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2023年12月8日金曜日

湯島聖堂の銀杏と楷樹の黄葉が真っ盛り! 〜曲阜の孔子廟から渡来した楷の木は見事に育った〜

湯島聖堂の秋はイチョウとモミジとカイの木の紅葉、黄葉で彩られる。カイのき(楷樹)は、中国・山東省曲阜の孔子廟、孔林由来のもので、ここ湯島聖堂のシンボル的な大樹である。中国ではあちこちで見られるそうだが、日本では珍しい。大正4年に林学博士の白澤保美が、曲阜から種子を持ち帰り、目黒の林業試験場で苗に育てた。当初、雄株、雌株の区別が難しく、しかも開花までに何年もかかるので、交配に苦労しながら育てたという。やがてここから、国内の孔子ゆかりの場所に株分けして、成長させた貴重なものである。湯島聖堂のほかに、岡山の閑谷学校、栃木の足利学校、佐賀の多久聖廟に分けられた。台湾では「燗心木(らんしんぼく)」と呼ばれ、徳富蘇峰の旧邸である蘇峰公園にもある。こちらは秋になると赤く紅葉する。ちなみに牧野富太郎博士は「孔子木」と命名した。葉が整然と並んでいる様から、楷書の「楷」の字はここから来ている(以上、主に楷樹の説明版による)。

この地はイチョウも見事であるが、伊東忠太設計の震災復興建築である聖堂の建物の黒と、楷樹の黄葉、そして石畳の落ち葉の黄色のコントラストが、まことに美しい。儒学の祖孔子ゆかりの聖堂、そしてのちの幕府学問所、昌平黌に相応しい大樹であり、今や都会の森である。明治以降、戦前まではこうした、いわば「プラントハンター」が世界から貴重な植物や樹木を持ち帰り育てた。そしてまた明治神宮の森のような「人口の森」を産み育てた。林学者が活躍した時代だった。彼らは自分の生涯でこうした樹木や森の成長を見届けるにはあまりにも人生は短いことを知っていた。それでも百年の計を持って子孫に引き継ぐ事業に取り組んだ。戦後の高度経済成長期以降、「森を育てる」思考様式がなくなっていったのは悲しい。短期的な成果を追い求めるのではなく、長期的視野で判断し、実行するのが日本人の特技であったはずなのに。この櫂樹の森はそれを訴えている

湯島聖堂に関するウンチクは、2021年11月4日 湯島聖堂とニコライ堂をご参照あれ。
























旧徳富蘇峰邸(蘇峰公園)の櫂樹



(撮影機材:Nikon Z8 + Nikkor Z 24-120/4)