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2023年11月5日日曜日

古書を巡る旅(40)キリシタン版「コンテムツス・ムンヂ」とは? 〜天草で印刷・出版されたローマ字版キリスト教の修養書〜

 

キリシタン版ローマ字「コンテムツス・ムンヂ全部」
イエズス会紋章「IHS」


「バテレンの世紀」、16世紀に日本にキリスト教が伝えられた時、その教義は日本人にどのように解説され理解されたのだろう。布教にやってきたバテレン達、イエズス会士はどのような教理教育を行い、日本人はどのように教義を学んだのか。テキストはあったのか。あったとすれば誰がラテン語の原書を日本語に訳したのか?キリスト教の宣教師にとって、異国における布教には大きな苦労があったことは想像に難くない。武力や金銀で改宗させるならともかく、あるいは奇跡を起こして見せるのも容易ではないとしたら、土着宗教(祖霊神、自然神)、あるいは先行する外来宗教(仏教)を信じる「異教徒」に、唯一絶対神デウスを信仰するキリストの言葉に耳を傾けさせる必要がある。まず言葉の問題が大きなハードルとして立ちはだかっただろう。教義を解説するテキストを選定し、キリストの言葉を日本語で解説しなければならなかった。今回は、日本に入ってきたキリスト教の教義を説く「教理書」、あるいは学びの書たる「修養書」とはどのようなものであったのかを取り上げてみたい。

本来ならば、キリスト教の経典である「聖書」を読み聞かせれば良いのであろうが、実は聖書の和訳は、16世紀のキリスト教伝来時期にはルイス・フロイスなどのイエズス会士により断片的に行われたようだが、完訳はなされなかったか、少なくとも残っていない。布教初期においてはその教え、成句はパードレの言葉で伝えられた。その説教に必要な範囲で和訳されたのであろう。禁教令以降、聖書は長らく日本語には翻訳されなかったが、19世紀、明治以降に外国人プロテスタント宣教師によってようやく翻訳が始まった。16世紀ヨーロッパにおいても「聖書」がラテン語から各国語に翻訳されるのは後のことであるし、グーテンベルクの活版印刷機が発明されたとはいえ、印刷物として庶民に普及するには、さらに長い時間を要した。ただ、聖書以外にキリスト教徒が親しんでいた「教理書」「修養書」がヨーロッパには存在し、それらがイエズス会士により日本に持ち込まれた。日本における布教は、このような教理書および修養書が中心となって行われたと考えられている。


1)フランシスコ・ザビエル「29ヶ条の教理書」

キリスト教の教義を異教徒にわかりやすく解説しようと試みた最も初期の教理書である。ザビエルがインドでの布教用にまとめた「カテキスモ」がベースとなっていると言われている。これを、日本での布教用にザビエルに付き従っていた日本人イルマン、アンジロウが和訳して、1549年「天文18年)日本に上陸後、鹿児島、山口、豊後での布教で用いられた。印刷物ではなく、写本であったためか現存しない?当初、ザビエルは日本での布教に当たって、マラッカで出会った日本人アンジロウとの交流の中で、日本人の言語能力(識字率の高さ)、農業生産活動を通じて獲得した自然の摂理や観念を理解する能力を評価。合理主義的な思想の持ち主であったザビエルは、日本布教に希望を持った。日本にすでに入っている外来の普遍宗教である、仏教との共通性を示すことが日本人にとって理解しやすいだろうと考え、布教初期には、仏教用語を借用して日本語解説書を編纂した。仏教僧とも交流した。日本人もキリスト教は仏教の宗派の一つかと勘違いした。のちに仏教色を払拭して改定したが、後述の日本語化された教理書、修養書にもその痕跡が散見される。更に追加改定が行われ、ザビエルに続くガスパル・ヴィレラが布教を始めたときには25か条になり、最終的には29か条となった。

2)「どちりな・きりしたん」1591,1592,1600年

日本にもたらされた最初のキリスト教の教理書として日本史教科書にもその名が登場する。もとは、ポルトガルのイエズス会士マルコス・ジョルジュが、1566年にリスボンで子供向けの問答形式の教理書、Doctrina Christiana :「キリスト教の教理」を作成した。それを大人向けの平易な教理書として再編集したものが、海外での布教でイエズス会士に用いられるようになった。これが日本にもたらされ和訳された。1585〜90年に天正遣欧使節が日本に持ち帰った活版印刷機が教理書の普及に役立つこととなり、この「どちりな・きりしたん」が日本における最初の活版印刷物として、島原の加津佐で出版された。やがて印刷機は天草、長崎へと移され、後述の出版活動に引き継がれた。こうしてこの「どちりな」が先述のザビエルの「29か条の教理書にかわって、いわば「定本」となってゆく。内容的には「信仰」「希望」「愛情」がデウスが教える三善徳であるとする基本に基づいている。

