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2014年6月14日土曜日

「時空トラベラー」: 倭国の「神」と「仏」 〜「倭国」から「日本」へ〜

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 倭国の「神」と「仏」 〜「倭国」から「日本」へ〜: 1)八百万神という多神の世界 「倭」の神は弥生以来の水稲耕作社会を基盤とした農耕神である。その自分たちが生きる土地に豊穣をもたらす穀霊神、土地と一族を守る産土神である。それはまた一木一草に神宿る自然崇拝であり、一族の祖先を祭る祖霊崇拝でもある。すなわち多神教世界である。八百万...

2014年6月12日木曜日

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 50年前のニューヨークへ時空旅 ーNew York City 50 years time diffe...

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 50年前のニューヨークへ時空旅 ーNew York City 50 years time diffe...: 我が思い出のニューヨーク。我が社のアメリカでの事業拠点ニューヨーク。苦闘と栄光の町。この町を今から50年程前に父と母が訪ねた。  当時、父はワシントン郊外のベセスダにNIH(National Institute of Health)の客員研究員として赴任していた。母と学会でニ...



50年前のGrand Central Terminal


2014年6月10日火曜日

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 飛鳥古京散策 ー飛鳥時代とは?ー

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 飛鳥古京散策 ー飛鳥時代とは?ー: 飛鳥時代は、大和の飛鳥の地に天皇の宮殿がおかれた、6世紀末(592年)の推古天皇治世から、8世紀初頭(707年)の持統天皇時代までをいう。この時代は天皇が替わるたびに宮が建て直されて、狭い飛鳥の地を転々と遷った。この遷都遷宮の習慣は、以前の崇神天皇に始まる三輪王朝時代、応神天皇...

2014年6月9日月曜日

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 下関・長府散策 ー長門國國府のその後ー

「尊王攘夷」に関連して、2012年に訪問した下関・長府で、「攘夷」決起の史跡を散策した時のブログを再掲します。


「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 下関・長府散策 ー長門國國府のその後ー: 長府は今や下関市の一部になっているが、その名の通り、奈良時代に長門國の国府がおかれた所で、府中とも呼ばれた時代もある。この町には思った以上の多彩なドラマと豊かな時間が流れている。  戦国時代の中国地方の覇者、毛利家は、関ヶ原の戦いではで石田三成の西軍に立っていた。毛利輝元は西...




2014年6月8日日曜日

「尊王攘夷」はなぜ日本の近代化スローガンだったのか?



 明治維新は、鎖国政策を基本とした旧弊な幕藩体制を倒して、近代的な国家を建設しようとした動きだと捉えられている。その運動の初期(幕末期)のスローガンは「尊王攘夷」であった。しかし、「尊王攘夷」はどう見ても近代的な国家建設のための政治経済社会体制の変革を進める「革命」のスローガンには見えない。いやむしろ極めて保守的で国粋的なスローガンである。「尊皇」とは日本古来からの天皇を尊び、(天皇の臣民でしかない)武家の幕府政権を倒そうというスローガン。一方、「攘夷」は外国人を排除し、鎖国を継続すべし、というもの。換言すれば「外国人を排除して古代の王政に戻れ」という反動ナショナリズムそのものだ。

 明治維新の英訳は「The Meiji Revolution」ではなく「The Meiji Restoration」だ。決して「革命」ではない。あくまでも「復古」である。なんの「復古」なのか?「王政復古」なのだ。1200年前、まだ脆弱であったヤマト王権がようやく、豪族多頭支配体制から脱して、「大王:おおきみ」の統治権威と権力を確立した、いわゆる「大化の改新」、天武持統帝の「大宝維新」の時代に戻した、という事だ。こうして「尊皇」スローガンによる「倒幕」は達成できた。600年以上続いた武家政権は終わった。しかし、「攘夷」はどうであろう?

