ページビューの合計

2019年3月23日土曜日

脱「売り家と唐様で書く三代目」企業への道

 

先行きの見えない「不確実性」の時代に向かう企業経営
これには大企業も中小企業もない


 一昨年から、とある中堅専門商社の社外取締役を引き受けている。古くからの友人が三代目社長をやっている会社で、非上場のオーナー会社だ。創業者は一代で会社を立ち上げ、大手企業と取引関係を築き上げ、業界に存在感を確立した。二代目はそれを成長させ海外に事業を拡大した。そして三代目で転換期に直面。典型的な創業家三代記の世界だ。事業承継、business continuityという私にとっては、これまでの経験では推し量れない、企業小説でしか知らない世界に足を踏み入れた感じだ。

 まず最初に感じたことは、会社経営といっても世の中は、理屈や法制度通りには動いていないということ。教科書に書いてある株式会社のガバナンスの「あるべき姿」と「現実にある姿」との間には大きなギャップがあるということ。法律を逸脱しているという意味ではなく、法律上の「建前」は必ずしも「現実」をよく説明していないということだ。オーナー社長会社における取締役会の役割や監査役の果たすべき責任と権限とは何か?社外取締役や社外監査役の導入など、上場企業を前提としたガバナンスルールは、どこまで非上場企業に当てはまるのか。会社法や各種契約法などの法制度とは別にも、収支決算などの会計システム、財務管理など必ずしも資本の論理や、経済原理に基づいて回っているとは限らないということ。すなわち「資本主義的合理性」を根本としているはずの法制度や会計制度がそのまま企業経営を規定する原理原則でもないということ。まして人事制度などかなり教科書とはかけ離れた運用となっている。確かに規模の違いによる経営スタイルの相違もある。

 40数年間奉職したNTTのような元官業/独占の巨大企業とは、ある意味で全く異なる会社カルチャーである。一流大学出の優秀な人材が全国から集められ、本社採用と地方採用という階層的人事制度で運営される巨大組織(中央政府官僚の採用制度のアナロジーなのだが)。民営化されてからはそうした人事制度は全廃され、資本主義的な合理性、企業官僚主義的な合理性により組織、経営機構が構築、運営されている。日本政府をはじめ世界中の資本家・投資家が株式を保有する多国籍な上場会社。巨大な組織の一員として、その組織独特のロジックで仕事するもの言わぬ集団。社長といえども数年で交代するので個人の個性は見えない。最先端の研究開発に巨額な金を使い、目まぐるしく進む技術革新と、それによる事業モデルの変遷を生み出してきた集団。グローバル化による厳しい競争にさらされつつ全世界から巨額の売り上げ高と利益を生み出す多国籍会社である。しかし、これはこれでまた独特の世界で、全て教科書通りのルール、資本主義のロジックで回っているかと言われればそうとも言えない。世間には必ずしも通用しないこの組織独特の「見えないロジック」「見えないルール」がある。

 一方で、この会社は、創業者とその一族によって日本の成長基幹産業である自動車業界、産業用機器業界に軸足を置き、まさにゼロからスタートして年商350億円の企業に成長してきた。創業者の人柄・個性とそれを軸とした人脈で大企業との取引関係を確立していった経営スタイル。政府による信用保証も、補助金や官需に頼ることもない、取引先企業による発注コミットメントも売り上げ保証も何もない。しかし上場していないので、上場企業に課せられる様々な法規制、上場ルールに縛られることはなく、株主からの圧力やハゲタカファンドによる敵対的買収の危機にさらされることも回避してきた。その一方、当然の様に株主へのコンプライアンスや説明責任などの関する意識は薄い。営業が全ての専門商社である。その手法は、現場主義による取引仲間重視。主に宴会とゴルフでの人間関係の開拓と維持で、ある意味昭和の日本的経営の典型であるとも言える。人脈による大企業の下請けとして永年の信頼関係と取引関係に依存するビジネスモデルといってもよい。契約概念も会社法でいうガバナンスもそこそこで動いているような自称「株式会社」である。しかし、公私の境が曖昧なオーナー一族によるどんぶり勘定の放漫経営とは無縁である。所有と経営の分離には配意されている。この辺は創業以来の歴代社長の矜持である。きちんと毎年利益を上げ、資金的にも余裕のある実に堅実な経営をしている。社員は社長への忠誠心で仕事する。与えられた仕事を日常の目線でこなし、極めて現実的な問題解決能力で持って成果につなげることのできる優秀なサラリーマンだ。取締役、執行役員などの役員ポジションは忠誠心と営業成果で獲得するサラリーマン出世コースのご褒美なのだ。したがってみんな現場出身のハンズオン役員である。秘書にかしずかれて役員室に座って、会議して、資料見て判断し、指示だけしている役員ではない。そのいっぽうで、取締役としての善管注意義務による経営責任、ガバナンス、コンプライアンスという意識は薄い。なんでも責任は社長なのだから。

 しかし、こういう会社は3代目社長となれば、社員の忠誠心も、古参の社員からだんだん薄れていく。若い不慣れな社長への不信感、また社長の感じる古参の幹部の目の息苦しさ。親分子分的なカリスマ的求心力は失われてゆく。よくあるパターンである。したがって、役員の総取っ替えにはじまる経営の刷新、オーナー社長によるトップダウン経営から、取締役会を活性化させた「近代的」経営に脱皮しようと模索を始めている。私が社外取締役に招聘されたのもそういう経営改革の一環というわけだ。さらに事業を取り巻く環境も、タイミングよく(!)激変の時代を迎え、本業の収益と利益が縮退してゆく。あれよあれよという間に事業は先の見えない「不確実な時代」へ突入している。

