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| 1966年英訳版表紙 |
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| Alexis-Charles-Henri Clerel, comte de Tocqueville (1805~1859) |
(1)アメリカ民主主義の特色と優位点
・ヨーロッパの宗教的、政治的、経済的、身分制しがらみから抜け出たアングロ・アメリカン(イギリス人移民)が作った共和国である。
・自由と平等による民主主義の共和国である。
・貴族などの知的階層無しで行われる議会制民主政治である。フランスの議会は、「知的階級(貴族、聖職者)」と「無知な平民」という構造(身分制三部会のような)とみなされていることへのアンチテーゼと捉えた。
・タウンシップ(全員参加型)という地方自治が行政の基礎となっており、その上に郡(county)、州(state)、連邦政府(federal government)がある。連邦政府の権能は外交と軍事のみに限られる。基本は今でいう「地方自治」「小さな政府」である。
・裁判は陪審員制で市民参加。ただ慣習法、判例に熟知する法曹が知的エリート化する。
・身分制のない「平等」が市民の政治参加、社会参加、経済参加を促し、それが民主主義を支える「民」を鍛えている。
・政党、結社の自由。自主的に様々な政治・社会活動を行い、それに参加できる。
・政教分離。宗教が民主主義を支持し、政治に干渉せず、抵抗勢力にならない(フランスとの相違点)
・広大な未開拓の大地が、移民に平等な自己実現機会を提供した。いわゆるアメリカンドリーム、西部開拓による新たな富の創造。産業資本の勃興により新たな富の創造が起きている。
(2)アメリカ民主主義が内包する問題点
・ソフトな専制主義 (Soft Despotism):気づかないうちに民主主義が専制主義に移行してゆく危険性を内包している。政治に無関心な大衆が専制的な指導者を選ぶ「衆愚政治」と表裏一体である。
・多数決という専制主義(Tyranny of the Majority):民主主義の基本とされる意思決定方法が独裁を産む危険性がある。多数派(マジョリティー)の横暴。少数派(マイノリティー)の迫害。
・思想の独裁:知的自由の欠如(多数に迎合する。少数の排除、迫害)あるいは「世論による専制政治」に陥る可能性がある。知性による抑制が効きにくい。
・行き過ぎた個人主義:これに伴う社会的孤立 。公共心や連帯感の欠如。
・人種問題:白人、黒人、インディアン(先住民)という3つの人種の存在。やがて奴隷制が廃止されても(南北戦争の前の考察であるが)、人種問題は「平等」と「自由」を標榜するアメリカに内在する構造的、文化的課題として永遠に残るだろう。
・貧富格差:人種問題に加えて新たな「平等」への脅威になる。西部開拓が終わりに近づくと国富拡大の恩恵にありつける人が少なくなる。アメリカのダイナミズムの縮小。一方で産業化に伴う豊かさの一方、富の再配分メカニズムが働かない社会へ、すなわち富の偏在、格差社会の出現。これが平等、民主主義を危うくする。
・新たな貴族階級の出現:大規模産業資本家という超富裕層が新たな「貴族制」を生み出す可能性。
・文化的欠点:アメリカ人は功利主義的で思弁的ではない。理性よりも現実的な利得を優先する。哲学を好まない。したがって文化芸術(文学、詩、歴史、哲学)で優れたものは出てこない(ヨーロッパ人に共通の意識?!)(明治期の日本についてもこう指摘するヨーロッパ人が多かった)
(3)トクヴィルの「予言」
トクヴィルは、ヨーロッパでは知的階層である貴族が無知蒙昧な庶民を導くと考えるのに対し、アメリカでは庶民が政治活動に参加し自ら共和国を運営する、その民主主義の力とその平等と自由の精神を称賛した。と同時にその脆弱さを見抜き、知性による抑制が欠如した民主主義が「専制」へと転落する可能性を指摘した。世論による専制政治、多数派による暴政、知的自由の欠如。これが政治家の資質の劣化、庶民の思考停止、学問のレベルの低下を招くだろう。そして人種問題と、富の偏在による経済格差がアメリカを分断に向かわせるだろうと指摘した。さらに大規模な産業資本家という新たな「貴族階級」の出現が「平等」と「民主主義」の脅威となるとも。
