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2010年3月2日火曜日

古代官道 横大路 竹内街道

 先週は東京で、懐かしい面々と久しぶりに会合を持った。14年程前に、会社を大きく動かす、とある歴史的なプロジェクトに取り組む機会を与えられた。そのプロジェクトでともに苦労した仲間達であるのでなおさら感慨ひとしおであった。
 いまは皆それぞれの事業会社でそれぞれの仕事の中核として活躍しているのが何よりだ。

 しかし、企業も日本もあの時のような高揚感とハングリーさがなくなってしまっている。守りに入っている。いや思考停止状態に陥っている。与えられた経営環境の枠組から飛び出すこともなく、方向感を失って右往左往することにも疲れて立ちすくんでいる。
 あの時の熱意と行動力とスピード感が今一度必要だ。その為には新たな事業モデルの創造とビジョンが必要だ。ChangeだけではなくてInnovationが求められているのだ。
 その為には過去のプロジェクトのレビューも必要だろう。歴史に学ばない、経験を生かさない。すべて0クリアーで先人の成功も失敗も葬り去り、次のステップの糧としないのでは過去の努力は単なる浪費でしかなくなる。
 思考停止状態を脱して企業が持続的に成長するには何が必要か自明と思う。

 という訳で、会社生活のなかでのタイムスリップ、時空レビューはとても有意義ではあったが、なかなか実際の時空旅行に旅立てないでいる。また本を読んで時空を超える時間も失せている。

 そういった時間的な余裕のなさは、徐々に私の目線と視野をDay-To-Day Workに向けさせ、日常の箸の上げ下げばかりに眼がいって、悠久の時の流れとそのトレンドを読み取るセンスを鈍らせつつある。こりゃいかん!

 で、東京から帰るや否や週末のわずかな時間を利用して、古代ヤマトと河内を結ぶ古代の官道、竹内街道を駆け足で回って来た。なにしろ、日曜日の午後半日あれば時を超えて古代へワープすることが出来る。これが大阪生活の最大のメリットだ。
 近鉄阿倍野橋から磐城まで電車で行き、長尾神社をスタートに、竹内街道を河内側への峠まで歩き、帰りは当麻寺に寄って帰った。わずか3時間程の時空トラベルであった。
 現代人は人っ子一人歩いていないのどかな早春のひとときだった。ただ、大伴旅人が筑紫の太宰府へ赴任する行列に出会った、ような気がした。



 遠くに畝傍山と飛鳥を望むことが出来る。ここは推古天皇が飛鳥と河内,難波津を結ぶ為に開いた官道だ。東西に走るこの官道は横大路と呼ばれ、いわば古代の国道一号線。今も奈良と大阪南部を結ぶ国道166号線がすぐ横を走っていて交通量が多い。
 古代、大陸の文化は筑紫那の津や難波津から我が国に入り、この道を通ってヤマトに伝搬された。シルクロードの東の果てである。遣隋使や遣唐使もこの道を経て大陸へ向った。



 菅原神社から竹内の集落を望む。この辺りの大和棟の建物はよく整備保存されている。平坦なヤマト国中を西へ向う横大路は竹内集落を過ぎるあたりから峠にさしかかる。二上山を右手に見上げながら太子町へむかう。しかし、この神社のすぐ下は国道116号の竹内峠で、カーブと急勾配で車の往来激しく、歩道すらないのでとても散策する気にはなれない。



 竹内街道の峠を右手に折れると当麻の里へ。当麻寺に満作の花が咲き始めた。いよいよ春だ。桜やボタンの季節も良いが、早春の黄色い花が春の訪れを告げてワクワクする。



 当麻の里から当麻寺の塔と山門、そして遠く二上山を望む。この二上山の南の脇を竹内街道は抜けて河内へと向う。のどかな風景だ。



 当麻の里の路地裏に人知れず咲き誇る梅。メジロが蜜を吸いに群がっていた。カメラを持ってそっと近づくと、一斉に飛び立ってしまった。しばらくそのままじっとしているとすぐに戻って来て、また蜜を吸い始める。ライカの無音に近いシャッターはこのような時に役立つ。