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2020年3月14日土曜日

クラシックカメラ遍歴(6)スイスの時計屋さんが作った超絶技巧カメラ「コンパス」 〜過ぎたるは及ばざるがごとし〜

アルミブロックの削り出し筐体
背面からのぞいてピントを合わせてからフィルムフォルダーを上のスリットから挿入する。
ビューカメラと同様の撮影ができる

非常にコンパクトだが、ホールドしにくい
右にあるのは水準器


コンパスというカメラをご存知だろうか。1936年、英国人の実業家がスイスの時計メーカに製造を委託した精密超小型カメラである。 しかし、これが半端なモノではない。戦前にこんなスゴイカメラを企画設計し、商品化した人間がいたということにまず驚かされる。どういう購買層を狙ったのだろう。技術者魂もスゴイが、商品企画者もスゴイ。小さなアルミダイキャスト削り出しに磨きを入れたボディーに、考えられる機能をありったけ詰め込んだその根性に気迫を感じる。まず、連動距離計付きレンジファインダ(二重像合致式)、アングルファインダ、視度調節付き透視ファインダーとファインダーだけでも小さなボディーにこれだけの懲りよう。さらに濃淡のスケールで測定する光学式露出計、ガラス圧板(シートフィルムホールダ付き)、二重沈胴レンズ、内蔵フィルター、内蔵フード、内蔵正円絞り、被写界深度表付レンズキャップ等々てんこ盛り。シャッターは時計屋さんの設計らしくぜんまい式ロータリーシャッター(500-4,4.5, B,T スナップモードと21速を誇る)。あとまだ解読されてない指標が刻まれている。どうやら低速シャッターで中間速度を使うことに関連しているようだ。レンズは固定式のCCL3Bアナスチグマット35mm f.3.5という広角レンズ。フィルムサイズは35mmフルサイズ。内蔵のモノクロフィルターが二種類仕込まれており、正面のダイアルで選択する。この他に、水準器、三脚穴、そしてどう使うのかわからないがステレオ撮影用のネジ穴まで付いている。ポーチ型のケース付き。別売りでロールフィルム用バックもあるそうだが、通常は35mmフィルムを切ってフィルムホルダーにれてバックのスリットに差し込んで一枚ずつ使うのだから面倒。何よりも、どうやってカメラをホールドせいと言うのだろう。小型すぎるのと表面いっぱいにダイアルやレバー類が装着されていて持つところがない。そんなことにはお構いなく、ありったけの機能をこの小さな筐体に盛り込むとどんなカメラができるのか、という挑戦が作らせたカメラなのだ。使い手のことなんか考えてみたことはないだろう。したがって極めて使い勝手の悪いカメラで「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉が頭をよぎる。私自身、いまだに完全に機能を使い果たしたことはないし、これで日常的に写真撮ってみようという気にもならない。完全珍品コレクションとして鎮座ましましている。

