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2026年5月18日月曜日

世界に冠たる本の街「神保町」を楽しむ 〜ネット時代の古書店は知のワンダーランド!〜


知の殿堂「北澤書店」



神保町で古書の魅力に出会う

書籍・出版文化の危機、活字離れ、書店の経営危機が叫ばれて久しいが、ここにきて書店業界に新しい潮目が現れているようだ。建て替えを終えた「三省堂書店」の本店開業が大きな話題となっているように、本の街、神保町が活気付いている。和書、洋書を問わず多様な専門分野の書店が軒を連ねる世界最大の古書街。その神保町での古書店巡りが、海外からのツーリストの東京への来訪目的の一つとなっている。それぞれに特色を持った古書店には外国人ブックハンターが押しかけている。イギリスのTime Out誌で「世界で最もクールな街」の一つに選ばれた。この空前の「JINBOCHO」ブームは何を意味しているのだろうか。

日本は、和書、洋書、漢籍を問わず古書/古典書をよく保存し、流通させている国の一つであるとみなされている。イギリス人がシェークスピアやディケンズを求めて神保町にやってくる。フランス人がデカルトやニーチェを探しにやってくる。中国人が杜甫や白楽天を求めてやってくる。それが不思議でないのが神保町だ。浮世絵やジャポニズムだけでなく、日本文学の古典の英訳版が人気である。最近は、漫画やアニメ、映画に加えて日本の新しい文学作品が欧米諸国で人気が出ていることも話題となっている。注目すべきは、こうした「聖地」神保町ブームが、インスタやX、YouTubeなどのSNSによって世界中に拡散している点である。読書離れ、書店や本の衰退が云々されがちだが、神保町を歩いてみると、新しいかたちの書籍ブーム、古書店人気が起きつつあると実感する。

もちろんロンドンにもチャーリングクロス・ロード(あの映画や小説で有名な)やセシル・コートなどの古書街。ストランドやフリート・ストリートなどの出版、新聞街がある。周辺にロンドン大学や大英博物館、高等法院などの教育・研究機関が数多いなど、その成り立ちも神保町の書店街と似ている。しかし、その古書店の集積度と多様性は、はるかにロンドンのそれを上回っている。またロンドンの老舗古書店は、最近は店舗をたたみ、郊外に移転するか、オンライショップに変更しているケースが多いと聞く。あの伝説の「Mark's Book Shop」も今はなく、跡はファーストフード店になっている。私がかつてよく通った「Ash Rare Books」は郊外に移転、オンラインも始めた。神保町でも廃業した古書店もあるが、盛業中の実店舗が130店以上も軒を連ねていることには驚かされる。これが世界的に注目されて外国人が殺到する理由となっているとしても不思議ではない。


「知の迷宮」を彷徨う

かつて古書店は、ちょっと入りにくい、一種、日常から隔絶された別世界であった。ドアを開けて(ほぼ例外なく)静寂で薄暗い店内に一歩足を踏み入れると、足元から天井まで本、本、本。壁という壁は古色蒼然たる本のモロッコ革の背表紙て埋め尽くされている。そう、闖入者は本の大海に揺蕩う漂流者になる。ここでは時間の流れが止まっている。いや数百年の歴史が重層的に折り重なっているのだ。ページの間から滲み出てくる何百年も前の文字が空間を浮遊している。この「知の迷宮」を彷徨う至福の時間。それが古書店探索の魅力だ。これは決してオンライン書店では味わえない。

ロンドンの古書店の中には、どこに何の本があるかわからないようなダンジョンのような本屋が珍しくなかった。ロンドンで古書店通いしたのは、70年代に留学した時と、90年代にロンドン勤務した時なので、もう随分と昔のことだ。その後、仕事でロンドンを訪ねた時に、久しぶりに立ち寄ってみたが、古書店の佇まいはチャールズ・ディケンズの時代から変わらぬ風情でのままである。狭い店内に入ると足の踏み場もない。店員はこちらから話しかけない限り近寄ってこない。それでも薄暗い片隅のデスクに佇む店主に聞くと、たちまち目当ての本を取り出してくれる。彼の頭の中にはこのランダムに積み上げられた古書のインデックスが保存されていて、たちどころに脳内のサーチエンジンが起動し、取り出しができるのだ。達人技、いや神技である。そして先ほどまでの寡黙さと眼鏡の奥の無愛想な眼は、芝居だったのかと思わせるような饒舌さで語り始める。本への愛が止まらない。こうした人種はロンドンのダンジョンには生息しているが、現代のアマゾンのジャングルではお目にかかれない。

