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2019年3月26日火曜日

イギリスはヨーロッパなのか?









Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall be slaves.

BBC Proms HPより



 イギリスがEUからの離脱(Brexit)で混乱している。メイ首相の離脱案は二度にわたって議会で否決され、3月29日の離脱期限までに合意できる見通しは絶たれ、離脱延期を余儀なくされている。しかし、延期されても離脱案が議会で合意される見通しは立たず、このままだと「合意なき離脱」となる。混迷の中、政治が何も答えを出せない状況に国民はうんざりしている。そもそも前回の国民投票で、イギリスの有権者はこういう事態になることを予見していたのだろうか?当時のキャメロン首相は、国民投票やれば離脱は否決されると見ていたので、国民投票で離脱論議に終止符を打つつもりだった。しかし、答えは反対に出た。この見通しが誤っていたことになる。その上EUからの離脱はこれほど大きな混乱をイギリスにもたらすことになると国民は理解していたのだろうか。もう一度国民投票をやり直すべきだ、と言う声も上がっている。ある世論調査では、もう一度国民投票やるとしたら離脱反対が半数を超えるとの結果がでているという。ロンドンでは離脱反対の大規模なデモも起こっている。

 その前に、日本人が「イギリス人」として一括りにしている連合王国(正式国名はUnited Kingdom of Great Britain and Nothern Ireland)に所属する人々は、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人にわかれている。「イギリス」という単一の国があるわけでも、「イギリス人」という単一民族があるわけでもない。スコットランドはもともと16世紀まではイングランドとは別の王様をいただく独立王国であった。アイルランドは長くイングランドに支配され苦悩の歴史を背負う国で、現在はカトリック系のアイルランド共和国(連合王国の一員ではない)とプロテスタント系の北アイルランドに分離され、後者は連合王国に属している。ウェールズは比較的独立の動きは少ないが、それぞれの地域は依然として独立志向を持っている。Brexitが起きると、スコットランドは連合王国からの分離独立の動きが加速される可能性がある。アイルランド共和国はEUに残るので、北アイルランドが、ふたたび連合王国からの離脱、アイルランド共和国との統合の動きが出る可能性がある。長い紛争の歴史のすえに沈静化しているカトリック教教徒とプロテスタント勢力との抗争が再燃し、かつてのIRAテロの悪夢が復活する恐れが出ている。このように「イギリス」は文字通り「連合王国」であり、もともと単一民族、一枚岩の国ではないのだ。これは大陸諸国においても多かれ少なかれ同様で、ヨーロッパ各国はそれぞれ、ヨーロッパ以外からの移民を含めて多民族国家である。

 しかし、それにしてもなぜイギリスではEUからの離脱がアジェンダに上がるのか。そして強い支持を得ているのか。なぜこんなに揉めるのか。そもそも戦後のヨーロッパ統合の動きにも、EUに加盟するときにもイギリスでは大きな論争が起こった。今でもヨーロッパ共通通貨ユーロ€には参加していない。日本人の我々はイギリスはヨーロッパの国だと思っているから、なぜこんなことが起きるのか理解できない。しかし、本当にイギリスはヨーロッパなのか?イギリス人は大陸諸国の人々と同じコミュニティーに属していると思っているのか? そこにはイギリス人の心の深層にいまだに脈々と流れる「ある観念」がある。これを知るために、イギリスという国の歴史を駆け足で振り返っておく必要がある。

 ブリテン島は古代ローマ時代にはケルト人やゲール人が住む辺境の島であった。その後、ローマ帝国に征服されブリタニア属領になるが、ゲルマン人の移動や、バイキング(デーン人)の侵入、さらにはノルマン人の侵入など、大陸からの絶え間ない異民族の侵入にさらされてきた島であった。歴史で習った様に、ようやく11世紀の「ノルマンの征服1066年」、すなわちヘースティングの戦いで土着の王ハロルドを大陸から侵攻してきたノルマンディ候ウィリアムが屈服させて、ノルマン王朝を打ち立て封建制度を基軸にイングランドを統一した。これ以降ブリテン島に異民族が侵入する歴史に終止符が打たれた。しかしこれ以降も、ブリテン島は紛れもなくヨーロッパ大陸の周縁部にあり、絶え間なく大陸との人の出入りがあり、王がブリテン島と大陸に領地を持ち、その攻防を繰り返し、その文化と歴史を共有する国であった。

 しかし、16世紀後半にはチューダ王朝のヘンリー八世、エリザベス一世の時代にイングランドは強力な絶対王政を確立し、ローマカトリック教会から分離独立して英国国教会(プロテスタント)を立てる。さらにはスコットランド王メアリーを処刑して、イングランド王がスコットランド王を兼任する。さらには当時、大航海時代を切り開いた大国スペインの無敵艦隊をビスケー湾に沈めて、七つの海を支配する世界帝国への道を歩み始めた。アメリカ植民事業を進め、1600年にはアジア植民事業を担う東インド会社を設立した。18世紀にはアメリカの独立でカナダ以外の北米植民地を失うことになるが、産業革命と植民地獲得により地球の東へ遠征を進めてゆく。

 こうして19世紀になるとヴィクトリア女王のもとイギリスはスペイン・ポルトガルに代わり大航海時代における覇者となり、アフリカ、中東、インド、ビルマ、マレー、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、さらには香港を植民地化して「日の沈まぬ大英帝国」全盛時代を誇った。いわゆるパクスブリタニカの時代だ。世界帝国としてのイギリスの時代は17世紀にビスケー湾を脱してから、第二次世界大戦で勝利したにも関わらず、多くの植民地が独立し、アメリカの時代(パクスアメリカーナ)を迎えることとなった20世紀中葉まで400年続いた。

