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2020年11月21日土曜日

古書を巡る旅(7)チョーサー「カンタベリー物語」の世界 〜中世英語のカベに阻まれて挫折するの巻〜

 

"The Compete Works of Geoffrey Chaucer"
edited by Walter W. Skeat

Canterbury Cathedral

挿絵:旅籠の円卓で物語を語る巡礼者たち
Southwalk
旅籠Tabard Inn


14世紀のイングランドの詩人ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer 1343年頃〜1400年) の作品集を手に入れた。あの「カンタベリー物語:The Canterbury Tales」(1392)を原文で読んでみたいと思ったからだ。この作品集には他にも、様々な説話や詩が含まれているが、やはり一番のお目当ては「カンタベリー物語」である。ロンドンのテムズ川南岸サザークの旅籠Tabard Innに集うカンタベリー聖堂巡礼者たちから宿の主人が様々な面白い話を聞くという、「千夜一夜物語」や、ボッカチオの「デカメロン」のような形態の説話集である。学生時代に文庫本で(日本語訳で)いくつかのエピソードを読んだ記憶がある。その時は珍しいイギリスの「おとぎ話」や「世間話」くらいの受け止めで、日常生活とは無縁の世界の話であった。その後ロンドンに留学し、ケントに居住してカンタベリー大聖堂にも参拝した経験から、サザークの旅籠で語られた様々な階層の人からなる巡礼者たちの多様な物語がより身近な出来事であるかのように思い起こされるようになった。現代にもその時代の息遣いが聞こえるような感覚が沸き起こった。こうなると、いつかは日本語訳ではなく原文で読んでみたいものだと考えた。その後長い間、探すともなくブラブラと古書店を覗いたり、ネットで検索したりしていたが、ある時チョーサーの研究者にしてアングロサクソン語、中英語の研究者であるケンブリッジ大学の教授ウォルター・スキート(Walter W. Skeat) が1913年に出版した「チョーサー作品集:The Complete Works of Geoffrey Chaucer」Oxford The Clarrendon Press刊を発見した。神保町の北沢書店のオンラインショップだ。あれから何年経ったのだろう!本との出会いとは、時空を超えて不思議で思いがけない形で結ばれるものだと感じる。いつものことながら、この北沢書店には貴重で魅力的な英文学関係の古書が揃っている。しかも巣篭もりしながら検索できるのが嬉しい。

手に入れた本は、ウォルター・スキートがチョーサーの著作集を一冊にまとめたもの。革装・天金仕上げの重厚な佇まいの古書である。この頃の書籍はそれそのものが工芸品的な仕上げで、情報伝達メディアとしての書籍に知性と品格を感じさせられる。これは最近のデジタルメディアには感じられない点であろう。本書籍は1914年に英国のとあるグラマースクール(1615年創立とある)の成績優秀者に賞として与えられた本のようで、ハードカバー表紙には金地で学校の紋章が刻印され、表紙の背に学校長のサインの入ったシールが張ってある。イングランドでは昔から学校で賞(Prize)として古典書籍を学生に授与する習慣があるため、古書市場にこうした出自のものがよく出回っている。BBCのTVドラマなど見ていても、学校時代にこの本をもらったかどうかが話題になるシーンが時々出てくる。スキートは1878年ケンブリッジ大学のアングロサクソン語(古英語)の教授に就任し、著名な文献学者として大きな業績残した。特に中英語、チョーサーの研究者として高く評価されてる。当時オックスフォード大学が企画したチョーサーの著作の編纂事業を牽引して1894年に全6巻の編纂を完成させた。

いざページを開いてみると、原文は中英語・中世英語:Middle Englishと呼ばれる、古いサクソン語とイーストアングリア語に、フランス・ノルマン語をあわせた言語で容易には解読できないことがすぐにわかった(しかも文字が小さすぎて読めない)。この時代はラテン語や古代ギリシャ語と、1066年のノルマンの征服:Norman Conquest(フランスのノルマンディ公のブリテン島征服)以降に大陸から伝わったフランス・ノルマン語が聖職者や貴族、学僧のいわば公用言語であった。特に教会や僧院や学校ではラテン語が必須で(というよりラテン語を教えるのがグラマースクールであった)、カトリックの教義はすべてラテン語で説かれていた。ブリテン島のあちこちで使われていたローカルな英語(ウェストサクソン、イーストアングリアなど)はこうした場では使われず、したがって世俗言語である英語による文学表現はこの頃は成立していなかった。初めて英語(中世英語)による文学作品を生み出したのがチョーサーである。英文学の始祖(the father of English poetry)と呼ばれる所以である。英文学といえばウィリアム・シェークスピアやサムエル・ジョンソンや、チャールズ・ディケンズなどの巨匠が思い浮かぶが、こうした世界が花咲くのは、ずっとずっと後のことだ。それにしてもチョーサーの作品を今読もうとすると、現代英語と似通う部分もあるが、全く異なる表現やスペル、発音があり、文章全体としては解読が困難である(下記に例文を参考として引用)。スキートは序文で、その違いや注意点を詳しく解説しているが、原文の現代語訳は記していないので、結局素人には理解できない。

