2012年の年が明けた。
昨年は東日本大震災に見舞われた3月11日以来,東北の復興と,原子力発電の危険性との戦いに明け暮れた。震災復興は遅々として進まず,放射能汚染の不安はいっこうに解消されず、日本国の電力事情にも赤信号がともったままだ。国家財政は破綻の道を歩み始めている。その間、世界を見渡せば、ヨーロッパにおけるユーロ危機、信用不安。新興国の経済の足踏み状態。歴史的な円高と、震災やタイにおける水害被害の影響で日本の製造業は未曾有の危機にも見舞われた。そして東アジアの波高し。
NHKの「坂の上の雲」が3年目に入って完結したが、今の日本に「坂の上の雲」は無いと知った一年だった。少なくとも明治の頃のような、誰もが共有出来るロールモデルの無い時代を迎えた事をはっきり認識した一年だった。司馬遼太郎の描いたように、日露戦争後の日本の停滞と、その20数年後に始まる昭和の破滅的な戦争への道筋にこそ,学ぶべき事があるのだが。人は明治人の、いや明治維新で世に頭角を現した若者達(いわば初期明治人)のその後の活躍に、リーダー像と英雄像を見出して、今の時代に出現する事をノスタルジックに夢想しているだけだ。
今年はいい年になるのだろうか?否。これまでの延長線上の停滞と思考停止の一年が過ぎるのだろう。サラリーマン化した経営者達は自分の出世栄達と保身のみを求めて、社内ロジックのみに従って行動する。サラリーマンは上司に右顧左眄して世渡りをする。そうして運良く成功し、出世したものだけが「取締役」、「社長」という栄冠を勝ち取る。社長はサラリーマンのナレノハテと化している。同じくサラリーマン化した官僚は、政治の無能と混乱を良い事に、公僕としての使命を忘れ、よくも悪くも国家のビジョンを語る気概をも無くしている。どちらも「公」を担う自己犠牲と奉仕の精神を忘れてしまった。
オリンパスや大王製紙のケースは,特異ではない。日本の会社制度のフィクション性と本音との矛盾が露呈しただけだ。係長の仕事しかしない部長や、管理職目線しか持ってない役員ではこの目標不明の時代を生き残って行けない。少なくともこれからは日本と言う閉鎖市場を抜け出して,世界の市場に出て行かねば生きる道は無いと言っているのに、こうしたマインドセットや人生観、行動様式ではガラパゴス化する事すら難しい。
政治にいたっては,全くの混迷と停滞の時代としかいいようが無い。自民党は人材を使い果たし、あとに続く人が育ってない。民主党は烏合の衆。戦前のように、政党政治に愛想を尽かした民衆のの心を掴む軍部みたいな勢力が台頭しないだけましかもしれない。しかし,一点突破、全面展開する力は何処からも生まれない。全ての分野でリーダー不在。民衆はローマ帝国末期のそれのように、パンと享楽のみを求める。組織の長達は、全員、指示待ち管理職状態だ。自分で考え行動しない。少子高齢化で年金は破綻への道筋が見えている。生産人口も激減で日本国の大転換の時期に入っているのも関わらず、皆、ドンドン小さくなる限られたパイの分け前争奪戦に入っている。パイを増やそうという発想も,ビジョンも,リーダーシップも無いのはどうした事か。人と違う考え方や、行動を受容する寛容性すら失われている。
こうしてみると、日本の唯一の資源である「人」が育っていない事に気付く。歌劇ローエングリンや,ニーベルンゲンの指輪のように、禁欲的な聖騎士団が私欲を捨てて神に尽くす。それを妨害し、堕落をもたらそうとする異教徒たち、すなわち悪魔達と戦う、というキリスト教的な図式が刷り込まれた西欧文明と異なり、異教徒や外来文化を比較的素直に受け入れてきた日本人には,自らが、いかに「異教徒=悪魔」に「堕落」させられて行ったかを気付かせるような「物語」もない。グローバル化するなかで、無見識に,芯も無く変質して行く事の危険性を感じる術も無い。「働き過ぎ」と言われ、勤勉性を批判されれば,即座に怠惰に流れる。教育レベルの高さを,詰め込みだと批判されれば,即座に「ゆとり教育」で知識も見識も、規範意識も無い、「パンと享楽さえ与えられれば良い」「人生、自分が楽しければ良い」という「人材」を大量に生み出す。「内需拡大」と言われれば,外へ出て行くエネルギーを押しとどめて、一斉に内向き思考に徹する。