19世紀になされた彼の分析は、いくつかの点で200年を経た21世紀のアメリカの民主主義が置かれている危機的状況を予見したものとなっている。特に今論じられている「民主主義が独裁者を生み出す」「民主主義は容易に全体主義に移行する」という政治思想パラドックスがこの時にすでに見通されている。民主的な選挙で選ばれた多数党が(民意を背景に)凶暴化する。民主的な選挙で選ばれたカリスマ的指導者が(民意を背景に)独裁化する。反知性主義とポピュリズム、主権者である民の思慮欠如と思考停止(体制への迎合)が専制主義を許す。トクヴィルが言うように「知性が多数を導けなくなる。賢人の判断が、無知の偏見よりも下に位置付けられるようになる」のである。そして富の極端な偏在が新たな身分、階級を生み出し、そこに政治権力が集中する危険性がある。理性と知性によらない功利主義的な民主主義は専制主義と表裏一体の関係にある。こうした関係性(あるいは矛盾)は、20世紀にファシズムやコミュニズムという全体主義がリベラルな民主制の中から生まれ、世界を悪夢に陥れた経験を持つ我々には説得力を持つはずだ。そのファシズムとコミュニズムに対して勝利したはずの『アメリカのデモクラシー』とそのアライアンスが、気づくと自己を見失ってどこかへ行ってしまいかけている。民主主義にはこうした危険性が内包されている。そして理性による戦いを不断に続けないと民主主義はその存在理由を失ってしまう。そうトクヴィルは教えている。
(4)トクヴィルの視点からアメリカの現状を考える:
アメリカはその後の歴史の中で、多数の白人による人種差別を禁じ、奴隷解放、黒人の公民権法制定など、数々のマイノリティー保護、優遇措置を講じてきた。こうした「平等」の問題への取り組みにもかかわらず、トクヴィルが指摘したように、この問題はアメリカ社会に根ざすより複雑な問題として残り続ける。すなわち、マジョリティーの白人(アングロ・アメリカンに始まる)を圧倒しかねない人種的マイノリティーの増加、特にラティーノ、アジアンの伸長。自由を求めて多様な地域からの移民、難民(合法、違法を問わず)の流入。さらには、人種を超えて女性の地位向上、フェミニズム、LGBTなど性的マイノリティーの権利が強調されるようになる。そこへ経済格差が顕在化すると、いわゆる「プアーホワイト:Poor White」「ラストベルト:Rust Belt」「ヒルビリー:Hillbilly」という貧しさに喘ぎ阻害された白人層に対する「非対称差別」論が横行するようになる。これが「移民国家」における「反移民」政策を生み出す。また一部の知的エリート層が大多数の庶民層を支配しているとする陰謀論や反知性主義が横行し始め、ついには「マイノリティーがマジョリティーを搾取している」との言説を流布する人物を国家のリーダーに選ぶようになる。一方で、機会は「平等」に与えられるとしながらも、(トクヴィルも指摘した)富の偏在を是正する再配分の仕組み(「慈善事業」というキリスト教友愛精神以外の)が機能しないまま産業主義全盛となり、「持てる者と持たざる者」の経済格差が広がり、新たに桁外れに豊かな支配階級(新貴族)が生まれる。皮肉なことに、民衆はそうした「新貴族」:Celebrity, Rich and Famousに抵抗するどころか「アメリカンドリーム」の英雄として崇め、我々を助けてくれると信じ込んでいる。結局、アメリカ人はヨーロッパの王侯貴族に憧れているんじゃないのか、と皮肉を言いたくなるような現実がある。金と権力が結びつく「巨悪」が蔓延る土壌さえ生まれる。どうやらアメリカには国家に内在する「安定復元装置」:Built-in-Stabilizer(例えばコモンロー:Common Law のような、あるいは「公共の福祉」といった調整機能)がどこか欠如しているのかもしれない。この点はトクヴィルならどう評するのだろう。「移民が建国した」アメリカ。「自由」「平等」「民主主義」「法の支配」という理念を国家のアイデンティティーとし、それによって合衆国市民としで団結していたアメリカ人が、それを失いはじめると、たちまち分断化され対立する。パクスアメリカーナの夢から覚めると、自分たちが置かれている民主主義社会が脆弱さを内包していることに気付き、動揺し思考停止に陥り、迷走する。
