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2012年11月9日金曜日

葛城の道を往く ーワカタケル大王,在地神にひれ伏すー

 
葛城古道

日本古代史の中で、「王朝交代」説は戦後様々な学者によって唱えられてきた。戦前の「万世一系の天皇」説のアンチテーゼとして唱えられたものである。主な説は、3世紀に起こったと言われる三輪山の麓の三輪王朝(崇神王朝)から、河内王朝(応神/仁徳王朝)、6世紀になって越の国からヤマトに入ったという継体王朝へと変遷したというもの。しかし、この他にも、三輪王朝以前に奈良盆地の西の葛城山麓に有力な勢力がいて、葛城王朝を形成していたという説が唱えられている。

この説では、古事記、日本書紀に記述されているが、その実在性が薄いと言われている初代神武天皇から9代開化天皇までの(10代崇神天皇より前の)、いわゆる「欠史八代」(在任中の事蹟の記述が無い)の天皇は、実はここ葛城を拠点に実在した可能性がある、とする。現在の奈良県御所市、葛城山から金剛山の麓に南北の連なる葛城地方は、古代豪族、葛城氏の拠点として知られる。さらに時を遡れば、鴨氏(京都の上賀茂/下賀茂神社や鴨長明の祖先)の故地として知られる地だ。

ここには鴨一族縁の高鴨神社や高天彦神社があり、神話の世界を彷彿とさせる高天原の地名も残る。チクシの日向の高千穂と並ぶ、もう一つの天孫降臨伝承地となっている。また「欠史八代」の天皇の一人、神武天皇の三男で二代天皇に即位したと言われる綏靖天皇の高丘宮跡伝承地もあり、石碑が建っている。ちなみに「葛城王朝」説によると,神武天皇が王朝の始祖であるとする。

なるほど、東の三輪山を神聖視する崇神王朝が、西の葛城山を神聖視する葛城王朝に対峙する、とする奈良盆地内の勢力変遷の考え方は、地政学的には面白い。奈良盆地には物部氏、巨勢氏、平群氏、蘇我氏、大伴氏などの有力豪族がそれぞれ山の麓(ヤマト)に本拠地を構えて対抗していた。後に蘇我氏が廃仏派の物部氏を滅ぼし、飛鳥にヤマト王権を支え、そして巳支の変(いわゆる「大化の改新」)で滅ぼされ、新興の中堅氏族である中臣氏(後の藤原氏)が取って代わりヤマト政権中枢に入り、奈良時代、平安時代を通じ権勢を振るう。このように日本古代史には、大王(天皇)の「権威」を、姻戚関係を持った(持てた)有力豪族の「権力」が支える構造が見える。

「葛城王朝」説によれば、初代神武大王(ハツクニシラススメラミコト)以降の「欠史八代」の歴代天皇は、葛城山の麓にいた古い土着の鴨一族と姻戚関係をもって伸長し、奈良盆地に(すなわち倭国国中)に勢力を拡大したとする。そして、やがて3世紀には三輪山の麓を本拠地とするもう一人のハツクニシラススメラミコト崇神大王(第十代天皇)の三輪王朝に取って代わられた、と。

5世紀に入ると、鴨氏に繋がる葛城氏が、河内に勢力を有する応神/仁徳大王(同一人物という説もある)の一族と姻戚関係に入り、ヤマト王権を支える有力豪族にのし上がったと言われている。そして5世紀の中国の史書に言う雄略大王(ワカタケル)などの「倭の五王」の時代へ。やがて、武烈大王で河内王朝の血統が途絶えたのか、応神大王の遠い血族である、と言われる継体大王が、6世紀初頭に遠く越の国からヤマトに入り継体王朝が始まるわけである。

「欠史八代」の大王(天皇)の実在性を説明する「葛城王朝」説は、学説では主流となっておらず、いまだ多くの謎に包まれている。しかし、この葛城山、金剛山の麓を歩き、背後に甘南備た山々を背負い、東に奈良盆地、大和三山を展望すると、なるほどここも「国のまほろば」。有力な勢力がヤマト世界を睥睨しながら、時代の権勢を誇ったとしてもおかしくはない佇まいを持っているではないか。三輪山の麓から見渡す、あのヤマト国中に相対峙する,もう一つの世界がここに広がっている。

