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2024年12月4日水曜日

錦繍の秋 〜ご近所紅葉狩り散策...あっちもこっちも「再開発」!の巻〜

 今年は夏の猛暑で紅葉が遅いと心配したが、結果的には例年通り十一月末から十二月初旬にかけてモミジ、イチョウが色づき、東京も錦繍の秋を迎えることができた。都内の遅い秋だ。遠くに出かけなくても、ご近所に素晴らしい自然を感じるところがあるのは嬉しい。いつもの日比谷公園にも足を伸ばした。ちなみに乾通りの通り抜けも始まっているが、今年もこちらはパスしてしまい、日比谷から神保町の古書店へ直行。しかし、今回はこのような都会の素晴らしい紅葉、黄葉に感動する一方で、ちょっと気になる事どもを述べてみたい。

かつて広がっていた武蔵野の雑木林がなくなってしまった東京で、自然を感じられるのは主として公園である。それも元は大名屋敷跡であったり、寺社境内であったりする。最近、再開発と称して公園に大きな工事が入り、新たなスポーツ施設やアミューズメント施設が建設されるケースが増えている。神宮外苑の森で問題になっているように、自治体と大手ディベロッパーによるこうした再開発計画が進行しており、何十年もかけて育った樹木の伐採や自然景観を破壊しての工事が強行されていることに憤りを感じざるを得ない。超過密でストレスフルな大都会にあって公園の森は貴重な自然。まさに都会のオアシスである。これだけの森に成熟するのにどれだけ時間がかかっていると思っているのか。経済低迷の日本にあって金を回すためにスクラップ・アンド・ビルドを繰り返し、再開発と称して都会の貴重な自然を破壊し、歴史的建造物を取り壊し、時間と共に熟成された景観を無惨にゼロクリアーするのは如何なものか。以下に掲載する写真が近未来に、「かつて東京にはこんな美しい紅葉と黄葉に溢れた公園がありました」などという「懐かしの古写真」にならないよう願いつつ。

「その再開発、本当に必要ですか?」

「再開発つわものどもが夢の跡」


日比谷公園(12月3日)

この日本を代表する公園でも再開発と称した建設工事が進んでいる。公園に面した日比谷通り沿いのビルは軒並み取り壊されてしまい、この日比谷公園を含む一体再開発が進行中。早くも見事な花を咲かせてきた名物の薔薇の植栽がなくなってしまった。のっぺりした「イベント広場」と称する「施設」になった。これから次々と「施設建設」が計画されているという。貴重な都心の緑地が失われることがないよう。少なくともこのツルのいる池とモミジ、いちょうの古木は守ってくれ。明治の日本近代化の象徴であった日比谷公園を、「取り壊し」と「建設」の工事を繰り返してしか経済を回せなくなってしまった日本の象徴にして欲しくないものだ。



工事中の囲いが取れたらバラ園がなくなってた!












12月12日

12月10日


戸越公園(12月4日)

肥後細川家下屋敷跡を区民公園にした。紅葉もさることながらここでは銀杏の大木と黄色い葉をつけるモミジが圧巻だ。今のところ再開発の動きはないようだ。園内に最近、コミュニティーセンターなる建物ができた。周囲の環境や景観を害するものではないが、何のための施設かわからない。綺麗なトイレに立ち寄って一休みするには便利だが。お役人さまはとにかく箱物を作ることが好きだ。それで何か仕事した気になっている。














蘇峰公園(11月27日)

旧徳富蘇峰邸跡。邸宅や書庫は現存しないが、屋敷跡にできた「展示館」の中に書斎の一部が復元され、蘇峰の著作集や資料が展示されている。その庭園は、決して広大とは言えないものの蘇峰の出身地の肥後椿や中国曲阜由来のランシン木、紅葉、銀杏の古木がある落ち着く空間だ。辺りは山王の邸宅街という立地であるが、昨今の旧邸売却、一定の広さの敷地を確保していたお屋敷が取り壊され、跡地再開発でマンションや小規模な集合住宅、あるいは土地を細分化して狭小住宅がぎっしりと密集するなど、周辺環境が変わりつつある。


12月7日

11月27日





12月7日

12月7日








12月12日

12月7日





養玉院如来寺(12月4日)