目当ての本などなくても、ただ迷宮をあてもなく漂うのも楽しい。目についた古色蒼然とした革装の本を梯子を頼りに取り出し(周りの本が崩れ落ちないように気をつけながら)、そこに思いもよらない世界を発見することも古書店の醍醐味だ。数百年という「時間の経過」を纏った古書。未だ色褪せぬ先人の知恵との出会いに心が震え、自ずと時間の経過にしかるべき敬意を払うようになる。 17世紀イングランドで出版された本が、本棚から私に向かって「ここにいるぞ」と目配せするなん場所が他にあろうか。思わず埃を払ってそれを連れ帰ることになる。

古書には前の所有者の蔵書票や、サイン、書き込みがあることがある。時には小さな紙切れに記されたメモが入っていることもある。蔵書票によっては、所有者自身も歴史的に著名な人物であったり、著者と深い関わりを持つ人物だったりする。購入した年月日、誰かへの特別なプレゼントを示すコメント。文中の下線や、チェックの部分には所有者の心の動きや言葉への愛着が読み取れる。なのになぜそんな愛蔵書を手放すことになったのか。そして、どんな旅路の果てに私の手元にたどり着いたのか。そんな以前の所有者の痕跡にこの本にまつわる物語を夢想してみることができるのも古書の楽しみの一つだ。そして私の人生もこの本にしかるべき痕跡を残して未来に引き継がれる。ロマンチックではないか。


「製本・装丁(Book binding )」という古書の世界

洋古書には蠱惑的な奥深い世界がある。その装丁である。本は活版印刷された文字列を記録する紙媒体であるだけではない。本自体が工芸品、アート作品なのである。モロッコ革装、マーブルボード、天金、金文字、羊皮紙、簾の目紙、背表紙補強(five raised band)、アンカットページ、エッチング挿画など。今は失われし製本・装丁技法や素材が本を工芸品にする。それが時間という試練に耐えた書籍となり、その出会いにクラクラしてしまう。あるいは、時の経過(aging)により、背表紙が外れボロボロな姿になって書棚に横たわっている古書にも、むしろ侘び、寂び、古びといった美を感じることすらある。まさに「崇高と美」「ピクチャレスク」の境地である。古書を装丁で買う。今風にいえば、一種の「ジャケ買い」かもしれない。

昔は出版人(Publisher)、印刷人(Printer)とは別に、製本・装丁を専門に請け負うBook binderがいて、書籍の購入者が、印刷済みのアンカットの束を買って、製本・装丁を依頼した時代もあった。あるいはハードボード表紙で簡単に製本した本を、自分用に装丁し直すことも盛んであった。活版印刷が普及したとはいえ、本は貴重で高価なもの、誰でも購入して読めたわけではない。詩人が事前に購入予約者を募り、代金を支払ってもらってから出版し、装丁家が買主の注文に応じてデザインを施すこともかつて流行ったことがある。詩集の装丁が殊に美しいのはそのせいかもしれない。蔵書家が著者と作品への敬意を込めて、あるいは知的資産への愛着を込めて、美麗な装丁を施して大切に所蔵する。これも本の文化の一つである。それを古書店で手にすることができる。

今でもイギリスの田舎のマナーハウスを訪ねると、立派な書斎に天井までの高い書庫があり、美しい革装丁の背表紙がずらりと並んでいる光景を見ることがある。特に全巻揃えの古典書全集などは壮観である。あるいは生涯で旅した思い出(Grand tour)を記録するために書いた旅行記や、訪問したエキゾチックな国々の書籍をコレクションとして並べる。本は絵画や彫刻、調度品などと共にその家の品格、教養、趣味あるいは一族の事績といったものを誇示するアイテムである。知性と身分を誇示するステータスシンボルであった。


