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2022年3月29日火曜日

それでも桜の季節がやってきた 〜パンデミックと戦争の間で〜

 今年は東京の桜の満開は3月27日。コロナパンデミックも3年目。さらにウクライナでの戦争が始まった。どちらも収束の見通しが立たず、先の見通せない混沌とした時代だ。そんななかでの桜の開花。「知恵の実を食べた人間」の傲慢と愚かさにもかかわらず自然は毎年桜を艶やかに咲かせてくれる。彼の国の戦争で子供を含む多くの無辜の市民や、駆り出された兵士が殺されているその惨状を思うと、こうして桜を愛でることができることををありがたいと考えなくてはなるまい。しかし迫り来る予見不能な未来に漠然とした不安を感じざるを得ない。しかし、この戦争は国と国との戦い、民族と民族の戦いではなく、専制主義と民主主義との戦いだ。すなわち専制的な独裁者と国を超えた市民との戦いである。ウクライナの人々が武力に屈せず勇敢に戦うのは家族を守る、故郷を守る、民主主義を守る「大義」があるからだ。独裁者に駆り出されたロシアの若者は「なぜこんなところで死ななけりゃいけないんだ」、「何から誰を守ろうとして戦うのか」わかっていない。彼らに戦いの「大義」はない。これは悲劇だ。市民は国を超えて連携し、市民を戦争へと駆り出す専制的権力と戦わねばならない。功罪は色々あれど、マスメディアに代わってネットが世界中の市民が連携するツールとして情報の共有とフェイクニュースやプロパガンダに惑わされないことに役に立つことは、今回の戦争が教えてくれた点の一つだ。停戦交渉が始まっているが、この「大義」のための戦いに妥協や取引があってはならないように思う。しかし一方で、この戦争に巻き込まれた人々にとっては一刻も早い戦いの終結が願いだ。もうこれ以上の殺戮を止めたい。故郷の破壊を止めたい。正義の感情を納得させることと人の命とのジレンマだ。

もう一つの人類への挑戦、コロナパンデミックもなかなか終息しない。東京では「マンボウ:蔓延防止措置」は解除になったものの、感染者数は減少は緩やかで、ここ数日は再び上昇傾向に転じている。いつ果てるともないコロナとの戦い、いや付き合いに、生活のスタイルもこれまでのようにはいかない。非日常が日常になっている。いや、3年も経つと何が日常であったかそろそろ忘れ始めている。かつての日常を取り戻すのではなく、新しい日常に慣れていかなければならなくなっている。外出や人との集まりが憚られる事態は解消していない。ましてこの時期の「お花見乱痴気騒ぎ」なんて、いつの時代の話だったか。昭和バブルの話か、はたまた北斎漫画の世界の話であったか... 

我が家の今年の桜は、こうした「自粛ムード」に加えて連れ合いが足の骨折というアクシデントに見舞われたため、遠出はせずにご近所散策と洒落込んだ。桜はこの季節、街の景色を一変させる。いつも通る街角や公園のなんの変哲もない裸の樹が一斉に花を咲かせて別世界の景色を生み出してくれる。日常の中の非日常。こういう非日常は気分を変えてくれて良いのだが、本当はこの頃、平凡な日常がいかに大切かを思い知らされている。桜が咲いたことで「非日常」を感じる平凡な日常が愛おしい。今回はそんな心境で撮った写真を淡々と眺めていただきたい。余計な能書き無しにして。


1)大森水神公園














今年もブルーシート「お花見」パーティーは自粛




ご近所の児童公園の夜桜見物もまたオツなものだ



2)目黒川(品川、大崎、五反田界隈)







ホント、カメラ持ってる人がいなくなってしまったなあ!

まだ花筏は無い





Sakura Reflections








3)御殿山(3月30日追加)
















(撮影機材:Nikon Z9 + Nikkor Z 24-120/4)

このモンスターマシンNikon Z9の威力はすごい。こうした近所の桜ハンティングにも活躍してくれる。以前のブログで「Z9をご近所ブラパチに持ち出すのは、ベンツSクラスでコンビニに買い物に行くようなもの」と自嘲気味に書いたが、使ってみるとこうした日常の撮影にも取り回しが非常に良いことに気がついた。決して重すぎずバランスが良いし、縦位置グリップが役立つ(前言を節操もなく翻すことをお笑いください!)。特にNikkor Z 24-120/4との組み合わせは最高。いつも持ち歩きたくなるパートナーだ。ベンツでコンビニに買い物に行くのも悪くない。食わず嫌いは偏見の元だと気付かされた。


