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2017年12月28日木曜日

八木札の辻 〜「時空」の十字路〜

八木札の辻
横大路(伊勢街道、初瀬街道)と下ツ道(中街道)の交差点


 大和路散策の「時空トラベラー」が必ずといって良いほど利用する駅といえば?そう近鉄大和八木駅。近鉄大阪線と近鉄橿原線が交差する「鉄道交通の要衝」である。近鉄大阪上本町から桜井、三輪神社、山辺の道、長谷寺、室生寺へ向かう時には必ず経由する。また京都、西大寺方面から橿原神宮、橿原考古学研究所、飛鳥、吉野方面に向かう時にも経由する。あるいは大阪上本町から飛鳥に向かう時にはここ大和八木が乗換駅である。特急、急行停車駅だ。大和八木駅の近くには、今井町という寺内町、環濠集落が中世の姿そのままで残る不思議空間がある(八木西口が最寄り駅だが、大和八木からは目と鼻の先)。さらにウンチクを語れば、日本一長い路線バス、奈良交通の十津川村、熊野古道経由「新宮行き」バスはここ大和八木駅前から出発する。ここは大和路散策には欠かせない重要拠点ということになるわけだが、しかし、実はここで降りて街を散策する人はまずいない。私も実際、歩いてみたことはない。どんな街なのだろう。一度は探検してみる必要がありそうだ、と「時空トラベラー」的な好奇心が疼き始める。こんな重要な分岐点に何もないはずがない、という直感。ここは橿原市八木。地図を見ると先ほどの今井町だけでなく、藤原宮趾や耳成山も近い。古くは藤原京の西南の角(西京極)に位置する場所、古い街道筋の街並み、中世の環濠集落跡と思しき匂いの集落もある。Google Mapを見るとふと「八木札の辻」という表示が目に飛び込んでくる。なんだか面白そうだ。駅からは徒歩で7〜8分。メインストリートを外れながら歩を進める。やがて「八木札の辻」の表示を発見する。

 「八木札の辻」は、飛鳥時代からの古代の官道、東西に走る横大路、南北に走る下ツ道が交わるところである。今では、幹線道路から外れた集落の中を東西南北に走る細道、いわば生活道路になっているが、かつて横大路は重要な官道。飛鳥から西へ向かい竹内街道とつながり、二上山山麓の竹内峠を越え、丹比道、河内、難波へと通じる飛鳥の幹線道路であった。途中は古市古墳群や百舌鳥古墳群を抜け、難波宮に繋がる。さらには瀬戸内海、那の津を通じて大陸に繋がる文明の道。大陸からの外交使節が飛鳥、奈良に向かい、遣隋使、遣唐使が大陸に旅立っていった道。いわばシルクロードの東の果てと言って良いだろう。一方の下ツ道は上ツ道、中ツ道とともに大和盆地を南北に走る三本の古代官道の一番西の道。藤原京の西京極から平城京の中心、朱雀大路に繋がる重要な官道である。平城京造営の時には、建築/土木工事に必要な資材の運搬、藤原京から移転する建物や家財などを運ぶ列がこの下ツ津道を埋め尽くしたのだろう。そういう古代ヤマト倭国のクロスロードであった地点が「八木札の辻」なのだ。


大和の古道
Wikipediaより引用

 時間を一気に千百年ほど下った近世、江戸時代になると、横大路を含む東西の道は、長谷寺詣や伊勢詣に向かう初瀬街道、伊勢街道と呼ばれるようになる。また下ツ道は中街道と呼ばれるようになり、南は紀伊、吉野から、北は奈良を越えて山城、京へ通じる道となる。この二つの街道が交わる八木は、伊勢神宮や大峰山への参詣者、巡礼者で大いに賑わい、旅籠や茶店が軒を連ねる殷賑な街「八木札街(やぎふだのつじ)」と呼ばれるようになった。今は道筋ははっきりと確認できるが、通りに面して幾つかの古い商家や古民家が残っているものの、今井町のような圧倒的な中世、近世の街並みの残存率は期待できなくなっている。しかし、この「時空の交差点」には18〜19世紀の建築と思われる旅籠の建物と井戸の趾が残っている。東の平田家、西の平田家である。東の平田家建物は、最近まで子孫の方がお住まいで、時計屋を営んでおられたそうだ。しかし、商売を止めて市に建物を寄付。復元、修景保存されて「八木札の辻交流館」として一般に公開されている。その向かいの西の平田家建物は昔のまま現存しており、今でも子孫の方がお住まいだという。この二つの建物は、南側に切り妻、二階に欄干手すりという特色を共有する旅籠建築である。幕末の嘉永6年1856年の「西国三十三所名所図会」に描かれた「八木札街(やぎふだのつじ)」を見ると、この二つの旅籠と交差点の真ん中に高札場と井戸が確認でき、行き交う人々で賑わう様が描かれている。

 こうして今まで通過点でしかなかった大和八木駅で途中下車すると、素敵な「時空旅」が待っていた。大和にはいたるところにタイムホールが存在し、時間を超えた旅ができることを再認識する。しかし時空写真は難しい。その時代の心象風景、情感を古い町並みから嗅ぎ出して写し取ることは、現代のデジタル技術、AIをフル活用してもなかなか難しい。情感の表現は自分が感じ取った心の中にあるものを表現しなくてはならない。まず何を感じ取るかは、その人の歴史や習俗に関する深い知識と洞察力に根ざした感性による。デジタルやAIは技術であり道具にすぎない。高精細な写真を大量に撮ることは簡単になったが、ともすれば説明的な写真ばかりが並んでいてつまらない「情感」が映し出されている一枚を選び出すのはAIではない。入江泰吉マエストロの境地に達するには技術ではない。「時空トラベラー」が「時空フォトグラファー」になるのはまだまだ越えなくてはならないヤマがいくつもありそうだ。



嘉永6年(1853年)の「西国三十三所名所図会」に描かれた「八木札街
中央に高札場と井戸が描かれている。この井戸は半分になって現存している。




八木札の辻交流館
かつての東の平田家(旧旅籠)
18世紀後半から19世に前半に建てられたとされる建物の復元


古代官道「下ツ道」、後の中街道の今


八木札の辻
西の平田家(こちらも旅籠であった)

東の平田家一階居間
格子戸越しに通りが見える



旅籠の玄関


現存する井戸

二階客室への階段


二階客室
欄間に凝っている

客室
六畳間、八畳間、三畳間がある
客室
二階客室から坪庭を見る
向かいの建物の瓦も昔ながらの本瓦

二階から通りを隔てて向かいの「西の平田家」
見事な本瓦葺きの屋根

札辻を見下ろす

西の平田家建物
こうやってみると二階はオリジナルの本瓦葺きの屋根であるのに対し、
一階部分は後世の瓦で葺き直されていることがわかる。

二階の客室をぐるりと取り巻く高欄
横大路、伊勢街道方面

 欄間透かし彫りコレクション。これから向かう旅先の伊勢神宮、二見浦や住吉大社などの物語を題材にしているという。









重い瓦屋根を頑丈な梁が支えている


軒に設けられた遊び心

(撮影機材:Leica SL + Vario Elmarit-SL 24~90/2.8~4 ASPH)



 アクセス:近鉄大和八木駅南口から徒歩7分。


交流館パンフレットより