旧三井家下鴨別邸は、下鴨神社、糺ノ森の南に位置している。元は下鴨神社社家の敷地の一つであったそうだ。南禅寺界隈別荘群同様、大寺院の塔頭や神社の社家町が、明治以降、政財界人の屋敷や別邸になったケースはそう珍しいことではない。京都だけでなく奈良でも東大寺周辺には今でも依水園や吉城園などの立派な庭園を有す屋敷跡があるし、春日大社の社家町であった高畑町にも多くのお屋敷が並んでいる。
三井家は惣領家である三井北家を始め11家あるという。下鴨別邸は三井北家の第10代三井八郎右衛門高棟(たかみね)によって、大正14年(1925年)11家共有の別邸として建築された。建築に際しては木屋町三条上ルにあった三井家木屋町別邸を母屋として移築した。さらに玄関棟と茶室が加えられ現在の姿となっている。この別邸の建物の特色は、何と言っても主屋二階の東山全景と庭園を展望する開放的な座敷と、さらにその上にしつらえられた3階の望楼である。これが外観的な特色にもなっている。2階、3階は通常公開されていないが、年何回か公開日が設けられている。ぜひ上がってみたいものだ。建物の前面には苔地の庭と、泉川から水を引き込んだひょうたん池が配されている。もとは古代からの原始林、糺ノ森の一部であったという来歴を聞くと、鬱蒼とした森林のなかの邸宅/庭園を妄想するが、それとは異なり開放的な明るい佇まいである。南禅寺界隈の別荘に比べると比較的こじんまりしているが、落ち着いたくつろぎを感じさせる別邸である。
これまで何度か下鴨神社、糺ノ森に足を運んだことがあるが、今までこんなところにこんなお屋敷があることに全く気づかななかった。塀に囲まれた一角であったので、何があるのか気づかなかったとしても不思議ではない。京都には、まだ高い塀に囲まれて人知れず荒れ果ててゆく歴史的な邸宅や庭園が数多くあるのだろう。この三井家下鴨別邸も。戦後の財閥解体に伴って昭和24年(1949年)には国に移譲されて、京都家庭裁判所所長官舎として使われていたという。2007年にその官舎としての使用が終わり、跡地利用の話になった。家屋は老朽化し修復もままならぬ状態、池も干上がって見るも哀れな状況であったという。で、取り壊しの話が持ち上がった。しかし、近代建築の保存、文化財としての価値の再認識の動きの中で、コンソーシアムを形成して敷地建物を引き継ぎ、保存修景することとなった。平成23年(2011年)には重要文化財指定、そして平成28年(2016年)に一般公開される。そう、去年から新しい京都の公開文化財となったわけだ。知らないはずである。なんでも古いものはすぐ壊して再開発と称して集合住宅や雑居ビルを建てる。下鴨神社境内にもなんと参道の両側にマンションが建てられている。神社の台所事情から売却された神社所有地に建てられたそうだ。文化財を守る、文化的景観を守る。資本主義の論理の中で難しい決断を迫られるのであろう。舞台裏で三井家下鴨別邸の保存に苦労された方々の労苦を偲ぶ。
(撮影機材:Leica SL + Vario Elmarit-SL 24-90/ 2.8-4)