2022年3月21日月曜日

戦争の只中に「敗軍の将、兵を語る」書と遭遇するの巻〜「神田古本まつり」「国際稀覯本フェアー」を徘徊する〜

神田古本まつり
コロナ禍のため3年ぶりに開催だ




プーチンのウクライナ侵略戦争は、案の定泥沼の様相を呈し始めている。緒戦で短期間にキエフを占領して民主的なゼレンスキー政権を殲滅し、ロシア寄りの傀儡政権樹立で講和に持ち込む、というプーチン版「一撃講和」作戦は、ウクライナ側の愛国的で頑強な国土防衛戦の前に機能せず、都市における無差別爆撃、市民や避難民を標的にした脅迫戦という、人道上全く容認できない無差別殺戮へと発展しつつある。世界に冠たる(と信じている)ロシア軍が苦戦すると、追い詰められたプーチンは、ジェノサイドや生物化学兵器の使用、果ては核の使用に言及するなど「禁じ手」に発展する危険を孕みつつある。それでもこれは防衛戦だ、ロシア人に向けたテロを殲滅する作戦だ、反ナチの戦いだ、アメリカの生物化学兵器に対抗するものだ云々の偽プロパガンダを用いる。ロシアが伝統的に他国を侵略するときに用いる常套手段だ。そして自国民であるロシア人自身の消耗戦をも厭わないし、膨大な戦死者が出ている戦況劣勢の事実は国民には知らせない。まさに人の命など屁でもない独裁者の時代錯誤に基づく誇大妄想戦争と化しつつある。

ロシア人は過去のナポレオンによる侵略、ナチスによる侵略をとりあげ、ロシアはいつも他国に侵略されてきたきた歴史を持つと主張する。もっともこの2度の侵略に立ち向かい、勇敢に戦ったのはウクライナのコサックであった。しかしそれ以上に、伝統的な南下政策に代表される周辺諸国への領土的野心をあらわにした侵略の歴史を忘れるべきではない。またバルト三国やウクライナ、ジョージア、モルドバ、中央アジア諸国など、戦後我々はその歴史も知らないまま、全部「ソ連」だと教えられてきた地域は、実はそれぞれ独立した別の国であったことを、独立を奪われてロシアに支配された国々であったことを「ソ連崩壊」で知った。ロシアがかつて歴史に汚点を残した数々の戦争。それは、条約を破って同盟国に侵攻する。終戦のどさくさに紛れて火事場泥棒のように他国領土を占領し、そこの住民を拉致してシベリア強制収容所に送る。戦争のためには自国民がいくら死んでも構わない。降伏した友軍を処刑する。そんなことを繰り返してきたことは、いまさら説明を受けなくても、我々がつい最近、身近に経験した悲劇を思い起こせば十分だろう。いまだに北方の島々が不法に占拠されたままである。57万人のシベリア抑留者と、地獄の逃避行。わかっているだけで5万人を超える同胞の死という記憶は日本人の心から消え去ることはない。日本人はこれらは自分達が起こした戦争の結果だから仕方ない、と口をつぐむが、歴史は勝者によって語られるのみで、敗者はその悲劇を語ることを許されないのだろうか。戦争を自己正当化するのではなく、その間に起きた「戦勝国」による数々の非道と理不尽はやはり語り継がれるべきであろう。戦争そのものが非人道的なものなのである。

21世紀になって、今ウクライナで再び侵略戦争が起きている。いやな時代になったものだ。そんなさなか、東京の神田神保町では3年ぶりに古本市が開催された。コロナ渦で中止になっていたが、久しぶりの開催である。コロナ禍や戦争で鬱々とした気分を転換すべく出かけた。前日の雨も上がり、通りには露天のワゴンも立ち並び、大勢の読書家、古書ファンが街を埋め尽くした。久方ぶりに見る街の賑わいである。ウクライナで悲惨な戦争が繰り広げられて市民が苦しんでいるなか、日本では平和な日々を過ごすことができている僥倖に感謝する。しかし、ウクライナは対岸の火事ではない。「今日のウクライナは明日の日本である」:What Ukraine is today is what Japan will be tomorrow.この平和がいつまでも続くよう祈ると共に、過去に学ぶ努力を怠らないようにしたいと強く思う。


そんなご時世の古書街の徘徊、古書ハンティングで出会ったのは、結局、戦争に関する2冊の本だ。どちらもテーマは「敗軍の将、兵を語る」である。


今回の収穫!