「どちりな・きりしたん」国字本 1591年? 加津佐のコレジオで印刷されたとされる。いわば抄訳本。

「どちりな・きりしたん」ローマ字本 1592年(文禄元年) 天草のコレジオで印刷され「天草本」と呼ばれる。30種ほどがあると言われている。

「どちりな・きりしたん」ローマ字本・国字本 1600年(慶長5年) 長崎で印刷・再版されたもの 長崎の町年寄で朱印船貿易家、キリシタンの後藤宗印が印刷・出版した。かれはキリシタン関係の書籍の印刷を多く引き受けたことが知られている「(後世に「後藤版」とつたわる)。

ローマ字本はイエズス会宣教師向け、国字本は日本人信者向けに印刷された

現在、1592年「天草本」の原本は、バチカン図書館、東洋文庫、水戸徳川家、ローマ・カサナテンセ図書館にそれぞれ一冊ずつが残るのみである。

また同時期に、「聖人伝」(サントスの御作業の内抜書)1591年が、「どちりな」と同時に印刷された。1587年のバテレン追放令に伴い、「殉教」が信仰の証であることを示すために、キリスト教初期の「殉教者伝」を日本に紹介するとして急遽出版された。本書は加津佐で印刷され、完本として現存する唯一の本とされている。


「どちりな・きりしたん」1600年長崎本表紙
ここにもイエズス会紋章「IHS」が」掲載されている
(Wikipediaより)


3)「コンテムツス・ムンヂ」別名「イミタティオ・クリスティ」1596,1602,1610年

今回取り上げる書で、「どちりな・きりしたん」が教理書として用いられたのに加え、キリスト教の修養書としてイエズス会で重用し、日本語版がキリシタン信者の間でも普及した書である。もとはトマス・ケンピス:Thomas a Kempis(1380-1471)の「Contemptvs Mundi」:「世の厭い」であると伝わるが、別名は、イグナティウス・ロヨラの「De Imitatione Christi et Contemptvs omnium vanitatum Mundi」で、「イミタティオ・クリスティ」:「キリストに倣いて」、あるいは「すべての空しき世を厭いて」という表題で、聖書に次いでキリスト教世界で愛読されたラテン語本である。カトリック教徒だけでなく、プロテスタントにも重要視され、その本旨は「キリストの生涯に学ぼう」「この世の穢れを厭う」というということ。さしずめ仏教風に言えば「厭離穢土 欣求浄土」と言ったところか。日本には巡察使ガスパル・ビレイラが持ち込んだ。

1585年の天正遣欧使節のローマ法王シスト5世(Sixto V)謁見を機に、インド管区の巡察師アレサンドロ・ヴァリニャーノの翻訳請願が、法王に許可されて和訳された(本書表題部にその記述あり。下記参照)。従って翻訳への取り組みは早くから始まっていたようだが、出版は1596年と遅れた。この間にいくつかの改訂版が出されていた可能性を指摘する研究者もいる。和訳本はローマ字本と国字本に別れており、ローマ字本は、豊後・臼杵のノビシャド(修練院)で布教のテキストとして使用された(1582年イエズス会日本年報)。国字本は細川ガラシャ夫人、小西行長や、追放された高山右近に付き従った小西の旧臣の愛読書であったと言われている(ルイス・フロイスの報告に記述がある)。

「Contemtvs Mundi Jenbu: コンテムツス・ムンヂ全部」ローマ字本 1596年 天草で活版印刷 日本人印刷工による初のイタリック体活字で印刷 イエズス会宣教師の布教用日本語テキストとして活用

「こんてむつすむん地」国字本 1602,1610年 京都で木版印刷 日本人信者向けにまとめられた、いわば抄訳本。細川ガラシャ夫人など、キリシタンの愛読の書

和訳者は誰なのか?キリスト教関連の書籍の翻訳環境は整っていたのか?詳細は不明である。天正遣欧使節の一人、原マルチノが帰国後コレジオで翻訳作業に携わった記録があるが、この書であるかは明らかではない。また、1595年に、宣教師によってもたらされたポルトガル語版の「イソップ物語」を翻訳し、ローマ字の天草版「伊曽保物語」を出版したハビアン(Fabian:禅僧から改宗した不干斎ハビアン)という日本人イルマンがいた。平家物語のポルトガル語訳も手掛けており、このラテン語翻訳にもかかわっていたのではないだろうか。ルイス・フロイスも、加津佐で「日欧文化比較」という小冊子を印刷出版している。日本語を解するフロイスも関わっていたのだろうか。また、少し時間を下ると、ルイス・フロイスの後任イエズス会士、ジョアン・ロドリゲスのような日本滞在が20年を超え、日本人の家族を有するポルトガル人が、長崎でその堪能な日本語を駆使して、「日本語文典」(1604〜8)、「小文典」(1620)という不朽の名著を編纂発行している。また「日葡辞典」も刊行され、徐々に翻訳環境が整ってゆく途上にあった時期と思われる。ただ、日本における布教の最大のボトルネックは、正確にラテン語を理解できる日本人イルマンが育たないことだともいわれていたことから、日本人がラテン語翻訳に関わったかは定かではない。ちなみに、これ故に日本人パードレがなかなか生まれなかったとも言われている。一方で、先述のように、活版印刷機がもたらされ、日本でまとまった印刷物を出版することが可能となった事が普及を後押しした。キリスト教関連だけでなく、先述の「伊曾保物語」のような、「キリシタン版」と言われる一連の印刷出版物が登場する。

