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2011年9月12日月曜日

大山崎山荘美術館 ーOyamazaki Villa Museum of Artー

 最近ちょっと美術館巡りが続いている。今回は京都府乙訓郡大山崎町にあるアサヒビール大山崎山荘美術館。

この山荘美術館の本館は、大正7年に実業家加賀正太郎によって建てられた、英国ハーフティンバー様式の建物だ。英国の生活様式に憧れて建物を本格的に設計、建築した。この時代には好事家のお金持ちがいて、後世に素敵な文化遺産を多く残してくれている。関西には実業家の手になる近代建築が特に多い。

しかし、こういった個人の邸宅、庭園の運命は数奇。その後、人手に渡り、最後はお定まりの不動産ベローッパーよるマンション建設の為の取り壊しの危機に。こうした事態に際し、地元住民の方々を中心に保存運動が起こり、京都府、大山崎町が動いた。その甲斐あって、アサヒビールが買い取り、行政とともに建物と庭園を修復、保存。山荘美術館として存続が決まったと言う。地域住民の方々と地元行政のご努力、そして企業のこうした意思決定にも賞賛を贈りたい。

自分もマンションに住んでいるが,マンションってなぜかこういうときは悪者の代表だ。歴史的な文化遺産や、景観、自然を破壊する「再開発」プロジェクト、というイメージが常につきまとうのは何故? 商業主義的な金儲けの産物だから? 経済合理性優先の面白くない鉄筋建造物デザインに走るってるから?「マンション」という言葉自体が、その本来の意味とはかけ離れた集合住宅(いずれはスラム化する?)イメージが定着しつつあるから?いずれにせよこの山荘が「マンション」なんかにならなくてよかった。

ここが何故「アサヒビール」大山崎山荘美術館なのか?という疑問が少しだけ解けた気がする。 しかし、山崎と言えばサントリーウイスキーの創業の地。 東海道線からも,新幹線からもサントリー山崎ディスティラリー(醸造所)が見える。いわば山崎のランドマークである。だのにそのすぐ隣になぜアサヒビールなのか。まだすっきりしない。アサヒビールには企業メセナ発想があったからなのか。サントリーはその地元の環境保全、景観保全のもくろみに何故乗らなかったのか? 加賀正太郎家はニッカウヰスキーとも縁があったそうだ。

ここ大山崎は天王山の麓、木津川、桂川、宇治川が合流する景勝の地。これらの河川を源流として、やがては淀川として大阪に流れ込む古来より交通の要衝である。現在でも、京都と大阪の間の交通の重要ポイントで、新幹線、JR東海道線、阪急京都線、名神高速道路、国道一号線が狭い回廊にひしめき合っている。淀川を隔てた対岸には京阪が走っている。 特に、この山崎では新幹線と阪急京都線、JR東海道線が接近平行して走っており、各々の優等列車の華麗な走行ぶりが鉄道ファンの間では「山崎の合戦」と呼ばれて、人気の「撮り鉄」スポットになっている。

歴史を遡れば、あの本能寺の変の後、明智光秀の軍と羽柴秀吉の軍が激突した場所である。山崎の合戦,天王山の戦いの古戦場でもあることはつとに名高い。中国攻めから急ぎ取って返し(いわゆる中国大返し)、京に向けて攻め返した秀吉軍を、そうはさせじと、ここ京都の入口にほど近い山崎で迎え撃った光秀軍。この狭い回廊はそういう歴史の重要な局面の舞台にふさわしいしつらえである。結果、光秀は敗れ、逃走中に落武者狩りの一団に首を取られてしまう。三日天下はここに終わり、秀吉は天下取りにむけてまさに「天王山」を迎えたわけだ。

話を美術館に戻そう。ハーフティンバー様式の本館は、アサヒビール社長の山本為三郎のコレクションとして、河合寛次郎、濱田荘司、バーナード・リーチなどの民藝運動の作品も数多く展示されている。また、この時期は企画展として、創作椅子の展示会が行われていて、「自由に座れる作品集」に人気が集まっていた。そのせいか思った以上に訪問者が多く、この日は混み合っていた。

