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2016年4月6日水曜日

大和路桜紀行(3)春爛漫! 甘樫丘に桜花華やぐ飛鳥世界を睥睨する

甘樫丘は桜満開!
 今回の大和路桜紀行の最後は飛鳥路。昨日の雨も上がったし、なんといっても甘樫丘の桜を観賞せずばなるまい。季節ごとに心休まる風景を眼前に展開してくれる飛鳥。ここまでくるとさすがに外国人観光客もいない。この桜満開の素晴らしい風景を楽しんでいるのは家族連れや地域の仲間といった地元のグループだけだ。のどかな伝統的な日本の花見行事がここには残っている。低経済成長時期の日本はインバウンド観光資源の開発にもっと力を入れるべきだという。経済評論家や政府は、地域に金を回すには、積極的にインバウンドを東京、京都から地方に回す手立てをとる必要あり、と力説している。要するに「爆買い」効果を地方に回せ、と言っている訳だ。こののどかな明日香の里を「爆買い」ツアーの団体バスの列で何をしようというのだろう。日本の歴史や文化に関心を寄せず、バスで免税店に直行し電気釜や化粧品を「爆買い」して空港や港に直帰する「観光客」はここには来ないし、来てもらうこともないでしょう。静かにしていてほしいなあ。金はいらんから...

 それにしても、桜は満開の時を迎え、この飛鳥の風景を華やいだものにしてくれている。もともと飛鳥時代には桜はそれほど愛でられなかっただろう。彼の時代に「花」といえば、万葉集などに歌われるように梅。中国の文化の影響が強かったこの時代は桜より梅であった。馬酔木や厳樫(いつかし)や両槻も古代文献に出てくる。桜はいつ頃この飛鳥の里を彩るようになったのだろう。桜は古来より稲作農耕を生業とする弥生的世界にあっては、田植えなどの農事生産活動を開始する時期を知らせる樹木であった。しかし和歌に詠まれるなど、桜が梅に変わって人々に愛でられるようになるのは国風文化が盛んになる平安時代に入ってからと言われている。いまやすっかり飛鳥の春の風景の主役になっている桜だが、意外にその歴史は新しい。しかし、樹齢何百年といった枝垂桜の巨木や、これでもか!という桜並木などの密集度はない。要するに伸びやかな飛鳥の風景の中に適度に、しかし要所要所に咲き誇っているのが飛鳥の桜だ。この歴史の舞台では、桜はこの季節の主役ではあるが、うまく脇役と共演してくれている。

 甘樫丘に登るたびに思うのは、360度の視界に収まるこの奈良盆地という囲まれた世界が古代倭国、ヤマト王権の揺籃の地であったのだということ。こののどかで平和な里がかつて凄まじい権力闘争の舞台であったとは。大和三山、三輪山、生駒山、藤原京跡、飛鳥古京、飛鳥寺、川原寺、石舞台古墳、多武峰、歴史の舞台が全てが一望できる。そういった悠久の時の流れを経て、熟成し、さらに枯れた大人になった里に桜はよく似合う。

 ここから西を展望すると畝傍山や二上山、葛城・金剛の山々が見える。弥生のヤマト人が河内、瀬戸内海、筑紫を経て海の向こうの大陸の文化に憧れ、仏教伝来以降の飛鳥人が夕陽の沈む西方浄土の世界に憧れた方角だ。しかし、ふと目を落とすと足元まで住宅開発の波が押し寄せ、ようやくのところでプレハブ住宅群の明日香村への侵入を食い止めている様を見ることができる。日本の高度成長期、バブル真っ盛りの時期、この辺りは大阪のベッドタウンとして怒涛のような住宅開発の波に襲われた。なんとか飛鳥の歴史的景観地域までの侵入は食い止められた。その後空白の10年、20年、日本経済にとっては低迷の時代が続いたが、それが幸いして、こうした古代飛鳥の歴史的景観と里の生活は守られた。これからの日本はどういう道を選んで生きてゆくべきなのか。甘樫丘に立つとそれを考えさせられる。「バブル」にせよ「爆買い」にせよ、GDPはどこかに線を引いて、こっちには来ないようにしてもらいたいと考えてしまう。成熟した「大人の国」になるためには金が全てではないのだから。