 16世紀、スペイン/ポルトガルに始まる大航海時代の波は、19世紀になると、新興のオランダ、イギリス、フランスといった西欧列強諸国によるアジアの植民地化にまで進んでしまった。日本がスペイン/ポルトガルなどカトリック国から国を閉ざす鎖国をして250年もの平和を楽しんでいる間に、いつの間にか周りからスペイン人もポルトガル人もいなくなり、世界は様変わりしていた。

大和五條の天誅組本陣跡
幕府五條代官所を襲撃するが
鎮圧され壊滅する


しかし、時の政権担当者であった徳川幕府は、必ずしもただ「太平の眠り」についていたわけではなく、「鎖国」という管理貿易、外交政策により幕府が一元的に情報と貿易と外交を管理し、オランダという偏った窓口を通じてとはいえ、現実的な世界情勢の収集、分析がある程度は出来ていた。少なくとも京都の公家よりは日本を取り巻く現状の認識があった。外国船を追い払い、鎖国政策を維持したいが、もはやそれも時間の問題だとの認識も生まれつつあった。特に清朝中国の現実、衝撃的なアヘン戦争の結末、欧米列強によるアジア諸国の植民地化。日本沿岸に押し寄せる外国船と海防の必要性。押しとどめることの出来ない西欧優位の近代化の流れ。徳川幕府はそれ等の情報を入手しておいた。長崎という狭い窓ながら情報はかなり入って来ていた。何より蝦夷地や琉球、日本列島近海に頻繁に出没する外国船の実態を見れば嫌でも「鎖国は祖法である」などと言っておれない時代が来たことを認識せざるを得ないかった。

 一方、京都のお公家さんたちは、そうした現実から隔絶され、あるいは眼をそらせ、京都盆地に引きこもり、古来からの「有職故実」に明け暮れる世界から一歩も出なかった。薄々聞こえてくる海の外で起こっている現実にも、出来れば関わりたくない、という消極的姿勢で貫きとうしていた。孝明天皇の「異国嫌い」「鎖国継続」に象徴される空気が京都に横溢していた。「京に異人を入れるやなんてもってのほかや」が究極の本音であったろう。最後の最後まで「攘夷はいつやるのや?」と十四代家茂、十五代慶喜に外国人排斥決行を迫っていた事実からも,「とにかく神國から異人を追い払え」であった。それが「攘夷」であった。これに討幕を意図する長州や、国学・水戸学発祥の地の水戸は呼応し、「尊王攘夷」で決起しようといた。しかし幕府は「攘夷」が現実的でないことも知っていた。

 一方、幕府も現実を見た開国方針が拙速で、世論をうまく纏めることが出来なかった。幕府はペリーとの日米和親条約締結にあたって、土壇場になって「朝廷の勅許」などという責任転嫁を画策し、それが間に合わず締結が先行したので、国内保守勢力、すなわち「尊王攘夷」勢力は倒幕へと向かった。それに対する弾圧(安政の大獄)が、さらに「尊王攘夷」「討幕」の火に油をそそいだ。開国は時代の流れであったが、もちろん幕府はすでに米中心の重農主義経済終焉に直面し、それに伴って財政破綻に瀕しており、新しい世界秩序に対抗するのに旧態依然たる幕藩体制ではどうにもならないことは自明であった。いずれ倒幕につながるのは避けられなかっただろう。

 特に、江戸時代末期のこの時期には下級武士層の徳川幕藩体制への憤懣は臨界点に達していたから、彼等にとって、全く住む世界の違う人々であっても、天皇や朝廷、その側近集団である公家が長い歴史の中で,政治の世界からすっかり遠ざかり、京都で歌舞音曲、詩歌をたしなむ生活に日々を過ごすようになって久しかろうとも、幕府に替わる政権交代スローガンとして「尊皇」を旗印として担ぎ出す。「大義」を得て自らが「勤王の志士」となる事に何の躊躇もなかった。そして、その皇祖神天照大御神を頂点とし、その子孫で万世一系の天皇が連綿と統治する世界に稀な「神國日本」を蹂躙する夷狄(外国人)を排除する。「攘夷」を「尊皇」と不可分の旗印とすることは何も不思議な事ではない。政治スローガンとは,国内の矛盾と外からの脅威を分かりやすく言い表す「四文字熟語」のようなものだ。

