古書の楽しみの一つに、美しい装丁の本との出会いがある。もちろん原典に当たるという古書の本来の楽しみも大事ではあるが、その時代の装丁家(Bookbinder)による工芸品のような本に出会うとクラクラする。かつてロンドンの古書店街で目を引いたのはこのような「書籍という工芸品」であった。これで古書に目覚めたと言っても過言ではない。以前から、神田神保町の北澤書店のネットカタログに掲載されていた「バイロン全集」が気になっていた。バイロンの詩というより、そのロマン派詩人の全集のなんと美しいことか。そのルックス、佇まいにすっかり魅了されてしまった。書店で何回か手に取って見せてもらう機会があったが、その手触り、革装の風合い、香り、なんともいえない。緑濃いケントのマナーハウス(邸宅)のオーク調家具で埋め尽くされた書斎に並べればピッタリだ。「装丁で買う」ということにどこか後ろめたさがあって、しばらくは購入を躊躇っていたが、ついに、その美貌にフラフラと誘惑されてしまい我が家に連れて帰ることになった次第である。この全集の居場所がケントのマナーハウスでなくて、東京のマンションで良いのか、という問題はあるが。
そういえば、その昔ロンドンで「キーツ詩集」を手に入れたが、これもアール・ヌーヴォーの美しい装丁の背表紙が「手招き」していたからだった。今回も、明らかにこの6巻の背表紙が手招きしていた。キーツやバイロンの詩が好きだから、ロマン派の詩に憧れる文学青年であったからという訳でもないのに、彼らの「詩集」に魅せられてしまった。しかし、概してロマンチックな詩集がそれに相応しい美しい装丁を纏っているのは、ある意味で自然なのかもしれない。美しいデザインで装丁された詩集であれば、なお一層、蔵書としての愛着も深まる。私のこれまでの古書コレクションは、主にテーマが日欧交流史と英国史、経済学書関連が主体である。歴史的な資料としての価値はあるが、豪華というよりむしろ古色蒼然とした風合いの古書が多い。もちろん英国を代表する作家、シェークスピア、サミュエル・ジョンソン、チョーサー、ミルトンなどの歴史的な著作もあって、こちらは魅力的な外装デザインであるが、やはりロマン派詩集はもう一つ違う異彩を放っている。
ヨーロッパの出版文化において、歴史に名を残す著者はもちろん、出版社と、プライベート・プレス、装丁家の存在を忘れてはならない。イギリスの出版事業は、以前のブログでも触れたように16世紀には成立していた。出版文化には、その出版人の存在、役割が非常に重要であったことはそこでも述べた。しかし、出版事業の発展とともに製本技術も進化し、さらに蔵書としての価値を高める装丁に手間をかけることも盛んになっていった。活版印刷技術が普及して多くの人々が活字に触れることができるようになったとはいえ、書籍はまだ高価で誰でもが所有することができるものではなかった。一種のステータスシンボルでもあった。勢い、豪華な装飾を書籍に求める動きが出てきても不思議ではない。ところで、この全集の美しい装丁は誰がどのような経緯で手がけたのだろう。今回は少しだけ、この「バイロン詩集」をネタに、著者ではなく、出版に関わったプレーヤーについて考察してみたい。その一つがロンドン大手出版社ジョン・マレー社:John Murrayである。そしてもう一つが、地方都市カーライルのチャールズ・サーナム社:Charles Thurnam and Sonである。
バイロン卿:George Gordon Byron, 6th Baron Byron FRS (1788〜1824)
とはいえ、一応バイロンの紹介もしておかねばなるまい。あまりにも著名すぎて、改めてここで事細かく紹介する必要もないだろうし、今回はバイロン卿が主役ではなく、出版社、装丁家が主役であるから、ごく簡潔に。
19世紀イギリスの詩人。シェリー:Percy Bysshe Shelley (1792~1822), キーツ:John Keats (1795~1821)と同世代のロマン派詩人である。「今世紀最大の天才」とゲーテは称賛している。彼の詩は繊細でしかも、反世俗的、世の中に対する皮肉と批判精神に満ちたものである。またギリシャ文明に対する憧憬に満ちており。後述のように彼の地で短い生涯を終えた。その短い人生において多くの詩を書けたのは、非常に着想から書き起こしまでが早かったからだと言われている。日本でも明治以降、最も知られた西欧の詩人の一人である。与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」の4番に、その名が引用されていて、西欧文化のアイコンのような存在であったことが窺い知れる。
ジョージ・ゴードン・バイロンは親戚の爵位と領地を相続し、第6代バイロン男爵となったが、ケンブリッジの学生時代から悪友と放蕩のかぎりを尽くし、その後も社交界でのスキャンダルに満ちた人生を送ったことで知られる。結局イギリスに居れなくなり出奔。スイス、ジェノア、ヴェネチアなどを放浪したが、変わらぬスキャンダラスな日々を送った。ギリシャ独立戦争に私人として参加し、軍団を率いることになるが、現地にて戦闘ではなく病死する。36歳であった。本書はそのバイロン卿の、「バイロン卿詩集」新版全6巻:Poetical Works of Lord Byron A New Edition, 6Volumes。出版者:London: John Murray, Albermarle Street、1855年の版である。