1)Stories from Froissart 1832, Barry St. Leger(1733~1793)

1776年のアメリカ独立戦争でイギリス軍の将校としてサラトガの戦いに参戦して敗北したバリー・St.レジャーの著作である。彼はサラトガ戦の敗者として歴史に名が刻まれているが、著作家としても名を残した人物。中世の年代記の作家であるジャン・フロアサール:Jean Froissart (1337~1405)の物語を紹介した本書は示唆に富む本であると思う。かれはイギリスにおける統治者、政治家の意思決定の歴史について振り返り分析している。なかでも戦争はどうやって始まり、どのように終わったかをフロアサールの物語を紹介しながら語っている。特に戦争は始めることよりも終結させることのほうが難しい、ということを歴史的に証明して見せた点が非常に興味深い。フロアサールは14世紀フランスの著述家で100年戦争初め当時の多くの戦争についてイギリス王室の視点から年代記を著した。また、騎士道についても賞賛する著作を多く残し、むしろ王室の戦争を賛美するトーンが目立つ作家である。しかし、St.レジャーは、フロアサールの戦争年代記を勇ましい戦記として取り上げるのではなく、先述のような国家が戦争するということはどういう意味を持ち、どのような影響を及ぼすのかという、為政者、政治リーダーの意思決定のプロセスという視点で歴史を振り返っている。その多くは一部の政治指導者の意地や面子やツマラナイ妄想から始まり、終わりはやはり彼らの面子の張り合いでなかなか終わらないと分析している。そうして戦争が生み出すものは何もない。特に庶民にとっては何の意義もないどころか厄災だけがもたらされるものだと。彼は「戦争」を語るとき、王や貴族や支配者階級の戦争に言及し、庶民の反乱や抵抗運動や、革命については言及していない。まさに今、戦争が専制的な政治指導者の妄想によって何の大義もなく始められ、その為政者の面子のために終わりの見えない泥沼に庶民がズルズルと引きずり込まれてゆく、という歴史が再び繰り返されている。そういう時期に紐解くべき格好の歴史書であろう。




革装の豪華な装丁


表紙



Barry St. Leger



2)The Russian Army and The Japanese War 1909, Алексей Николаевич Куропаткин:Aleksei Nikolaevich Kuropatkin,(1848~1925)

本書は、ロシア軍の総司令官から見た日露戦争の記録である。1909年にロンドンのJohn Murrey社から出版された英語版である。

アレクセイ・クロパトキンは日本人にも馴染みのある帝政ロシアの将軍である。日露戦争時の敵将である。ロシアでは露土戦争で勝利した英雄として人気があり、陸軍大臣まで務めた。1904〜5年の日露戦争ではロシア軍満州軍総司令官として日本軍と戦い、大山巌、児玉源太郎、乃木希典などが率いる陸軍に連敗し、敗北を期した「敗軍の将」である。彼は戦前に日本から招待を受けて賓客として訪問しており、多くの要人と会い、軍事施設も視察している。その経験から、日本の軍事力を高く評価していて日本との全面対決を避けるよう皇帝に進言していた。しかし、皮肉にも日露両国の戦端が開かれると、クロパトキンは満州軍総司令官に任ぜられて日本軍との戦いに臨むこととなる。しかし、結果は連戦連敗で、日露戦争の「関ヶ原」と言われた奉天会戦では優勢であったにも関わらず撤退し、ロシア軍は完敗する。これにより前線から更迭され、総司令官を解任される。彼が、戦後に戦いを振り返り敗戦の要因分析を行ったものである。このように責任者である将軍が自らの戦いを分析し著作にまとめ、後世に引き継ぐという、まさに「敗軍の将、兵を語る」である。史記の「敗軍の将、兵を語らず」の東洋的な思想とは異なるこの「負けいくさを総括して語る」姿勢は重要である。彼はロシア陸軍の「敵を引きつけて殲滅する」という伝統的な戦術(撤退戦も兵力を温存しながら敵を引きつけて撃滅する伝統戦法の一つであった)の誤りと、鉄道を利用した兵站の重要性を説いている。また強大な陸軍を有するロシア帝国の力への過信と楽観主義、偏狭な大ロシア主義的世界観を批判している。ロシア帝国の高級軍人にして陸軍大臣をも歴任した指導的な人物ですら、日本との戦争遂行という国家の意思決定を止めることができなかったし、挙句に実戦で祖国を救うことはできなかった。彼はこの失敗の教訓を後世に引き継ぎ、歴史家にその評価を委ねた。この出版の8年後の1917年にはロシア革命が起き、帝政ロシアは崩壊した。ちなみにクロパトキンは革命による処刑や投獄を免れて、晩年は小学校教師として穏やかな余生を送った。この頃のロシアは軍人としての矜持を持ったこのような人物がいたし、こうした出版ができる国であった。いつ頃からこの国は大義のない殺戮と破壊という戦争をウソのプロパガンダで平然と遂行し、批判も反省も許さない国になってしまったのか。ロシア革命は本当に「徒手空拳のプロレタリアート」を「鉄の鎖」から解放する革命だったのか。この書を読んでふとこのような疑問が脳裏をよぎった、