 参考:2013年に甘樫丘を訪ねた時のブログ。甘樫丘の歴史を知りたい方はどうぞ。
 甘樫丘 神聖な山の変遷 


明日香の里は春爛漫
なんというのどかな風景



明日香めぐりはバスと徒歩で

飛鳥坐神社参道

甘樫丘から飛鳥寺を展望する

里の春

耳成山と藤原宮跡
畝傍山、二上山、葛城・金剛山系を望む




島の庄、石舞台方面

飛鳥寺

真神原から橘寺を望む

河原廃寺あたり


三葉躑躅

飛鳥寺から甘樫丘を見上げる


大和路桜紀行(1)(2)(3)後記:

 撮影機材はLeica SL + Vario Elmarit SL24-90mm + Vario Elmar R80-200mm
何しろカメラ本体とレンズだけで総重量3キロを超える。とにかく重い!の一言。標準ズームSL24-90mmの手持ち撮影はライカ初のレンズ内手振れ補正機能でよくブレが止まってくれたが、重くて腕がプルプル震えた。特に縦位置撮影は体力勝負。腕力つけなきゃ無理だ。望遠ズームR80-200mmの方はもちろん手振れ補正なしなので、手持ち撮影では手ぶれ、ピンボケの山を築いてしまった。連日1万歩超の徒歩撮影旅行で、久しぶりに筋肉痛と腰痛に。足腰それに腕を鍛えねばなるまい。しかし、新しいライカシステムの写りには大満足。あとはウデを機材に見合うまでにどう高めるかが課題。




2016年4月5日火曜日

大和路桜紀行(2)春雨にけぶる當麻の里に桜を愛でる


當麻寺護念院のしだれ桜
背景は二上山

 大和路桜紀行の二日目は雨であった。暖かい春の雨であった。ネットで調べると、長谷寺(長谷寺の桜)も大野寺の枝垂桜(大野寺の枝垂桜)も満開になったとの報。しかし、雨の似合う桜はやはり大宇陀の又兵衛桜か當麻寺の枝垂桜だろう。長谷寺も大野寺も両方ともこれまで毎年訪れているので今回はパスしよう。大宇陀の又兵衛桜も一昨年訪問して、雨に佇むその孤高の美しさに息を呑んだ。さらに人知れず咲き誇る天益寺の枝垂桜の華麗さにも心奪われた(大宇陀の又兵衛桜)。しかし、今回は、まだ満開には間があるのと、十分な観賞時間が取れないことから見送ることにした。

 そこで満開となった當麻寺のしだれ桜を訪れることとした。當麻寺は飛鳥古京から見ると西の方角、東の三輪山の真西の二上山の麓に建立された。しかしその建立の由来、伽藍配置、ローケーションに謎が付きまとう不思議な寺だ。もちろん中将姫の曼荼羅伝説もミステリアス。曼荼羅浄土信仰が盛んになり、真言宗寺院でありながら浄土宗共立の寺になった。その詳細については以前書いた下記のブログを読んでいただきたいが、私の大和古寺巡礼の中でも最も心静まる寺の一つだ。なんといっても飛鳥人、みやこ人が憧れた西方浄土を望む土地、夕日の沈む二上山山麓、大和国と河内国の境というその立ち位置、そして里の佇まいがなんともよい。今の季節は有名な枝垂桜だけではなく、美しい花のご坊、西南院のシャクナゲも咲き始めた。護念院のハクモクレン、花蘇芳、椿、山茱萸と桜のコラボレーション。やがては中之坊庭園の芍薬、牡丹... どれを取っても心洗われる。