それにしても古代の豪族達は平地を見渡せる山の麓(山処:やまと)が好きだったんだなあと、あらためて思いを巡らす。そういえば、この奈良盆地の平地にいた有力豪族というものを聞かない(下記の参考図を見ていただきたい)。平地にいて川のほとりに環濠集落を構えていたのは水耕稲作にいそしんだ弥生人の農民だけであったのだろうか。権力者一族は高見にいて生産とそれにより生ずる富を支配したのだろう。そういえば「三輪王朝」の拠点であった纏向の神殿遺跡も、微高地に位置しており、全く庶民の生活臭のない人工的な街区にあった。一方、農耕環濠集落遺跡である唐古鍵遺跡は、纏向から遠く離れた田原本の平地に広がっている。

もう一つここ葛城の地に伝わる面白い伝承がある。一言主の存在だ。今は樹齢1600年と言われる巨大な大銀杏がシンボルとなっている一言主神社。ここに大神は祀られている。古事記と日本書紀でやや記述に差異があるが、古事記では、雄略大王が供を従えて葛城山に狩りに出かけ、この地を通りかかった時に、大王と同じ立派な身なりをした人物に出くわす。雄略は怪しんで「我は倭国の大王だ。お前は誰だ?」と聞いた。「我は一言主の神である。お前こそ誰だ?」と。雄略大王は恐れ入って、武器と供の衣服を差し出しひれ伏した、と。

8世紀初に天皇支配の正統性を示すために編纂された、古事記や日本書紀に、雄略天皇(大王)が恐れいりひれ伏した神が葛城にいたということが記述されているわけだが、この出会いは何を意味するのだろう? いまだヤマト王権に服さない在地勢力がこの奈良盆地にいたという事なのだろうか? 雄略大王といえば、記紀にいうヤマトタケルの倭国平定伝説や、中国宋書にいう倭王武の上奏文「ソデイ甲冑を貫き、山河を跋渉して寧所にいとまあらず」、埼玉稲荷山古墳や熊本の江田船山古墳で出土した鉄剣に彫り込まれた「ワカタケル大王」の文字など、この時代の英雄伝の主人公であるといわれる。その雄略大王すらもおそれひれ伏した神とは?

この一言主は地元の鴨氏の神であると言われている。当時の鴨氏や、後にその縁に連なる葛城氏は、先述のように、ヤマト王権に対する大きな影響力を有していたのだろう。応神/仁徳大王の河内王朝の歴代大王も葛城氏から后を娶り、その勢力を基盤にヤマト王権を維持してきたという。この雄略大王の一言主との出会いは、その有力な在地勢力との関係を示すエピソードなのかもしれない。




(アクセス:近鉄御所駅から,バスで櫛羅ないしは猿目橋下車で南へ歩く。あるいは風の森まで乗車して戻る方法も。バスの本数は少ないので事前に確認しておくこと。全コース徒歩で約10キロ強)




(参考:奈良盆地の豪族の分布図。このように奈良盆地を取り巻くように山裾に集中している。盆地中央に本拠地を持つ豪族が居ないのは何故だろう。)



























































2012年10月26日金曜日

Leica Mという画期 〜MはやはりMなのか?〜

 今年10月のケルンでのフォトキナで、遂にライカM9の後継機種が発表された。M9の後継だから、「M10」だろうという大方の予想に反して、製品名は「Leica M」。これからはいちいちMの後に番号入れないで、「Leica M」に統一するのだそうだ(ちなみにType240という製品番号が付与される)。銀塩カメラMシリーズが初代のM3からM7で終わるまで50年かかっているのに対し、デジタル製品の商品ライフサイクルがどんどん短くなってきているので、これからの新製品リリースサイクルは(さすがのドイツメーカーであったも)短くなることを想定しているのか?
このLeica Mは2013年の初旬にいよいよ市場にリリースされるとの事だ。




(ボディーはシルバーとブラックペイントの二種。サイズはM8やM9と変わらない。液晶モニターが3.0型で大きくなり,ボディー背面の限られたスペースにかなり無理にはめ込んだ感がする。)
(写真はライカ社のホームページから引用)

さて、このLeica Mの特徴であるが、ライカ社のホームページから引用すると、

- 新開発の撮像素子による優れた描写力
- 新たにライブビュー機能およびライブビューフォーカス機能を搭載
- ライブビューでのピント合わせをサポートする「ライブビューズーム」機能と「ライブビューフォーカスピーキング」機能を搭載 
- 「ライカ RアダプターM」(別売)を装着することにより、ほぼすべてのRレンズをライカMで使用可能
- フルハイビジョン(1080p)動画撮影機能を新たに搭載
- 最高ISO感度が6400へ向上
- 高精細な92万ドットの3.0型液晶モニター、カバーガラスにはコーニング社のゴリラガラスを採用
- 高性能な画像処理エンジン「LEICA MAESTRO®」
- ほこりや水滴や湿気からボディを護するために、施された特殊なラバーシール
- 長時間撮影可能なバッテリー
- 評価測光、スポット測光
- より快適な操作性