ロンドン刊 英語訳

Kuropatkin元帥

乃木希典将軍
大山巌元帥

表紙

日露戦争当時の東アジア

この2冊の本とはまさに時宜を得た出会いであったと感じる。St.レジャーについては、これまでなんの知識もなかったが、この時期に人類普遍のテーマである「戦争」について考えさせられる格好の書である。良書に巡り合ったと思う。実はこの著作は書店の店員の勧めで手に取った。彼女はハーバード大学で比較文化人類学を研究する院生でもある。日本の古書店をテーマにフィールドワークのためにインターンとして滞在しているのだという。その彼女の書評とも言える言葉が心に刺さった。よく問題の本質を掴んでいる人の言葉は簡潔で要を得ている。この2冊の熟読玩味はこれからであるが、通読しただけでも人間は本当に歴史に学ばないということがよくわかる。こうした「敗軍の将、兵を語る」は歴史書としては評価されないのであろうか。東洋の思想では「敗軍の将は兵を語らず」で、負けたのにクダクダいうな、とか言い訳するなとか、潔い態度が高潔な人物の証であるかのように崇められるが、全く敗戦に関する反省と責任が論ぜられない点が不可思議である。これに対して西洋の思想ではそのような「潔さ」は評価されない。失敗を繰り返さないための次の一手を考えるためにも歴史の教訓を残すことが重視される。クロパトキンも彼の著作の序文で「これは自分の失敗の言い訳や、行動の正当化のために書いたものではない。この失敗に後世の人々が学び、同じ誤りを犯さないようにするために書いたものである」と。しかし、それでも、その敗戦の歴史に人は本当に学んでいるのだろうか。まさに歴史は勝者のものである。であるから、なかなか人は負けた歴史に学ばない。そう見てくるとまさに人間は古今東西を問わず、いつの時代にもヒトラーや、スターリン、プーチンのような独裁者を生み出し続け、その戦争を止められないという過ちの歴史を繰り返してきた。思い起こされるべきはまさにアメリカ植民地軍に敗れた大英帝国の姿であり、極東の新興国日本に敗れたロシア帝国の姿である。さらにはのちのソ連の崩壊である。そして日露戦争に勝利して有頂天になり「一撃講和」の味を占めた大日本帝国のその後の運命である。でないと専制主義者による「根拠のない楽観主義」が重大な国家の意思決定を支配することになる。その結果大勢の無辜の民が塗炭の苦しみを味わうことになる。そのロシアは再び「過ちの歴史」を繰り返している。

コロナ禍が少し落ち着いて、神保町の久しぶりの活気に身を置いて感じるのは、平和のありがたさと、その平和の脆弱さへの危惧である。平和は努力して守らねばすぐに修羅場に代わってしまうことを、今のウクライナを見ていると嫌でも知らされる。この神保町が市街戦で破壊される姿を妄想することは耐えられない。ウクライナに一刻も早い平和が訪れんことを切に願う。そして子供たちが再び好きな本を手にとって親しむことができるように祈りたい。祈ることしかできないもどかしさ。しかし心から「ウクライナの人々の独立精神に連帯を!」



