ページビューの合計

2010年11月21日日曜日

金沢 北のみやび












 先週は金沢に仕事で出かけた。出張であちこちへ行くたびに,地方都市のそれぞれの美しさと,文化の香りと、穏やかな人々の暮らしを垣間みることが出来るのは役得かもしれない。特に金沢などうらやましがられる出張先の代表だろう。忙しく駅/空港と出先とホテルの間を行き来するのだが,時間を見つけて垣間みるその町の佇まいにふれることは楽しい。

 考えてみれば明治維新以前は,地方都市は,単なる「地方」ではなくて,それぞれの国の大名の「お膝元」でありいわば「みやこ」であった。廃藩置県が行われ、中央集権で東京一極集中となってゆくのは明治以降の出来事だ。戦後の高度経済成長、さらにはグローバル化の中でそれが加速される。

 人々は豊かさを求めて,こぞって東京へ出てゆこうとした。いや田舎にいても次男坊以下は田畑もなく,働く仕事場もない。憧れの東京。「花の都、うれし楽し,夢のパラダイスよ東京」。イナカには何にもない、と自虐的な歌がはやり、東京へ出てゆく恋人の後姿に涙する。東京は生き馬の目を抜く激しい競争社会。脱落する若者もでる。故郷の山河を思い望郷の思いにとらわれる。しかし,帰る所はない。「故郷は遠きにありて想うもの...帰る所にあるまじや」だ。都会で孤独と戦いながら生きてゆく。時々は「ふるさとの訛なつかし停車場」を徘徊する。いつかは故郷に錦を飾ることを夢見て...

 そんな「東京」、「地方」という二分法、二元論が明治以降この国を支配して来た。
 気がつくとバブル崩壊。さしもの高度経済成長は過去のものとなり、20年もの経済停滞期を経験し、未だに立ち直れない。いち早く西欧流の近代化を果たしたアジアの優等生、アジア唯一の経済大国を自任して来た日本は,いまや中国や韓国、さらにはインドやASEAN諸国の目覚ましい経済成長を横目で見ている情けない状況に陥ってしまった。いや、そういう成長期を過ぎて、成熟した大人の時代を迎えたといっても良い。

 そんな時,心折れて、ふと我々が飛び出し、捨てて来た故郷、地方、田舎に目をやると,そこには破壊されずに残された文化や,心穏やかな風景、町並み、生活風習が残されているではないか。経済成長に取り残された地域であればある程,すなわち田舎であればある程、それが残されていることに気付く。

 なあんだ,こんな所に美と安らぎが隠れていたのか。そういえば忘れてたなあ。よくぞなくならずに今まで...まさに「美の壷」

 その美しい町の代表の一つが金沢だ。現代的な評価軸でいえば人口45万の政令指定都市にもなれない北陸の一地方都市に過ぎないが、かつては加賀前田家百万石の城下町で、京都や江戸にも負けない文化の華開いた町だ。兼六園に代表されるその繁栄の面影と雅な趣が今も町の随所に感じられる文化都市だ。こうした空気は雲州松江でも感じることが出来る。

 江戸期にはこうした独特の文化を育んだ「地方都市」が日本全国いたるところにあった。徳川幕藩体制は、基本的には地方分権の時代であった。重要伝統的建造物群保存地域に指定されている町はたいてい,こうしたかつて地方文化が花開き、物流や金融の中心として栄えた「地方都市」であった。皮肉にもその後の明治維新や戦後の経済成長などの激震に取り残された町である。不幸なことなだったのか,幸運なことなのか,その評価はこれからかもしれない。

 こうした町に共通の構成要件はつぎのとおり。城郭、大名庭園、藩校、武家屋敷、商家、町家、花街、寺社仏閣という「ハコもの」の道具立てが揃っている。それに「中身」たる偉人、文化人、芸能、食、職人技、工芸、そして祭り。こういった道具立てがなにがしか揃っている町がいまでも風格を保っている。金沢はその代表格だろう。

 ただ実態はなかなか「地方の活性化」につながっていないのが現実だろう。この経済低迷のアオリを受けているのはまさに「地方」都市である。しかし、従来型の経済成長モデルで考えるから旨く行かない。やっぱり東京型都市像を追いかけているからだろう。あるいは工場誘致、などという20世紀型産業構造を軸に「活性化」モデルを組立てるからだ。

 ここでも「活性化」モデルイノベーションを行わなければならない。そもそも「活性化」って、何を活性化することなのだろう?むしろ町毎の価値の多元性を再認識することが必要だろう。もちろん経済的な価値に繋げていくことが豊かさと成長のベースには必要だ。しかし、ある程度の経済的付加価値が保証されることがボトムラインであろうが、地方にはこれまでの経済成長を軸とした価値観にとらわれない新しい価値創造、資産の再評価、活用が求められよう。

 あれ?こんな評論家コメントを書くつもりではなかった。最後は、意に反して「NHK時論公論」風になってしまったが...