 そして何よりも里の春。大和路の古刹にはその周辺になつかしくなるような美しい里がある。ここ当麻の里は當麻寺を中心に二上山の麓に美しく静かに佇む村里だ。ようやく春を迎えて田植えまでまだ時間がある。静かな田園風景はこれから始まる豊穣の時を迎える準備が静かに進行しているのだろう。あたりは野の花が咲き乱れ、木々の芽吹きの季節を迎えている。山桜、スモモ、花桃、レンギョウなどが雨にけぶる二上山を背景に咲き誇っている。あまり自我を主張しないこれらの花々は、日本中が桜満開に沸くの桜狂騒曲の裏方だ。私はこうした裏方の楚々とした美しさに心惹かれる。やがて桜が散ると、瑞々しい新緑の季節を迎える。ワクワクする季節だ。

 追記:今回は、近鉄當麻寺駅前の中将餅をめでたく入手できた。いつもだと帰りに買おうと思って店に寄ると売り切れていることが多い。この店で自然素材だけでの手作りなの人気がある。この素朴だが豪華なよもぎ餅を食すたびにこの當麻の里を思い出す。

参考:2014年9月のブログで「當麻寺の謎」について解説しています。

   當麻寺の謎 〜豊穣の時を迎えた當麻の里を散策〜 




日本最古の三重塔二基
西南院庭園より


雪柳

白木蓮

雨に濡れて

椿
花蘇芳
石楠花
なんとカラフルな...
西南院庭園
山茱萸(さんしゅゆ)
護念院庭園
雨にけぶるしだれ桜
護念院

護念院


護念院庭園
枝垂れ桜



護念院全景

當麻寺曼荼羅堂(本堂)

當麻寺境内

當麻寺参道

竹内街道
ツバキ

當麻の里の春

雨にけぶる二上山
レンギョウ

葉牡丹

スモモ

二上山



2016年4月4日月曜日

大和路桜紀行(1)氷室神社・東大寺・若草山・春日大社

氷室神社のしだれ桜
奈良で一番に満開となる


 3月下旬から4月初め、毎年この季節になると、慌ただしくて心が落ち着かなくなる。木の芽時で精神状態が不安定になるからではない。年度末と新年度開始という会社人間にとって節目の時期であるという理由でもない。そう、今年は桜がいつ開花するのか?いつ満開になるのか?雨は降るのか?人出は如何に? ニュースと天気予報に食い入る毎日だ。桜を堪能できる時間は短い。その限られた時間で最大限桜を楽しもうという忙しさ。まさに桜狂想曲の始まりだ。連日SNSは桜の話題が満載だ。

 今年は3月20日頃に開花したものの、寒の戻り、冷たい雨などで、結局満開は4月に入ってから。2、3日の週末に一気に気温も上がり満開となった。しかし例年よりも遅い満開である。しかも、冷たい雨が金曜日に降った。花見宴会組には厳しい状況であった。

 私の今年の「日本の原風景、桜を求める旅」は奈良大和路と決定。いつも「桜紀行は京都へ」を考えないわけではない。今年も当然考えたがこの季節に京都の桜の名所は凄まじいことになることは想像に難くない。関西在住時には醍醐寺や嵐山、三尾の桜を楽しんだものだが、桜を見に行ったのか、人を見に行ったのかわからない混雑ぶりに突入するなら、何も京都くんだりまで足を伸ばさなくても東京の桜の名所で十分だ。基本的に、人出を避けて静かに桜花を愛でる、というこの時期相矛盾した条件を満たそうとするからいつも苦労する。大勢の人が出てワイワイやってる花見を楽しむのも一興だが、理想は人知れず咲き誇る山里の桜観賞なのだ。