同時期に開催された「国際稀覯本フェアー2022」
有楽町東京交通会館にて

有楽町駅前の東京交通会館




2022年2月22日火曜日

Nikon Z9試し撮り 〜Made in Thailandのモンスターマシーン!〜



ペンタ部が少し大人になった



フラッグシップ機の証、丸型アイピース復活
メニュー表示はZ7IIとほぼ同じ


軍艦部はそっけない

これはメカシャッターではない。センサー保護用の鎧戸だ

液晶表示
再生ボタンが右下に移動

フラッグシップの証 丸いビューファインダー


液晶画面は4方向チルト

ブラックアウトフリーの電子ファインダーは気持ち良い


遅まきながらニコンZ9が回ってきた。去年の発表以来、人気沸騰で予約が殺到。供給が間に合わず、12月24日の発売日当日に入手できた人はごくわずかという有様だったようだ。しかも世界的な半導体不足がボトルネックとなり生産が滞っているとのことで、次の供給時期は10月と言われていた。期待が大きかっただけに多くの人がガッカリするやら、そんな先ならと半ば断念するやら。ところが突然、2月15日になって世界中でZ9が供給され始めた。もっとも数が限られているようだ。諦めていたところにいきなり「補欠合格通知」。「入学金」をすぐ納めろ!と来た。資金調達が間に合わない。下取りの時間はないので後から機材の売却でキャッシュアウトを補填することにする。取り置き期間が過ぎると次へ回す、と言われるとつい慌てて無理繰り算段するすることになる。バブル期のマンション抽選、購入のドタバタを彷彿とさせる。それにしてもニコンはハイエンド機までとうとうMade in Thailandになってしまった。ライカがMade in PortugalやMade in Canadaをやめて、また内部がMade in Japanであることをひた隠しにしてまで「Made in Germany」に固執しているのに対し、ニコンはあっけらかんとMade in Japanを放棄してしまった。なんともおおらかなことだ。経済合理性優先のコモディティー商材ならいざ知らず、ハイエンドの高品質商材のブランドバリューとは如何なるものか。

それはともかく、このZ9はすごいモンスターマシーンだ。ニコンの渾身の「お道具」登場だ。しかも、これでこの価格は確かにバーゲンプライスだ。スペックや機能、操作性のことはいろいろなレポーターや事情通が既にSNSやYouTubeで語っているし、今更、素人が知ったかぶりを披露するのもなんなのでそちらを読んでほしい。ただやはり、4571万画素という高画素機なのに高速連写、高感度ノイズ低減。ブラックアウトフリーな電子ファインダー、メカニカルシャッターを廃した電子シャッター、被写体に応じたAFの食いつきの良さ、等々。文句の言いようがない。全部ありのモンスターだ。ニコン伝統の縦位置グリップ付きのミラーレスのフラッグシップ機を出してきたということだ。4K、8Kの動画機能までしっかり装備。もっとも私はこれで動画は撮らないが。しかし...

正直言って第一印象は、私のようなアマチュアブラパチ写真家にはハイエンドすぎてオーバースペックだということ。それにミラーレスにしては大きくて重すぎる。ライカSL2が重いなどと言ってる「年寄り」にはムリだ。多分これに大三元レンズつけてご近所散歩なんて、まるでベンツSクラス運転してコンビニに買い物に行くような所業だ。「わきまえよ」と言われそうだ。報道やスポーツ写真や、動物写真や野鳥観察、自動車、鉄道、飛行機などの動きものには最高のマシーンだが、私のジャンルである風景写真にはどうか?高速連写性能やインテリAFが役立つ場面はあるか。いや、まあ風景は高解像な描写性能が大いに役立ちそうで良いだろうが、日常のブラパチには... 人物写真にはどうだろう。もちろんこれ一台でなんでもいけるオールラウンダーには違いないし、なんと言っても所有欲を満たす「お道具」に仕上がっていることは間違いない。ただアマチュアには縦位置グリップのない「Z8」のような機種が出て来ればありがたい。それを待つべきだったか(ちょっと後悔...)。ちょうどD5、D6じゃなくてD850のようなカメラがいいのになあ。それとZシリーズ全体のデザインと風貌は、D6やD850のような成熟した大人のそれではなく、Z7IIに感じたまだ成長過程の青二才ぶりがZ9にも感じられる。Z7IIが18歳とすればZ9はようやく25歳くらいに成長したか。かつてのF3やF5、さらにはDfのような風格と貫禄を身に付けるのはまだまだ先のことなのだろう。