神保町から見る「西洋古書事情」

話を神保町に戻そう。このようにここは世界的にもユニークな古書街として賑わっているが、一方で、古書業界もなかなか厳しい試練の時代を迎えている。これまでの大口顧客であった国内の大学図書館や、公共図書館、研究機関からの学術的にも貴重な古典書への引き合いが減少しているという。今やネットで世界中から本を取り寄せることができる時代なので、神保町の古書店に来て本を探す必要も無くなったというわけなのか。また古典書のデジタル・アーカイヴ化も進んでいて、できるだけ書籍を所有しない大学もあるという。これが一時期神保町に閑古鳥が鳴くようになった原因の一つだという。もちろん読書離れ、学生すら本を読まないなどの、知的欲求の低下がある事も否定できないのだろう。しかし、バブル時代に日本が海外で買い集めた貴重な洋古書は日本の古書街に眠っている。今やネット時代。逆に、東京の神保町にお宝あり!という情報が世界中にが拡散している。そして円安もあり、欧米のバイヤーや古書コレクターによって買い集められている。すなわち神保町の客層が日本人から外国人に移りつつあるようだ。

かつてはジャパン・マネーが海外でアンティークや貴重な古書を買い漁ったものだ。これまでは日本で開催される国際的な古書フェアーは、そんなジャパン・マネーを狙って海外の売り手が殺到した。日本にはそれだけの需要があった。しかし、今は、逆に日本に眠る洋古書や和書を買い付ける海外バイヤーや古書マニアが押しかけるようになった。長いデフレと円安で、今や「日本」は海外バイヤーによって買い漁られる国になってしまった。彼らから見れば、かつての「ジャパンアズナンバーワン」時代に海外流出した「文化財」の買い戻しなのだろう。神保町が世界の古書の共有市場(common market)として繁栄するのは嬉しいが、流出一方では寂しい。国の経済的な衰退が、知的資産の縮小、ひいては文化的な衰退につながりかねない。「貧すれば鈍する」だ。

神保町の古書店組合は、こうして蓄積された和洋を問わず古典書の、言わば書庫的機能を果たしていると言える。書誌データを調査、記録し、その価値を公正に評価し、情報発信し、貴重書が散逸したり、価値の毀損が起こらないよう保全する役割を担っている。また古書フェアーやオークションを開催して、歴史的遺産たる古書の適正な取引の仕組みを保持している。そうした地道な活動が評価され、世界的な古書市場としての信頼を獲得しているという。

古書市場も「レッセフェール」(資本主義的合理性)に任せていたら、淘汰され消えてゆくユニークな店や、売れなくて廃棄所処分される貴重な古書が出てくる。しかし、一見閉鎖的なギルド組織が、一定の規律と互助精神を持って歴史的遺産としての古書の価値を守り、流通を促し、伝統を継承し新たな価値創造を推進する。いわばSDGs ,社会変革(Social Innovation)を起こす社会事業(Social Business)の役割を担っているとも考えられる。その中から若手経営者がオンラインやSNSとの融合で新たな事業モデルを生み出す。古書の持つ新たな価値に光を当てる。「古書は過去の賢人からの未来への預かり物」という古書店主の言葉に重みを感じる。


ある老舗洋古書店の「ビジネスモデル・イノベーション」物語

創業120年の老舗「K書店」は、4代続く神保町を代表する洋書、英文書籍の殿堂である。多くの文人墨客が集い、大学の研究者、学生にとっては憧れの書店であった。この店に出入りすることが情報のアップデートに欠かせない習慣であり、知的なステータスですらあった。戦後、高度経済成長期には店頭での洋古書販売。新刊書販売も併設し全盛時代を迎える。しかし、21世紀、ネット時代に入ると、ご他聞に洩れず大口の注文・納品が減り、さすがの老舗も徐々に書店経営受難の時代の波をかぶることになる。やむえず店舗縮小し古書専業へ。事業承継問題もあり、一時は廃業の危機に。「伝統ある老舗の事業継続」というビジネス・スクールのケーススタディーになりそうな事態であるが、現実の経営の苦労は想像を絶するものであったろう。しかし、ここからが老舗古書店の新たなスタートであったという。