長府にある高杉晋作像
長州藩内の勤王派クーデタ
「回天義挙」の碑も近くにある



先に述べたように、「尊王」はもともと天皇の征夷大将軍,即ち武家の棟梁で在る徳川氏の幕府政権を倒し、大政奉還させ、日本古来の天皇中心の政治体制に戻す、すなわち「王政復古」(restoration)である。天武持統天皇時代の天皇親政、公地公民、律令体制に戻すことだ。天照大神を皇祖神とし、記紀の神話を史実とした神国日本の再現だ。江戸時代後期の国学の流行により、分国化された藩とそれを束ねる幕府(幕藩体制)という構造から、ようやく日本(ひのもと)という国家としてのアイデンティティーとナショナリズムを意識し始めた事が大きく影響している。この「王政」は、維新後制定された明治憲法では、こうした「皇国史観」に基づいた天皇を国家の主権者とする擬似立憲君主制(英国式ではなく、プロイセン式の)という形をとることで、太平洋戦争に敗北するまで生き残った。戦後も「象徴天皇制」が新憲法に規定され「国体は護持された」のである。

 一方、「攘夷」は、まさに夷荻(野蛮な外国人)を排除する、早くいえば排外主義だ。もともと古代から続く中華思想・華夷思想に基づく選民思想で、清国の義和団などと通じる国粋主義的なスローガンだった。鎖国の方が良い,と言ってる訳だから、開国交渉などもっての他である。欧米列強の帝国主義植民地化により独立を失ったアジア諸国の実情を見るにつけ、神国日本の心ある志士たちの心情はそうであっただろう。しかし、そういった後ろ向きの排外主義では,もはや通用しない事を認識させられることになる。やがて「攘夷」は西南雄藩の開明的な君主や若き武士たちによって修正されて行く。特に薩英戦争や,馬関戦争で「攘夷」が非現実的なスローガンである事を身を以て体感した。やがて「攘夷」は、西欧列強に追いつけ,追いこせ、「富国強兵」「殖産興業」という「西欧化」に向けたスローガンへと変換してゆくことになる。「日米通商修好条約」締結では遂に天皇の勅許が降り、「攘夷」の名目も無くなった。

長州の前田砲台を占領するフランス軍。
長州藩の「攘夷決行」は、
四国艦隊との圧倒的な力の差を見せつけられて挫折する


 しかし、古来より日本人のDNAとしての「異なる人、モノ」に対する警戒感、外来思想に対する違和感と、排除の心理がぬぐい去られた訳ではない。稲作農耕文化の伝来、仏教伝来、キリスト教伝来、西欧文化伝来、黒船来航、敗戦、日本はシルクロード交易の時代においても、大航海時代でも、常に「文明の終着点」であった。文明が頭の上を通過して行く事はなく、入ってくるものは国内に留まる。だから都合の悪いものは、はじめから入れないようにしなくてはならない。また都合良く入って来たものは自分たちが古来から守って来たものと矛盾が生じないように咀嚼改変する。ある意味で自分流に解釈し作り変えることで独自の世界を守って来た。まさに外来文化の「受容」と「変容」の歴史である。

