| ホガースが描く18世紀ロンドンのコーヒー・ハウス |
| 伝説のコーヒー・ハウス、バトンに設けられたライオンの投書箱 |
「コーヒー・ハウス」ってなに?
17〜18世紀イギリスに花開いたコーヒー・ハウス文化。主としてロンドンの中心街に社交の場として開かれ、特に1660年の王政復古ののちに盛んになった。これまであったタバーン(酒場)とは異なりコーヒー・ハウスでは酒を出さない。海外、特にアラビア、トルコから伝わった大航海時代の産物「コーヒー」を出す。これは二日酔いに良いと考えられ、健康にも良いと信じられ人気となった。さらにやはり海外から持ち込まれた砂糖、タバコ、カカオも嗜まれた。エギゾチックな香りの飲み物と紫煙に満ちたコーヒー・ハウスはたちまちトレンディーな社交の場となった。何よりも強い酒で思考が朦朧として、喧嘩も絶えずまともな議論が出来ないタバーンではなく、コーヒーは脳を覚醒化させて理性的、合理的に議論し、判断できることが好まれた。17世紀の詩人アレキサンダー・ポープは「コーヒーは政治家を賢明にした」と言っている。ちなみに茶(Tea)が社交の場に入ってくるのは19世紀になってからのこと。
コーヒー・ハウスは入場料1ペニーとコーヒー一杯2ペンス払えば誰でも店に入れる。コーヒーを飲みながら自由に議論し談笑し、情報交換する場となった。もともと航海を終えた冒険商人、これから航海に向かう冒険野郎などが集まり海外情報を交換する場であった。有名なロイズ・コーヒー・ハウスがその典型である。そこで海外情報が共有され、新しい商売が着想され、リスクヘッジの保険のアンダーライターを探し、やがて株価情報が行き交い、市場動向がつかめる場となって行った。エリザベス一世はロンドンに株取引所を開設したが、ディーラーたちはその周りにできたコーヒー・ハウスで取引をした。まだ郵便制度ができる以前には、ここで手紙を書き、宛先別の袋に入れておけば船乗りや行商人が配達してくれるし、ここで手紙を受け取ることもできた。特に海外向けの信書の扱いで通信手段が限られていたので重宝された。
またコーヒーハウスには政治パンフレットや新聞、雑誌が置かれ、誰でも無料で読むことができ、図書室を併設するところもあった。様々な情報に接する機会が用意されていた。ここでの客同士の会話は最新のニュースであり新聞記事の情報源となった。このようにコーヒー・ハウスは一種の情報センターであり、ジャーナリズムの揺籃となった。また、人が集まれば必然的に商品やサービスの広告宣伝の場になった。コーヒーが健康に良いという噂に釣られ来店する客に向けて、怪しげな薬やニセ医者の広告宣伝の場となり、特にペスト流行時にはイカサマ情報が横行しトラブルも多かったようだ。当時の旅行記や風俗詩に格好の話題を提供した。
コーヒー・ハウスには真実も有益な情報もあったが、フェイクもウソもハッタリなどいかがわしい話も混在した。陰謀を企む者やスパイの暗躍する場ともなった。政府にとっては都合の悪い言論動向を把握し、フェイクニュースやプロパガンダで故意に世論操作する場ともなった。時には検閲官が出入りすることもあった。王政復古後一時、言論統制のためチャールズ2世によってコーヒー・ハウス禁止令が出されたこともあるが、なんとか規制をすり抜け、業界は逞しく成長し、一時はロンドンだけで3000を超える店があったという。コーヒーハウスはますます繁栄した。こうした虚実内混ぜのカオスの中から世相を読み取り、時代の流れを見極め、商売や政治や文学作品が生まれた。コーヒー・ハウスはまさにそうしたオープンなソーシャルネットワーキングの場であった。
コーヒー・ハウスには誰でも入れるとは言え、出入りするのは時間に余裕がある人々であり、毎日仕事に追われる労働者階層の人々の来るところではない。第一、少なくとも新聞を読める、すなわち識字能力を持つ階層であることも重要だ。政治や文学に関心があり一言物申す知識と教養、あるいは「エセ紳士」であってもそれらしく振る舞うお厚かましさ、皮肉やウィットに富んだ会話も求められる。すなわちここは、上流階級や都市ブルジョワのものであった。しかし時代とともに徐々に有産階級の一角をなすようになる中産階級のジェントルマン(気取り)や、上昇志向の学生や若者の溜まり場になっていった。また文字を読めない人が読める人から新聞を読んでもらうことも盛んになった。ただあくまでも女性は除外される。
「場」としてのソーシャルネットワーキングの諸相
1)政治、言論の場として:
王政復古後からは政治的色彩が出る。トーリー(王党派)とホイッグ(議会派)の根城になる。と言っても、のちの「クラブ」ほど厳密な区分があったわけではない。トーリー系では、ココア・ツリー、チョコレート・ハウス、オズインダ、と言った店が有名であった。一方、ホィッグ系では、セント・ジェームス、スミルナが有名で エドムンド・バークも訪れたという。また人気風刺作家のジョナサン・スウィフト、ダニエル・デフォーが出入りしたコーヒー・ハウスはトーリー系であったりホィッグ系であったり揺れ動いていたようだ。「政論」が教養人たるに必要な一種の流行であった時代のものだ。