現在、「コンテムツス・ムンヂ」のローマ字本原本は、オックスフォード・ボードレアン図書館に初版が、ミラノ・アンブロシアーナ図書館に再版が現存している。さらに、2017年にドイツ、ヘルツォーク・アウグストス図書館でもう一つローマ字本原本が発見され、解読が進められているとの研究報告が出されている(2019年、大阪大学文学研究科紀要)。また、国字本抄本「こんてむつすむん地」(1610年京都、原田アントニオによる出版)が天理図書館に収蔵されている(重要文化財)。その後のキリシタン禁教政策のためであろうか、日本に残っている布教関係書籍、資料は限られている。また、書誌学的に見ても、これらの書籍の出版時期、出版目的、利用状況などは、ルイス・フロイスのようなイエズス会士の手紙や「イエズス会日本報告書」、バチカンやヨーロッパ諸国の図書館に収蔵されている記録によって明らかにされているが、残念ながら日本側に残された資料は極めて少ない。

手元にある本書(写真)は、1596年の天草で活版印刷されたローマ字本の復元ファクシミリ版である。1978年雄松堂書店刊、監修・解説は海老沢有道(聖心女子大、立教大学、国際基督教大学の教授を歴任、日本のキリスト教史学会の重鎮)である。本書添付の解説書には、原本はアンブロシアーナ本であるが、不明箇所はボードレアン本で補ったとある。同書は、「南欧所在 切支丹版集録」シリーズの一巻で、先述の「どちりな・きりしたん」とともに、キリスト教書誌研究の貴重な復刻資料である。

キリスト教関連を含む、いわゆる「キリシタン版」の書籍は、一連の「鎖国令」の中で、廃棄されたり、禁書あつかいになったりして失われ、その多くは日本国内には文化財、歴史資料として残らなかった。またこの頃にヨーロッパから伝わった活版印刷技術も、キリシタン禁制とともに、かの印刷機は長崎からマカオに移送され、其の技術は江戸時代には途切れてしまい、かわりに朝鮮から伝えられた朝鮮式活版印刷技術に取って代わられてしまったという。こうして「キリシタン版」書籍は、多くは散逸し、海外に流出してしまう。原典に当たるには、上述のように海外の図書館を回らねばならない状況である。遅ればせながらではあるが、こうした貴重な歴史的な資料を回収、復元する努力は、残された記録が少ない日本における「東西交流史研究」にとっては、特別の意義があると思慮する。

下記に本書表紙の詞書を掲載する。一見ラテン語表記のように見えるが、よく見ると、ローマ字表記(現代のローマ字とは異なるスペルである)の日本語で記述されていることがわかる。また巻末に日本語の難解用語辞典が別掲されており、本書がイエズス会士が日本語での布教に際し、学んだテキストであったことを示唆している。本文は、当時の日本語の文語体表現が忠実にローマ字化されており、また翻訳しにくいフレーズはラテン語のまま引用されているなど、当時の布教の苦心の様が感じられて興味深い。全体として、現代人には解読は難しく、スラスラと読み進めるという訳にはいかない。


表紙


Contemptvs m
undi jenbu.

Core Yovo Itoi, Iesv Christono gocoxeqiuo manabi tatematsuru michiuo voxiyuru qio.

Nippon Iesvsno Companhia no Collegio nite Superiores no goguegiuo motte coreuo fanni firaqu mono nari.

Toqini goxuxxeno nenqi. 1596


コンテンツス・ムンヂ全部

これ世を厭い、イエス・キリストの御功績を学び奉る道を教ゆる経。

日本イエズスのコンパニヤ(イエズス会)のコレジオにて スペリオレス(ローマ教皇庁)の御下知をもって、これを版に開くものなり。

時に御出世の年紀、1596


本書の構成(4巻1冊):キリストの教えを4巻で説く

Qvan Daiichi(巻第一)霊的生活に有益な訓戒 25章

Qvan Daini(巻第二)内的生活に関する訓戒 12章

Qvan Daisan(巻第三)内的慰めについて 64章

Qvan Daixi(巻第四)祭壇の秘跡 18章

Mocvrocv(目録)目次

Cono Contemptus mundino vchi funbet xinicuqi cotobano yauarague(このコンテムツス・ムンヂのうち分別しにくい言葉の要録)難解用語集


左は目録(目次)のページ最後、右は日本語難解語辞典のページ最初


革背表紙

イエズス会紋章「IHS」「十字架」「三本の釘」


第一巻1ページ目

復刻版はスリップケースに入っている