一方で、狭い自分たちだけのムラに閉じこもって変わろうとしない、排他的で後ろ向きの人生観に安住しがちでもある。相変わらず日本には「国際」と「国内」の二分論しか無い。国内派は「国際派」を毛嫌いして排除しようとする。この国では基本的に「国際派」は常に少数派だ。一方で、国際派は「国内派」のアンチテーゼとしての存在意義を主張しているだけだ。「異教徒」に「堕落」させられるのも、結局はどちらも「井の中の蛙大海を知らず」だからだ。
Steve Jobsは今の日本には絶対生まれない。既成概念を疑い、心の中の「異教徒」と戦う戦士が育つ環境ではない。日本では、彼の、" Stay Hungry. Stay Foolish."が空しく響く。日本人はその生来の気質であるはずのハングリーさを忘れてしまった。彼の言うFoolishは、訳されているように「愚直」では無い。「道化のように滑稽でバカバカしい」だ。愚直は日本人の得意な性質だが、世の中を道化る、「ほうけもん」や「かぶきもん」は既に過去のキャラクターになってしまった。織田信長のようなFoolishな変革者は現れない。
暗い年の幕開けだ。今の所あまり明るい展望は持てない。残念ながら... 日本人が本当にHungryになるほど国力が後退するのを待ってる訳に行かない。Foolishな人物が無気力な民衆をあっけにとらせて、天下統一を夢見るようなカオス状況になるのを待つ訳にもいかない。このまま愚痴ってて良い訳はない。ボヤキ漫才やってる場合ではない。過去の英雄伝説を読みあさっている場合でもない。
ページビューの合計
2012年1月1日日曜日
2011年12月17日土曜日
教王護国寺東寺 ー空海の描く地上の宇宙ー
京都の東寺といえば、新幹線で京都駅を新大阪方面へ向うと、左手に五重塔が見える、あのおなじみのお寺だ。京都を代表する風景として、旅人、いやサラリーマン出張族、単身赴任族に親しまれている。しかし、実際に行ってみるのは、ウン十年前に父の車で連れて行ってもらった「しまい弘法の市」以来だ。
東寺は平安京遷都の2年後の796年に造営が開始された。平安京の南、大極殿から真南に伸びる朱雀大路の羅城門の東に東寺、西に西寺が建立された。今は西寺は残ってないが,東寺の西に地名が残っている。遷都時の平安京大極殿は今の千本通り、JR二条駅付近にあったそうで、現在の京都御所は江戸時代に公家屋敷街に新たに造営されたものだ。このように後世、全体に京の中心が東によってしまった為、東寺の位置は今の御所の西を南北に走る堀川通のさらに西に位置している事になる。しかし、この東寺こそ、その遺構は平安京オリジナルの位置に存在し、それが現代の寺域となっている点でも貴重だ。
東寺は天皇/国家が造営する官寺であった。奈良の平城京で言えば東大寺,大官大寺に相当する。当時の官寺は、鎮護国家思想のもと国家経営の根幹に関わる学問や海外文化の受容、消化を進める機関だったとも言える。今で言えば国立大学のようなものだろう。当時、僧侶は知識階級であり、官寺は学位の代わりに戒位を授け、公認の僧侶を世に輩出する機能を担っていた。東大寺や東寺はさしずめ東京大学、京都大学だ。筑紫の観世音寺は九州大学、下野薬師寺は東北大学みたいなものか。ちなみに、興福寺は藤原家創設の私寺だから、早稲田大学、慶応大学か。唐招提寺は海外からやってきたミッショナリー、鑑真創設の非官寺だからさしずめ上智大学か。
