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2019年6月19日水曜日

梅雨の「松風庵」と福岡市美術館を訪問す 〜福博の数寄者文化探訪〜

松永耳庵の揮毫になる「松風庵」扁額


 博多は、古代から我が国の海外窓口、国際貿易港としての長い繁栄の歴史を有し、かつては神谷宗湛や島井宗室、大賀宗九のような全国に名を成し、太閤秀吉のパトロンになるような大物財界人が活躍した黄金の日々を誇った時代ははるか過去のものになってしまった。博多が今でも商人の町として賑い、福岡が人口増加中の元気な都市であったとしても、そうした商都としての輝きは、かつてとは比べるべくもなく、昔日の感ありだ。特に徳川家康になってからは博多は冷遇され、鎖国政策以降は海外の窓口は長崎に一本化され、博多の国際都市としての役割に幕を閉じることになった。博多を拠点に海外交易を取り仕切っていた豪商達は長崎に移っていった。あるいは黒田藩御用の商人、五ヶ浦廻船業の町、博多として歩み始めることになった。幕末明治以降は、福岡藩は倒幕維新の動きに乗り遅れ、他の西南雄藩の後塵を拝してしまう。明治新政府体制下、福岡・博多の九州における地位も低下してしまった。現在のようなにぎわいを取り戻すのは戦後になってからのことだ。

 富が集まるところには権力が擦り寄る(逆もまた真なり)。そして文化芸術が花開く。茶の湯などその代表格である。豪商達や大名達は、こぞってその富を茶の湯につぎ込む。茶室を作り、庭園を作庭し、唐物や高麗物の茶器を求め、やがては唐津や高取といった和物の作陶を支持しその所有するお宝で財力と権勢を誇示する。すなわち文化芸術のパトロンとなる、明治以降も財界人がこぞって茶の湯に傾倒し、茶会を催し、茶室を営み、多くの茶道具コレクションを所有する。こうしたいわば近代数寄者が多く活動したのは、やはり京都や大阪、そして江戸・東京である。しかし、今回福博の旅で発見したのは、こうした数寄者文化がここ福博にもどっこい生きているという点だ。こうした数寄者文化を支えたのは、さすがに中世から近世初頭の博多の豪商たちではなく、戦前にあっては、炭鉱主であり、地元出身の実業家であり、地元の商業資本家たちであった。例えるに、貝島家や伊藤伝右衛門など炭鉱王と言われた人々、電力王と称された松永安左エ門(耳庵)であり、地元の大実業家、渡辺与八郎であり、玉屋デパートの創業者田中丸善八たちである。

 今回は田中丸善八翁の旧邸「松風荘」を訪ね、合わせて翁の唐津焼・高取焼を中心とした和物茶器コレクションである田中丸コレクションを福岡市美術館に鑑賞した。こうして福博の数寄者文化の一端を垣間見る事ができ、故郷の新たな文化活動の一面を知ることとなる有意義な里帰りとなった。こうした文化遺産が破壊されたり、散逸する事なく地元に残って市民の目に触れ、また茶会を通じて文化に触れる機会を持てることは喜ばしいことだ。田中丸家の地元文化へのコミットメントと、福岡市の取り組みに敬意を評したい。

 平尾、高宮あたりは福岡の高級住宅街である。浄水通から山荘通り、高宮通りに囲まれた一角は福岡城の南にあたり、かつては武家屋敷が並んでいた。幕末の勤王歌人野村望東尼の晩年の庵「平尾山荘」もこの一角にある。明治以降は炭鉱王の邸宅や、地元財界人の邸宅が軒を連ねていた。福博の恩人、渡辺与八郎の邸宅もこの近辺で、公開はされていないが広大な屋敷と緑地が手付かずで保存されている。この閑静な邸宅街も、御多分に洩れず今やマンション街に変貌しつつあるが、それでも立派なお屋敷が立ち並ぶ別世界である。「松風庵」はその一角にある。先にも述べたとおり玉屋百貨店グループの創業者、田中丸善八翁の旧邸宅「松風荘」に残る茶室である。平尾地区にふさわしい広大な敷地を持つ邸宅跡であるが、現在では敷地の一部が売却され、残りが福岡市の管理の「松風園」として市民に開放されている。高低差のある佇まいは、東京で言えば芝白金台、京都で言えば吉田山山麓(東山南禅寺別荘群とは趣を異にするが)、といった風情で、もちろん東京や関西とは政財界の規模に違いがあるものの、九州財界の財力と数寄者ぶりを遺憾なく発揮している地域である。

