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表紙 哲人政治家セネカの悲劇的な最期の姿が描かれている |
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幸福な人生、怒り、寛容について |
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セネカの出身地スペイン・コルドバに建てられた像 |
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Sir Roger L'Estrange (1616-1704) |
セネカ: Lucius Annaeus Seneca (BC1(?)~AD65)は、ローマ時代の政治家、元老院議員。ストア主義哲学者。第5代皇帝ネロの幼少期の教育係でのちにブレーンになる。最後はネロに自死を命じられ従容として冥界に旅立った。この悲劇的な死は日本人にとっては秀吉と利休の物語を彷彿とさせる。セネカは多くの著作を残している。本書は、そのセネカのラテン語の論文集、書簡集を英訳、要約した "Seneca's Morals by way of Abstract":「セネカ道徳論集要約版」である。翻訳者は17世紀のイギリスの文筆家、言論人、ロジャー・エストランジェ卿:Sir Roger L'Estrange (1616-1704)である。本書は5部構成になっており、今もオックスフォード版や岩波全集版として現代語訳されている名著ばかりである。1685年刊行の稀覯書である。
1)恩恵について
2)幸福な人生について
3)怒りについて
4)寛容について
5)書簡集
英訳者のエストランジェはノーフォークの貴族の出で、17世紀イギリスの王政復古期の著述家。政治パンフレットやThe Observatorを出版した言論人で、イギリス最初の新聞発行人でもある。根っからの王党派で、反王党派の言論弾圧を行いその功績で王政復古後のジェームス2世に爵位を授けられた。いわば「王室報道官」あるいは「検閲官」のような立場であった。またトーリー党の議員としても活躍したが、名誉革命でジェームス2世が王位から追放されると、新たに即位したウィリアム3世により彼は投獄され政治生命を失なう。それからは古典の翻訳に勤しみ、本書の他にも「イソップ物語」(1692)の英訳も手がけた。後世、17世紀イギリス出版界、言論界における彼の評価は高いとは言えず、長くあまり注目されてこなかったが、最近になって本書のような古典の翻訳本、とりわけイソップの英訳者として注目されるようになった。その文学界への影響力の軽重は別にして、どこか前回紹介した王室桂冠詩人ドライデンの人生に似てないか?(2025年1月18日「古書をめぐる旅(60)ジョン・ドライデン)この時代の王権に対する言論人、詩人、文学作家の葛藤と挫折。やがてその能力の発揮場所を古典作品の翻訳に求めた人物がここにもう一人いた。
古代ギリシャのストア主義哲学はローマ帝国繁栄の時代(パクスロマーナ)にセネカやキケロ、エピクテトスなどによって論じられた。五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニウスも「自省録」でストア主義を説いている。ストア主義は、人間は「理性」:ロゴス(logos)によって「感情」:パトス(pathos)を制することで「不動心」:アパティア(apatheia)に達することができると考える。人間の自然的本性は「理性」であり、故に「理性」に基づき自然体で生きることよって「自己を確立」「心の平穏」を果たすことができると述べている。不安が渦巻く世の中で、個人はどうすれば幸福になれるか?これには、自己のコントロール下にあることだけに集中するべきであるとする。相手が何をどのようにするかではなく、自分が何をするべきかのみに集中する。また未来の苦しみに対する恐怖と、過去の苦しみの記憶から解放されることだとも言う。すなわちストア主義によれば、自分がコントロールできない過ぎ去った「過去の呪縛」や、まだ起きていない「未来の不安」から脱し、「現状への怒り」や「他人への憎しみ」などの受動的な感情がら脱して、理性によって自分を確立することが心の安定と幸福をもたらすと言う。なかなか「言うは易し行うは難し」である。ストア主義、すなわち禁欲主義(「ストイック」の語源となった)は、セネカなどの現行録や書簡集の読むと、哲学と言うよりは道徳論、人生訓のようでもあり、ある意味中国の老荘思想や、孔子・孟子、論語の教えに通じる点を感じる。そのため現代でも難しい哲学書よりも、多くの格言集、名言集にセネカの言葉が引用され、その思想が伝えられている。