そういう例えの適否はさておき、造営途中の東寺は823年に嵯峨天皇によって空海に下賜される。中国留学から帰ったばかりの空海は真言密教の拠点として、この東寺を教王護国寺(王を教え国を護る)と名乗り、諸堂を整備した。高野山金剛峰寺は修行の場、教王護国寺は信仰の場という、真言宗の二大センターとして、その後の時代を生き続ける事になる。
東寺は、現代においても、その象徴である五重塔はじめ、金堂、講堂、大師堂(御影堂)、食堂が建ち並ぶ京都でも屈指の大寺院である。その大伽藍の配置自体が、境内に曼荼羅の世界を表現したものだとも言われている。また、その大寺の佇まいは、平城京、奈良の都の大寺の風格を色濃く残している。平安遷都に伴い造営された官寺であるので、平城京の香りを引き継いでいるのだろう。そういう点で,他の京都の寺院とは異なった趣を感じることが出来る。
しかし、これらの建造物はその後の歴史の流れの中で、焼失や破壊で創建当時のものはほとんど残っていない。それでも五重塔(国宝)は江戸時代初期、徳川家光の寄進によるもので、現存する日本の古塔中最高の塔である。堂々たる金堂(国宝)は豊臣秀頼寄進のもので、桃山時代の代表的建築だ。講堂(重文)は1492年に再建されたもの。このように度重なる再建でも、国宝、重文級の建築物が後世に残されているという事は、いかにその時代の権力者や民衆が、この寺を慕い敬っていたか、という証査でもあろう。
このように建物群も目を見張る素晴らしさがあるが、東寺を有名にしているのは,講堂の立体曼荼羅(金剛界曼荼羅)であろう。大日如来を中心に居並ぶ五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天という二十一体の仏像が壮観だ。奈良の大寺の中心仏は釈迦如来であるが、真言密教の中心仏は大日如来。空海は真言密教を、ただですら難解な世界であるのに、なんとか一部の知識階級だけが観念的に理解出来る世界ではなく、民衆にもわかりやすいようにできないものかと、立体曼荼羅という形で可視化してみせた。この講堂にビジュアル展開した仏の世界は壮観である。空海がこの世に仏教世界、心象宇宙を再現して見せたものだ。なんという宇宙観... 今でも観るものを圧倒するが,当時はいかばかりであった事だろう。
金堂の薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)とその基壇部にあしらわれた十二神将も、真言密教的な薬師信仰を留めるものとして名高い。その密教世界の姿も魅力的だ。桃山時代の再建であるが、十二神将には奈良時代の香りが残されているという。最後に,食堂にずらりと並べられた焼けこげた天の立像群に心打たれた。幾多の戦乱、火災,災害による破壊にもめげず、再建された金堂、講堂、諸仏の陰に、その災厄の犠牲となった生々しい黒こげの諸仏の姿に、その天の憤怒の形相に、連綿として生き続ける法灯と、それが発するの強い歴史のメッセージを感じる。
残念ながら,というか,例によって、諸堂内の撮影は禁止されており、立体曼荼羅も撮影出来なかった。しかし,これだけは是非観ていただきたい,という事で、東寺のパンフレットの写真のコピーを添付。したがってスライドショーは、外回りの写真ばかりである事をお断りしておく。
(撮影機材:Leica M9 Summilux 50mm f.i.4, Ricoh GRX Tri-Elmar 16-18-21mm f.4)