また、いつものことであるが、機能メニューが多すぎる。使い方がわからない機能まで、実に多様なメニューがてんこ盛り。必要な設定を探し出すのに検索エンジンを搭載してくれと言いたいほどだ。選択肢が多いのは良いこと...なのか?設定に手間取るのはどうなのか。マニュアル読まなきゃわからないのは困るが、こんなてんこ盛りなのに最近の流行りでマニュアルが端折られているのはもっと困る。シンプルこそキモだ。結局、道具は使い手が使いこなすもので、道具に使われるものではない。これはライカSLの時にも述べた感想だ。いや、やはりプロ用機材を素人が手にすることが間違いなのだろうと反省する。しかし、Z9を手にしてみるとライカSL2はなんとシンプルで使いやすいカメラであることか!またレンガブロックのような重さもZ9に比べると可愛いものだ。モンスターはオーバースペックになりがちだが、シンプルなモンスターがあることを気付かされた。かつて使い手に阿(おもね)ない「プロダクトアウト型」のチャンピオン、ライカも、ユーザーフレンドリーに成長したものだ。皮肉なものだ。

ニコンの渾身のZ9だが、これがニコンの救世主になるのか?半導体の調達がうまくゆかないという点でもなかなか厳しいものがありそうだ。グローバルなサプライチェーンが混乱するこのご時世にフラッグシップ機の生産を全面的にタイに移してしまう決断も大胆だ。こんな状況で大丈夫なのか。どんなに優れた製品開発しようともキャッシュフローが滞ると経営に影響が出る。資金的に耐えられるのか?人気爆発のZ9が、市場に到達するまでニコンは持ち堪えることができるのか?さらにミラーレスユーザーの裾野を広げるであろう「Z8」の開発に辿り着けるのか?ニコンファンはつい余計な心配をしてしまう。創業の地大井への本社移転(Nikon Park, Oi?)を心待ちにしているのだから頑張って欲しい。事業の持続可能性、ブランド戦略も大事にして欲しい。日本の、いや世界のチャンピオンカメラ、ニコンよ永遠なれ!


取り敢えずの試し撮り:


高画素機なのに高感度ノイズが低く抑えられている
ISO20000で撮影

逆光ではフレアーがよく抑えられている
Zレンズのコーティングが貢献している

順光
高解像で階調が豊か

動体補足能力を存分に発揮する高速連写とトラッキング
ブラックアウトフリー電子ファインダーは素晴らしい!


輝度差が大きくても明部も暗部も階調が潰れない

クロップにも十分対応できる余裕の画素数

ローリングシャッター現象は見られない







2022年2月7日月曜日

古書を巡る旅(20)Treatise of Foods and Drinks:「食料/飲料総覧」 〜貝原益軒「養生訓」との奇妙なリンク?そして古書の謎解き?〜





今回取り上げる古書は、1702年にフランスの王室医師であり、ロイヤルアカデミー会員であったルイ・レメリー:M. Louis Lemery(1677〜1743年)が著した「食料/飲料総覧」を英訳したものである。タイトルは、A Treatise of All Sort of Foods, Both Animal and Vegetable: Also of Drinkables:というもの。人間の食糧となり得る動物や植物、そしてあらゆる飲み物について、その種類や特色、効能を詳細に記述し、健康に良いもの悪いものを明らかにして、どのように選ぶべきかを解説している。176項目を網羅しており、それぞれの食物について過去、現在における著名な医者や栄養学者の分析、評価などを紹介している。当時のいわば健康ブームを引き起こしたベストセラーであったとも言われている。また一種の栄養学全書でもあった。1702年、パリで初版が、そしてその英訳版初版が1704年にロンドンで出された。本書は1745年の英訳版の第二版である。パリ大学自然科学学部、ロイヤルアカデミー、ロンドン医科大学の出版許可:imprimatureに基づく書籍で、現在では入手が難しい稀覯書の部類に属する。著者のルイ・レメリー:M. Louis Lemeryの父は、この時代のフランスの著名な化学者、ニコラス・レメリー:Nicholas Lemery(1645〜1715年)である。

今回は、これまで紹介した文学作品や詩集、評論集、歴史的な人物の評伝、記録とは異なる趣向の古書である。


歴史の同期なのか?