 新大阪行きの新幹線車内、そして到着した京都駅構内、その外国人観光客の怒涛のような有り様を見れば、この時期に限って京都が私にとっては「心の旅」を求めて出かけるところではないことが理解できる。今話題の爆買い中国人御一行様ほか、韓流カップル韓国人御一行様、そしてナイコンを首から下げたバックパック欧米人御一行様も、今年は半端でなく発生している。新幹線のグリーン車はほぼ「欧米か」に占拠されていた。ちなみにめでたく「ジパング倶楽部会員」となった私は、3割引料金で「ひかり」のグリーンに乗れる特権を享受しているわけだが、考えることは皆同じ。シニア世代の団体、カップルが大勢グリーン車の客となっている。しかも訪日外国人はジャパンレイルウェーパス(昔ヨーロッパ旅行に必須の一等車に乗れるユーレイルパスと同じ)を持っているので、これまた団体、個人を問わず大挙して「ひかり」グリーン車に押しかけてくるというわけだ。

 この一団が申し合わせたように、ドット京都で下車する。「京都の桜も捨てがたい」という未練がましい迷いを振り払うことにする。ということで混雑「想定内」の京都を避け、やはり奈良大和路へ。京都駅から近鉄に乗り換えた。しかし、チと「奈良は意外に穴場」想定が甘かったことにすぐ気づかされることになる。今年の奈良はいつもと違った。奈良公園、大仏殿、春日大社などの定番スポットは、これまた外国人観光客に占拠されている。東大寺の駐車場には大型観光バスが列をなしている。道という道は大渋滞。いつもなら幅を利かせている関西弁も、ナンチャッテ「東京弁」も影を潜める。聞こえてくるのは北京語、広東語、台湾訛りの中国語、韓国語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、それに不可思議なヨーロッパ諸国語ばかり。とうとう訪日外国人が年間2000万人を突破したというから、奈良ももはや「意外な穴場」ではない。観光客がみんな京都に吸い取られる時代は終わったようだ。いや京都から溢れ出始めたのかもしれない。経済効果としては嬉しいことだし、日本ファンが増えることも嬉しい。

 しかし、私の密やかなる楽しみ、心の大和路紀行が「観光客」に踏み荒らされるのはいやだ。外国人かどうかに関わらず、そもそも「観光客」というもの自体が、けたたましくも品がない。旅は人を開放的にするし、それはそれで良いのだが、ともすれば「旅の恥は掻き捨て」。受け入れる側もそんなこと分かっていて、「おもてなし」「Welcome!」「歓迎光臨!」といいながら、「金落とせ!」「Spend more money!」と、これまた品がない。日常を離れて非日常の世界を楽しむためにやってきたこの私、品格が服着てカメラ持っているような(!?)この私としては物欲煩悩の世界をここでも見せ付けられるのは楽しくない。旅という非日常の中、その土地の日常をひっそりと楽しみたいのだが。桜の季節は限られているだけにこうしたジレンマに苛まれることになる。どこかから「勝手な観光客はお前だろ!」という声が聞こえたような気がした。

 ともあれ、奈良で一番に開花、満開となる氷室神社のしだれ桜を観賞し、東大寺大仏殿脇の、いつもの二月堂への道を歩く。そこからは勝手知ったるルートで若草山、春日大社、春日若宮、禰宜の道をぬけて新薬師寺、高畑町界隈を散策。入江泰吉記念館は本日休館日。残念。ということで足早に奈良市内を後にして、翌日は当麻寺、明日香へ向かうつもりだ。さすがにここまでくると外国人観光客はいないだろう。もっとも近鉄桜井駅で、欧米観光客の一団がガイドに伴われて移動するところに遭遇してしまった。すごいな!何見に来たんだろう。まさか邪馬台国ツアーじゃないよな?! こうしてやがては穴場は穴場として有名になり、もはや穴場で無くなって行く。

