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2023年4月1日土曜日

自由学園明日館 〜フランク・ロイド・ライトの贈り物〜

 




本日は、念願の自由学園明日館を訪ねた。日本に残るフランク・ロイド・ライトの建築作品は、芦屋の旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)、駒沢の旧林愛作邸(電通八星園)と、今回訪れた池袋の自由学園明日館しか残っていない。ライトの代表的な建築作品であった旧帝国ホテル本館は解体されて、本館の玄関周辺のみが明治村に移築、「展示」されている。さらに、旧林愛作邸は所有者の電通が、遊休不動産売却計画の一環で2021年に住友不動産に売却。取り壊して跡地はマンションになるのでは、と言われている。芦屋の山邑邸も一時は取り壊して跡地にマンションをという計画であったものを、地元の住民の自治体を巻き込んだ運動とヨドコウ社長の英断でで取り壊しが回避された経緯がある。自由学園は1934年にメインキャンパスを郊外に移転した後も、旧キャンパスと校舎を維持、社会活動に活用し現在に至っていることを考えると、資本の論理に任せていると建築文化財は残らない事がわかる。そういえば歴史的建造物が取り壊された跡地がマンションになるケースは後をたたない。安易に換金できるからだ。マンションの住人としては複雑な心境だ。と同時に、企業はこうした歴史的な建物を取得する以上、後の世代に文化財として次いでゆく責任がある。それこそCSRでありSDGsであるはずだ。その責任を全う出来ないなら最初から手を出さないことだ。「文化財守れる人こそ文化人」

自由学園は羽仁もと子・吉一夫妻によりキリスト教の理念に基づく女子教育の学校として大正10年(1921年)に創設。画期的な教育方針とその実践で現在も人気の学園である(現在は幼稚園から大学部までの共学校)。私の小学校時代以来の旧友の姉がここの卒業生で、品格と教養を兼ね備えた才媛であったことを覚えている。そのせいであろうか私は自由学園に特別な憧れがある。1934年に郊外(現在の東久留米市、西武線「ひばりが丘」駅)に移転。西池袋キャンパスは自由学園明日館として残された。結婚式やコンサート、地域のイベントに使用されている。同じ敷地に建つ講堂とともに重要文化財指定である。残念ながら訪問当日は結婚式のため貸し切りとなっていて内部を見学できなかったが、これだけの歴史的建物とキャンパスが整備、保存、活用されていることに敬意を表したい。。また同じ敷地内には、羽仁夫妻が自由学園創設に先立つ1903年に創立した出版社、婦人之友社(元家庭之友社)の本社があり、その読者の会である「全国友の会」(1930年設立)の本部もある。むしろ自由学園は、その教育問題、社会問題に対する主張と実践の場として創立された。

この建物は、帝国ホテル設計のために来日中のライトに、その弟子の遠藤新が羽仁夫妻を紹介、自由学園の教育理念に共感したライトが設計を引き受けたものである。ライトは、帝国ホテル設計プロジェクトという多忙な日本滞在日程にもかかわらず、この自由学園プロジェクトに楽しんで取り組み、アメリカの平原スタイル(プレイリー・スタイル)を取り入れたプランを短時間に仕上げたと言われている。シンボリックなホールは、シンプルな構造の中に大きな窓を取り入れ、豪華なステンドグラスではなく、幾何学的な装飾(ライトスタイル)窓とした。まさに明日館の顔ともいうべき一角である。のちにはこのホールが手狭になったため、ライトの弟子である遠藤新によって別棟の講堂が建てられた。キャンパス全体が、いわば「ライト様」で統一されていて心地よい空間となっている。先述の旧林愛作邸も、帝国ホテルの支配人であった林愛作の願いで設計を手掛け、プレーリー・スタイルだと言われている。こちらは非公開建築物であり、ほとんどの人が目にする機会もないまま、人知れず取り壊されるのかと思うとなんともやるせない。

12年前に訪れた、もう一つの現存するライトの建築作品、兵庫県芦屋の旧山邑邸については、下記をご覧いただきたい。

 2011年9月15日 芦屋 旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館


ライトの道
両側が自由学園キャンパス

明日館(中央棟、西教室、東教室)
フランク・ロイド・ライト設計 
大正10年(1921年)竣工 東教室は1925年竣工


中央棟外観
窓のデザインがライトだ

内側(Wikipediaより)


講堂:遠藤新設計 昭和2年(1927年)竣工

婦人之友社
1903年創業/創刊

池袋駅西口 Global Ring


(撮影機材:Nikon Z9 + Z Nikkor 24-120/4)