フランスやイギリスでこの本が出版された時代、日本は江戸時代初期。奇しくも貝原益軒(1630〜1714年。筑前福岡藩士で儒学者)が、中国の植物生薬学の体系である本草綱目を和訳、解説した「大和本草」1709年(宝永6年)や、現在にも読み継がれる名著「養生訓」1712年(正徳2年)を著した時期と重なる。薬草、医学、健康と食生活について詳細に記述し紹介し、ベストセラーとなり、一種の健康ブームが起きた時期と一致する。なにかこのレメリーと貝原益軒戸を結ぶ糸があるのだろうか?色々と妄想が膨らませてみた。

考えられるのは蘭学の発展である。日本ではこのころから蘭学が盛んになり始め、長崎経由で入ってきたオランダの医学書を中心に、桂川甫筑がその和訳に取り組んだ時期である。桂川甫筑はのちの桂川甫周を生み出す蘭学者、蘭方医の家系、桂川家の始祖である。また日本における蘭学に大きな影響を与えたケンペル来日の時期(1690〜92年)から10年ほどが経過した時代で、彼の周りで影響を受けた出島出入りの和蘭通詞や若い学生が、蘭学者として育ち始めた時期でもある。しかし、まだまだ日本における蘭学/蘭方医学は黎明期で、日本では圧倒的に漢方医学、本草学が主流であった。貝原益軒の「養生訓」はこうした漢方医学、本草学の知識に基づく著作であることにに加えて、彼自身、朱子学の儒学者であり、儒教的な視点よる健康観、人生観、それに基づく心構えを表したものである。レメリーのようなルネッサンス的な「自然科学」としての医学という観点で分析、評価された食物、健康概念とは異なっている。貝原益軒がこうしたヨーロッパ由来の書籍を入手したり参照した形跡はなく、ましてフランスの医師の著作を目にする機会はなかったであろう(またその逆もなかっただろう)。むしろ貝原益軒の本領は、その儒教的な人生観である。そして人生の晩年の82歳になってから、自らの実践を「養生訓」に著し、その2年後の84歳で亡くなっている。当時としては極めて長寿に属する人生であった。そういう意味においては実証的な記述に徹しているのだが、それはヨーロッパにおける近世前期に起こった自然科学的実証主義ではなく、より東洋的な道徳価値観の実践による実証であった。それが、現代の世の中にも受け入れられ、読み継がれているところが、時空を超えた普遍性を有する所以であるが、それは近代合理主義につながる西欧流の実証主義とは別物であろう。残念ながらレメリーと貝原益軒をつなぐ「糸」があったとは考えられない。

しかし、そうした「糸」は妄想だとしても、全く同じ時期に、全く同じ食物と健康についての書籍が発表され、それぞれの国でベストセラーになったとたことは、単なる偶然とも思えないような気がしてならない。以前のブログで、イギリスと日本での国の形成と文化の発展が、あたかも同期して起きてきたことを見てきた(2020年7月12日「世界史」と「日本史」の遭遇)。ヨーロッパではフランス・ブルボン朝の絶頂期が訪れ、これに対抗したイギリスではエリザベス朝の絶対王政がようやく確立した時期であり、日本では、長く続いた戦国乱世が終わり徳川幕府の成立を見た時期である。そして安定した政治体制に伴い、新しい文化が花開いたことも共通である。そのように、ユーラシア大陸の東の果ての島国と、西の果ての島国で、同じような文化受容と変容と発展あったことは偶然ではない気がする。世の中が多少とも安定しそれなりの平和が訪れると、人は健康や人の生き方に関する関心が高まる。食物が単なる生命維持のための「餌」でないという理解、食べ物が健康や幸福感に直結しているという認識は、やがては食そのものを「文化」の重要な要素に仕立て上げてゆく。文明の発展段階に応じてこうしたことは世界で同期して起きるのだろう。このレメリーの本を古書店で見出したときに、ふと貝原益軒を思い出したのも宜なるかなである。残念ながら歴史的な事実としての「糸」の存在は妄想であろうが、歴史の「水平同期」事象の一つであるのではないかとの「ヒラメキ」は妄想ではないと信じる。


