の紋章を持つ獅子
「日本橋」は徳川慶喜の筆になる


1964年の東京オリンピックを目指して、東京が大規模な都市改造に夢中であったときに、この日本橋の上に高架道路橋が架せられた。東京の慢性的な交通渋滞を解消するための首都高速道路建設のためだ。都心の住宅やビルが密集している地域で用地買収がいらない、建設コストが安く済む、工期が短くて済む、そういった事情から道路上に橋脚立てて、川を埋め立て、堀割に沿って蓋するように高架橋が建設され、都心をくねくねと蛇のように進む首都高速道路が生まれた。これが現代の東京都市景観の特色となっていて、その土木建設技術の高さを誇る近未来的な都市構造の創出であるとみなされてきた。しかし、その日本の建設技術の素晴らしさと、経済便益への期待とのトレードオフで、水の都江戸の面影を残す景観と情緒、水辺に暮らす人々の生活環境が消えた。日本橋川の中空に巨大な高架橋が建設され、人々に歌われた「お江戸日本橋七つ立ち」の五街道の起点にして、日本の中心(道路元標)としてのシンボル、日本橋がこの巨大な大蛇のようなな構造物で汚されたと感じた人が多い。しかし当時は「お国のためにはやむを得ない」と、オリンピック優先、経済優先がまかり通った。まるで戦前の国威発揚なら「やむを得ない」と戦争進めた時代そのままに、何も変わっていない日本人の思考様式を感じさせる諦めようであった。当時は古き佳き江戸の、さらには近代国家の帝都東京のシンボルとしてのノスタルジアよりも、戦後の高度経済成長のシンボルとして受容された。だれも「屋上屋を架す」ならぬ「橋上橋を架す」愚とは考えなかった。むしろ経済合理性を考えれば、金に換算できないぬ景観や情緒など無くなっても「やむを得ない」と、それ以上考えなかったといったほうがいいかもしれない。

あれから57年、コロナパンデミックで世界中が大騒ぎのなか、東京で二度目のオリンピックが開催された。東京も世界的なパンデミックの例外ではないのだが、多くの国民が不安視するなか開催は強行された。しかし、時代はすっかりは変わった。1964年の時のような高揚感は、コロナ禍がなくとも既になかった。日本はもはや戦後ではない。高度経済成長の時代も終わり、バブル崩壊後の失われた20年も取り戻すことなく過ぎてしまった。GDP世界第二位の地位も中国に奪われた。産業資本主義からマネー資本主義の時代となり、これだけは不動と信じた「技術立国」の幻想が儚くも消え去る事態を迎えた。デジタルトランスフォーメーションの潮流もリードするどころか乗り遅れてしまった。少子高齢化が進み、人口の三分の一は65歳以上という超高齢化時代。人々は国の経済成長よりも、個人の生活の質を求めるようになった。もはやオリンピックが国威発揚だなんて誰も考えない時代になった。それだけ日本人は、日本社会は成熟したと言える。そうなると経済効率優先の高速道路よりも、安心で安全で心地よい生活環境を求める。そんな価値観の変遷がこの半世紀に起こった。こうしてこの日本橋も、中空に覆いかぶさるモンスターのような高速道路橋を撤去して、豊かな水辺の生活と親しみやすい景観を取り戻そうという動きが出てくる。そしてついにい、去年、2020年に高速道路高架橋を撤去することが決まった。高架橋の代わりに地底深部にトンネルを掘り高速道路を通す、という新しい技術がそれを可能にした。空から地下へ!今度は地下鉄や高速道路、地下街、上下水道、通信ケーブル洞道など、地下に都市インフラが網の目のように張り巡らされる時代を迎えた。

日本橋は江戸時代には日本の五街道の起点として。明治には近代化日本のシンボルとして。戦後は戦後復興とそれに続く高度経済成長のシンボルとして、それぞれにその姿を変貌させてきた。今、日本橋はその姿を再び新たにする時を迎えた。新しい時代に応じた人々の価値観の多様化を反映させるように。日本橋は「橋の下の橋」から再び陽の光を浴びてその美しい姿が人々の視界に蘇ることになる。そして日本橋川は、日の当たらない地下構造物的な扱いから、再び、都心の親水エリアとして生活にうるおいを与える場所となる。こうして振り返ると日本橋は日本の近現代の歴史と人々の暮らしを写す鏡のようだ。高速道路の橋脚の撤去と、新しい日本橋エリア完成は2040年だそうだ。まだ20年も先だ。いかに長寿社会になったとはいえ残念ながら我々世代でこの完成を見る人は限られるだろう。なんとか頑張ってカメラ持って駆けつけたいものだ。人の一生を超えて都市の輪廻転生はとどまることを知らない。それが現し世の姿である。


(日本橋の過去と未来)

昭和初期と思われる日本橋の姿

明治の架替前の木造の日本橋

(国土交通省関東道路整備局古写真より)

2040年完成予想図(三井不動産より)

(撮影機材:Leica SL2 + Lumix-S 20-60/.5 5.6)