4代目店主は3代目の娘さんで、大学を出て全く家業とは無関係な仕事についていた。しかし、実家の危機を目の当たりにして、仕事を辞め家業を継ぐことにしたという。古い商慣行や、付き合いが横行する業界での若店主デビューは苦労の連続であったであろう。だが、2代目(祖父)、3代目(父)の背中を見て育った。持ち前のセンスと才覚を発揮し、古書のオンラインショップ・サイトを立ち上げる。さらにディスプレー書の販売と書籍を活用した空間デザインコンサルという新基軸を打ち出す。ネット店舗とリアル店舗をうまく融合させた事業モデルを開発していった。古書店のビジネスモデル・イノベーションだ。

このディスプレー書という着想の背景には、売れなくなった古書。すなわち大量の廃棄本の扱いという社会問題があったという。本を捨てるなんて勿体無い!まさにSDGs発想である。まずデザインの優れた装丁の本をディスプレー用(ホテルや、インテリアショップ、アパレルショップ、レストラン、バーなど)にセット販売。セッティング受託やディスプレー・コーディネーションのコンサルもやる。重厚で整然とした書店内を古書をテーマとした写真撮影の場として提供。SNSで紹介し、オンラインショップで販売した。これが話題となり多くのメディアで取り上げられ注目を浴びる。「カリスマ店主」からの新しい古書生活の提案である。

最初は「本を何と心得るか」とか、「老舗も落魄れたものだ」「邪道の古書販売だ」とか、色々批判が殺到したという。しかし、革新には抵抗がつきもの。革新は常に伝統とセットである。若い感性と問題意識が洋古書への関心を高め、さらに古典作品への関心、書籍に囲まれた生活への憧れ、といったライフスタイルを広めていった。それにまず反応したのが海外の客というのが興味深い。それだけ日本人の読書離れは深刻なのだろう。実店舗は数年前までは閑散としていたというが、今では連日外国人客で賑わっている。この言わば「神保町現象」が、忘れていた古書の魅力を思い出させ、個人の研究者や愛好家などの、いわば古書マニアが「アマゾンのジャングル」から戻ってきたのだ。かく言う筆者も明らかにその一人である。あのロンドンのダンジョンとは一味違う、「K書店」の端然とした「書の殿堂」にすっかり魅了されている。

4代目店主は、古書店を、近寄りがたい店、敷居が高い店、ではなく、思わず入ってみたくなる店に変えた。それも伝統的な老舗書店の佇まいをそのまま生かして。最近は外国人客の増加に合わせ、Books on Japan in Englishとして、気軽に手に取れる日本関連の英訳ペーパーバック版などの品揃えを充実させている。そして世界中がネットで繋がる時代だからこそ、海外からの注文が舞い込むようになった。遠く離れた海外の会った事もない客との出会いとコミュニケーションを大事にし、新しい書店文化を創造すべく頑張っている。いや、これは思い起こしてみれば、『チャーリングクロス街84番地』の、ロンドンの伝説の古書店「マークス」のフランク・ドエルと、ニューヨークの作家ヘレーヌ・ハンフの交流の物語に描かれている世界ではないか。まさに本を通じた信頼関係、書店文化の原点である。コミュニケーション手段が手紙からネットに替われども、底流にある「本への愛」は変わらない。それを神保町の「K書店」で改めて発見させてもらった。「朋ありて遠方より来たる亦楽しからずや」だ。

最後に、今どきの「世界の神保町」を象徴するようなエピソードをもう一つ紹介したい。アメリカの比較文化学の女性研究者が、数年前から神保町を拠点に、古書店でインターンをしながらフィールドスタディーを続けている。そんな彼女は最近、「神保町の沼」にハマってしまったのか、「古書の大海」に飲み込まれたのか、なんと研究対象の古書店の店主とめでたく結ばれ、神保町の「女将」に収まってしまった。これからは地元に根を生やしたローカルな「本屋の女将」にして、グローバルに発信する研究者として世の中を面白くしてくれるのだろう。やはり、ここでも神保町を活気づけているのは女性のパワーと海外顧客なんだ。そのダイナミズムにワクワクさせられる。