一方で、グローバリズムに対しては「同盟国から搾取されている」という言説がまことしやかにこの国家のリーダーの口から発せられる。新モンロー主義の標榜、多国間主義/国際的枠組みからの離脱、背叛へと向かう。しかし トクヴィルが見た19世紀のモンロー主義、ジャクソン主義は、独立まもないアメリカという民主主義の共和国を、ヨーロッパのアンシャンレジームと帝国主義の干渉から守る立場から主張されたものであった。現代では専制主義的、覇権主義的な大国間のテリトリー争いに、自らも参加し、相互不干渉という新たな「帝国主義」の枠組みを提唱しているに過ぎない。「自由と民主主義の守護神」という理念による紐帯よりも、他の専制主義国家と利権を競い合う国になってしまった。ちなみにトクヴィルは、ロシアがこれからのアメリカの競争相手になるだろうと予見している(中国については予見不能であったのだろう)。しかし、これがアメリカでは一定の支持を得ている。いわゆるMAGA派:Make America Great Againである。少なくとも多数党である共和党を支配している。彼らはボーダレス自由市場体制がアメリカを弱体化させたと一方的に主張し、法外な保護関税を武器に言うことを聞かない国を恫喝する、あるいは市場から排除する。資源や利権を独占するために他国を「植民地化」「領土化」する。気に入らない他国の元首は特殊部隊を差し向けて拘束、拉致する。関税と軍事力という「力による現状変更」が「国際協調」「法による国際秩序」に取って代わる。そして二度の世界大戦で人類が獲得した「民族自決」という大原則は大国のエゴの前に再び失われることになる。人権よりも利権(難民救済より紛争跡地の資源やリゾート開発にしか関心がない)。国外では帝国主義、国内では専制主義(三権分立という民主主義の基本が無視されても対抗しない立法と司法もどうしてしまったのか)。「アメリカ民主主義」の末路。建国250年の若い国が晒す老醜か。18世紀に「王政」に反発して建国した「共和国」がまた「王政」に戻ろうとする。19世紀に「帝国主義」に反発した「自由主義」の国が「帝国主義」に戻ろうとする。さすがのトクヴィルもここまでは予見できなかったろう。彼が称賛したアメリカ民主主義は、彼が指摘した課題のために消え去ろうとしている。そしてアメリカの時代が終焉を迎える。
参考:
追記:
Edmund Burkeの『フランス革命省察』と合わせて読みたい。
18世紀末のイギリスの政治思想家エドムンド・バークは、彼の著作『フランス革命省察』の中で、抽象的な理論で全ての歴史や文化的背景を拭い去る急進的な革命によって成立する国家体制に疑問を抱き、フランス革命を批判した。そのような急進的変化ではなく、イギリスの17世紀の一連の王権と議会の戦いや革命のような長い歴史の営みの上に起こす漸進的変化こそ望ましい歴史進化であるとした。彼はイギリスの名誉革命を理想としその帰結としての立憲君主制こそ最良のものと考えた。ちなみにバークはアメリカ革命(独立宣言)を、新天地に新たな歴史を作り出すものとして支持した。
アメリカ: 君主も貴族もいない平民民主主義共和国 イギリスから独立した植民地
フランス: フランス革命で君主を処刑して共和国に。しかし、共和派の内部争いからナポレオンが登場するも、王政と共和制が交互に起きて長く不安定な政治体制。
イギリス: 君主を処刑したのちに一時共和制になったが王政復古。のちに名誉革命。マグナカルタ以来、権利請願、権利章典に至る議会と王権との長い歴史的闘争の末に生まれた立憲君主制、法の支配。「君臨すれども統治せず」の伝統 いわば「君主制の下の民主主義」
ちなみにバークもトクヴィルも保守主義の政治思想家と見做されている。保守主義とは何か?
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