東寺は平安京遷都の2年後の796年に造営が開始された。平安京の南、大極殿から真南に伸びる朱雀大路の羅城門の東に東寺、西に西寺が建立された。今は西寺は残ってないが,東寺の西に地名が残っている。遷都時の平安京大極殿は今の千本通り、JR二条駅付近にあったそうで、現在の京都御所は江戸時代に公家屋敷街に新たに造営されたものだ。このように後世、全体に京の中心が東によってしまった為、東寺の位置は今の御所の西を南北に走る堀川通のさらに西に位置している事になる。しかし、この東寺こそ、その遺構は平安京オリジナルの位置に存在し、それが現代の寺域となっている点でも貴重だ。
東寺は天皇/国家が造営する官寺であった。奈良の平城京で言えば東大寺,大官大寺に相当する。当時の官寺は、鎮護国家思想のもと国家経営の根幹に関わる学問や海外文化の受容、消化を進める機関だったとも言える。今で言えば国立大学のようなものだろう。当時、僧侶は知識階級であり、官寺は学位の代わりに戒位を授け、公認の僧侶を世に輩出する機能を担っていた。東大寺や東寺はさしずめ東京大学、京都大学だ。筑紫の観世音寺は九州大学、下野薬師寺は東北大学みたいなものか。ちなみに、興福寺は藤原家創設の私寺だから、早稲田大学、慶応大学か。唐招提寺は海外からやってきたミッショナリー、鑑真創設の非官寺だからさしずめ上智大学か。
そういう例えの適否はさておき、造営途中の東寺は823年に嵯峨天皇によって空海に下賜される。中国留学から帰ったばかりの空海は真言密教の拠点として、この東寺を教王護国寺(王を教え国を護る)と名乗り、諸堂を整備した。高野山金剛峰寺は修行の場、教王護国寺は信仰の場という、真言宗の二大センターとして、その後の時代を生き続ける事になる。
東寺は、現代においても、その象徴である五重塔はじめ、金堂、講堂、大師堂(御影堂)、食堂が建ち並ぶ京都でも屈指の大寺院である。その大伽藍の配置自体が、境内に曼荼羅の世界を表現したものだとも言われている。また、その大寺の佇まいは、平城京、奈良の都の大寺の風格を色濃く残している。平安遷都に伴い造営された官寺であるので、平城京の香りを引き継いでいるのだろう。そういう点で,他の京都の寺院とは異なった趣を感じることが出来る。
しかし、これらの建造物はその後の歴史の流れの中で、焼失や破壊で創建当時のものはほとんど残っていない。それでも五重塔(国宝)は江戸時代初期、徳川家光の寄進によるもので、現存する日本の古塔中最高の塔である。堂々たる金堂(国宝)は豊臣秀頼寄進のもので、桃山時代の代表的建築だ。講堂(重文)は1492年に再建されたもの。このように度重なる再建でも、国宝、重文級の建築物が後世に残されているという事は、いかにその時代の権力者や民衆が、この寺を慕い敬っていたか、という証査でもあろう。
このように建物群も目を見張る素晴らしさがあるが、東寺を有名にしているのは,講堂の立体曼荼羅(金剛界曼荼羅)であろう。大日如来を中心に居並ぶ五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天という二十一体の仏像が壮観だ。奈良の大寺の中心仏は釈迦如来であるが、真言密教の中心仏は大日如来。空海は真言密教を、ただですら難解な世界であるのに、なんとか一部の知識階級だけが観念的に理解出来る世界ではなく、民衆にもわかりやすいようにできないものかと、立体曼荼羅という形で可視化してみせた。この講堂にビジュアル展開した仏の世界は壮観である。空海がこの世に仏教世界、心象宇宙を再現して見せたものだ。なんという宇宙観... 今でも観るものを圧倒するが,当時はいかばかりであった事だろう。
