ページビューの合計

2016年10月10日月曜日

マイナー観光施設の超メジャーな存在感 〜熱川バナナワニ園をご存知ですか?〜

 
バナナと...


 伊豆にある熱川バナナワニ園をご存知でしょうか?。子どもの頃行ったことがある。伊豆観光のポスターで見たことがある。伊豆急で熱川駅を通った時に看板見たとか、知ってるけどそれほどの話題性のある観光施設というわけではなさそうだ。昭和33年開業。伊豆では結構老舗の観光施設だ。伊豆熱川駅を降りるとすぐ目の前にある。今では熱川といえば、バナナワニ園というくらいのメジャーな存在なのだが、逆に一大観光地、伊豆半島的視点で見るとある意味マイナーな存在なのだ。しかも、「なんでバナナとワニなんだ?」とか、「バナナにもワニにも惹かれ無い」とか、ネーミングが「なんでやねん」感渦巻く動植物園なのだ。

 私も伊豆には隠れ家を持つというご縁ができて久しいが、伊豆に来て真っ先に行ってみたい、というイメージはなかった。伊豆は海と山という両方の自然に溢れ、なにより豊かな温泉があちこちにある。下田や修善寺、松崎のような歴史の香り豊かな街もある。大型のレジャー施設もある。ということで有名どころに行きつくしていよいよ他に行くとこ無いか、雨が降っても傘なしで濡れずに時間つぶせるところとしての最後の選択肢的なであった。駅前というアクセス至便の観光施設であるのだが。

 しかし、このマイナーなどと自分勝手に考えていた熱川バナナワニ園が、実は知る人ぞ知るすごい実力を持った動植物園であったことをつい最近知った。そもそも観光施設であることは間違い無いのだが、レジャーランド的視点だけでメジャーとかマイナーとかカテゴライズしては、その存在感と実力を見落としてしまう。「ホントは凄い熱川バナナワニ園!」。改めて探訪してみた。なんでも無知、無関心と偏見というものは恐ろしいものだと痛感させられた。

 私も全く不勉強であったが、ここは実はワニの人工繁殖や飼育では世界的に有名な施設なのである。世界中には約30種類のワニがいるそうだが、そのうち15種類140頭がここでは飼育されている。その質量で世界でもトップクラスなのだそう。しかもワニの人工孵化を成功させた先駆的な動物園なのだ。またフィリピンワニなどの絶滅危惧種の保護に力を入れており、しっかり種をつないでいるなどの成果を上げている。野生のワニの保護区はアメリカのフロリダなどにもあるが、温帯モンスーン地帯である日本の伊豆の熱川でで人工的に飼育しているケースは珍しいのである。

 またこの施設の名前には一切出てこ無いが、レッサーパンダの繁殖、飼育施設としても有名なのだそうだ!ネパールレッサーパンダ(ニシレッサーパンダ)が飼育されている日本で唯一の動物園。しかも17頭も飼育、繁殖されている動物園は世界的に見てもないそうだ。アメリカのワシントン動物園から交配繁殖用に貸し出されたのが始まりで、今ではオーストラリアや香港など世界中の動物園と交配プロジェクトを実施しており、稀少種の保存、繁殖では世界的に権威のある施設なのだ。そのほかにも、世界に4頭しか飼われていないというマナティーもいる。

 植物園の方も、本命の(?)バナナもさることながら、数々の美しい珍しい熱帯性植物、マジックフルーツなどの果樹(もちろんバナナも!)、洋ラン、食虫植物、オオオニバスなどのコレクションがまた素晴らしすぎる。私が「バナナワニ園で」最も惹かれるのはこの大きな温室に覆われた秘密の花園だ。特に素晴らしいのが熱帯性スイレン。カラフルで珍しいスイレンのコレクションは圧巻!本園に8棟の温室、分園に6棟の大型温室が展開されており、ここに約9000種の植物が生育されている。これだけでも貴重な植物園だ。イギリスでは大英帝国時代に世界中から珍しい植物を集めるプラントハンターがいて、郊外の貴族の館に行くとイングリッシュガーデンと共に大きな温室が設けられているのを見かける。もちろん王室のキューガーデンがその究極のコレクションを誇ってるわけだが、いまやここ熱川バナナワニ園は、熱帯系が中心とはいえ日本のプラントハンターコレクションの宝庫だと言っても過言ではないだろう。よくここまで収集、生育したものだ。