 九州出身の財界の大物といえば壱岐出身の電力王、松永安左エ門がいる。彼は中央で電力事業再編で活躍し福岡には邸宅を構えなかったが、現在の九州電力の前身である東邦電力や、西鉄の前身の福博電気鉄道などを創設して地元の経済にも大きな足跡を残した財界人である。彼はまた晩年には茶の湯に傾倒し「耳庵」と号し、近代数寄者の巨塔の一人となった。「松風庵」の田中丸善八翁とも茶の湯で交流があった。この二人の「数寄者」の松永コレクション、田中丸コレクションがリニューアルオープンした福岡市美術館に収蔵、展示されている。なかなか見事なコレクションである。松永安左エ門(耳庵)は、益田鈍翁、畠山即翁、原三渓などと茶の湯の交流があった。以前訪問した芝白金の畠山記念館は畠山即翁の旧邸で、茶の湯関連コレクションで有名だが(2017年11月27日ブログ畠山記念館探訪 〜茶室という小宇宙〜 )、思わぬところでこの「松風庵」、福岡市美術館コレクションとつながりがあったのだ。松永コレクションは小田原にあった松永記念館が解散したため、そのコレクションが福岡市美術館に寄贈されたもの。また田中丸コレクションは九州国立博物館にも収蔵されている。

 先にも触れたように、「松風庵」は田中丸善八翁の邸宅「松風荘」に設けられた現存するオリジナルの茶室である。その四畳枡床の建物とその庭園は、京都の数寄家師、笛吹(うすい)嘉一郎の手になるものである。彼は嵐山の大河内山荘も手がけている。茶室に掛かる扁額「松風庵」は松永安左エ門の筆になるものだ。福岡市が管理する「松風園」には現在は茶室として公開されている部屋は3つ、「松風庵」以外は戦後に増築ないしは新築されたものだが、待合と卍型の四阿が配され、見事なイロハモミジを中心とした庭園も野点ができるようにデザインされている。富士山に見立てた庭石や灯篭にもそれぞれに由緒があり福博財界人の数寄者ぶりも半端でない。博多の豪商神屋宗湛、島井宗室の時代から秀吉、利休による茶の湯文化を極めた土地柄である。もっとも武野紹鴎以来、堺の千利休好みの「侘び茶」から、その後の古田織部、さらに小堀遠州等の影響を受けた「大名茶」、そして利休の孫である宗旦によって復活した「侘び茶」系譜につながる佇まいだと言われる。この日も雨にも関わらず茶会が催されていて、美しく和装で着飾ったご婦人方がお点前を楽しんでいた。また「松風庵」には韓国から来たという若い女性二人が静かに正座してその空間と時間に浸り四畳の小宇宙を味わっている。やがて一服の茶を楽しんでその場を辞した。以前訪ねた芝白金の畠山美術館の茶室における茶会を彷彿とさせる「時空」である。茶道は日本文化の華だ。しかし、茶を飲む、茶でもてなすという「行為」が「道」として極められる世界。不思議な世界だ。日本人はどのようにこうした感性を磨き、それを継承してきたのだろう。