 この七つの海を支配した大英帝国の栄光はイギリスの人々の記憶から消え去ることはない。かつてあのローマ帝国の属領であったブリタニアは、そのローマ帝国をも遥かに凌駕する大帝国になったという記憶がイギリス人の国家意識の基層にある。いまやヨーロッパの一国となってEUのルールのもとでこじんまりと余生をおくる老大国。そんな人生でいいのか?と言う思いは意外に強い。そういったノスタルジアだけでなく、かれらはヨーロッパの大陸諸国よりも、かつての大英帝国諸国(戦後の英連邦)、換言すれば、英語を母国語とする人々、女王陛下をいただく立憲君主制、議会制民主主義の母国たるプライド、英国風のライフスタイルに共感してくれる人々との連帯感の方が強い。イギリス人一人一人の周囲を見回しても、家族や親戚、知人がアメリカやオーストラリア、南アフリカにいることは普通である。インドで生まれ、あるいはシンガポールや香港で生まれ育った経験を持つイギリス人も実に多い。そういう意味で「イギリスはヨーロッパではなく大英帝国、いやBritish Commonwells」なのだ。すでにかつての植民地は独立していても、その共通言語英語と共通の君主と共通の政治制度、共通の文化的バックグラウンドという紐帯は、地理的に近いヨーロッパ地域との紐帯よりも強いのである。ドイツやフランスの支配的影響力のもとにあるEUよりも、アメリカ・カナダやオーストラリア・ニュージーランド、南アフリカとの自由貿易圏を築いてゆきたい。そんな心情がイギリス人の底辺に潜んでいる。こうした考え方は、戦後これまでも多くのイギリスの政治家や政治思想家によって夢想され、語られてきた。近いところではBrexitを強力に進めてきたBolis Johnsonもその一人だ。いわゆるAnglosphereやCUNZACという概念だ。すなわちイギリスからの移住植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカそしてアメリカ)を中心にしたBritish Dominion(英連邦)で纏まる「新たな大英帝国共栄圏構想」である。これにはインドやビルマ、マレー半島や香港は入っていない。あまり現実的な「構想」であると思われてはいないようだが、今でもそういうレトリックが語り継がれているところに、この構想(妄想)の根強さがある。

 余談だが、ウォルトン作曲の「英語諸国民の歴史のための行進曲」という曲がある。これはウインストン・チャーチルの著した「英語諸国民の歴史」を堂々たる行進曲にしたものだ。英語を共通言語とする世界、すなわち大英帝国の歴史を高らかに歌った作品だ。ロンドンのロイヤルアルバートホールで毎年夏に開催されるクラシック音楽の祭典、Promsで必ず演奏される曲である。このPromsは単なる音楽祭ではない。大英帝国の栄光をみんなで共有し、思い起こし、讃えようという一種の国威発揚イベントだ。参加者全員がユニオンジャックを打ち振り、感涙に咽びながら声を合わて「威風堂々」「Rule Britannia !」を斉唱する。ここにはイギリス人の心の安らぎと未来への高鳴りを感じる世界が広がっている。戦争に負けた日本にはあり得ない愛国的高揚感が堂々と披瀝されている。この辺が戦勝国イギリスと敗戦国日本の違いだ。歴史に対する悔悟の念が感じられないこのストレートな心情表現には違和感も感じるが、少なくとも負ける戦争は絶対すべきではない、といつも感じさせられる。

 この様な戦後のイギリス人の心情の底辺にうごめくかつての栄光へのノスタルジアや愛国心に基づく「観念」を読み解くと、今回の様なBrexitは必ずしも不思議な動きではないことをある程度は理解させられる。たしかにかつての大英帝国構成地域やAnglosphereの現在の市場規模はイギリスにとって無視できない。しかし、だからと言って、現在の地政学的環境の変化、経済活動や市場のグローバル化、アジア地域の経済躍進の時代に、時間を巻き戻してかつての大英帝国に戻せるのだろうか?肝心のアメリカはトランプが大統領になった時点で、America Firstを取り、どこの国・地域であれ二国間貿易協定を主張して譲るつもりはない。カナダは大西洋を隔てたイギリスやフランスよりも、国境を接したそのアメリカとの二国間自由貿易連携にしっかりと取り込まれてThe Americasの国として生きている。オーストラリアやニュージーランドは発展するアジア経済圏の中で生き残る道を、移民政策の転換も含め突き進んでいる。かつての移住植民地は遠く離れた母国イギリスとの歴史的、精神的な紐帯はともかく、それぞれの地政学的な立ち位置を認識して新たな生き方を歩み始めている。そういう21世紀の時代にこの様な愛国心(ナショナリズムと訳すならば)を前面に出して物事を整理、理解、決定してゆくやり方は、結局アメリカのトランプのAmerica Firstとなんら変わりはない。あるいはヨーロッパ大陸諸国におけるナショナリズム、反移民を謳う政党が多数の支持を獲得しポピュリズム政治に傾斜してゆくのと同じ道ではないのか。ロシアや中国の様な専制的指導者が国際的な融和と協調よりも、自らの支配権力の確立と自国利権優先主義を推し進めていることには危機感を覚えるが、それ以上にこれに対抗するはずの「自由と民主主義のアライアンス」が崩壊の危機に瀕する事態に戦慄する。法の支配、議会制民主主義、基本的人権の尊重、自由平等主義など、人類がその歴史の中で血で贖いながら築き上げてきた「普遍的価値」が音を立てて崩れていくのを看過するわけにはいかない。イギリスはその「普遍的価値」を生み出してきた国の一つではなかったか。そういう意味で、こうした昔の大英帝国の残影を求める動きは時代錯誤であるばかりでなく、これまでの人類の努力を水泡に帰す恐れのあるムーブメントの一端を担う可能性はないのか。これが杞憂であることを祈る。