 明治維新以後の近代国家化のなかで「攘夷」という排外主義スローガンは表向きは消えていった。むしろ、「近代化」とか「欧化政策」というスローガンに変えたとたん、「舶来」を積極的に導入し、新たな解釈を加え、日本化して我がものにして行った。しかしその背後には依然として「内」と「外」、「国内」と「国際」の二元論が生きている。そして、常に「攘夷」をモヤモヤとした暗黙知とする「国内派」が近代化を主導するのである。経済、市場がグローバル化している今日ですら、「外国かぶれした危険な国際派」に勝手にさせるかとヘゲモニーの保持に躍起になる。「国際派」をある時は利用しつつ、イザとなれば排除しながら良いトコ取りする。そういう「国際化」だ。常に「国内」ロジックが優先される。もちろんどこの国でも多かれ少なかれ事情は変わらない。国を開かねばならないが、自国の経済も守らねばならない。一国の経済規模が大きければ大きいほどその傾向は強い。しかし、今の日本はそういった「内なる攘夷」が歪んだナショナリズムと結びつき、再び「内なる鎖国」に向う恐れはないのか。「内向き思考」という反グローバリズムが。

司馬遼太郎は、明治維新という「革命」には思想がなかった。あるのは「尊王攘夷」だけであった。少なくともそこに「民権」という視野はなかった。と語っている。



2014年5月30日金曜日

Leica Tの使用感ファーストインプレッション 〜AudiにはAudiのエンジンを!〜

今回はシルバーが先行発売。ブラックも追って発売される予定。
 5月26日、日本でも発売になった話題のライカTシリーズ。ミラーレス機戦国時代に殴り込んで来たドイツ製のニューフェース。例によって今回も実機を入手しテストする機会を得たので、取り敢えずのファーストインプレを。

ボディー:

 アルミ削りだしのボディは噂に違わず、ソリッドで堅牢感があり、金属質満点の素晴らしい手触り。シンプルで素晴らしいデザインだ。特にホールディングがとてもよい。眺めているだけでも上質感が伝わってくる。すぐ好きになった。重さも軽すぎず、重すぎず、適度な手応えでバランスがよい。この質感はたまらない。




 ライカは伝統的にラウンドボディーで、ず〜とこれが人間のエルゴノミクスに最もあった形状だ、と言い聞かされてきたが、正直ホールドには危惧があった。特に最近の厚みと重量を増したボディーとレンズ。それに外付けファインダーなどを付けると結構な重量(普及型のデジイチ以上に重い)があり、かつバランスもよろしくない。したがって必ずグリップを付けていたが。逆にコンパクト化されたカメラでは握るところを求めて、指が右往左往することも。Tは適度な指がかりとやや横幅のあるシェイプで気に入った。ちなみに、このボディーの削りだし、研磨の工程はポルトガルの工場で行われているそうだ。

 背後の液晶画面がAppleのiPadやiPhoneと同じ感覚で操作できるタッチスクリーンと話題になっているヤツだ。確かに、画面が広く操作しやすい。ピクトグラムも慣れれば分かりやすい。右手でグリップしても、誤ってボタン類に触れたり、タッチスクリーン誤動作を招いたりし難い位置取りになっている。
アルミ塊からの削り出しボディー

 レンズ:

 レンズはVrio Elmar T18−56mm f.3.5-5.6 ASPH.の標準ズーム(Madein Japanだが、メーカーは明かされていない)。外見は何となく普及型ズームのイメージで、軽くてMレンズなどと比べるとやや安っぽい感じがする。金属(アルマイト)ボディーだと言われているが、繰り出し鏡胴はプラスチックだろう。フードはプラスチック。絞りリング無しは想定内だが、距離計リングは距離目盛り無しで、富士フィルムXシリーズレンズに似ている(操作感もフードの形状も、レンズキャップも、一回り小型で簡素化したFujinon 18-55だ。ひょっとしたら?.....)。X VarioのAFとMFをリニアに切り替えられる距離目盛り付きのリングは良かったのに。またX VarioのVario Elmarは望遠端が70mmだが、最短撮影距離が30mmと近接撮影が出来、良好なMFのピントアシスト機能とあいまって、花の撮影などに威力を発揮できた。Tのほうは望遠端は84mmとなったが、最短撮影距離は45cm。広角側27mmの最短撮影距離30mmとなったので、やや近接撮影には不向きになってしまった。残念だ。