そもそもどうしてこんなカメラが生まれたのだろう。その背景にあるエピソードを紹介しよう。このコンパスは英国人のノエル・ペンバートン・ビリング(Noel Pemberton Billing)が1936年に設計したカメラである。と言っても彼はカメラの専門家ではなく、まったくのアマチュアであった。Wikipediaや、クラシックカメラのコレクターの高島鎮雄氏の著作によれば、かれは英国の戦闘機、スピットファイアーの製造元である航空機メーカー、スーパーマリン社を創設した航空家、実業家で、貴族院議員にまでなった英国紳士だ。彼は英国紳士にありがちな賭け事好きで、ある時、仲間とドイツのライカを超えるカメラを設計できるか賭けをして、彼自身でやらざるを得なくなったと言う。当時、ライカは35mmシネフィルムを使う画期的なコンパクトカメラとして一斉を風靡していた、これを超えれるかというわけだ。こうして生まれたのがコンパス。あまりにも小型で精密なので英国では製造できるところがなく、スイスの時計会社、ル・クルトール社(現在のジャガー・ルクルトール社)に製造依頼したというわけだ。1937年から英国のコンパスカメラ社から発売され1944年に販売終了したようだ。当時、ライカIII + Elmar 50mm f.3.5が31ポンドで売りに出ているところ、コンパスはほぼ同じ30ポンドとうプライスタグで売り出したという。ライカを超えることを目指した彼は、ライカの使い勝手と言うよりは、ライカにない機能を、ライカより小型のボディーにありったけ詰め込むということを目指し、その通りにした。その結果、賭けには勝ったのだろうが、前に述べたように極めて使い勝手の悪いカメラになってしまった。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」である。コンパス社がその後商業的に成功したのかどうか多くは語られてはいないが、おそらくはそうではないだろう。その会社は現存していない。彼にとってそんなことはどうでも良かったのだろう。賭けに勝ったのだから。ただ、いじくり回し甲斐のあるメカニカルなおもちゃが好きなクラシックカメラマニアには垂涎の珍品、稀少カメラになっていることだけは確かだ。中古カメラ市場では高値で取引されているようだ。私の場合、17年ほど前にヒョンなことから手に入れることとなった。フリマでガラクタと一緒に金属の塊が転がっているのを発見。売り手に聞くと、この逸物がなんだかまったく分かっていなかった。「コンパスと書いてあるから多分何かの測定器械だろう」と言ってた(カメラだと思っていなかった)。「持ってけ泥棒」で手に入れた。私自身、こんな珍品だとは知らなかったのだが、帰ってから調べてお宝だと分かった。ノエル・ペンバートン・ビリングのツキが私に巡ってきたのだろう。ただし、フィルムフォルダーが無いのでキチンとした撮影はできないし、中古カメラ屋で聞いても入手はほぼ無理とのことだから、今は珍しいカメラの形をした高価な「文鎮」になっている。




スイスの時計メーカー、ル・クルートル(Le Coultre Co.)社がイギリスのペンバートン.ビリングの特許により製造、という刻印
イギリスのコンパスカメラ(Compass Camera Ltd.)から発売された

二重沈胴レンズになっていて、外周は距離計/ピント合わせ、中の鏡胴でロータリーシャッターの速度(1/500~4.5, B, Tとスナップモードの21速設定が可能)を設定する。

沈胴させるとコンパクトになる

レンズには固定フードがついている。引き出して使う。
レンズカバーが被写界深度表になっている
これがえも言われぬ「謎のサイン」感いっぱい!

正面の面構え カメラに見える?
レンズ周辺にシャッターボタン、フィルターセット、シャッターセット、天候による簡易フィルタ表、
下部にレンジファインダー

底部にレンジファインダ(距離計連動)とビューファインダ(右)がある本格的なもの
当時のLeica IIIシリーズと張り合ったのだろう

正面から見ると、左端がフレーム窓、二個の丸い窓が測距窓
底部にはカメラを立てるバーと三脚座がついている

これがユニークな露出計(SPEED METER)
右の丸い窓から覗きなからグラディエーションスケールをずらし、うっすらと見えるポイントが露出値。その数値を換算表で見てシャッター速度と絞りを決める。昔の露出計で時々この方式のものがある。

(撮影手順1)フィルムフォルダーを入れる前にルーペをのぞいてフレーミング、ピント合わせする。
あるいは底部のレンジファインダーでもフレーミング、ピント合わせができる。
右下サイドのアングルファインダーで、人に気が付かれないように撮影することもできる。

(撮影手順2)ここにフィルムフォルダーを挟む。
35mmフィルム一コマ毎しか撮影できない

(撮影手順3)裏板を閉めて撮影する。
こう説明すると簡単に見えるが、どっこいそうは行かぬ。

同じスイスのマイクロカメラ、テッシーナ(右)と並べてみた

黒のソフトレザーケースがついてきた。
中身に比べ、あまりにそっけない作りのケースだ。