また、安藤忠雄設計の新館は、モネの睡蓮のコレクションが展示されている。この新館は、本館や周囲の庭園、緑地を雰囲気を害さないように,且つ、モダンな雰囲気を醸し出すように、ガラスとコンクリート打ちっぱなしの建物で、半地下構造となっている。安藤忠雄らしい辺りの佇まいとの調和を重んじる建物だ。

二階のテラスから一服のコーヒを楽しみながら、三つの河の合流する様や、遠くの山々を展望する気分はとてもよい。川中に連なる堤防の上には桜並木が延々と続き,その季節にはさぞや素晴らしい景色であろう。イギリスにいた頃、週末には起伏にとんだ丘が連続するKentやSussexの田舎へドライブし、Manner House(貴族の館)を訪ねて回った事を思い出す。そうした風景と佇まいを、英国帰りの加賀正太郎はここ大山崎に再現したかったのだろう、とその心情がよくわかる気がした。私もこんな所で,こんな家を建てて、イギリスの思い出に浸って暮らしたいものだが、加賀正太郎と違って今の私に出来るのは、都会のマンション(あの、文化と景観を破壊すると嫌われる)で、せいぜいWedgewoodのポットとティーカップで紅茶を入れて、スコーンを食し、「ああ!イギリスはいい!」と嘆息するくらいのことだ。



























2011年9月3日土曜日

金沢21世紀美術館 ー21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawaー




仕事で金沢に来るたびに、なんてうらやましい街だろうと思う。仕事の合間の断片的な時間でしかその「うらやましさ」の片鱗を味わうことが出来ないのだが。もちろん兼六園や金沢城、東茶屋街、浅野川の清流、卯辰山公園、犀川.....そして加賀流能、伝統工芸、食文化... 室生犀星、泉鏡花... その文化的な資産の豊富さにいつも圧倒される。 そして今回は、仕事の合間に金沢21世紀美術館を訪ねた。一見伝統的な城下町の雰囲気にマッチしないコンテンポラリーアートミュージアム。しかし、今人気のアートスペースだ。どうして「地方都市」金沢はこんなに豊かな文化に恵まれているのか?

前田の殿様は、徳川幕府に慮って武力の強化に金を遣わず,文化芸能、庭園にお金を使ったからだ、と地元の人は説明してくれる。400年余という時間が培った伝統が今に生きているのだろう。また町並み優雅なのは戦災に遭わなかったからだともいう。

それにしても関ヶ原の戦い以降に,各地に領国を得た徳川幕藩体制の大名達は,それぞれの領国統治にふさわしい藩府、城下町を建設した。現在の「地方都市」はその多くが,そうした「関ヶ原戦後」に建設された城下町が起源となっている。しかし、よくよくそれぞれの町を見比べてみると、当時の建設者にして統治者であった殿様の戦略と文化センスによって、町の風貌が全く異なっている事に気付く。

城下町として美しく,文化を伴って現存している町の代表格は金沢だろう。松江も美しい城下町だ。おそらく金沢と並ぶ文化度の高い城下町だろう。熊本は城が立派だ。姫路も城が有名だが,町は戦災で破壊されてしまった。大阪や名古屋は大都会になりすぎて城下町という風情が薄れてしまっている。岡山の後楽園、高松の栗林公園、水戸の偕楽園も大名庭園として有名で殿様の残した文化の香りを現代に引き継いでいる。萩も鹿児島も西南の雄藩の首都として、やや武ばった城下町の風格を今も保っている。仙台、高知、広島、松山も外様の大大名の城下町だ。