 ここを訪ねた日は折からの低気圧で雨。ちなみに東京はすでに梅雨入りしているが、福岡はなぜかまだ梅雨入り前とのこと。しかし気象庁の「梅雨」の定義はともかくもその思いがけないしっとりとした雨の庭園の新緑に、イロハモミジの青葉、そして紫陽花が美しく色を添えていた。雨の茶室と庭園の佇まいに心洗われた1日であった。


「松風園庭園」

富士山に見立てた庭石


躑躅は盛りを過ぎていた

黒壁の広間(10畳)




雨が強く降り始めた




イロハモミジを中心に配した野点庭園

雨のイロハモミジに縁取られる茶室
「松風庵へ続く小径」
「松風庵」全景
切支丹を思わせる不思議な模様の刻まれた灯篭


「松風庵」内部
四畳枡床の小宇宙

待合

待合の格子窓から紫陽花が





雨に紫陽花...





ここからはリニューアルオープンした福岡市美術館の「田中丸コレクション」、「松永コレクション」からほんの一部をご紹介。

リニューアルオープンした福岡市美術館
これまでは不思議なことに大濠公園に隣接していながら公園側からのアクセスがわかりにくかったが、今回の改修で大濠公園との一体性ができた。これは美術館が位置する舞鶴公園(福岡城址)は福岡市、大濠公園は福岡県、とそれぞれ管理する自治体が異なるという、まことにお役所仕事のなせる技であった。

美術館から大濠公園へのアプローチができた

常設展示「田中丸コレクション」「松永コレクション」

重要文化財 唐津焼 絵唐津菖蒲文茶碗(田中丸コレクション)

高取焼 藁灰釉緑釉流四方耳付水差「若葉雨」(田中丸コレクション)

黒楽茶碗「小太郎ヶ淵」(松永コレクション)


 「松風庵」から足を伸ばすと、幕末勤王の歌人、野村望東尼の晩年の山荘「平尾山荘」跡がある。山荘の隣にはその功績を顕彰する記念公園も整備されている。幕末の福岡藩は勤王の志篤い志士たちが多く集まり、長州藩とともに勤王倒幕雄藩の双璧と言われてきた。しかし、佐幕か倒幕か、最後まで態度を決めかねていた藩主は、藩内の佐幕派に押し切られて加藤司書はじめとする筑前勤王党を根こそぎ弾圧、処刑してしまう。野村望東尼も勤王の志士をかくまったことで姫島に流刑となった。勤王党のリーダーで家老であった加藤司書の邸宅跡もこの近くにある。茶の湯文化とはまた異なる歴史の街並みである。



























復元された「平尾山荘」
この小さな庵に多くの勤王の志士たちが匿われた
(撮影機材:Leica Q2, Leica CL+Apo Vario Elmar T 55-135 ASPH)



2019年5月27日月曜日

河津バガテル公園に春バラを愛でる 〜Jardin de Bagatelle〜






 パリ郊外のブローニュの森にバガテル庭園というバラで有名な庭園がある。毎年6月に国際バラ新種品評会が催される場所としても知られている。元はルイ16世の弟アルトワ伯爵の離宮の一つバガテル城のあった場所で、そこの庭園の一角に作庭されたバラで埋め尽くされた庭園( La Roseraie de Bagatelle)である。と言っても広大なバラ園で1100種、9500株の薔薇があると言われている。現在はパリ市が運営管理しているという。私自身はここを訪ねたことはない。ブローニュの森はパリの西郊外に隣接しており、大都会とは思えない静かな森で、当時は、昼間の散策は良いが夜は立ち入らない方が良いと忠告されたものだ。今はどうなのだろう。この文字通り森閑とした空間にバラで満たされた庭園を作ろうなどと考えたセンスは抜群だ。いや王侯貴族ならではの着想で文字通りエクスクルーシヴでプライベートな空間である。