すなわち、これまでのフルサイズCCDセンサーからより高精細な2400万画素フルサイズCMOSセンサーに変更し、画像処理エンジンをSシリーズにも実績を有する「LEICA MAESTRO」に。撮影素子の供給はこれまでのKodak社から,CMOSIS社に変更になった。ローパスフィルターレスは継承されている。ライカらしい画造りが期待される。

そして、一番の売りは、ついにライブビュー機能と、ライブビューによるフォーカス機能(これをアシストする拡大、フォーカスピーキング機能つき)を導入したことだ。さらにフルハイビジョンの動画撮影機能も追加した。これに伴い、これまでのM8やM9についているオマケのような見劣りのする液晶モニターを、高精細かつ大型の液晶モニターに変更した。また、オプションとしてアクセサリーシューに外付けの電子ビューファインダー(EVF)を装着可、とした。これらの機能追加とボディーレイアウト変更に伴い,操作系にも変更が見られる。

ライカ社も時代の流れには逆らえないのか,というのが正直な感想である。ただ、これは要するに(皮肉な言い方で恐縮だが)これまでのM8、M9のような、銀塩フィルムの代わりにCCDセンサーを撮像素子として詰め込んだ、極めてプリミティヴな「レンジファインダー式デジタルカメラ」から、やっと、ほとんどの日本メーカ製の「今のデジタルカメラ」並になった、ということだろう。カメラのデジタル化の進歩としては極めてスピードが遅いというか、保守的な印象だ。もちろんニコンやキャノンなどのデジタルハイエンドカメラとライカを単純に比べるのはセンスに欠けるとは思うが、しかし、ここまでライカも「デジタルカメラ度」が進むと、だんだん比較せざるをえなくなる。

CMOSセンサーは、今や日本製のハイエンドデジカメはほとんどが既に導入済み。画像処理エンジンもソースは日本の某リーディングカンパニーのものらしい。ニコン、キャノンのハイエンド一眼レフデジタルですら、ライブビューは定番機能となっている。まして,液晶モニターはようやく普及機並のサイズと精細度になった(これまでがショボ過ぎた)。外付けのEVFに至っては、Leica X2用のものを流用するという。しかも,オリンパス製らしい。どうも,削り出し真鍮をまとった金属Mボディーにプラスチック製の外付けファインダー付けて、「Electronic Vissoflex」などと称しているのは笑ってしまう気もする。今ならなぜFujifilmのXシリーズのようなEVF/OVFのハイブリッドファインダーを搭載しなかったのか?

さはさりながら、ここまでデジタルカメラ化が進むと、誰もが思うのが「これはLeica Mといいながら、もはやLeica Mじゃないじゃないか?」ということ。ライカ社の自慢の光学式レンジファインダー。その故にM(ドイツ語のレンジファインダーを意味する)を冠した光学レンジフィンダーカメラLeica M。ニコンやキャノンが、ついに追いつけず、諦めて一眼レフに方向転換したあのレンジファインダーカメラの頂点。しかし,今こうなったデジタル「Leica M」に、わざわざ光学レンジファインダー付けておく必要があるのか? フォトキナでのジャーナリストの質問に、「無くして欲しい,という声は無い」と開発者は答えたという。

何とも「Mの存在理由である20世紀前半の最先端技術にこだわり、その上に21世紀前半の先端技術を接ぎ木した、あるいは前世紀の技術革新のクラウンジュエルを残すとコウなった」というような。ここまで来たら、そろそろ20世紀的な「M」から21世紀の「D」(Digital)にシリーズ展開しても良いのではという気がする。多分しないだろうなライカ社は...