一方、わが故郷,福岡も黒田五十二万石の城下町だが、福岡が城下町の趣を残す街だ,とあまり認識されていないのは何故だろう? ここの城は縄張りの名人、黒田如水、長政親子の築城になる名城だが、朝鮮式の平城で威風堂々足る風格に乏しい。如水の「平時に壮麗な天守閣や石垣はいらん」という合理主義が後世に「観光資源」を残さなかったのかもしれない。かといって大名庭園もない。有名な大濠公園は福岡城の外堀を明治以降勧業博覧会会場として整備したものだ。あまり大名起源の文化、芸能もない。食文化も,芸能も,祭り、工芸も隣の博多の商人文化におされている。黒田藩の残したもの、修猷館くらいか?先の大戦では博多は空襲で焼けたが、福岡は戦災に遭ってない。だのに城下町の名残はほとんど残ってない。かつて大名町あたりは重臣達の武家屋敷の趣を残す町並みが残っていたが、いつの間にか完全に消えてなくなってしまった。なぜ? あまり黒田公の「伝統」を残そうと言う気分の少ない影の薄い城下町だ。

城下町金沢の文化度の色濃さに比して、城下町福岡のそれは如何。もともとの城下町としての創建者の思想に違いがあるのかもしれない。そしてその思想がその後の街の変遷の中で継承されて行ったのだろう。取りこぼした文化の量、文化受容度の高低は、オリジンの町づくりの伝統を引くのだろうが。「比較城下町研究」がこれからの時空トラベルのテーマになりそうだ。

話題がドンドンそれてしまった。金沢21世紀美術館の話だ。伝統文化の城下町のこのコンテンポラリーミュージアム。この金沢の文化パワーはいったいなんなんだ!いまや全国から人を集める人気観光スポットの一つになっている。それは金沢の他の観光スポットと組み合わせて回るのに良いからではなく、この美術館に行く為にだけ金沢に来てもいいくらいの魅力を持っている。

そして,この美術館は、一部の教養ある趣味人資産家のコレクションを基礎に創設されたものでもなく、自治体が市民の税金を使って建てた「箱もの公共投資」の産物でもなく、市民の出資による財団が建設、保有、運営している点でもユニークだし、金沢市民の文化的な成熟度を感じさせられる。

建築設計は、妹島和世+西沢立衛/SANAA。今最も注目される建築家達だ。まず建物自体が現代美術作品だ。金沢市の中心部に位置し,誰でもいつでも立ち寄れる公園のような美術館を目指しているという。その意図は見事に成功していると思う。建物は裏も表もない円形のガラスの筒の中に複数のエリアが設定されている。好きな所へ行き、回遊を楽しめばよい。美術館巡りで結構楽しみなのはショップとレストランだ。私はこのしつらえのセンスで美術館の好き嫌いが決まる。ここのレストランは特に洒落ていて、コーヒーを飲んだり、簡単な食事をしたり,語らったりすること自体がアートになる。

ちなみに、もともと、この美術館の敷地にはは金沢大学付属小学校中学校があったそうだ。金沢大学も金沢城内にあったが郊外に移転して、あの壮麗な櫓がが復元されている。こうした都市の模様替えによって伝統的なゾーンと新しい集いの場を生み出した自治体の構想力と都市設計のセンス、パワーもすごい。金沢駅のデザインも素敵だ。金かけ過ぎという批判もあるやに聞いているが、この頃はやりのエキナカショップやデパートで人がごった返した商業施設化し、駅本来の動線や風格を無視した品のない中央駅ではなく、堂々としたアート作品になっている。これも金沢の玄関にふさわしい文化度シンボルだと思う。

こうした街全体が伝統的な町並みと、伝統工芸、伝統食文化と、コンテンポラリーなアートパワーをみなぎらせている街は、日本にはそう多くはないだろう。まるでヨーロッパの街の匂いがする。金沢という街の人々のセンスの良さとそれを街の資産として継承、発展させてゆくパワーを感じさせられた。次回は仕事抜きで、ゆっくり街全体を見て回りたいものだ。