柳の新緑が美しい大仏殿

大仏殿参道

二月堂へ向かう道
コブシの巨木

二月堂へ向かう道
南大門、大仏殿の喧騒を離れて静かに散策できる

若草山から大仏殿

興福寺五重塔が

春日若宮
椿が盛りだ


春日大社の燈籠
新薬師寺への道
レンギョウの黄色が桜と良いコントラスト
ここまで来るともはや観光客の姿はない







2016年3月14日月曜日

私の「三都物語」 〜「青い鳥」を求め Tokyo、London、New York、そして... 〜

 夢を求めて故郷博多を離れた私は東京へ。そしてそこからロンドンへ、ニューヨークへ。まさに「昨日、今日、明日」の「三都物語」が書ける人生であった。今思えばそれは長い旅路であったような、短い一瞬の出来事であったような。グローバルな24時間ノンストップ金融市場、その三大センターを渡り歩いた訳だ。その間、金融市場としての東京の地位は大きく低下したものの、それでも世界を代表する経済センターの一つであることにかわりはない。その三都というステージで広い視野を養い、日本のICTをworld class serviceとして世界視野で展開するという、高い目線で仕事をすることができた。とりわけ、あの高度経済成長の時代が終焉を迎え、少子高齢化が急速に進むなか、日本国内市場の成長の先行きが見えた。不可避的に海外市場への進出を選ばざるを得ない事業環境。加えて基幹サービスのコモディティー化に伴い、高付加価値サービスを求めて異なるレーヤーのサービスへの進出し、ビジネスモデルイノベーションに挑戦することが求められる経営環境。その双方の要請からもグローバルな事業展開を20年前にいち早く着手したことは、先見性があったものと自負できる。そういう意味ではビジネスマンとしての幸せの「青い鳥」に出会うことができたと言って良いだろう。

 しかし、私の「三都物語」は何の予告もなく終わりを告げる。ニューヨークにいた私は、突然日本に引き戻された。一本の事務的な電話で。

 帰国後の会社人間としての人生は、これまでのような膨らむ勝利への期待と、それに付随するリスクがないまぜとなるようなワクワクするものではなかった。いわばリタイアーに備えた閑職。しかも帰国するとまもなく大阪へ異動させられた。もちろん大阪が国内事業の重要な拠点であることは間違いないが、海外事業畑の私にとって「なんでやねん」の転勤だ。周囲の人々の驚きもモノかわ、人事異動は淡々と進められてゆく。経済的には定年までのサラリーマン人生を不自由なく過ごさせてもらったので文句言う筋合いではないのだろうが、もはや新しいプロジェクトを企画し、事業を起こし、それをリードする立場にもなく、新任地はそういったロケーションにもない。海外で築きあげた人脈や経験を生かす術はもはやない。結局、「組織人」たるサラリーマンは「ビジネスロジック」だけで動かされるのではない。組織には経済合理性だけではない様々な確執が存在し、そこには別の「えも言われぬロジック」が働くものだ。従っていまさらそれを理不尽だとか、不合理だとか言って嘆くつもりもない。

 いずれにせよ、時差をモノともせず広い世界を飛び回る生活、異なるメンタリティー、多様なビジネススタイルの人たちとのつばぜり合い生活は突然終わった。これまでしゃにむに走り続けていた自分が、前のめりに転びそうになるほどの急ブレーキであった。毎日定刻に出社して定刻に帰るという、「スーダラ」サラリーマン生活の経験はこれまでない。昭和型「モーレツ」サラリーマン生活(その時はそうは思わなかったが、振り返って切るとアレが「モーレツ」だったんだと)と、多くの時間を空港と機内で過ごす「国境なき」サラリーマン生活を過ごしてきた。その落差は急激なものであった。大阪本社ビルの最上階に役員個室が用意され、毎日秘書が運んでくれる新聞を読み、お茶を飲み、法令で求められる形式的な会議に出席する。文字通り「窓際」から大阪の街を展望するのを心の癒しとする。マンハッタンのオフィスから展望する都会の景色とある意味で重なる部分もないではないが、その心象風景は大きく異なる。ぽっかり空いた心の空白。なんと平和で居心地の良い「座敷牢」生活...