 伊豆半島の河津のバガテル公園はこのパリのバガテル・バラ公園を忠実に再現したものであるという。2001年にその姉妹園としてオープンした。ロケーションは、伊豆急線の河津駅から車やバスで15分くらいの山の中である。バスは一時間に一本程度しかない。歩くと山道をダラダラと登らねばならない。正直に言ってアクセスは良くない。ご存知のように河津は河津桜で有名なところで、その季節になると川沿いの土手は早咲きの河津桜並木でピンク色に染まり大勢の花見客が訪れる。そんな駅近、観光スポット近くでなくてなぜこんな不便な所を選んだのか。観光施設ならもう少しアクセスの良いところに作っても良かったのではないか。河津駅のまわりにもいくらでもスペースはあるのに、とついつい観光客目線で考えてしまう。しかし、この疑問は、山の中に位置する庭園の真ん中に立ってみるとすぐに氷解した。周りは新緑美しい伊豆の山々に囲まれていて日常的な生活の風景は全く見えない。ここは日常から隔絶された、まさにエクスクルーシヴなスペースなのだ。そうブローニュの森のバガテル庭園のように。いわば借景にまで意を配した異空間を体験できるロケーション設定になっている。3ヘクタールの庭園には1000種類6000株の薔薇が、古風なオランジェリーを中心に幾何学模様のフランス式庭園に咲き誇る。またキオスクという展望台から庭園全体を一望することができる。季節としては春バラが5、6月。初夏が7月。そして秋のバラは10、11月である。なかでも春バラが一番種類が多く、一斉に咲き誇り見事である。秋バラはその香りが素晴らしい。この日は5月の薫風爽やかな、というより全国各地で30度越えるという異常な暑さ、伊豆は多少涼しくて28度という真夏日であったが、青い空と新緑輝く山々に囲まれた異空間での1日。美しく咲き誇る色とりどり、多品種のバラを満喫することができた。

 ここはバラの種類の多さにも驚嘆するがどのバラもこれまた見事な咲きっぷりだ。つるバラをタワーに仕立てたり、連続するアーチを色とりどりのバラで形作ったり人工的な造形がいたるところに現れている。自然な草花とバラを配した英国式庭園とは異なるフランス式庭園の造形技術がふんだんに取り入れられている。キオスクから展望すると幾何学模様の地割ももちろん、この庭園が自然を征服できる人間の力の誇示にすら見える。よく言われるように、自然と共生する、自然の一部である人間、という日本人の思想哲学、自然観とはある意味で対極にある。しかし、それにしてもこれだけの一本一本のバラの花と、全体のバラ園を維持管理するのは容易ではないだろう。この日も観光客に混じって、大勢の庭園師が手入れに余念がなかった。パリ市の公園管理局からの技術指導も受けながら、高度なバラ栽培技術を涵養している。これだけのバラと庭園を温帯モンスーンの日本(すぐに雑草に覆われてしまう)に維持するのには並並ならぬ苦労があろう。そのわりには季節性のある庭園なので、集客時期が限られている。しかも先述のようにアクセスが良いとはいえない。そうなると作庭時の理想の姿が現実の有様と乖離して維持できなくなってゆく。その結果、色々な集客趣向を盛り込んで、どこかテーマが曖昧になり一本通したストーリーが失われてしまいがちだが、最初のバガテル庭園の作庭思想を貫こうと努力しているように感じられる。こうしたこだわりは伝統の日本庭園のそれに通じるものがあるようにも思える。実際に事業としては苦しい状態が続いたのであろう、2001年の開園時の事業運営会社は解散してしまい、2015年からは河津町が運営しているという。なんとか事業継続(business continuity)を応援したいものだ。バラの季節の入園料は大人1000円。それほど高くない。おそらく町の税金で補助しているのだろうか。良いなと思ったら、度々訪れるのが究極の応援だろう。