ジョン・マレー社:John Murray
この「バイロン全集」を出したジョン・マレー社は、1768年創立のイギリスの出版社。現在でもロンドンで出版事業(Hodder Headline社の傘下となったが)を行うイギリスを代表する出版社の一つと言っても良いだろう。ロンドンは今でも出版業界の世界的な中心の一つである。
同社は、初代ジョン・マレーが1768年ロンドン、アルパマール街に創設。その子のジョン・マレー2世:John Murray(1778~1843) はバイロンや、キーツ、シェリーなどの当代の若手の詩人やジェーン・オースチンなどの作家の良き理解者、支援者として彼らの作品を多く出版し、文芸作品の出版社としての地位を確立した。次のジョン・マレー3世はダーウィンの「種の起源」「ヴィーグル号航海記」などの重要な書籍を多数出版した。しかし、ジョン・マレー社を世界的に有名にしたのは、当時上流階級で流行していた旅行ブーム、グランドツアーに当てて、旅行ガイドブックシリーズ「Murray's Hand Book」(通称Red Bookとして愛された)を企画出版したことだ。ジョン・マレー3世自身、若い頃から世界を旅し、その経験からより正確で、実用的な旅行ガイドの必要性を痛感していたという。これがヒット商品となり、ドイツのべデカー社のガイドブックと共に2大ガイドブックの地位を獲得した。現在も、このRed Bookシリーズを古書店で目にすることも多い。これは日本にも大きな影響を与え、幕末から開国間もない明治期に、幕府や明治政府の遣欧、遣米使節などにとっては海外渡航必携のバイブルとなった。また一方で、マレー社は、いち早く開国まもない日本のガイドブックを出版し、訪日外国人の最初の信頼できるガイドブックとなった。初版は、アーネスト・サトウ執筆、編纂のサトウ版(1884)である。続編としてサトウから引き継いだバジル・ホール・チェンバレン版(1901、1903、1907、1913)が改訂シリーズとして出版された。また、チェンバレンの重要著作「日本事物誌」:Things Japaneseも同社の出版である。
話を戻すと、手元の「バイロン全集」は、1855年に出版された全6巻の全集である。ジョン・マレー2世時代に初版(1832年)が出版され、その後、幾度かの改訂、重版された人気のシリーズであった。本書はジョン・マレー3世になってから改めて新版:New Editionとして出版されたものだ。同社の代表的な全集であり発行部数も多いが、現在古書市場に出回っている装丁には様々なものがある。一つとして同じものが無いと言って良いほどのヴァリエーションがあり、それぞれに異なる装丁家が手がけたものであると考えられる。装丁デザインは出版元のマレー社の手を離れているように見える。
話はそれるが、この事業者についてネットで調べて見ると、このバイロン全集の出版経緯とは別に、ヴィクトリア朝時代の地方の出版業界の事情を伺い知ることができるエピソードが見つかった。Charles Hutchinson Thurnam (1796~1852), Carlisle, Cumberland、 Bookseller, Printer, Binder and Publisher Circulating Libraryに関する紹介論文である。出版事業がロンドンやエジンバラ中心であった19世紀の時代に、北イングランドの地方都市カーライルで出版、書籍販売を手掛けたCharles Thurnamの成功談なのであるが、こうした地方都市での出版事業の難しさと、それに伴う19世紀商業道徳の問題を提起したケーススタディーとして、地元の歴史研究家に取り上げられている。ロンドンの大手出版社との版権争奪争い、著作権をめぐる争い、地元の同業者同士の取次や版権をめぐるトラブル、訴訟問題の顛末である。このThurman氏は商売上手で、人格も円満とされている一方で、商業道徳にもとる手法を駆使して成功した人物として記憶される、という不名誉を背負った。この郷土史研究家は、市場競争においては私利私欲ではなく、アダム・スミスの言う他者への共感や、倫理観念の重要性に言及して、このThurnamケースを、ヴィクトリア朝時代における成金趣味への皮肉、商業道徳の向上という視点から取り上げているのが興味深い。ここで「アダム・スミス」が引用されるとは思っていなかったが、ヴィクトリア・バブルもそうなのであろう、「欲望の資本主義」が頭をもたげる時代にはスミスが登場して警鐘を鳴らす。時代は繰り返すのだろう。蔵書家向けの装丁サービス、まさに書籍を工芸品に仕上げる技(わざ)が光るこの逸品なのだが、その背景に、このような思わぬエピソードが隠れていたわけだ。これも古書にまつわるストーリー探訪の旅の面白さだ。
裏表紙の下部に「CHAS. THURNAM & SONS, CARLISLE」 |
総革(Full Calf)の豪華な仕様 |
伝統的な5段のレイズドバンド(raised band) の背表紙(Spine) |
モロッコ革のタイトル |
金箔押の背表紙 |
綴じ部分の緻密な仕事ぶり |
天井部分もマーブル柄 表紙/裏表紙の周囲にも金押し模様を施すこだわりよう まさに工芸品 |
どこか日本の蒔絵を見ているような感覚になる... |
見返し部分は、この時代にブームとなったマーブル模様 |
イエロー・オーカー(Yellow Orcher)の革装 |
コーナーまで緻密なデザインが施されている |
アール・ヌーヴォー様式の「キーツ詩集」背表紙 |