 さて、最初の疑問、「なぜバナナとワニなのか?」
そもそもは創設者が「バナナ園」を開業したのが始まりだった。昭和33年当時まだバナナは高級な果物で、病気のお見舞いなどの頂き物くらいでしか口に入らなかった時代だ。しかし、なぜか「バナナ園コンセプト」はあまりパッとせず、「もう少しなにか客寄せできるものは無いか」と悩んでいた。ある時知り合いから南方から持ち帰ったワニを預かってくれ無いかと持ちかけられ、それがきっかけでひっそりと敷地の一部にワニ園を併設したところ、これが珍しがられて次々に飼育頭数が増え、とうとう世界でも稀有なワニ園に成長したのだそうだ。何が運を呼び寄せてくるかわから無い話だ。やっぱりバナナとワニの組み合わせには必然性はなかったんだ。

 レッサーパンダの方は、商業的な目的で飼育し始めたわけではなく、世界的なパンダ保護団体から声がかかり、ワシントン動物園から種の保護と繁殖を引き受けたのが始まり。ワニの人工繁殖と飼育で世界的な名声を勝ち得たために、それじゃレッサーパンダも!ということであったようだ。これもレッサーパンダとワニとバナナの組み合わせには必然性はないのだが、いまやレンサーパンダはここの人気スターにのし上がっている。瓢箪から駒。しかし地道にやっていると、誰かが何処かで見ていて評価してくれるという、なかなか含蓄のある話では無いか。

 前述のような「バナナにもワニにも惹かれ無い」という反応については、正直言って、私は今もそれほどワニには惹かれてはいない。しかし、この美しい熱帯性植物のパラダイスは大好きだし、何よりもその背後にあるこうしたアナザーストーリーに大いに惹かれてしまった。ここで飼育と繁殖に当たっている飼育員の方々は本当のプロなのだと知ることができた。そして希少動物の保護と繁殖に貢献する専門家集団であることを遅まきながら知った。いままでのレスペクトに欠ける観光客的な無関心/無知をお許しいただきたい。

 嗚呼「熱川バナナワニ園」恐るべし!気づけばローカルにワールドクラスの施設があった。別にPRを頼まれた訳ではないが一見の価値ありだ。子どもの頃連れて行かれてワニが怖かった人も、バナナアイスクリーム食べたことしか覚えて無い人も、それ以来、大人になってから一回も足を運んだことが無い人も、是非新たな視点で再訪してみるのも良いかもしれない。熱川バナナワニ園。この「なんでやねん」ネーミングは、今や希少種の保護と繁殖に貢献するZoological Gardenを象徴する名前として世界に知られるまでになった。ある意味、日本が誇るもう一つのブランドになっているのかもしれない。

ワニ...

そしてレッサーパンダ...










2016年10月2日日曜日

「洋梨のタルト」はお好き? 〜本当は怖いスイーツのお話〜

洋梨のタルト


芙蓉




 私の好きなスイーツは「洋梨のタルト」。なめらかな食感の洋梨とクリスプなクラスターをつなぐカスタードクリームの絶妙なコラボレーション。近所の小洒落たカフェのオーナー/パティシエはフランスで修行した。ここのタルトは逸品だ。そのお気に入りのカフェにウォーキングの後に立ち寄り、一杯のコーヒーとともに注文する。これが週末の幸せルーチンなのだ。家内はモンブランが好き。ウエイターがモンブランと洋梨のタルトを運んでくる。「洋梨のタルトはどちらで?」と、家内が「あっ、洋梨はこちら」と私の方を指す。「洋梨はこちら」「ようなしはこちら」「用無しはこちら」... と私の頭の中で家内の声がコダマする。

 「洋梨のタルト」「ようなしのタルト」「用無しのタルト」... 口に出してみると、なんと嫌味な食べ物ではないか!とある時から気づき始めた。私の情けない心情にチクリと突き刺さる言葉の棘。なんでこんなものが好きになってしまったのか。いやいや、今までは全く気にもならず、反応もしなかったのに... 時計が65年と1秒を指した途端に「洋梨」が「用無し」と聞こえるようになった。

 定年を迎えてから少し被害妄想気味になっている。今まで好きだった食べ物までも私をバカにしている。注文するたびにいちいち気になる。そう家内に打ち明けたら、「それは考えすぎでしょ。それならあなたの好きな花、芙蓉だってそうよ」「ふよう」「不要:Fuyou!」と屈託無く笑う。「やっぱりそうか。被害者意識が異常に現れているんだ」と、つられて自分も笑ってしまった。まだまだいけるのに世の中の雇用システムは何の感傷もためらいも無くリタイアーを宣告する。どんなに会社に貢献した人間であろうと、優秀であろうと、エリートであろうと、役立たずであろうと。指示待ち族であろうと、5時から男であろうと、一律に「用無し」「不要」となる。Younashi, Fuyouとは自分に向けられた言葉だと意識し始める。こうなると完全に被害妄想だ。