 フランス絶対王政時代の王侯貴族がお金と時間に糸目をつけず作庭し、維持してきた、全くのプラーベート空間を日本で再現し、しかもパブリックに公開して商業的に成功させるというのは、相矛盾する欲求を同時に実現させる必要があり厳しいものがあるだろう。しかし、それだけにこの庭園を散策しに来る価値がある。ただし、レストランやお土産屋などいろんな観光施設を期待する向きにはお勧めできない。カフェはあるが食事はできない。バラの苗や香水は売っているが「バガテル饅頭」はない。子供向けの着ぐるみゆるキャラもいない。ペット同伴での庭園散策ができるので、多くのペット連れが写真撮影しているのが微笑ましい。子供が楽しめるかはその親と子供次第だろう。ただひたすらこの庭を愛しバラを愛する心でファンになりたい。


玄関
オランジェリー













キオスクから庭園全体が見渡せる









ペット写真撮影が人気


庭園から伊豆の海が展望できる

周囲を新緑の伊豆の山々に囲まれている








オランジェリーの窓から

プチトリアノン的な建物はカフェと休憩施設

(撮影機材: Leica Q2,  Leica CL + Apo-Vario Elmar T 55-135 ASPH. 最新のQ2は画素数4700万画素フルサイズセンサーを誇る高精細デジタルコンパクト。Summilux 28mm f.1.7というレジェンダリー高速レンズを搭載し近接撮影もできる。広角を生かした広いパースの画も、花のクローズアップもカバーできる。望遠が欲しい場面では軽量なCL + 55-135が活躍してくれる。この組み合わせ、結構気に入った!)





2019年5月20日月曜日

「時空トラベラー」の撮影機材整理 〜大山鳴動してLeica Q2一台 の巻〜



Leica Q2
Leica Camera AG Homepageより




 写真機ファンである「時空トラベラー」も、ふと気がつくと周りにやたらに使いもしないカメラやレンズが転がっている。連れ合いからもなんとかしろと言われる。これまでも新しいカメラを買うときには必ずこれまで使っていた機材一式を下取りにし、いわば総とっかえで出費を最小限にしているのだが、それでも長い年月の間に結構使わないカメラ・レンズが増えた。どれも思い出が詰まった機材だから始末に悪い。またそんな愛着の持てるカメラ・レンズしか手に入れることはない。とは言え使わない機材を防湿庫の肥やしにしては愛機のためにもならないだろう。この際、少しづつでも整理してゆこう。しかも最近重い機材を一式担いで「山河を跋渉して寧所に暇あらず」がしんどくなってきた。なんとか機材を軽くしたい。しかし画質には妥協したくない。軽量だからといってプラスチックな家電製品化したカメラを持ち歩く気にななれない。ましてスマホで済ますことは断じて許されない。なかなか「弘法筆を選ばず」の境地には達していない。カメラはフォトグラファーの感性で被写体の情感を切り取る大事な「お道具」なのだから。スマホじゃなくてカメラで写真を撮るということが特別な経験になりつつある今、それが自分の撮影ストーリとなる。だからこそ面倒なお作法があっても高品位なカメラを操りたい。しかし重い機材は嫌だ。相矛盾する要求のジレンマに苦悩するという快楽。どうしようもない道楽ですな。というわけで撮影機材を整理、見直ししようということになった。しかし、その際、絶対に譲れないポイントがある。

・フルサイズセンサー、高解像度、高諧調、ボケ味、収差が少ない。
・LRによるポストプロダクションに耐える情報量(画素数は2400万画素以上)。
・手にした時のカメラボディーの質感。
・高品位レンズ。



現在のラインアップと入れ替え候補:

I. 作品撮影のための機材:
 1)SONY α7システム(4本のズームレンズ)
 2)Nikon D850システム(F時代からのFマウントレンズ群資産)
 3)Leica SLシステム(3本のズームレンズとマウントアダプターR/M)
 これらをNikon Z7システムに切り替えることの適否を検討することにした。この「軽量」かつ「高画質」を両立させる選択肢としてのNikon Z7の登場が、そもそも機材入れ替えを検討するきっかけとなったといても良い。