2)経済・株取引・保険の場として:
ギャラウェイ、ジョナサン、ロイズなどの伝説的なコーヒー・ハウスがあった。これらはイギリスの経済的な発展を支えたとも言える。こちらは政治色は薄く、交易情報の交換、株価、市場動向など経済活動に専念する客層が集まった。ロイヤル・エクスチェンジ(王立株取引場)の周辺には多くのコーヒー・ハウスが開店していた。のちのロイズ保険会社にようなイギリス経済のインフラを支える企業も出てくる。一方で、南海泡沫事件のようなバブルの温床にもなった。
3)文学サークルとして:
文学界の大御所と言われたドライデンが中心となっていたウィル(Will)には多くの文人が集まった。いわゆる上流の「ウィット」(才人)の集まるコーヒー・ハウスで、ポープも常連であった。もう一つの有名所はバトン(Button)。こちらは中産階級向けの文人サロンで、アディソン、スチールなどにより、一般の市井の出来事「エブリマン」が多く語られた。店主がライオンの頭の投書箱(上図参照)を準備したことで人気があった。この時期のイギリス文学を知る上で欠かせないサロン、文学界プラットフォームであった。
4)ジャーナリズムの場として:
啓蒙的傾向が強いコーヒー・ハウスである。 バトン閉店後の、ベッドフォード(Bedford)など デフォー、アディソン、スティール、デヴィド・ギャリック、ホレイス・ウォルポールなどが出入りした。 「スペクテイター」「タトラー」「ガーディアン」といった新聞、雑誌が生まれ、ジャーナリズムの揺籃となった。
5)イカサマ師、風俗発信の場?:
しかし18世紀後半になると、流石のベッドフォードのような文人に愛されたところも、種々雑多な人間の寄せ集めの場として、詐欺、イカサマの場と化していた。コヒー・ハウス文化の終末の時期である。一方で文風俗文化の発信地となったものがある。
こうした多様な活動の場となったコーヒー・ハウス、17世紀後半から18世紀はイギリスのおける「コーヒー・ハウス文化」の世紀と言って良いかもしれない。
「クラブ」の登場
やがてコーヒー・ハウスは、政治的な主義主張(トーリーvsホィッグ)、業種、商売仲間、趣味、娯楽、社交、文芸仲間、貴族や都市ブルジョワ、中産階層という社会階層の属性にそった、いわば「会員制クラブ」へと変異してゆく。特定の店に特定のパトロンがつき、贔屓客が集まり、インフルエンサーが集うようになると、その特定の意見や趣味、利害に共鳴する客が集まり始める。まさにクラブである。すなわち、オープンなネットワーキングの場からイクスクルーシヴなネットワーキングの場へと変遷してゆく。コーヒー・ハウスからクラブが生まれていった。これはある意味自然の成り行きであろう。現代の厳密なルールと会員オンリーの「ジェントルマンズ・クラブ」もここから生まれた。ここでも女性は入れない。完全に男の世界である。
こうしたクラブは、コーヒー・ハウスから発展したクラブだけではなく、14世紀から存在するクラブもある。コーヒ・ハウスが流行る以前から、タヴァーンの二階が上流階級の仲間の社交の場として用いられた。エリザベス朝のウォルター・ローリーが創設したマーメイド・クラブや、同時期のベン・ジョンソンのアポロ・クラブなどももその一つ。シェークスピアも出入りしていた。少しのちのスウィフトやポープが主導したスクリブラス・クラブや、詩人のコングリーヴ、政治家のウォルポールなどが会員であったキットキャットクラブなども歴史ある有名なクラブである。サミュエル・ジョンソンの結成した文芸クラブもあり、ジョシュア・レイノルズ、エドムンド・バーク、ゴールドスミスなどが会員であった。政治的にはホイッグ寄りであった。
17世紀スチュアート朝時代は、イギリスは革命の時代であった。清教徒革命で国王が処刑され、1660年には王政復古で国王が戻ってきたり、王党派と議会派の争いの中、自由主義や民主主義の萌芽が生まれ、やがて1688年の名誉革命で議会派優位の立憲君主制の国家「君臨すれども統治せず」の政治となった。一方でカトリックとプロテスタント(国教会、非国教会)の対立、オランダやフランスとの戦争もあった。イングランド・スコットランド・アイルランドの「三王国戦争」の時代でもあった。1665年にはペストが大流行し、1666年にはロンドン大火があり、パンデミック、災害で街やコミュニティーが壊滅的な被害を被った。コーヒー・ハウスはペストで閉鎖され、大火で大部分の店が消失し、それでもロンドンの復興に伴い復活して再び賑わっていった。混乱の時代こそコーヒー・ハウスは逞しく発展した。名誉革命ののちは、18世紀のイギリス啓蒙主義時代到来、経済では重商主義にかわる自由主義経済、科学万能主義による産業革命など、近代合理主義の時代へ、そして「七つの海を支配する」大英帝国への道を突き進んでゆく。その反動としての文学芸術におけるロマン主義、ゴシックリバイバルも勃興する。こうした激動のイギリス社会を下支えしていたのがコーヒーハウス文化であった。社会にたくましいソーシャルネットワーキングのプラットフォームがあったればこそのイギリスの発展であった。たかがコーヒー、されどコーヒーである。