 最近「終わった人」という小説が大ヒットしている。内館牧子が書いた定年を迎えた男の建前と本音を「赤裸々」に描いた「問題作」。「俺がモデルじゃないのか?」という読者の反応が殺到しているそうだ。それだけみんな同じ状況に身につまされているわけだ。団塊世代の、笑ってしまうが笑えない。悲しいが笑うしかない。決してありえないロマンじゃ無くて「ごく普通」の世界が描かれているからこそだ。

 読書人の雑誌「本」2016年10月号より:内館牧子:定年後のエリートの悲哀を描いた「終わった人」が大ヒットした理由

 社会に役立ちたい。リタイアーするには気力も体力も知力もまだ有り余っている。それに仕事を通じた人脈も経験も人一倍だ。まだまだ行ける。九度山に流された真田昌幸状態なのだ。それが60代なのだ。なのにこのパワーをこれからどこで使えというのだ。かつてのアメリカ人の仲間たちは、リタイアーするとさっさとニューヨークの自宅やコンドミニアムを売り払って田舎に引っ込んでしまう。60を待たず、早ければ早いほど人生の勝ち組なのだ。そう、Happy Retirement!は誰もが夢見るゴールなのだ。そしてその有り余るパワーはこの時のために涵養してきたものなのだ。その後の第二の人生の設計図というものが既に描かれている。しかし、日本人はどうしてこうリタイアメントに抵抗感を抱くのだろう。経済的な問題だけではないようだ。働き蜂だからでもない。アメリカ人のように、働くということは自分の時間を金で売ること、という労働契約的な理解は薄い。よい学校を出て、よい会社に勤める。できれば東京の本社で出世する。そして東京23区に家を持つ。これがまるで人生の目的の全てであるかのように考えさせられてきたのが我々の世代だ。従ってそれが終わるということは人生が終わるということと同義なのだ。それはある意味、成長過程にあった後発資本主義国に特有のことだったのかもしれない。歴史的に俯瞰すれば、我々が生きた高度経済成長時代とかバブル期というのはその資本主義経済の発展段階における後発性の現れの時代だったのだ。今の中国を見るまでもない。成熟した社会においては安定成長しかない。個人は右肩上がりの経済成長、すなわち生活水準の向上を期待することはできない。そうなるとむしろ成長ではなく充実を求める。金ではなく心のゆとりだ。都会の生活よりも田舎の生活だ。しかしそういう時代に高度経済成長期を生きた我々はなかなか適合できないのだ。価値観を変換できないし、今更人生設計を変更もできない。

 家族や周りの人々は言う。「だから言っただろう、打ち込める趣味を持っておけと。地域の活動にもっと参加しろと...」しかし、社会に役立ちたいということは、そば打ちしたり、ゴルフ三昧したり、地域の老人クラブでゲートボールしたりすることじゃない。趣味は本業が忙しいから息抜きの趣味になるのだ。今まで行きもしなかった図書館で1日過ごすなんてまっぴらだ。健康のためにと称して平日からジムに通うシニア世代と一緒にして欲しくない。そもそも健康維持はそれそのもが目的ではないはずだ。猛烈に働き、出世し、家族を食わせるためにやるものだ。仕事もなくただ元気でいるなんて考えられない、くらいに考えていた。有り余る時間をもっと何か社会にとって「有益なこと」に役立てたい。だがその「有益なこととは何か?」実はあまり具体的なイメージがない。また「自分の時間」と言われた途端に戸惑う。振り返ってみるとこれまでは、常に誰かが私の時間を占有し、私の時間を決めてきた。エラクなってからはますますだ。スケジュールは秘書が管理している。組織が私のやるべきことを決める。自分で自分の時間など決めることもできなかったのだから。

 一方これも先輩たちがよく言うアドバイス。「いっそ新しい恋でもしたら。元気がでるぞ」と。小説の中でも、なんと女房や娘まで言いだす始末。絶対アリ得ナイと思うからの発言だ。確かに地位もなく金もなく、時間だけがたっぷりあるリタイアー男を好きになる酔狂な女が世の中に一体いるとでもいうのか?金をいっぱい持ってるジジイにすり寄る女はいるが、別にジジイに惚れてるわけでは無い。大好きなのは金だ。「金の切れ目は縁の切れ目」。会社でも恋愛でも共通する大人の社会の鉄則を忘れてはいけない。妄想を抱いてはいけない。