II. 日常撮影/ストリートスナップのための機材:
 1)Leica CLシステム
 2)Leica Q
 3)Leica M 10
 これらは特に整理対象とする必要を感じていないが、QのQ2へのアップグレードの適否を検討する。M10は実用性というよりはやや趣味性優先機材なので今回の入れ替え評価対象からは除く。


評価:

 1)ニコンの最新ミラーレス、Nikon Z7は軽量化と高画質化という点では極めて魅力的な選択肢である。Nikon D850やSONY α7、Leica SLの次期主力システム候補である。大口径レンズマウントとショートフランジバック。これからユニークな高性能レンズが出てくるのだろう。今はまだ揃ってないが。期待は膨らむ。軽くて高品質。文句のつけようがない様に思えた。しかし、実際に店頭で手にとっていろいろいじくり回してみたが、なんかイマイチ所有欲を刺激しないのだ。物欲煩悩がムラムラと沸き起こってこない。どこが悪いというわけではないのだが、年季の入った職人風貌ではなくて未だ完成していない青二才の趣なのだ。さらに使い手に媚びない頑固さ、というよりソニー製品のように使い手を意識しすぎている。天邪鬼なもので、そうなると少し引いてしまう。満を持して登場した、というより、市場戦略上急いで出した、という感じの「製品」で、まだまだブラッシュアップが必要な感じがある。レンズ群も未揃い。マウントアダプターを介してFマウントレンズを使うのではあまり投資する意味も無かろう。道具としての成熟度はまだまだ。当然ながらいろんなフォトグラファーに使いこなされていないから評価はこれからだ。いろんな修羅場をくぐって大人になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。「初物食いにはご用心」という言葉がふと頭に浮かんだ。

 2)SONY α7はミラーレスではトップランナー。Nikon Z7に先立つ事5年の実績がある。Minolta αのDNAを引いている。しかし、私がミノルタ派であった時代は遠い昔になってしまったし、そのレガシーが今のソニーに生きているという実感はない。ニコン派にとっては所詮他人(!?)のカメラ。3年ほど使ってみたが飽きた。最新テックてんこ盛り、なんでもソツなすこなす優秀な子だが個性はなくて面白みはない。それとボディーが小さすぎる(手に余る)。交換レンズは普通に大きくて重いのでバランスが良くない。レンズ群もボディーに合わせて小型化できれば、さすがソニー!となるのだが。決して悪いカメラではないのだが面食いなのでやはり恋には落ちない。

 3)そこで、振り返るにNikon D850の完成度は捨てがたいとの思いが沸き起こってくる。これだけの歴史的なF ecosystem(生態系)の頂点に立つカメラを捨てられないだろう。所有の大三元レンズ3本が酷使によって外見がくたびれてはいるが、その買い替え時期が来ればZシステムへの移行は検討の余地はある(それまでにレンズラインアップが充実することが前提だが)。としてもその愛着ある相棒達は捨て難い。Z7に比べれば少し重いことを除けばさしたる欠点も見当たらない。当然それだけ完成度が高く信頼度も高い。かっちりとしたD850ボディーのペンタ部のなだらかなカーブは官能的でもある。丸いファインダー枠は美しい瞳だ。プロ用の最高峰D5こそ分相応を旨とするため使わないが、Dfなどという蠱惑的なカメラもある。