 しかし、そうして心のカタルシスを強制され、煮えたぎっていた血肉、熱き心が冷めて行くにつれ、私の脳は戦時モードから徐々に平時モードへリセットさてれていった。そう、彼らの筋書き通りに事は運んだ。そこで私は、新しい世界を発見した。路傍に咲く雑草のたくましさ、名も無き花の美しさに気づいた。いや、普段見慣れたはずの風景に今まで気づかなかった新しい価値、美を再発見した。関西という土地柄はそういうリハビリには誠に適切な時間を提供してくれる。ここはなんというculture richな土地柄だろう。ここに佇み、たっぷりとした時間を過ごすと、日本という国・社会の成り立ち、世界史の中での立ち位置が見えてくる。そのはるか時空の線上にはナニワ、ヤマト、ミヤコ、そして遡ればはるかにツクシが見えてくるではないか。稲作農耕社会たる弥生倭国の姿が浮き上がってくる。美しい風景はただ美しいだけでなく、それは長い時間の経過のなかで熟成され、そこに育まれた文化と、人間の欲望に基づく闘争の歴史によって形作られた原風景なのだから。そこには短い時間の中で移ろいゆく栄枯盛衰の繰り返しではなく、変わらぬ不動の時間が確かに存在している。

 こうして日本の文化と歴史というこれまで当たり前で、振り返ってみようともしなかった世界をふと垣間見てしまった。「日本の心」などという日本観光のキャッチフレーズのようなキーワードがリアルに蘇ってきた。そうだ、これからは使用言語を英語から関西弁に切り替えて、大阪、京都、奈良という新たな三都物語を紡いで行こう。それはその先にある博多・太宰府という筑紫倭国の世界へと繋がってゆく。こっちは博多弁、ネイティヴ言語だ。ユーラシア大陸の東の果ての海中に存在する日本、倭国という小宇宙。それは私の人生にとっての「新しい冒険のパラダイム」。再び「ワクワク」の世界が広がってきた。

 幸せの「青い鳥」は遠くの見知らぬ異国にいるのではなく、この日本という身近なところにいた。故郷を出て「青い鳥」を探す旅路の果てに夢半ばで帰り着いた故国に、それを再発見した。だが、話はそこで終わらない。 メーテルリンクの「青い鳥」は、最後には自宅のカゴから逃げ出していなくなってしまう。結局は、この話はよく解説されているような「遠くの幸せを夢見るのではなく日常の生活の中で幸せを見つけよ」という単純な教訓話ではない。真理の探究心はとどまるところを知らず。やはりハングリーに新たな三都物語を目指して旅立つしかないのだ。

追記:

 これまでの自己意識は、戦闘モードに耐え抜き、結果を出して他人に認められる(認めさせる)、すなわち他人による「承認」を求める精神構造に基づいている。しかし、過ぎさって見ると「他人の承認」ではなく、「自己の承認」という自らの普遍の価値の発見に向かう自己意識があることに気づき始める。それは人との競争、共存やコミュニケーションからではなく、自らの内面の観照から生まれるものである。それは時として孤独な世界に引きこもることになりがちではあるが、人が認めるものが良いものなのではなく、自分が良いと思うものが一番良いという意識、精神構造に基づく自己意識である。これは煩悩からの解脱とも違う。唯我独尊とも違う。まして価値絶対主義でもない。普遍的価値というものも実は相対的なものである。人が認める普遍性と、自分が認めるものが異なっていることは常にある。しかし、いわば人の評価に依存せず、自分の評価に基づいて自分の普遍的価値を見出すよう物事を意識して行こうということだ。



我々日本人はどこから来てどこへ行くのだろう
過去から未来へという時の流れの「今」という一瞬を切り取ることはできるが...

縄文遺跡「大森貝塚遺跡」にて