 この時期に突然多くなる同窓会やOB会。行ってみると様々な60代男女の本音と建前が交錯する。まずは「名刺交換」。現役時代には当たり前の社会儀礼が、リタイアー族には別の意味を持つようになる。これが今自分が置かれているステイタスを表明する瞬間となる。「顧問」とか「社外取締役」とか「コンサルタント」とか、関連団体役員とかいう肩書きの名刺を出せる人はまだ社会に求められている証拠ということになる。そうでなければ「とうとう毎日が日曜日だよ」とか「ようやく悠々自適の日々がやってきました」とか、「晴耕雨読の毎日(耕す畑も読む本も無いにもかかわらず)」とか言って暇人人生を自虐的、ないしは孤高の姿勢で形容する。しかし、内館牧子氏も言うように、ここで感じるのは、終わってしまった人は、実は皆横一線で着地するということだ。エリートでもイケメンでも美人でも。そう一律に「用無し」となる。俺は役員までやったんだぞ。おれは定年延長で会社から頼まれて顧問をやってるんだぞ。おれは外部から頼まれて社外取締役やってるんだぞ。それがなんだというんだ。自分が社会にまだまだ求められる人間なんだということをエンドースするための肩書きを並べてみたいというだけ。実際にはさしたる役目も無く、「名誉職」などと言われて組織にしがみついている諦めの悪い自分が居るだけだ。終わってみれば、そんなことは世の中にとって、いや人生にとって誤差範囲内の出来事にすぎないことに気づく。あなたが居なくても会社は回っている。あなたが辞めても世の中は何の変化も起きない。そうでなくても結局は人生は帳尻が合うようにできている。おれはエリートだ、私は美人よ、という人ほど、その着地の衝撃が大きい。ソフトランディングできずに煩悩世界を彷徨う。

 「終わった人」は、いつまでも「終わった前世」にしがみつくのではなく、ましてサラリーマン人生の延長では無く、この機会を全く新しい人生の始まりにしたほうがいい。短い人生で自分が経験して来なかった別の世界、見過ごしたり捨ててきた価値を改めて拾い集めて再評価し、追いかけてみるのはどうだ。これまでの人生は紆余曲折を経ながらも道の真ん中をひたすら前だけ見ながら歩いてきたのだろう。路傍に佇む野の花の美しさに気づくこともなく。道のはるか向こうに聳える甘南備山の気高さに気づくこともなく。世間の評判を気にして本当はやりたくてやっているわけでもない出世競争など忘れて、俗世の垢にまみれる前の純粋な若者の時代に憧れた世界を、やりたくてもやれなかった生き方をいまから追いかけてみたらどうだろう。だいたい会社人生を過ごしてきたサラリーマンは、これまで資本主義的合理性と、所属組織独特の(世間には通用しない)ロジックという非合理性の狭間で人生を過ごしてきた。その世界から離れてみるとそうしたロジックとは無縁の世界に憧れている自分を発見する。だが、うんざりしてたくせに終わってみると美しい時代であったという幻想にとらわれて「思い出にしがみつく」。こうしてせっかくの新しい未来を掴み損ねる。これからの未来はこれまでのようにそう長くはないのだから尚更だ。定年後やりたいことがわからないというサラリーマン諸君。これまでの経験だとかノウハウだとか人脈だとか、思い切って棚卸しして、新たなスタートを切ってはどうだ! ふと目線を上げて世の中を俯瞰してみると、残念ながらどうせ大したことやってこなかったのだから... 所詮お釈迦様の手の平で暴れていた孫悟空なのだから。だからいつまでも現世でうろうろして成仏できない亡者になるのではなく、さっさと成仏して極楽往生いたしましょう。これからは自分の時間は自分で決める。でないと第二の人生も人に決められた人生になってしまう。


 そうだ私も定年小説を書こう。タイトルはもちろん「洋梨のタルト」で決まり。「終わった人」が大好物「洋梨のタルト」を愛でながら「思い出にしがみつく」。まるでバーナード・ショーの皮肉のようじゃないか。それだけで小説のモチーフになる。成熟した大人にはsense of humorの味付けが必要だ。まさにTell your story!だ!

 しかし、まてよ。やっぱり書けない。モデルはこの私なのだ。赤裸々な本音を書くのは勇気がいる。まだ現世のしがらみから脱却できず百八つの煩悩に苛まれるている凡人には結構高いハードルだぞ。まだ成仏できてい無い。そういえば「洋梨」「用無し」も単なるオヤジギャグじゃないか。なにがsense of humorだ。そもそもまだ修行が足らんということだ。出直し出直し!