 よくこの会社の社長から、「うちの会社は遅れているでしょう」「経営が前近代的でしょう」と問われる。「うちはNTTのような大企業とは違いますから」という。たしかに「遅れている」面がないとは言わないし、「違いがある」ことも確かだ。株式会社という制度的なフィクションを身にまとった個人商店的な側面が残っているのも事実。しかし逆に、驚くほど経営の意思決定スピードが早く、顧客や市場に極めて近い経営陣という特色も持っている。なによりも能書き言ってる暇があれば顧客の所へ行け!という現場主義には驚嘆する。こういう点は官僚的思考に陥り、「現場から遠い経営陣」のジレンマに陥っている「大企業病患者」は見習うべき点である。またオーナー社長は、名刺に書いてある「代表取締役社長」の持つ意味が、大企業系列のサラリーマン社長のそれとは遥かに異なる。まさに過酷で孤独なポジションだ。非上場会社、有限責任とはいえ経営に失敗すれば、個人としても会社と社員の運命に様々な責任(ほぼ無限の)を負わねばならない。サラリーマン社長は社内の人事ルールによって退任すれば(クビになれば)すむ。どちらも日本の経済を支えてきたモデルであり、日本の企業の現実の姿なのだ。どちらが進んでいる、遅れているという問題ではない。ビジネスモデルイノベーションも、ガバナンスもコンプライアンスも一様ではない。今更ではあるが、この歳になって世の中は多様である。様々な異なる価値観や思考様式、プロセスで動いていることを改めて認識させられた。頭でわかっていてもそういう実態を知らずにここまでやってきた自分を知る。これまで世界を相手に、言葉の通じない(語学という意味だけではない)連中と丁々発止やってきたつもりであったが、ふと足元を見ると知らないもう一つの世界が広がっている。この会社に何らかの貢献ができる様に勉強し直しだ。まさに「日暮れて道遠し」だが。

 世の中は激しく動いている。ものすごいスピードで不確実で予測不能な世界へ突き進んでいる。これまでの成功モデルが、右肩上がりの本業が続いてゆく時代ではない。その長年やってきた本業がグローバリズムとデジタルトランスフォーメーションにより、あっけなく過去の遺物になる時代である。これは巨大企業であれ、中小企業であれ、公平にその波をかぶる。この会社の三代目社長もガバナンスの刷新を行うと同時に、持続可能な事業とするためには、事業モデル・収益構造の見直し、すなわちビジネスモデルイノベーションに取り組まなくてはならないと考えている。これを可能ならしめる経営資源の再配分を行わねばならぬと決意している。ある意味で三代目とはそういう巡り合わせに出くわすように出来ているのである。ところが問題は、そうした認識が社内で共有できなかったり、できたとしてもさらにはどうやって経営の舵取りをしたら良いのかわからない。これまでの様に、やることがはっきりしていて、ある意味何も迷うことなく与えられたゴールに向かって走ればいい時には、先述の現場第一主義、顧客第一主義はワークする。「客先から学ぶ」「現場に商売の種が落ちている」と言われてきた。しかし、その顧客の事業も、取引先の事業もこれまでの様にはいかなくなったときにどうするのか。取引先も顧客も生き残りを模索している。これからの「現場主義」とは、ともに問題解決(ソリューション)に取り組むことができるパートナーシップを組めるかどうか、すなわち「共創関係」が組み立てられるかが試されることになる。

 しかし、ビジネスモデルイノベーションにも大きなハードルが待ち構えている。本業はターゲットとしている産業分野が限定されていて、扱う商材は、部材、素材中心のB to Bサプライヤーモデル事業である。昨日の高付加価値商材は今日のコモディティー商材。製品の陳腐化が急速に進む分野である。あるいは技術イノベーションや社会イノベーションにより、たちまち扱い品の需要がなくなる可能性すらある。収益モデルは、伝統的な「仕入れ価格」「流通コスト」に「利益」を上乗せする「物販」モデルだ。利益を出すにはコストカットしかない。このままでは高付加価値化(高い利益率)やサービス化(収益モデル転換)への事業モデル転換が困難だ。まさにオールドエコノミーの世界で呻吟する商売になってしまう。そして、新しいモデルに転換し、切りすすめる人材の確保が大きな課題だ。三代目社長は少し本業と距離を置いて、世の中を見渡してみる余裕と視野をもつ経営をしなくてはならない。そして、本業がキャッシュカウ(収益と利益を生み出す牛)であるうちに、内部留保があるうちに、3〜5年先を展望した新たな事業モデルと収益源を開拓しておく必要がある。そのための投資をしておく必要がある。しかし中小企業は高い授業料を払って経験を積む時間的余裕も財務的な体力もない。試行錯誤して遊んでいる余裕はないのだが。それでも「時間を買う」投資をしておく必要がある。この場面にこそ、オーナー社長の果敢な決断とリーダーシップが求められる。レガシーを守っているだけでは先はない。

 The best way to predict future is to invent it. アラン・ケイの言葉だ。今こそ創業の初心に帰る、第二の創業期なのだ。これは企業が大きいか小さいかは関係ない話だ。昨日の大企業が明日の破綻企業。昨日の個人企業が明日の大企業。どちらの可能性もある。「売り家と唐様で書く三代目」とならぬ様、特に創業家企業は正念場である。