KITAZAWA DISPLAY BOOKS

このディスプレーもオシャレ

今や神保町のランドマーク





老舗「八木書店」

「一誠堂書店」は建物もクラシック

「大久保書店」


「文房堂」書店ではないが

浮世絵・版画といえば「大屋書房」

「三省堂書店」新本店開業

かつて徘徊したロンドン セシル・コート古書店街



本稿を執筆するにあたって、北澤書店の北澤一郎社長、北澤里佳店主に、店内写真掲載許可を含め、多大なるご協力をいただいた。末尾ながら謝意を表したい。


参考:

84 Charing Cross Road:

ロンドンのMarks Bookshop:マークス書店を舞台にした1986年制作の映画。出演:アンソニー・ホプキンス、アン・バンクロフト

へレーヌ・ハンフ(NYCの作家)、フランク・ドエル(Londonの古書店主)の20年にわたる手紙による交流の物語

日本語文庫本『チャリング・クロス街84番地』へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳 中公文庫










2026年5月3日日曜日

古書を巡る旅(78)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations:アダム・スミス『国富論』刊行200年記念復刻版 〜「神の見えざる手」は本当は何を動かしているのか?〜

 



表紙

左に『道徳感情論』の著者と紹介がある

付属の解説書



本書はアダム・スミスの『国富論』(『諸国民の富』)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations(1776年初版刊行)の、200年記念復刻版(ファクシミリ版)として1976年に刊行されたものである。今からちょうど50年前である。日本は高度経済成長の只中、スミスが資本主義経済のバイブルと崇められていた時代である。初版本を忠実に再現した総革装、マーブルボード、スリップケース付き全2巻の、歴史的な著作の復刻に相応しい重厚で美しい装丁の書籍である。歴史的な古書、稀覯書の復刻であり、経済学の古典書、歴史的な書籍としての価値はもとより、古書コレクションとしても魅力的である。日本の出版社(雄松堂書店)が世界各国で各々復刻プロジェクトが進行しつつあった中、重複出版を避けるべく調整し、製紙、印刷、製本(背表紙はフランスの装丁)し、1,000部限定刊行し981部は市販された。付属の解説書には、英米日3カ国の専門家により、この復刻の経緯と書誌的解説が詳細に紹介されており貴重である。しかし『国富論』はもちろん重要な著作であることは論を待たないのだが、この復刻版発刊から50年という時間の経過を振り返ってみると、この間に大きく世界は変貌し、想定しなかった衝撃的な事象が数多あることに気づく。この際、我々はスミスのもう一つの大作『道徳感情論』の復刻を願わざるを得ない。


1)書誌的考察(付属の解説書による)

1776年の初版から1789年の第5版まで。William Strahan(スミスのスコットランド人の友人)が出版を手掛けた。スミスのもう一つの主著「道徳感情論」1759年の初版から6版も手掛けた人物である。スミス生前の改訂は5版に及ぶ。すなわち、1776年初版(500部)、1778年第2版(500部)、1784年第3版(1000部)、1786年第4版(1250部)、1789年第5版(1500部)である。初版は500部刊行された。あまりにも好評で、派生版(いわゆる「ダブリン版」)も刊行された。

初版は高評価で、書評には「起業家や財政家が苦労する仕事を、哲学者やることの困難さはいかばかりか、このように理論と学説を科学的に体系づけた論者はいない」と絶賛している。エドモンド・バークと思われる人物による評論は「フランスの経済学者が色々理論を述べ立てるが、それを体系的に著した著作を見たことがない。総合的に俯瞰する哲学者だからできることだ」と称賛。「ただ新奇な説はそれが証明されるまでに時間を要すだろう」と評しており、これは現代におけるスミスの評価にもつながっている。

初版が発表されてから数年以内に、各国語に翻訳(ドイツ語訳が最初)され一斉を風靡したが、1780後半−90年初頭に入るとパタリと途絶える。その後考えられているより書誌的には普及に時間がかかったようだ。彼の学説に反対する重商主義者や官房学派の抵抗の影響も考えられるが、正確な理由は依然不明という。しかし90年代後半に入ると再び関心が高まっていった。世の中は政治的にはアメリカ独立、フランス革命を経て、やがて産業革命という大きな時代の転換点である。