一方、保守的なライカファンからは、ライブビューや動画機能追加にかなりのブーイングが出ているようだ。なんとなく理解出来る。これに対するライカ社の答えは、「だからLeicaM-E(M9の廉価版)を同時に出した」と。答えになっているのかな? 一方、フィルム用Mカメラの製造は既に終了しているが、熱烈なファンのために若干ながら注文生産しているらしい。しかし、フォトキナでのジャーナリストの質問「ライカ社は最後のフィルムカメラメーカーになるのか?」に対し、開発責任者は「いや、最後のフィルムカメラメーカーはロモだろう(笑)」と切り返したという。やはりオールドライカは消え行くのみか。

私のようなシロウト趣味人にとっては,こういう面白い(というか、過渡的な)立ち位置のカメラがあってもいいと思う。商業的に成功するのかどうかは別問題だが。もっともM9やMPは商業的には成功したようで、既に投資回収出来たので、後継機種開発に向った、というのが会社側の説明である。

個人的には、このLeica Mは、実機をまだ観てもいないし,触ってもいないが、何となくこれまでのデジタルM8、9の完成度から想像出来るような気がする。おそらくニコンやキャノン、富士フィルム製に比べると,まだ中途半端な「ううン,イマイチ、隔靴掻痒...」的な。デジタルカメラとしてはまだ最新のレベルに追いついていないいんじゃないか。少なくとも価格に見合うだけの機能を実現しているか。言わせてもらえば「外付けEVFなんて止めてくれよ,今更... ミラーレスやコンデジじゃあるまいし。」また個人的には動画機能はいらない。

しかし,それでも素晴らしいライカレンズ資産をフルサイズでより使いやすくなるのは大歓迎だ。大型液晶モニターでのライブビュー撮影が出来るのは大きな進化だと思う。さらに、アダプターを介してRレンズを使用出来るのは嬉しい。眠っていたR資産の活用が期待出来る。もちろん、より高画質、高速処理、高機能であるならばそれにこした事は無い。正常進化である。今までの何とも言えないフラストレーション(イマイチ感)を少しでも解消してくれる事を期待する。さすがに,ライカだから許される、とか、使い手がカメラに合わせる事を期待する、とか、所有欲を満足させるブランド品だから、とかはもはや通用しない。価格に見合った実用品としての道具の使い勝手や質が向上するならば歓迎だ。

新製品LeicaMの発売は2013年初旬と言われている。多分,フォトキナバージョン(?)よりは少しはブラッシュアップされて市場にデビューするのだろうが、大きく仕様が変更される事はないだろう。新製品が出る前からこんな事言うのもなんだが、願わくば(多分次の製品では、かな?)、富士フィルム社製のXシリーズのような、ハイブリッドファインダーを搭載して欲しい。さらに、光学式レンジファインダーの限界から来る、Mレンズの最短撮影距離0.7mの呪縛から解放して欲しい。ましてオールドMレンズの最短撮影距離1mなどという「超老眼レンズ」は、さすがにライブビュー,あるいはEVF時代には古さを否めない。ちなみに、Fujifilm X-Pro1やSony Nex 7用に、ヘリコイド付きのサードパーティーレンズアダプターが出ている。これは泣けるほど嬉しい。オールドズミルクス50mmや35mmで近接撮影が出来るんだ(涙涙涙)。そのボケ味の美味しいコト。

ライカ社のように、保守的なユーザを大勢抱えて、しかもブティーク型の(ニコンやキャノンや富士フィルムなどの大会社に比べて、だが)のブランド品メーカにとって、技術イノベーションだけが、顧客を満足させるものではないし、会社の立ち位置を明確にする依って立つべきものでもない事は理解出来る。また、マス市場に進出して事業規模を拡大する事だけが株主の利益になる訳でもないだろう。まして利幅の薄いコモディティープロダクトは、製造コストの安いアジアの新興国にまかせておけば良い。会社経営のゴール、ビジョンという視点からも面白い会社だ。成功を祈る。

もちろん,先述のように、LeicaMシリーズをM3から使用し、コレクションしてきたマニアの視点からも,60年のMの歴史に画期となる新製品のリリースにはワクワクする。「デジタルカメラ度」が増すにつれ「ライカらしさ」は薄れて行くのだろうが、商品としてのカメラにとって、なにが「合理的」な答えなのか、それを考えさせられる不思議なカメラ、ライカ! 今後は,日本製デジタルカメラを追いかけるだけではなく、ライカならではの、ユニークで使い手を納得させる新しい価値を提示してくれる事を期待したい。



(ファインダーのブライトフレーム用採光窓は無くなり、M9チタン限定モデル同様LED照明方式に。ブライトフレームセレクターレバーも無くなった。ライカの赤ロゴマークが大きくなって真ん中に。)



(白いMのロゴと赤いライカバッチが目立つ。好みの分かれるところだ。M3などにあったフィルムリワインドレバーの位置に、ピント合わせボタンが)





(ハンドグリップにフィンガーループ(M9チタン限定モデルから採用)。これは意外に使いやすい。RレンズマウントアダプターにRレンズ、そして外付け電子ファインダーを装着するとかなりものものしいイデタチになる)