工芸品としての古書

そうした時代の妄想はともかくとして、一方の古書コレクター視点で見ると、この書籍自体が何とも美しい工芸品のような逸品である。産業革命以前の家内手工業時代の手仕事の産物である。この本を手に取った理由は、実はその中身よりは、1700年代という古書としても古い時代のものであることと、その美しい総革の装丁に惹かれたからであった。18世紀前半といえば、日本では、江戸時代徳川吉宗(1716〜1745年)治世、蘭学の発生、先述の貝原益軒のほか、関孝和、西洋紀聞(新井白石)、桂川甫筑、青木昆陽、近松門左衛門などが活躍した時代である。そんな時代のユーラシア大陸の向こうっ側のイギリスで出版されて270年も経過した「骨董」である。書誌学的観点からも、本の装丁の歴史という観点からも興味深い書籍だ。なめらかな仔牛革:Half-Calfの背表紙と表紙/裏表紙に金の文字入れと縁取りという総革の外装。背表紙:Spineと、綴じ:Bindingに独特の処理を施した製法とその結果としてのデザイン。「簀(す)の目」、「すかし」の入った手漉き紙に古い活版印字。全体的に職人が手間をかけて丁寧に仕上げた手作り感満載の工芸品となっている。特に用いられている紙は大量生産が始まる前の家内手工業製品であった時代のもので、リネン、亜麻、木綿などの使い古されたボロ布を溶かして漉いた紙である。むしろ工業製品化され薬品処理された木材パルプ紙に比べ、酸化が少なく丈夫であったと言われている。「簀の目」とは、日本の手漉き和紙と同様、漉きの工程で用いられる簀と糸の模様が紙に写し出されたもの。また「すかし」は、当時の紙漉き職人の印章、または落款のような役目を持っている。この「簀の目入り」「すかし入り」という紙は重要な書誌学的なメルクマールになる。すなわちこれは1750年以前の出版物に使われているもので、出版年代が記載されていなかったり、隠滅している書籍でも、その出版時期を特定する上での重要な判断ポイントとなるほか、後世のコピー本、復刻版、改装本とオリジナル版を見分ける手がかりの一つとなる。それ以前は、書籍には仔牛皮紙:Vellumや羊皮紙:Parchmentが用いられていたが、高価で、書写が中心の時代には修道院や大学で重用されたが、印刷/出版革命をもたらしたグーテンベルクの活版印刷には向かないことから、こうした手漉き紙に置き換わっていった。こうした本の制作過程に用いられる紙素材や、バインディングの形式、活字体、インクなどが、その内容とともにこの書籍が成立した時代を物語る重要な要素になっている。

洋古書の外装は、よく後世に改装されていることがある、外装や綴じは痛みやすいので、その経年劣化を補修したり、蔵書家が貴重な書籍を後世に引き継ぐために換装したり、あるいは書棚を飾る見栄えの良い装丁に作り替えたりしたりした。むしろオリジナルの初版本は簡素な装丁の書籍であることも多いようだ。無論、貴重な古書を修復、復元することも大事な文化財保存活動の一環として行われる。こうした書籍装丁の専門業者がヨーロッパにはあったし、今でもその伝統の技を引き継いで、古書の修復、装丁直しを手がける専門家がいる。イギリスのCraft Bookbinderと呼ばれる業者がそうだ。彼らが換装した古書が、オリジナルよりも高価な本に生まれ変わることすらある。こうなるとまさに「本」という伝統工芸作品工房、アート・アンド・クラフト活動と言って良いだろう。ちょっとジャンルが違うかもしれないが、日本の伝統工芸の一つである「金継ぎ」の(リユース)発想と相通じるものがあるのかもしれない。本書の場合、おそらく外装はオリジナルではなく、後世に換装されたものであろう。しかし、先ほどのもろもろの要素を勘案すると、外装の仔牛皮素材やバインディングの形式、また裏表紙に用いられているやや新しい紙素材(これも「簀の目」「すかし」入り)から見ると、比較的古い時代(18世紀中)に換装されたと考えられるのではないだろうか、ないしは、所有者がオリジナリティーを尊重して、わざわざ古紙となっている「簀の目」「すかし」入り紙を注文し、バインディングも当時も様式を指定したのかもしれない。数寄者はいろいろこだわるものだ。しかしそうして歴史的な価値のある書籍を後世に残し、文化価値の繋いでゆくことも数寄者の役割と言って良い。その古書の成り立ち、推移を辿りながら色々と推理し、妄想するのもまた古書の楽しみの一つだろう。


表紙
19世紀以降の書誌事項:Colophon表記デザインと大きく異なる




総革張りに金文字


バインディング(綴じ部分)とトップエンドの処理は18世紀書籍の特色の一つ


黒と赤のインクで印刷している珍しい物


「簀の目入り」「すかし入り」手漉き紙を用いている
すかしの方は紙の職人が自分の製品であることを示す印章、花押のようなもの