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2026年7月20日月曜日

里帰りの旅(1)博多祇園山笠


 博多祇園山笠の起源については諸説あるようだが、「京都祇園社の御霊会のご祭神スサノヲを勧請して始めた説」。「承天寺の開祖、聖一國師が疫病除けのため水を撒いて練り歩いた説」がある。山笠振興会の公式説はこの後者を取っているそうだ。祇園精舎は仏教、スサノヲ尊は神道。聖一國師は承天寺の開祖。神仏習合時代の祭りなのだ。「山笠」は北部九州の神社の祭礼に特徴的に用いられる神輿。山車(だし)のような祭具、それを中心とした祭りを言い、博多以外にも戸畑の提灯山笠や黒崎祇園山笠が有名。

博多祇園山笠はユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている。重さ1トンの山を担いで走る「舁き山(かきやま)」(動)と、博多人形師が制作する高さ10メートルを超える豪華絢爛な見る「飾り山」(静)という二つのスタイルが楽しめる。「舁き山」も「飾り山」も、各町内(流れ)毎に、人形師の技と豪華さと歴史的な名場面を競う。そういう点では京都の祇園祭の「山鉾」とルーツは同じなのだろう。どちらも疫病退治である点も同じだ。博多の夏の風物詩である。

一番山笠:中洲流

二番山笠:西流

三番山笠」千代流

四番山笠:恵比須流

五番山笠:土居流

六番山笠:大黒流

七番山笠:東流

加えて八番山笠:上川端流の「飾り山」が追い山に参加する。

福岡部の新天町は「飾り山」のみ

「流れ」(「クロスロード福岡」から引用)


7月13日の「集団山見せ」が壮観だ。七流れの舁山が博多の呉服町から明治通り(昔の電車道)を通り、福岡天神を折り返して呉服町へ戻る。「追い山」のような競争ではないので全力疾走はなく、ゆったりとパレードする感覚なので、緊張感と言うよりも博多人形師の工芸品をゆっくり鑑賞できる。それでも沿道から力水が盛大に撒かれ夏の祭りにふさわしく勇壮である。伴走には子供から女の子から、父親に抱かれた赤ちゃんまで参加できる。そして全員壮大に水を浴びせられる。泣いてる子供などいない。みんなびしょびしょになりながらも元気な顔が輝いている。「博多っ子」はこうして育てられる。ちなみに、この「集団山見せ」の時だけ「舁き山」が橋を渡って福岡部に入る。かつては「舁き山」博多部のみを回っていたが、福岡市全体の祭りということで天神まで「脚を伸ばす」ことになったようだ。新天町に「飾り山」が置かれるようになったのもそういう理由のようだ。

7月15日早朝4時59分から最大の見せ場である「櫛田入り」と、「清道旗」回り。「祝いめでたの若松さま」。そして櫛田神社から博多の街へ繰り出す「追い山」がクライマックス。七流れの「舁き山」の競争である。1トンの山を担ぎ走るタイムレース。男の祭りなので、担ぎ手は全員が締め込み姿の男たちだ。山笠は博多っ子でなくても血が騒ぐ。学生の頃、同級生の友人が最終日の追い山の担ぎ手の一人になったので、まだ暗い早朝4時に櫛田神社に向かい、舁山が大博通りに出たところで盛大に水をかけた覚えがある。終わって帰ってきた友人は、「いっぱい水飲んだ!」とゲーゲー喚いていた。しかし普段の彼とは違う「博多っ子」の姿を見て羨ましく感じたものだ。

この季節は、博多の男たちは仕事、商売そっちのけ。山笠一本。すなわち「山のぼせ」である。その間は御寮人さんが商売を取り仕切る。これが昔からの博多の伝統だ。これが博多の夏だ。


「集団山見せ」

男の子も女の子も締め込み姿で参加する



赤ちゃんも参加 これが博多っ子!









橋を渡って福岡部に入る「舁き山」(「集団山見せ」の時だけ)

締め込み姿



一番山笠:中洲流

地下鉄駅

川端通商店街



六番山笠:大黒流(出走中)


新天町は唯一福岡部にある 「飾り山」のみ