コーヒー・ハウスの終焉
しかし18世紀後半から徐々にコーヒー・ハウスは変質が始まり、やがて19世紀に向けて衰退、役割を終えてゆく。その理由はいくつか考えられる。
1)まず数が増えすぎた。臨界点を超えると衰退が始まるのは全てに共通する原則である。。
2)その中で、特色を出すために酒と博打の場となる店が現れる。自由で健全なコーヒー・ハウスというイメージと、その場の秩序の崩壊はこうして始まる。そして客足が遠のく。
3)そうなると、行きつけの店、馴染みの店ができ始める。客による選別が始まる。一方で贔屓客だけ受け入れる「一見さんお断り」、客層の固定化という、オープン性が売りであったはずのコーヒー・ハウスコンセプトに矛盾が発生する。「クラブ化」の始まりである。
4)ジャーナリズムの自立化、一般化。書店や街角で新聞や雑誌、書籍が買えるようになる。家庭で読めるようになる。「新聞や本の読書室」としての存在意義が薄れる。
5)コーヒーから茶へ。大英帝国の植民地政策、市場の変化が、コーヒーよりやすい茶嗜好を産む。すなわちティーの習慣が18世紀後半から始まる
6)住環境の改善。家庭でのパーティーや接客。サロンの形成などが進む。この頃家庭での「アフタヌーン・ティー」の習慣が始まった。
コーヒー・ハウスは現代でも姿を消してしまったわけではないが、18世紀後半から酒場や、宿屋、書店や印刷所などに鞍替えする店も増えた。本来の姿を留めるコーヒー・ハウスは、今ではほとんどなくなってしまった。時代の変化とともにその役割を終えた。しかし、コーヒー・ハウス100年の歴史がイギリス社会に、そして世界に与えた影響は見てきたように計り知れない。
SNS≒バーチャル「コーヒー・ハウス」論
ここまで考察してきてふと思う。コーヒー・ハウスはまさに現代のSNS:Social Network Serviceではないか。17−18世紀、コーヒー・ハウスはロンドンのソーシャルネットワーキングのプラットフォーマであった。換言すると、今のFacebook, Instagram, YouTube, Blog, X, TikTokは現代のネット上のバーチャルコーヒー・ハウスだ。ここでは政治論議も、ビジネスも、広告宣伝も、ジャーナリズムも、文学芸術論も、趣味も、フェイクも。政治プロパガンダも、詐欺も、検閲も....なんでもありだ。誰でも参加できるオープンなプラットフォームだ。そうやってコーヒー飲みながらスマホやスクリーンに向かう。
真実も嘘も自己承認欲求も我欲も全てがごった煮のカオス、誹謗中傷、炎上が蔓延る修羅場。それがソーシャルネットワーキング・プラットフォームなのだ。18世紀のコーヒー・ハウスがそうであった。人は、その中から賢く情報を選び、そこの中から真実を見出し、正しい判断を下す。文化も生まれた。結局、自我と精神の自立がなければ浮草のように時流に流されてしまう。オープンなプラットフォームとはそういうものだ。ただ、現代のバーチャル・コーヒー・ハウスは世界中の人間と繋がっている。「客」はコーヒ代すら払わなくて良い。その代わり「店」が「客」の個人情報や「好み」「人脈」を握っている。売上は入場料とコーヒ代だけという「ビジネスモデル」と大きく違う。それがとてつもない金になる仕組みだ。これが現代の「オープンなプラットフォーム」の実態である。ただ、歴史は「クラブ化するコーヒー・ハウス」と言う結末を示してみせた。これはSNSの将来にとって極めて示唆的である。
参考書:
1)『Club Life in London 』1866年刊行 ロンドンのクラブ、コーヒー・ハウス、タバーンを網羅的に紹介した。各店の歴史や、著名な客人のエピソードがが仔細に紹介されていて、その時代の世相がわかる。新聞「イラストレイテッド・ロンドンニュース」の編集長を務めたジョン・ティムズの編集。
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| Club Life of London with Anecdotes of The Clubs, Coffee-Houses and Taverns of The Metropolis During The 17th, 18th and 19th Centuries By John Timbs 1866 |
2)『コーヒー・ハウス』小林章夫著 講談社学術文庫 2024年14版 18世紀ロンドンの都市生活史の視点からまとめたコーヒー・ハウスの実情と、出入りする人物評が面白い。政治史、経済史、文学史、社会史をコーヒー・ハウスから読み解く面白さ