日本での受容は、シーボルト二度目の来日時1858年のドイツ語版が確認されているのが最初と言われているが、日本で読まれた形跡がない。幕府開成所「葵文庫」で1863年エジンバラ版が記録され、福沢諭吉『西洋事情外編』1867年で『国富論』が取り上げられているが、スミスの名は引用されていない。明治維新以降、急速に西洋思想が流入してくる。経済思想も同様。しかしスミスが明確に認識されるのはもう少し先だ。とはいえ、東洋では日本語訳がイギリスとの関係は深かった中国語訳よりも早い。韓国では九州帝大に学んだ人物が1910年に翻訳を手がけた。本格的な邦訳は、1882年(明治15年)、田口卯吉主宰の「東京経済学講習会」が著名外国経済書翻訳刊行を手掛け、その一つに「国富論」を取り上げた。明治15年1882から明治21年に完成を見た、石川暎作・嵯峨正作訳 しかし底本となった版がどれなのかは明らかではない。その後の全訳は5種類ある。竹内謙二(1921−23)、青野季吉(1928−29)、大内兵衛(1940−44)、水田洋(1965)、大河内一夫他(1976)。どれもスミス生前の最後の版、第5版(水田訳は初版)が底本となっている。このほかにもスミスの解説、研究書、引用は数多あり、日本におけるスミス研究の幅広さと深さを示している。

また、CiNiiで検索すると、稀覯書とされる初版本の日本の大学における所蔵数は、一橋大学(6冊)慶應大学(3冊)名古屋大学(2冊)をはじめ、東大、千葉大、京大、阪大、九大がそれぞれ1冊ずつ所蔵しており、OPAC検索ではそのほかの大学、研究機関、個人も含めると日本には合計49冊あるという。これは初版発行部数500部の10%に相当する。スミスの母国であるイギリス、スコットランドの、大英博物館(1冊)オックスフォード大学(2冊)グラスゴー大学(3冊)と比較しても、日本は世界でも有数のスミス研究が盛んな国といえよう。ちなみにアメリカのニューヨーク・パブリック・ライブラリーには5冊収蔵されている。


2)もう一つの主著『道徳感情論』への言及

この『国富論』記念復刻版の解説には『道徳感情論』への言及がほとんどない。これはもちろん、当時スミスの主著とみなされていた『国富論』の復刻版企画であることから理解しなくもないが、1976年当時のスミス研究、評価の立ち位置を示すものと考えられる。『道徳感情論』は「忘れられた名著」と言われ、21世紀に入るまで『国富論』の傍に追いやられていた。しかし現在では『道徳感情論』こそがスミスの主著であり、そこから生まれたのが『国富論』であるというのが通説となっている。スミス自身も序文やヒューム宛の手紙の中でそう語っている(「最近暇に任せて「道徳感情論」の続きを書き始めている」と)。(以前のブログ参照:2023年1月5日古書をめぐる旅(29)アダム・スミス全集)。本書は1976年以降、特に21世紀に入ってからのスミス研究の新しい成果が反映される以前の刊行である。これまで「予定調和」「レッセフェール」「神の見えざる手」が資本主義的合理性の原理とする経済哲学のみが受け入れられ、「社会的存在」「他人への共感」「公平な観察者」としての倫理的、道徳的人間の存在が前提の「神の見えざる手」というスミスの道徳哲学が看過されてきた。21世紀前半の現代において、理念と秩序が欠落した資本主義の矛盾、そこから始まる経済合理性優先の西洋文明の解体の兆しという事態を目の当たりにして、スミスの経済理論は間違っていたのではないかという言説まで飛び出す始末であった。ここにきてようやくスミス=「国富論」という捉え方を見直し、忘れられたスミス=「道徳感情論」を再評価する動きが出てきた。そもそもスミスは倫理学、道徳哲学者であり経済学者ではなかった。経済学は道徳哲学から生まれた科学なのである。そういう意味においてスミスは「近代経済学の父」と呼ばれているのだが、今は経済学の観点からだけではなく、哲学、倫理学の視点からもスミスが見直されている。


3)アメリカ独立宣言(1776年9月)と『国富論』刊行(1776年3月)