昨今、セネカの理性に従ったストイックな生き方を提唱する「ストア主義哲学」が見直されている。経営書などにもたびたび引用されるケースが見られる。現状への怒りと先行きの不安。感情のコントロールがままならないような事態が毎日のように起きているという現実。SNSが広げる根拠不明で何が真実なのかカオスな世界に、精神状態を平静に保つことが出来なくなっている人も多い。まさに他人の言動に一喜一憂する。人に振り回される。そんな時に、感情:パトスではなく理性:ロゴスに基づく行動を中心とするストイックな生き方が不動心:アパティアに導いてくれるという考え方が、時代を乗り切る知恵として取り上げられるのである。
このアメリカ繁栄の時代、パクスアメリカーナ時代の終焉を迎えようとする21世紀、2000年前のパクスロマーナ時代の言葉を噛み締めるのも一興だ。これまで培われてきた価値観、道徳観、倫理観に対する反動が起こり、ありとあらゆるものがひっくり返り、何が正義で、何が真実なのかわからなくなってしまう不安。人間の理性が信じられなくなっている時代だ。怒りと憎しみと対立を煽り、言動は支離滅裂だが我欲だけはブレない現代の「皇帝」。彼は国益と世界の平和を、そして人々の心の平和をも毀損する。そもそもそんな古代の専制君主のような人物を「皇帝」に選んでしまう民主主義とはなんなのか。しかも専制をコントロールするはずの仕組みが全く機能しないのはなぜなのか。信じてきた価値観が揺らぎ始める不安。信頼を寄せていた社会システムに裏切られる失望感。そんな時こそ理性:ロゴスによる不動心/心の平安:アパティアに立ち戻ってリスタートするしかない。怒り、憎しみ、対立、そして専制主義への「へつらい」は人間のロゴスを破壊する。ロゴスが破壊されるとアパティアも失われる。
また、このセネカ道徳論集は、17世紀イギリスの王政復古期に英訳されて人々に読まれた。この時代のイギリスはまだ繁栄の時代(パクスブリタニカ)の前夜であったが、内戦で王政、共和政、王政と目まぐるしく政治体制が変わり、カトリック、国教会、非国教会と宗教対立が起き、外に目を向けるとスペインやオランダとの海外覇権争いという苦悩の時代であった。この時も価値観や道徳観の混乱が起き、専制君主への「へつらい」で生き延びようとする「賢人」も続出した。人々はは自己を見失った。そして古代ローマの哲人セネカが読まれた。時代は繰り返す。そして先人の知恵もまた繰り返し引っ張り出される。「困った時のセネカ様」というわけか。結局人間は同じことを繰り返して永遠に心の平安:アパティアを得られないようである。宗教/信仰も相対化され、また理性も相対化されてしまう。そうした中で自己の確立と不動心は他人の言説によってなすものではなく、自分の理性の絶対化によりなすものだ。セネカの言葉、ストイックな姿勢から学ぶことはそれだろう。自分が育て支えた暴君ネロに、最後は自死を命ぜられ、従容として死に向かった。それは自分自身の理性に対する絶対的な自信があったからだ。それがアパティアというものだろう。セネカとネロ。利休と秀吉。その生き方は歴史が評価する。
セネカの言葉:
“It is not that we have a short time to live, but that we waste a lot of it. Life is long enough, and a sufficiently generous amount has been given to us for the highest achievements if it were all well invested. But when it is wasted in heedless luxury and spent on no good activity, we are forced at last by death’s final constraint to realize that it has passed away before we knew it was passing. So it is: we are not given a short life but we make it short, and we are not ill-supplied but wasteful of it… Life is long if you know how to use it.”
「人生が短いのではない、我々がそれを浪費しているのだ。人生は長い。使い方さえ誤らなければ、どんな偉業をも成し遂げられるだけの時間を我々は与えられている。しかし、それも、ぼんやりと無益なことばかりに時間を浪費していれば、我々は最後に死という最終期限をもって、気づかぬうちに人生が過ぎ去っていたことを突きつけられることになる。人生が短いのではなく、我々がそれを短くしているということ。時間が与えられていないのではなく、我々がそれを浪費しているということ。人生は長い、その使い方さえ知っていれば」
“It is not the man who has too little, but the man who craves more, that is poor.”
「ものを持たぬ者が貧しいのではない、ものを求め続ける者が貧しいのである」
“There is no great genius without some touch of madness.”
「天才は必ず微量の狂気を有す」