 外見は別にして、写りに関しては、ライカのレンズ設計チーム渾身の製品だというから、ライカ伝統のうっとりするような画質を大いに期待している。下記の作例を見る限り,かなりの高画質で、さすがという他ない。一方、デジタルカメラらしくボディー側ソフトでのレンズ補正も使っており、優等生的な写りだ。これまでの単焦点Mレンズのような個性は無くなった(ユーザとはわがままなものだ)。これから、いろいろなシチュエーションでじっくり撮り比べてみたいものだ。

 全体バランス:

 レンズを装着した姿は、一見ソニーα(旧NEX)シリーズだ。私はかつて、このNEXの、レンズ部分が大きくて、ボディーがスリムすぎるアンバランスな姿が嫌いで、所有していたNEXシリーズをレンズ共々売っぱらってしまった。まさかライカで復活するとは...(複雑な心境)。街を歩くとカメラ女子が首から下げているSONYミラーレスとLeicaTがオーバーラップするのはどうにも切ない。デジャヴだ。 特に黒鏡胴レンズはシルバーのスリムなユニボディーから飛び出して見え、バランスがどうなんだ? M用のシルバー鏡胴レンズをT/Mアダプターで装着するとサマになる。Tシリーズのズームレンズの場合、黒ボディー(7月か?とうわさされている)の登場が待たれる。

 しかし、新デザインのストラップ、カラフルなアクセサリー類と、フラッシュサーフィスのアルミインゴットボディー。ライカの新ズームレンズとの組み合わせは、あらたなブラパチファッションを提案しているようだ。街歩きカメラ女子にはピッタリの機材だ。ライカ好きのオジさん達に似合うか、チョット心配だが。

 操作感:

 さて、操作してみよう。
 おや?なんかおかしな操作感だ。

 まず液晶モニターが暗い。輝度設定が出来ないようだ。露出補正をマイナスにすると、暗くて見えなくなる。こりゃ困った。見難いモニターなのか?EVF使用が前提になっているのか?

 次に露出補正。私は露出補正を多用するのでこれは大事だ、しかし、タッチスクリーンから呼び出して設定し、しかもSETボタンを押さないとまた補正0の戻ってしまう。撮影中に4段階の手数をかけないと露出補正出来ないのでは間に合わないので、左のリングに割当てたいのだが。マニュアル読んで、やっと割当設定する。しかし、登録した設定がスイッチオフで初期設定(ISO設定)にリセットされてしまう。なんじゃこりゃ?

 ホワイトバランスオートで室内ミックス光源のもとで試写すると、やたらに黄色くなる。角度を変えて撮影してもなんか不自然な発色だ。オートで「色が暴れる」という、M8出たての頃の安定しないホワイトバランスが復活したような...不安がよぎる。

 やれやれ、もうその時点で、暗澹たる気分で、カメラを投げ出したくなったが、ふと開封の儀を厳かに執り行ったあと、転がしてある箱を見ると、ファームウエアーをアップグレードしてください、との5月19日付けメモが入っている。工場出荷時のファームウエアーのバージョンが1.0 。買ったばかりなのに既に古いのか?ユーザの手に届くときにはバージョン1.1にアップグレードしなくてはならない。ライカ社HP(これもライカ100周年記念で最近更新したらしく、デザインは素敵になったが日本語サイトがしばらく工事中であった。)で、このアップグレードで何が改良されるのか調べる。「T本来の機能が十分に発揮できるようになります」と書いてある...。いちいち引っかかるようだが、本来の機能が十分発揮できない状態で出荷してしまいました、ということを言ってるのか。

 まあいい、とにかくアップグレードすると(インストールに90秒ほどかかったので結構なファイル容量のようだ)、先ほどのおかしなバグや不具合が消えた。なんだか別のカメラになったような気分だ。工場出荷時にバグ取りが間に合わなかったのか?