こうした土着の世俗言語が、後に公用語となり、神の教えを説き、学問の体系、思想、哲学、小説や詩歌と言った文学の体系を生んでゆくとう歴史は、なにもブリテン島に限った話ではない。日本においても同様な道をたどったことが思い起こされるべきだろう。文字を持たなかった上古の倭人は、古くは大陸との通交・外交には漢語を用いたようだ。やがて倭語を表現するのに大陸中国の文字(漢字)を使用し始める。飛鳥時代、奈良時代、平安初期には漢文、漢詩が朝廷、貴族、官僚、聖職者の必須公用言語であった。と同時に倭語の音に漢字の音を当て字にした万葉仮名や、漢字を崩したひらがな、カタカナが生み出されていった。ユーラシア大陸の東の果ての島国と西の果ての島国が、全く異なる成立ちと成長過程をたどったかのように捉えがちであるが、実は相似形のような歴史を刻んでいったことに不思議な縁を感じる。さらに後世の研究者や実務家が、古代世俗言語を解読する努力を重ねてきた点も共通する。例えば万葉仮名も、すでに平安時代には解読不能になっていたようで、一時期、万葉集は世の中から忘れ去られた存在であった。しかし上流階級の漢学全盛の時代、平安時代に、ひらがな、カタカナを生み出してゆく過程で、万葉仮名の研究が進み、再び万葉集が日の目を見るようになった。このおかげで現代まで万葉集が読みつがれることになったわけである。これは一例であるが、こうして現代日本語が生まれ、古代語の作品を読むことが出来るようになった。そして「カンタベリー物語」などを現代英語訳で読むことが出来るようになった。しかも、いまや万葉集を英語で楽しむことも出来るし、カンタベリー物語を日本語で楽しむことも出来る。言語学研究の積み重ねの成果と言ってしまえばそのとおりだが、人間の探究心というものは凄まじいものだと改めて驚嘆する。

チョーサの生きた14世紀のイングランドは百年戦争で大陸の領地を失い、苦難の時代であった。一方でカトリック全盛時代で、のちにイングランド国教会の総本山となるカンタベリー大聖堂はこの時期はカトリックの本山であった。またヨーロッパ全土に黒死病:ペストが大流行して人口が減少した時代でもある。ボッカチオがその時代のパンデミックを語っている。宗教改革の波が押し寄せ、イングランド国教会が成立するのは17世紀初頭のヘンリー8世、エリザベス女王の時代を待たねばならない。日本では、鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇による建武の親政、南北朝時代から室町幕府の成立といった時期になる。この頃に古代英語、中英語が成立していったわけだ。それを読み解くということは言ってみれば、藤原定家が写本し撰録した枕草子や源氏物語、更級日記、古今和歌集を漢字仮名交じり文の原文で読もうというに等しい。日本人は古文を普通の公立学校で習う。少しくらいはこうした古典を原典のまま読むことができるし、現代語訳も多く出されている。これは江戸時代、明治以降と多くの国文学者や研究者の努力の賜物と言える。イングランドでこうした「古文」はパブリックスクール、グラマースクール、オックスブリッジでしか習わない。したがって現代においてはイングランド人ですら中英語で書かれたチョーサーの原文を読める人は少ない。だからこそケンブリッジでスキートの研究書や現代語訳が貴重である。オックスフォードやケンブリッジ、スコットランドのエジンバラ、グラスゴー、セントアンドリュースなどの大学や、中等教育機関であったパブリックスクール、グラマースクールなどは、もともと教会や僧院から発生してラテン語や古代ギリシャ語の古典書籍を読むことが研究・教育の主であった。やがては英語による倫理・哲学、法律、文学、修辞法を生み出してゆく。ちなみにオックスブリッジやパブリックスクールはこうした伝統から哲学を中心とした人文系の学問が中心であって、サイエンスやテクノロジーが科目に登場するのはずっと後世のこと、18世紀末の産業革命以降のことである。いまでもPPE:Philosophy, Politics, Economicsや、PPP:Philosophy, Politics, Psychologyといった複合科目のコースが大学院ではオーソドックスで、学位はPhM:Master of Philosophy, PhD:Doctor of Philosophyとなる。ちなみに私が取得した学位はMSc:Master of Scienceで、これは19世紀以降にできた学位ということになる。

というわけで、こうした「うんちく」を語ることは出来るが、この歳で中世英語を勉強して古文に挑戦する意欲は、残念ながら持ち合わせていない。原著を解読することは諦めざるを得ない。本気でやるならもう一度大学の英文科に入り直して、オックスブリッジの古典学・言語学の修士号かPh.Dでも取らねばなるまい。こればかりは「日暮れて道遠し」の域を遥かに超えている。せめて字面や書籍の装丁、さらには歴史考察から当時の雰囲気だけでも味わうことにして勘弁してもらおう。


参考に「カンタベリ物語」冒頭の有名な一節を引用する(下段に現代語訳を掲載 Wikiperiaより)。


Whan that Aprille with hise shoures sote
     When April with its sweet showers
The droghte of March hath perced to the rote
     has pierced the drought of March to the root
And bathed euery veyne in swich licour
     and bathed every vein in such liquid
Of which vertu engendred is the flour
     from which strength the flower is engendered;
Whan Zephirus eek with his sweete breeth
     When Zephirus also with his sweet breath
Inspired hath in euery holt and heeth
     has breathed upon in every woodland and heath
The tendre croppes and the yonge sonne
     the tender shoots, and the young sun
Hath in the Ram his half cours yronne
     has run his half-course in the Ram,
And smale fowles maken melodye
     and small birds make melody
That slepen al the nyght with open eye
     that sleep all night with open eyes
So priketh hem nature in hir corages
     so nature pricks them in their hearts
Thanne longen folk to goon on pilgrimages...
     then long folk to go on pilgrimages...



Geoffrey Chaucer( 1343頃〜1400)
(Wikipedia)

Walter W. Skeat (1835~1912)
(Wikipedia)


見開き

革装の背表紙





チョーサーの肖像


天金処理されている

1979年カンタベリー大聖堂拝礼







(書籍の撮影機材:Leica SL2 + SIGMA 105/2.8 DG DN MACRO)