2016年9月19日月曜日

京都東山の小路を徘徊す 〜1000年の都はおもしろい〜

石塀小路

 京都の街には小路や路地がたくさんある。だから京都の街は面白い。京都の街歩きは楽しい。大きな通りを外れて迷い込んで見る。そこは現在を生きる生活の道。そこはいにしえのみやこへの入口。そしてそこは異界への入り口。その先に何があるのかワクワク、ドキドキしながら迷い込んで見る。


三条通北裏白川筋東入堀池町

並河靖之七宝記念館と小川邸
二人の巨匠の相見えるところ
お地蔵様と明治牛乳とポスト

京都名物「逆さ箒」
瓢亭
無鄰菴板塀
焼杉板塀
蹴上浄水
いにしえへの時空トンネル
南禅寺山門
悟り世界と煩悩世界の結界
南禅寺の空
白川筋
白川
まるで異界に通じる...
知恩院山門
白川筋を抜けると壮大な伽藍が
いもぼう平野屋
ねねのみち
高台寺通り
ライカショップ京都
祇園花見小路
京町屋の二階はライカショップギャラリー
お茶屋「松八重」
祇園花見小路
菊梅
祇園花見小路
一力
祇園花見小路
祇園白川
祇園新橋
御池の空
矢田地蔵尊
寺町通
新京極
ここにも地蔵堂が
新京極通
すき焼きキムラ
柳小路
先斗町
鴨川河畔の夕涼み
四条大橋
そしてまた先斗町

 撮影機材:Leica SL + Vario-Elmarit-SL 24-90 ASPH Lightroomで現像。


2016年9月11日日曜日

本薬師寺のホテイアオイ 〜藤原京の夢の跡〜



 今年の夏も暑い!そして今年も本薬師寺跡にホテイアオイがいっぱい咲いた!

 本薬師寺跡のある橿原市城殿町は、かつての藤原京(新益京:あらましのみやこ)の西、西二坊大路、西三坊大路と七条大路、八条大路に囲まれた一角である。藤原京は690年に持統天皇により造営が開始され、694年に飛鳥浄御原宮から遷都。わが国初の唐風の条坊制を備えた都城であった。しかしわずか16年でさらに平城京へ遷都された。薬師寺は680年、天武天皇が皇后である讃良皇女(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して創建した寺院。金堂、講堂、を回廊で結び東西二塔を配した壮麗な伽藍がここには建ち並んでいた。その薬師寺は平城遷都に伴い現在の奈良市西の京町へ移転した。ただ藤原京の薬師寺はその後も平安時代中期、10世紀頃まで現在地に存続し本薬師寺と称されたが、やがて廃寺となった。

 ちなみに、平城京の薬師寺(現存する)は藤原京の薬師寺の大部分を移築したものなのか新造されたものなのかが、長年論争になっていたが、最近の研究では、移築ではなく新たに造営したものと考えられている。こうして本薬師寺は旧都の地に残ったのだが、今では木立に囲まれた土壇に金堂の礎石や東西二塔の心礎を残し、往時の面影をかすかに留めるのみとなった。しかし最近は遺構周辺の休耕地にホテイアオイやコスモス、ハスを植え、夏の間はホテイアオイの名所となっている。地元の小学校の生徒が毎年植えて手入れしているという。ホテイアオイはそもそも外来種で在来種を駆逐する生命力を持っているので(Blue Devilと呼ばれている)、国によっては持ち込みが規制されているそうだが、ここでは他の生態系に影響を与えないように管理され、このような壮大な景観を作り出している。

 倭国から日本へ移り変わる激動の時代。壮大な首都建設計画も廃都という皮肉な結末を迎えた。そういう滅びの歴史を背負い、古色漂う古代寺院の跡と、一面の外来種のホテイアオイの青という組みわせは一見似つかわしくないようにも思えるが、今では盛夏の青空と涼やかなホテイアオイの群生は、飛鳥の夏を代表する景観として定着している。

 「夏草やツワモノどもが夢の跡」じゃなくて「青花やツワモノどもが夢の跡」だ。


東塔跡

正面は金堂跡
左の土塁は西塔跡

金堂跡から東塔跡を望む

左が金堂跡
右は東塔跡

金堂跡
東からの景観

西に畝傍山を望む
すぐ近くまで住宅開発が迫る

元薬師寺の伽藍配置
(橿原市HPより)