 4)Leica SLは、いかんせん重すぎる(カメラボディーと広角ズーム、標準ズーム、望遠ズーム3本合わせるとなんと5kg超になる)。これを一式担いで撮影旅行に出ることはもはや難行苦行だ。鉄アレーとバズーカ砲を担いでの行軍は勘弁してほしい。年齢のせいもあり彼らとの「山河を跋渉して寧所にいとまあらず」が難しくなっている。カメラザックに一式入れて多武峰への撮影旅行を敢行した時にはっきり悟った。発表から3年になるので、昨年スタートしたLマウントアライアンスでデビューしたパナソニックのLumix S1R(4700万画素フルサイズセンサー搭載)に機能面で既に凌駕されている(価格ははるかに安いのに)。ボディー側に手振れ補正なしで、AF方式も今やコンベンショナルなコントラスト方式のみだ。レンズはズームとしては全く素晴らしい解像度で単焦点並みの性能を有するのだがとにかく重い。全金属鏡胴の90−280mm望遠ズームは、その形状も全くバズーカ砲にしか見えない。性能は良くても機動性を犠牲にしての撮影はやはり難しくなっている自分がいる。SLボディーはLeica MレンズをEVFで正確にピント合わせして使うには最適ボディーであるという人もいる。しかし...

 5)Leica CLは、実は現時点で最良のパートナーだ。標準、広角、望遠ズームレンズ3本合わせても小さなカメラバッグに収納できるコンパクトさと軽量さと機動性。最も持ち出す頻度が高い。EVFファインダーがとても見やすく気に入っている。SLのそれよりもクリアーで良い。ズームレンズ(Made in Japan)の画質も最高、収差もなく軽量で使いやすい。Mレンズをマニュアルフォーカスで使用するにこのEVFファインダーとフォーカスアシスト機能が役に立つ。ただ手ぶれ補正がないのが難点(特に望遠ズームでこれは辛い)だ。APS-Cサイズセンサーだがこの画質なら許せる。SLとマウントが共通なのでメイン/サブの関係で持ち出せる。結局はサブのはずのCLの出番の方が圧倒的に多いのが実情だが。

 6)Leica Qは、2400万画素フルサイズセンサーでSummilux28mm f1.7固定レンズを奢る高品位のコンパクトカメラ。手軽に持ち出せて最高の画質を得られる稀有なカメラだ。これはライカにしては近年稀に見る傑作だ。SLを愛でる人が多いが、「一眼レフ型」ミラーレスは実績を有する先行プレーヤーもあり、後発もあっという間に追い上げてくる。Qはスペック上はレンズ以外はさしたる優位性のあるカメラではないが、独自の世界を打ち出している。ストリートフォトに最適のカメラだ。やがてレンジファインダーが退場してゆくときにはこのQをベースにしたコンパクトデジカメがMに代わる主役になるだろう。したがってこれを処分する理由はない。あるとすれば後継機種Q2とのリプレースだ。

 ちなみに私はキャノン派ではない。かつて取引関係でCanon 5D Mark II使ったことはあるが、その後レンズ群を含めて機材一式全て手放してしまった。嫌いではないが特に好きでもない。要するに恋には落ちなかった。


結論:

 1)Nikon Z7導入は見送る。次のバージョンが出るまで待つことにする。新規格にあった高性能でユニークなレンズラインアップが充実するまで待ってもいいだろう。もう少し道具としての成熟度が増すまで手を出す必要はない気がする。すくなくとも、今D850+FレンズをZ7に切り替える自分的合理性はない。機材の軽量化は先送り。体力を温存していくしかない。ちなみにNikon Zシリーズを導入してもNikon D850は処分しないだろう。
 2)したがってこれまで通りNikon D850+Fマウントレンズ群を中心機材とする。この道具としての完成度と愛着は捨てがたい。durable and dependable Nikon !
 3)現行のSONY αシリーズはNikon Zシリーズへの切り替えの決断の時期が来たらが売却する。それまでにソニーも頑張って魅力的なカメラを出してくるだろう。個性的なお道具カメラ出してくれると、クラっときてNikon Z7から心変わりしてしまうかもしれない。そういったハイクオリティー競争は大歓迎だ。
 4)Leica SLは当面処分保留だ。今年の末と言われるSL2の登場を見て切り替えの適否を判断することになるだろう。SL2が心の琴線に触れないのなら何かの下取りに出すことになるかもしれない。それまではこの重量級機材の出番は確実に減る。まさかSL2はパナソニックからのOEMじゃないだろうな?!コスパは最高になるだろうがそれじゃあシャレにもならん。
 5)コンパクト機材は、引き続きCLとQで行く。ただしQをQ2に切り替える。普段使いならCL+Q2のコンビは最高だ。