金堂の薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)とその基壇部にあしらわれた十二神将も、真言密教的な薬師信仰を留めるものとして名高い。その密教世界の姿も魅力的だ。桃山時代の再建であるが、十二神将には奈良時代の香りが残されているという。最後に,食堂にずらりと並べられた焼けこげた天の立像群に心打たれた。幾多の戦乱、火災,災害による破壊にもめげず、再建された金堂、講堂、諸仏の陰に、その災厄の犠牲となった生々しい黒こげの諸仏の姿に、その天の憤怒の形相に、連綿として生き続ける法灯と、それが発するの強い歴史のメッセージを感じる。
残念ながら,というか,例によって、諸堂内の撮影は禁止されており、立体曼荼羅も撮影出来なかった。しかし,これだけは是非観ていただきたい,という事で、東寺のパンフレットの写真のコピーを添付。したがってスライドショーは、外回りの写真ばかりである事をお断りしておく。
![]() |
| 東寺講堂「立体曼荼羅」 東寺パンフレットより |
(撮影機材:Leica M9 Summilux 50mm f.i.4, Ricoh GRX Tri-Elmar 16-18-21mm f.4)
2011年12月6日火曜日
やっぱり紅葉は京都だ ー南禅寺、永観堂、哲学の道、法然院、真如堂、金戒光明寺ー
やはり、色鮮やかな紅葉、黄葉が錦織りなす東山ルートは京都の中でも黄金ルートだ。
まずは地下鉄東西線で蹴上下車。南禅寺の三門前の紅葉は今が最盛期だ。何時見ても素晴らしい。三門脇のオレンジっぽい紅葉は終わっていた。黒々とした門を背景にした紅葉のシルエットは最高なのだが,残念だ。人出も多いが、それがまたこの季節の景観のエレメントになっている。
永観堂は相変わらずすごい人出だ。紅葉と言えば永観堂,と言われるくらいだからその美しさ、色乗りの良さも第一級だ。それにしてもこの時期、拝観料が跳ね上がるのは如何なものか。しかし、中に入らずとも、白い壁沿いの錦秋を楽しめる。見返り観音も拝観もせずに、外からこの名高い紅葉を堪能した。
哲学の道はウン十年ぶりの散策。ここは疎水沿いの桜並木が有名である。あまり紅葉は多くないが、それでもチラホラと銀杏や紅葉が。山茶花も白やピンクの花が今を盛りと咲いている。あちこちでスケッチを楽しむ人々がいる。のどかな散歩道だ。
法然院は、ふだんは静かな境内が人で溢れていた。茅葺きの山門の苔と、その背景に赤や緑の錦が広がる。その写真を撮ろうと、大勢の人がカメラを構えている。人がいなくなるのを待ってシャッターを切ろうと待ち構えているが,それは無理な注文だ。この時期は人も情景の要素に取り入れたほうがいい。ここはそれほど紅葉の名所という訳ではないだろうが、落ち着いた佇まいが好ましい。
白川通を渡り、向かいの山へ登る。真如堂の紅葉はいつも素晴らしい。文句のつけ様が無い。ただ、五重塔を背景に、銀杏の黄色,紅葉の赤、常緑樹の緑が美しいアングルがあるのだが、今回は少し紅葉の鮮やかさがイマイチで一昨年見たときほどの感動に欠ける気がした。それでも永観堂と異なり、拝観料無しでこれだけの豪華な紅葉を楽しめるのはうれしい。
最後に、金戒光明寺へ回り,鐘突き堂から京都市街地を見渡したあと、山門脇の紅葉を楽しみにして石段を下る。紅葉は鮮やかに色づいて素晴らしかったが、あいにく山門が修復工事中で覆いが懸かっており残念。前回時間切れで頂けなかった御朱印をもらって帰った。よく歩いたが、気持ちのよい一日であった。
こうして今年は、花の寺三室戸寺の始まり、嵐山、東山諸寺、と京都の紅葉を満喫することが出来た。大和路の紅葉も捨てがたいが何しろ限られた時間に全てをまわることは不可能だ。次回の楽しみに取っておこう。
(撮影機材はLEICA M9 Summilux 50mm F.1.4, RICOH GXR+Tri-Elmar 16-18-21mm.)
登録:
投稿 (Atom)













































