1930年初版本
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| 1872〜1970年 『西洋哲学史』表紙より |
今回取り上げる本は、バートランド・ラッセルの『幸福論』:The Conquest of Happiness。1930年初版本である。ダストカバー付きの極めて程度の良い初版本は珍しく、「ABAJ稀覯本フェア−2026」に北澤書店から出展されていたものである。日本語訳は岩波文庫から安藤貞雄訳で出ている。
20世紀の知の巨人、数学者、哲学者、平和運動家の唱える「幸福」とは? 彼自身が本書の序文で述べているように、これは哲学書ではない。深い哲学的な考察や博学な見識を述べるものではない。自分自身の経験、観察、コモンセンスからくるコメント、自分が獲得したものをまとめた読者への幸福のレシピである。良い方向に導かれるよう努力することによって不幸であると考える人が幸福になるという確信を示したものである。極めて実践的、合目的的、論理的な行動指針である点でラッセルらしい「幸福論」である。
パート1では、不幸の原因を8パターン挙げている。そしてパート2で幸福の有り様を示し解説している。まとめると、内省的、自己没頭、内向きになるのではなく、自分の関心を外(他者、社会、仕事、趣味など)に向けて自分を広げること。これに尽きるという。これは私が最近感じている、自分自身を主観的に見つめる(自分への関心を持ちすぎる)のではなく、外に向かった目を持ち、外の世界への興味と関心によって自分を客観視することと通じると、自分なりに合点している。そして個人の幸福が、ひいては幸福の社会基盤である平和につながる。
ラッセルが指摘する人を不幸にする原因の中でも、自己没頭、権力への執着、金銭欲、自己承認欲求、成功への強迫観念、被害妄想、自己陶酔。これらが自分だけでなく、他者をも不幸にする。この指摘にハッとさせられる。最近こんな人物が毎日のように世界の話題になっている。しかし、彼は世界の人々を不幸にしているばかりか、自分自身も不幸な人生を送っているのだ。いや彼が幸せかどうかなんてどうでも良いし大きなお世話だろう。ただこうした人物は反面教師としてはあまりにも愚かで醜悪で嫌悪の対象となっても学ぶところが少ないが、少なくとも自分が、そうした自己撞着に陥らないように心がけてたいと思う。それは道徳的な意味においてだけでなく、自分の幸福感のためにも。
世界の「三大幸福論」といえば、イギリスのバートランド・ラッセル、フランスのアラン、スイスのカール・ヒルティと言われているようだ。もっともこれは日本だけのようだ。そもそも、「幸福とは何か?」「幸福になるにはどうしたら良いのか?」「不幸から逃れるには?」こうした「幸福論」には個人的にはあまり興味がなかった。どこか高いところから見下ろすような教訓めいたお説教や、徳育科目的なあるべき論、精神論を聞かされるのは苦手である。あるいは手軽な「自己啓発本」「ハウ・ツー本」として取り上げられがちで、あまりこうした本を読む気がしなかった。しかしラッセルのそれは異なっている。彼自身の生い立ちからくる個人的な体験と、数学者、哲学者、平和運動家としての活動の中で彼自身が見出した「幸福論」である。そもそも敬愛するラッセル自身の生き方に興味を抱いていたので、彼自身の思想と行動の背景を知る上でも興味深い。大きな社会的課題や企画に挑戦し成功する達成感と喜びは、それが人にどう評価されるかとは関係なく、我欲への執着によって名誉や利得を得ることより遥かに幸福である。それをラッセルは言葉だけでなく実践で示している。原題は「The Conquest of Happiness」:「幸福の制覇」。彼の幸福論は「どうしたら自分に幸せがやってくるか」ではなく、「自ら獲得しにゆくもの」であるとする。「行動する哲学者」の実践的な行動指針である。
私がラッセルに最初に触れたのは、学生時代、1970年代前半である。学生運動、反戦運動、反体制運動が盛んであった「孤立を恐れず連帯を求めて」の時代であった。私にとってラッセルは、哲学者であるとともに行動する人、すなわち、反ナチ、反ボルシェビキ運動、核廃絶運動(ラッセル・アインシュタイン宣言)、ベトナム反戦運動に共感してのことであった。当時の全共闘など反体制運動家にとってはラッセルは体制内思想家とみなされていたのだが、英国貴族で数学者で哲学者で、生涯二度の投獄を経験した行動する知性という彼の生き様はとても戦闘的であった。著作としては『ラッセルは語る』1964年みすず書房に始まり、『ベトナム戦争犯罪』1967年河出書房、そして大学のリーディングリストの『西洋哲学史』1956年みすず書房に至る。私にとってはそんな出会いのラッセルであったから、遅まきながらこの歳になって彼が「幸福」について著作を残していることに改めて気づき、手にしてみるとそこにも新鮮さを覚えた。しかも1930年、世界がカオスに向かう戦前の著作である。100年後の今、歴史が繰り返されて再び世界がカオスに引き込まれてゆく事態を目の当たりにして、「幸福」と「平和」の実践に指針を与えてくれる。彼の世界に向けての発信と行動は、まさに彼の「幸福の制覇」の実践であった。
年齢を重ね、社会の第一線から退いてふと我が人生を振り返るとき、若き日に感銘を受けた人物の著作との再会は、ことさら懐かしく、一方であの時には気づかなかった新しい視点を与えてくれる。そしてその古典は新鮮な輝きを放つものだ。この時期の「内省」が後悔や老人性の愚痴、あるいは執着に変わりがちな時に、自分の外に広がる無限の世界を知る。企業人としての役割は終わっても、まだやることはいっぱいある。そのことに気づくこと。これぞ「幸福」と言わずして何を「幸福」というのだろうか。自分が知っていると思った世界は、お釈迦さまの掌の上の話であったことに気づいた孫悟空の心持ちだ。