 今年3月に発売開始となったLeica Q2はなかなかブラッシュアップされていいカメラになった。Qから4年で後継機種が出てきたわけだ。コンパクトとしては高価なカメラだというのに人気沸騰でなかなか手に入らない状態が続いている。供給量も少ないのだろう。外観はQとほとんど変わらない。どこが新製品なのだ?というくらいだ。しかし中身は大きくグレードアップした。従来通りSummlux28mm f.1.7というレジェンド名を冠した高速レンズに、コンパクト機としては極めて高画素の4650万画素のCMOSセンサーを持ち、これに対応した画像エンジンに入れ替えられている。極めて贅沢なコンパクトカメラだ。高画素化したおかげでクロップで35mm(3000万画素)、50mm(1500万画素)とさらに75mm(800万画素)が選べるようになった。それぞれでマクロが使えるのが嬉しい。ズームというわけではないが、一台で画角を変えられることは便利だ。DNG撮影時には28mmの画像が記録されており、LRなどで後で画角の修正ができるのが良い。そしてこれに見えの良い有機ELの EVFが備わっている。ファインダーの見え方は写欲に大きく影響する。かつてライカMが圧倒的な高性能光学レンジファインダーを搭載して世間を驚かせたが、あの衝撃に匹敵するEVFだと思う。ボディーにはプロの要求を満たす防滴防塵シールドが施された。バッテリーは大容量化されてSLと共通(SLとのペアで持ち出しやすくなったが、一方、CLとの組み合わせにはチョットマイナス評価)。これ一台でストリートフォトはOKだ。ライカMは相変わらず、アナログ時代の設計思想を引きずっていて、それに回帰しようとすらしているが、光学レンジファインダーを捨ててライカがMスタイルのコンパクトデジカメ作るとすればこうなるのだろう。捨てないだろうが...

 ライカは栄光の光学レンジファインダーから脱却し、ニコンは栄光の光学ペンタプリズクから脱却する。その技術トランジションがビジネストランジションの成功に結びつくのはどっちか。50年前のバトルが再燃するのか?ライカファン、ニコンファンとしては緊張で見ていられない勝負になりそうだ。

 こうして「撮影機材整理プロジェクト」は、いろいろ検討した割には「大山鳴動してLeica Q2一台!」と相成った。結局のところ機材は減らなかった。Nikon Z7を買わずNikon D850を残したということと、Leica QをQ2に取っ替えただけだ。まあ考えてみると妥当な結果か。やっぱり思い出の詰まった情感カメラが残るのだ。妻よ許せ!結局、使う喜びを感じるカメラがいい。テクノロジー合理性が使い手の感性にどう訴えかけるのか、撮り手の表現手段としての写真作品にどう貢献できるのか、という数値化できない価値(intangible value) が重要だ。なかなか経済合理性だけでは評価、判断できないのが趣味の世界だと改めて実感する次第だ。ライカのカメラなぞその最たるものだ。こうして多くのカメラを所有し続けることを正当化するのだ。


 以下はLeica Q2作例。DNGからJPGへストレート現像。高画素なのでDNGからの後処理にはPCに大きな負荷がかかる。PC環境のバージョンアップも必要だ。



28mmレンズ絞り開放で。ピントとボケのなだらかさが素晴らしい。

マクロモード撮影
水滴までくっきり

曇天での撮影
上向きのアングルだが自然で歪みのない安心感

絞り開放でも隅々まで破綻のない写り
水準器が役立つシーン
75mmクロップでの撮影