 バージョン1.1での使用感。気を取り直して:

 Tに搭載されている1630万画素のAPS-CサイズCMOSセンサー(SONY製)や画像エンジンMAESTROは基本的にはX Varioと同じものを使い、T用にチューンしたと、ライカ社開発担当は言っている。

)しかし、同じAPS-C CMOSセンサーのライカなら、個人的にはX Varioの方が好きだ。何と言っても画が美しい。解像度、画の立体感、時々Mを越えているんじゃないか、と思うほどだ。望遠側での近接撮影時のボケ味も最高。同じセンサー、画像エンジンを流用しながら,Tは何をどうチューンしたんだろう。やはり固定レンズ+専用ボディーのXならではの味だったのか。もちろんちょっと触ったぐらいで結論出すのは早計だが。

2)直感的には、ソニーや富士フィルムのミラーレス機の方がきめの細かい配慮と、確実な操作感、信頼感があるように感じる。もちろんTのタッチスクリーンによる操作はユニークだが、実際の撮影現場での使い勝手が気になる。使い込みがいるんだろうな。

3)液晶モニターは大きくて視認性が良い(バージョン1.1で輝度調節も可能になった)が、意外にピントの山が掴み難い。やはり外付けのEVF(Visoflex)を買えってコトか? 特にMFでのピント合わせはX Varioの方が使いやすい。X VarioのMFアシストは外付けEVF使わなくても十分で、優れている。晴天の屋外の光あふれるなかでの液晶モニターでのピント合わせはキツい。EVF内蔵はなぜパスされたのだろう。まさかVisoflexという往年の仕掛けにこだわった訳ではあるまい。

4)AFが遅い。コントラストAF一本で、位相差AFを取り入れない一世代前のAFだ。ピント精度は高いが、速度が遅い。暗いとピントが合わない。その他にも苦手なシーンがありそうだ。X Varioは(それに備えて?)リングをそのまま回すとMFに切り替わり、かつMFアシスト機能が働いて、ピント部分の像が拡大される。これが実際の撮影現場では、撮影作業が滞らず非常に便利である。Tではそれが無くなって、いちいちタッチスクリーンでAF/MFを切り替える必要がある。もっとも、はじめからTもXも、最近の富士フィルムXシリーズやソニーαのように、AF合焦スピードが速くて、サクサクいってくれれば問題ないのだが。せめて遅い分を補完するためにマニュアルでの操作性でカバーしたXは良かった。

5)タッチスクリーンでの再生(Play)画面のスクロール(ページめくり)が遅い。X Varioよりはマシになったが。電源オンから起動まで1秒くらいかかる。M240よりはマシだが。全体にレスポンスがまだ遅い。いまだスローなカメラという印象だ。一枚一枚じっくり撮ってください、ゆっくり見て下さい、ってことか?せっかくタッチスクリーンにしたのだからサクサク感が欲しい。レスポンスが悪いとリズムが出てこない。

6)手ぶれ補正なし。何故入れないのか?何かライカポリシーに引っ掛かるのか?特に暗いズームレンズでは必需機能だろう。ましてこれから望遠ズームも登場予定というのだから。

7)センサークリーニングなし。発表会で、会場からの質問に対し、「センサーがむき出しなのだから、ユーザでも掃除しやすいはず」。全く答えになってない。さらに「ただし、あまりこするとセンサー傷つけるので、自分でやらずサービスに出してください」この矛盾した回答には笑うほか無いが。センサーむき出しでレンズ交換が怖い。

8)そして、このユニークなデジタルカメラの操作を習熟するには分厚くて「親切な」アナログ記述のマニュアルが手放せない。しかし、字やピクトグラムが小さくて、老視が進む世代であるライカ愛好家には虫眼鏡も手放せない。ちなみにApple製品にはマニュアル無いよ。


 総合的感想:

 一言で言うと素晴らしい金属ボディーに納められたレスポンスが悪いスローなデジカメ。シャッター音は軽快で、金属ボディーに閉じ込められた籠り感もあって静かだ。もちろん、ボディーは適度な重量と手触りで、掌で転がして感じる快感は最高のものだ。剛性感もあり道具としての完成度も高い。しかし、その素晴らしい容器に入っている中味のデジタルカメラの完成度はどうなのか?ライカもデジカメ創り始めてもう何年になるのだろう?パナソニックと組んでデジカメの技術的なノウハウはかなり吸い取ったはず。独自にXシリーズを開発し、独り立ちもした。このTシリーズでミラーレスに参入し、デジタルカメラとしての機能はかなり大きな進化を遂げたのは確かだが、それでもまだミラーレス先行各社製品の背中は遠いような気がする。ライカTよりもはるかに安い他社ミラーレス機が、ライカTよりも高機能だなんて。ライカファンの歯ぎしりを知ってほしい。

 Tシリーズのボディーデザインや、これから出てくるケースやストラップなどのアクセサリー類はアウディデザインチームとのコラボだとか。ライカは、BMWやフォルクスワーゲンなどドイツの高級車メーカーとのデザインコラボを次々に打ち出してきている。ドイツ製品の上質で高級なイメージを前面に出して行く戦略だろう。さすがだ!

 しかし、アウディのボディーに、ポロのエンジン積まないで欲しい!アウディにはアウディのエンジンを搭載して欲しい!

 なにもスペックてんこ盛りの日本製のコンデジのように、使いもしないギミックをいっぱい盛り込んで欲しいと言ってるわけではない。シンプルでイイ。せめてデジタルカメラの現時点でのスタンダード、基本性能(高画質を活かし切る、サクサク感、キビキビ感、信頼感)は押さえて欲しい、と言ってるだけなのだが。

 「素晴らしいエンジニアリングワークの、ガッカリなデジカメ」と、あるブロガーが評していたのが心に刺さる。そこまでとは言わないが、あたらずと言えど遠からずだろう。こうしたミスマッチパラダイムからなかなか脱出出来ないライカのデジタルカメラ..... 有名デザイナーチームとのコラボや高級イメージ路線はいいが、早くブラッシュアップされたデジタルカメラの基本性能を実現させてほしい。これがライカが示すデジタルの世界標準だ、という。何時までも「持っていて見せびらかす道具」の域を脱せないでいると、そのうち飽きられる。ライカは一生モノの使い込む道具だったはずだ。



ライカ100年。Tの背面に"LEICA CAMERA WETZLAR GERMANY"と。創業の地に戻って、新たな100年に向けて再出発した同社。その誇りと,未来に向けての決意を込めたロゴタイプにCongratulations! 




 Vario Elmar中心の作例。レンズの外見は少しシャビーになった気がするが、さすがに描写性能は素晴らしい:


望遠84mm相当。画面の歪曲もないし解像度も高い。


広角27mm相当。隅々までクリアーで歪曲も、周辺光量落ちもなく気持ちよい画だ。ボディー側で補正をしているらしい。


Vario Elmar望遠側84mm相当で撮影。開放5.6だが背景が奇麗にボケて、しっかり立体感がでる。ピントが合った所の解像感がスゴイ。


T/MアダプタでApo Summicron M 75mmを使用。さすがアポズミクロンの解像感。焦点距離が100mm相当になり最短撮影距離70cmでも、寄って撮影すると背景のボケがかなりくる


同じ花をVario Elmar 84mm相当で撮る。最短撮影距離45cm。上の写真と背景のボケに違いが。しかし花の立体感はよく出てるし、合焦部分の解像度は文句ない。


2014年5月28日水曜日

下田公園の紫陽花

下田公園の紫陽花が咲き始めました
下田公園は紫陽花の名所。黒船祭の期間は、まだ紫陽花の季節ではないが、こんな珍しい花が咲き始めていました。

下田公園展望台から眺める下田港の景観は圧巻。このすぐ手前にペリー提督が上陸し、下田条約締結のため了仙寺まで行進した。
展望台からの下田港全景