 とにかく金沢は素敵な街だ。秋晴れの好天にも恵まれた。兼六園、金沢城はもとより、橋場町、卯立山公園、近江町市場、犀川、浅野川、主計町... 高校生の時に旅し、出会った加賀乙女との甘酸っぱい思い出とともに。











































































2010年11月14日日曜日

女人高野室生寺 紅葉始まる




 


























高野山の紅葉を愛でたばかりだが、女人高野室生寺へ足を伸ばした。紅葉が見頃になったという。

 近鉄大阪上本町から急行で約一時間。室生口大野でバスに乗り継ぎ15分程で到着する。ただしバスは一時間に二本しかない。しかし,不思議なものでそれでもあんまり不便を感じることがない。だいたい急行の到着時間に連動しているようだし、石楠花の季節や、紅葉の季節には臨時バスも出て、それなりの対応がなされている。何より流れている時間がゆったりしていて、一時間に一本でも,二本でもそれなりに生活が回るようになっている。不思議なものだ。都会のように5分ごとに電車がやってくる便利さが、むしろ生活を忙しくしているのだろう。

 ちなみに奈良県内でバスを運行する奈良交通という会社はこのような閑散路線を多く抱えている。有名なのは日本一長い路線バス。奈良県の大和八木から、十津川村を経由して和歌山県の新宮まで走る路線を運営している。地域サービスの維持と収益確保に苦労していると思うが,観光客向けのサービスはきめ細かい。なにより運転手さんや補助の車掌さん(?)も気さくで,親切だ。

 バスは美しく黄色や赤に彩られた山肌を観ながら渓谷沿いを進み、深山幽谷の地室生寺に着く。室生寺は太古の室生火山群により形成された室生山の山麓に開かれた。このような神秘的な山と渓谷に囲まれたステージは、日本古来の神々のおわします磐座,神籠のイメージに近い神聖な場所。このような所に興福寺の高僧により、奈良時代後期から平安初期に開山された。本家高野山が厳しい女人禁制をとっていたため、女性でも参詣出来る真言道場として開かれ、女人高野と呼ばれるようになったという。
 室生寺はその昔は、東の長楽寺,西の大野寺,北の丈六寺、南の仏隆寺を四門と呼び,この内を聖域としていた。参詣者はそれぞれの門から峻険な山を越え、渓谷を渡り、この室生寺へたどり着いた。今でもこれらの寺から室生寺に至る道は険しい山岳道だ。昔の人々の信仰への熱意,特に女性がこの険しい道のりを越えてこの地へはるばる参詣したことを考えると,この地の持つ引力の強さを感じざるを得ない。

 平安初期の建築である金堂の御本尊、一木造りの釈迦如来立像と、同じく一木造りの十一面観音菩薩が華麗で洗練された趣を持っている(国宝。室生寺のHPから引用)。金堂の諸仏は外陣から立ったまま拝観するのだが、この位置だとちょうど梁が釈迦如来の御尊顔を隠す形になっていてる。それでみんなしゃがみ込んで下からお顔を拝見する。少し残念だが、そもそも立ったままというのが間違ってるのだろう。

 しかし狭い金堂内に所狭しと並ぶ諸仏の佇まいは、このような深山幽谷の地に極楽浄土を見るような気がする。特にこの十一面観音立像は女性の信仰を集める優しい仏様だ。もう少し時代が下った平安中期以降に阿弥陀信仰が盛んになったとき、貴族がこぞって立てた阿弥陀堂の原型を見るようでもある。

 平成の台風で倒壊した後に再建された五重塔,これも平安初期の建築である。鎌倉期の建築である權頂堂をみてさらに奥の院までは石段を300段程登る。多くの観光客は、この急峻な石段を見て,奥の院へ登るのを諦めてしまうが,奥の院からの室生の里の眺めも捨てがたい。それに奥の院の御朱印はもちろんここでしか頂けない。それでもオジイちゃんオバアちゃんが手すりにつかまりながら,杖をつきながら,この石段を上ってゆく姿に元気をもらう。関西のお年寄りは元気!

 それにしても紅葉が美しいこと。石楠花で有名な鎧坂の辺りはから上はそれほど紅葉していない。權頂堂の前のもみじが紅葉するととても画になるのだがまだチト早い。山門周辺の銀杏と紅葉の赤と黄色のコントラストが際立っている。また,室生寺へ至る渓谷沿いの紅葉が素晴らしい。バスに乗ってると、オバアちゃん達が「みてみて、きれいやわあ」「うわー、すばらしわあ」と歓声あげてワアワアと盛り上がっている。気取らず素で室生寺への旅路を楽しんでる乗客と,ホントにきれいな景色にこちらも楽しくなってしまう。

 室生寺の入口の橋のたもとに橋本屋という旅館がある、今はもう旅館はやってないそうだが、自慢の山菜懐石料理を出してくれる。座敷の窓から赤い橋を見ながら昼食。なかなか美味しい。ここは写真家の土門拳が室生寺の諸仏の写真を撮り続ける為に定宿としたことでも有名。部屋には土門拳の撮った十一面観音の写真が飾られている。

 帰りは東海道自然歩道を歩いて室生口大野駅まで帰った。全行程1時間程で、室生寺からはしばらく上り坂が続き、栢野森峠を越えるとあとは、だらだらとした下りが続く。よく整備された石畳の道であるが,これが意外に歩きにくい。地中から湧き出る水と苔で滑りやすく,杖が必要だ。途中で拾った木の枝で杖にした。杉木立の中を延々と歩くので森林浴になるが眺望はきかない。かえってバスが走る道路沿いの方が渓谷に沿って歩くので景色が良いし,歩道も整備されているのでいいかもしれない。疲れたら,途中で走ってくるバスに手を挙げて乗せてもらうことも出来る。

 杉木立を抜けると自動車道路に出る。ススキを見ながら少し歩くと,大きな磨崖仏が渓谷の水の流れの向うにおわします。銀杏の黄色に彩られた大野寺の磨崖仏を拝ませていただき、室生口大野から帰途についた。