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2021年4月22日木曜日

復元なった常磐橋を愛でる 〜江戸城常盤橋御門跡は意外なトレンディースポット!?〜

 

東日本大震災の被害から復旧し完成した石造二重アーチの「常磐橋」
対岸に見えるのが江戸城常磐橋御門の遺構である枡形石垣
「常磐橋公園」として整備されている

東日本大震災で被災し、大きく変形してしまった常磐橋が復旧工事を終えて姿をあらわした。白い御影石の橋柱に黒い鉄製の欄干、二重アーチ式の石造橋でオリジナルに忠実に修理復元された。とても美しい橋である。おそらく東京の橋の中でも一二を争う「美橋」ではないか!江戸時代は日本橋川に架かる木造橋で江戸城の常盤橋御門正面につながっていた。明治になって帝都景観の近代化の波に乗って、多くの橋が石造橋に掛け替えられ、この常磐橋も見事な二重アーチ橋に架け替わった。現在の橋はこの時の石造橋が原型であり、関東大震災や東京大空襲を生き延びてきたものである。ちなみに同じ日本橋川にかかる日本橋もこの頃に現在の石造橋に架け替えられた。こちらも日本の土木工学の粋を集めた美しい橋であることは言を俟たない。今後、同時に復旧工事が行われている常盤橋公園の整備が完了すると、いよいよ5月上旬を目処に一般公開される予定だ。

この常磐橋は見ての通り石造アーチ橋で、長崎の眼鏡橋や筑前秋月城下町の石造アーチ橋にその構造がよく似ている。また幕末の鹿児島城下には甲突川に大きなアーチ式石橋が五橋架けられていたが、そのデザイン、構造は驚くほど常磐橋に似ている(下記写真参照)。九州にはこのほかにも肥前、肥後にも通潤橋のような多くの石橋が現存しており、これらはその堅牢さと美しさから、今なお日常生活を支えるインフラとして利用されている。鹿児島の甲突川五橋は台風、増水から守るためにまとめて「石橋記念公園」に移設、復元されている。明治の頃の常盤橋の架け替えに関する詳しい記録は残っていないが、おそらくその姿と構造からこうした九州の石造アーチ橋技術のレガシーを背負っていると考えられる。帝都東京の「近代化」事業の任にあった薩摩出身者の指導のもと、こうした石造架橋の技術を持った九州の石工が集められ、設計や築造に携わったのであろう。関東大震災ののちには、帝都復興事業の一環として震災復興建造物が推奨され、街の再区画も行われ、すぐ隣に歩道と車道を備えた新しい常盤橋(旧来の「常磐」橋と区別する意味で「常盤」の字が用いられている)が架けられた。このため一時は、損傷を受けた古い常磐橋とこれにつながる常盤橋御門の遺構を取り壊す計画が持ち上がった。これを救ったのが、今年の大河ドラマのヒーロー、渋沢栄一である。彼の財団が橋の修復と、枡形石垣を活用した常盤橋公園の整備に資金を提供した。で、彼の銅像が常盤橋公園に建てられているわけだ。ここはいまや知られざる東京のトレンディースポットなのである。

この界隈は日本の資本主義の中心である。常磐橋の正面には辰野金吾設計の日本銀行の重厚な建物が聳え、日本初の外為専門銀行であった横浜正金銀行跡(のちの東京銀行本店)、三井本館(現三井住友銀行)、三越本店などの明治以降の近代化建築遺産ともいうべき、壮麗な石造建築群が林立している。常盤橋公園に屹立する渋沢栄一像の目線の先には、彼が創設した日本初の国立銀行、第一国立銀行や東京証券取引所があった。その日本橋兜町は、まさに日本の資本主義発祥の地にして、バブル崩壊以降、衰えたりとはいえ世界の資本市場の一角を担う地域である。一時はロンドンのシティー、ニューヨークのウォール・ストリートと並ぶ三大株式市場と呼ばれたこともある。現在、常盤橋地区は「常盤橋プロジェクト」と称して、新たな高層ビルを中心とした街区の再開発計画が進んでいる。三菱地所のプロジェクトである。丸の内/大手町が三菱主導の街作りであるとすれば、日本橋は三井主導の街作りであるのだが、大手町からの三菱の「越境」開発が進行中というわけか。いや日本橋川がルビコンなのか?それはともかく、これからの日本はどのような姿になるのか、日本の資本主義はどこへ向かうのか。渋沢栄一は常磐橋の一角から何を見て何を思っているのか。

参考過去ログ:2019年4月10日「飛鳥山の旧渋沢栄一邸訪問



日本橋川にかかる常磐橋
頭上の首都高の高架橋も間も無く撤去される

1)常盤橋の現在と過去

現在の常磐橋と過去を比較してみよう

江戸時代末期の常磐橋と常盤橋御門

明治初期、木造橋が取り壊される前の様子

常盤橋御門も破却され、二重アーチ式石造橋にかわった「常磐橋」

江戸切り絵図の常盤橋

関東大震災復興事業で新たに築造された「常盤橋」橋柱
「常磐」に変わって「常盤」の字が刻まれている

現在の「常盤橋」
後方は市街地再開発事業「常盤橋プロジェクト」の現場


2)九州の石造アーチ橋

長崎の眼鏡橋(wikipediaより)
二重アーチ式はこの眼鏡橋のみで中島川にはこのほかにも単アーチ型の石造橋がある

筑前秋月城下の石橋(福岡観光案内HPより)
江戸時代中期に秋月黒田藩が長崎から工人を招いて築造した
花崗岩製で築造以来200年一度も流失したことがない

鹿児島甲突川五橋の一つ「西田橋」(鹿児島県立石橋記念公園HPより)
幕末に薩摩藩により肥後石工の中から名工を選び出して築造されたアーチ式石造橋群
現在は五橋とも保存のため、「石橋公園」に移築されている。


3)常磐橋界隈散歩

常磐橋公園の渋沢栄一像

兜町に建てられた三井ハウス、のちに第一国立銀行
新緑の日銀本店

辰野金吾設計の日本銀行本店
安全第一!

三井本館
江戸桜通りは桜が終わり新緑が美しい季節に



三越百貨店
日本銀行側からのショット。屋上の金字塔が見える


そして現在の日本橋

1964年以来、頭上を走る首都高速の高架橋も間も無く撤去される



(撮影機材:Leica SL2 + Lumix-S 20-60/3.5-5.6)古写真は東京都千代田区観光案内HPから借用