『国富論』刊行のタイミングは、ちょうどアメリカ植民地における独立運動が盛んになり、その対策がイギリス本国にとって大きな政治時問題になっていた時期である。これに対するスミスの見解をまとめるために刊行が遅れていたが、しかし親友デービッド・ヒュームの督促もあってアメリカ独立宣言の直前に刊行することとなった。実際に。独立宣言の6ヶ月前に初版を刊行している。スミスは『国富論』最終章で、アメリカ植民地経営のあり方論を展開している。興味深いので紹介しておきたい。

第一案:統合案 「代表なくして課税なし」を認めて、アメリカ植民地住民のイギリス議会への代表権を認める。しかし、アメリカの方が経済成長速度が早く、人口も増え、納税額が本国を凌駕するだろう。そうなると、やがてはアメリカ植民地代表の議席がイギリス本国を上回り、首都をアメリカに移さざるを得ない事態になるだろう。

第二案:分離案 植民地の独立を認め、イギリスの同盟国としてアライアンスを組む。貿易額が増加し本国の貿易収支にも好影響があるだろう、植民地の防衛のための軍事力維持などの費用負担を減らすことができる。身の丈にあった帝国版図の経営をすべし。

ピットやバークなどはこの第二案(分離案)に賛成したが、大方の国民やイギリスの議会は猛反発した。しかしアメリカ植民地住民は独立戦争に突入し勝利したため、イギリスはパリ条約で否応なしにアメリカの独立を承認せざるを得なくなった。スミスの「分離案」が結果的に取り入れられた。アメリカ植民地の喪失。これが大英帝国の第一次崩壊である。しかし19世紀は大英帝国繁栄の時代となり、アメリカは帝国の一員としてではなくの同盟国になった。やがて第一案で予測した通り、アメリカは西部開拓、経済成長、人口増で国力がイギリスを上回り、20世紀には「世界の首都」がロンドンからニューヨーク、ワシントンに移ってゆく「アメリカ帝国主義」の時代となる。


4)「神の見えざる手」の真実

そして21世紀の今、その「アメリカ帝国」の崩壊、解体が始まった。歴史はものすごいスピードで動いている。自分が生きている間にそれを目撃するとは。これは、とどのつまりアメリカ、イギリスを含む西洋文明の崩壊である。スミスが唱えた自由主義経済、労働価値説に基づく経済が西洋諸国で崩壊して行く。生産活動に携わる労働者、市民が富創造の源泉、経済価値の創造者であり、民主主義、自由貿易体制を支えていたが、ヨーロッパ、アメリカではグローバル化で生産活動が海外に移転し国内ではそれが縮小してしまった。残ったのは大きな雇用を産まない(労働価値再生産の働かない)金融やAIなどの知識集約型のサービス活動、あるいは富の創造ともいえない市場マニュピレーションで相場を動かす活動で、一部の持てるものと大多数の持たざる者の格差が増大してゆく。理念と秩序と道徳が欠落した現代資本主義。とてつもない格差社会と社会の分断。そして政治・経済リーダーの知性と道徳の崩壊。「神の見えざる手」はこのようなデストピアを産み出そうとしているのか。『国富論』にはあらゆる経済史、経済政策、経済理論、経済思想が網羅されている。しかしその彼の分析と評価と理論の前提となっている「人間の道徳」「社会の道徳」の問題は書かれてない。それは『国富論』ではなく、その前に著された大作『道徳感情論』に提示されている。今こそスミスの主著『道徳感情論』に立ち返る時であろう。その上で『国富論』を読み直し、「他者への共感」「社会性」「道徳感情」を失った人間の上に置かれた「神の見えざる手」の真実を知る必要がある。まさに『道徳感情論』の復刻の時ではないか。


参考:

古書を巡る旅(29)『アダム・スミス全集』デュガルト・スチュアート版初版

アダム・スミス『道徳感情論』高哲夫訳 講談社学術文庫

『アダム・スミス 道徳感情論と国富論の世界』 堂目卓生著 中央公論新書

ちなみにガルブレイズは、読まれないのに頻繁に引用される古典名著として、『聖書』『資本論』と『国富論』を挙げている。


末尾になって恐縮ではあるが、今回も神保町の北澤書店に大変お世話になったので感謝申し上げたい。