西大井にある「五智如来」で有名な天台宗の寺院。住宅街の真ん中に異空間が広がる。ここはもちろん公園ではない。東京にも京都のような紅葉で有名な寺院があるのだということが言いたい。流石に大日如来を中心にした金剛界曼荼羅世界に再開発の波を押し寄せまい。仏罰が当たる。














しながわ区民公園(12月2日)

最近、再開発で自然が失われてしまったのが残念だ。随分と小綺麗に整理されてしまったが、街中の歩道でもあるまいに、自然散策路を舗装したりブッシュを伐採して道を広げる必要はあるのだろうか。緑陰でリラックスする空間を減らし、鬱蒼たる森や植栽(芙蓉、山茱萸、花蘇芳、紫陽花など)をなぜ伐採してしまったのか? 特に「桜の広場」の桜古木を伐採してサッカー場を作ったのはなぜ?せっかく作ったのにサッカーやっているところを見たことない。自然に親しむより、サッカー、テニス、野球、ジョギングなどの運動公園に仕立て直したいのか?再開発の意図はどこら辺にあるのか不可解だ。幸い紅葉谷は残った。地下に防災貯水槽とポンプを設置したから地上は手付かずで残った。ここはもともと東京湾の埋立地にできた公園で、神宮外苑の森と同様、森林の植生の変遷を念頭に植栽計画に従って長い時間をかけて人工の森を育ててきた公園である。途中で気が変わったのか、先人の夢と長年にわたる育成努力をブルドーザーであっという間に潰してしまった。今年は桜の森の紅葉は見れない。


緑陰の散策路は舗装され拡幅され、一見綺麗になったが自然の趣は無くなった




「桜の広場」の古木は伐採され、新たに苗木が植えられたが、これが育ってあの森になるのにあと何十年かかるのだろう。

在りし日の「桜の広場」(2008年3月)
広場を囲む桜の森が伐採されてサッカー場になった



池田山公園(12月5日)

五反田にある旧岡山藩池田家屋敷/庭園跡。城南三山と言われる、島津山、花房山と並ぶ池田山は、戦後に分譲されて城南のお屋敷街になっており、庭園遺構は市民に開放されている。四季折々の花を楽しめる庭園。こちらは早くも紅葉の終わりを迎えている。ここは再開発の話は無いようだ。結構結構。











(撮影機材:Nikon Z8 + Nikkor Z 24ー120/4。池田山公園はLeica Q3 + Summilux 28/1.7。いずれもブラぱち風景写真のベストカメラだ)

2024年11月5日火曜日

養玉院如来寺「五智如来」参拝 〜江戸の在には有難い仏がおわします〜



五智如来坐像



連休最終日は「文化の日」。秋晴れの良い天気。久しぶりに古寺巡礼。と言っても、とんとご無沙汰の大和古寺巡礼でも、京都古寺巡礼でもない。地元の養玉院如来寺というお寺である。このお寺があることは以前から知っていたが、こんなありがたい御仏がおわしますとは!と改めて発見する参拝であった。江戸の在、鄙には稀なる御仏、金剛界五仏が鎮座まします。

養玉院如来寺は品川区西大井にある天台宗の寺。「大井大仏(おおぼとけ)」と呼ばれている五智如来坐像で名高い寺院だ。しかし殷賑な通りや街中にあるお寺ではなく、江戸時代なら荏原郡大井村の金子山の麓、現在は静かな住宅街となっている一角にひっそりと佇む寺だ。通りに面して立派な門がある(平成元年落慶)。中へ入るとまるで別世界のような空間が広がる。決して広くはないが奥行きのある境内には趣のある本堂と五智如来が鎮座まします瑞応殿、秋には紅葉、春には桜が楽しめる古刹の趣がある。

この寺は江戸時代初期(寛永年間)に上野寛永寺近くにあった養玉院と、芝高輪の泉岳寺近くにあった如来寺が明治末期から大正にかけてここに移築移転、合併してできた寺である。関東大震災や戦災で無惨な姿となったが、戦後再建された。そういう意味では比較的新しい寺だ。

養玉院は、平安時代創建と伝わる寺が起源であるそうだが、寛永年間に天海僧正によって移築され、上野の寛永寺塔頭三明院として開かれた古刹。その後江戸の下谷に移った。対馬藩宗家の菩提寺となり、宗家の令室の遺言で養玉院と改称した。

如来寺は寛政年間に芝高輪の泉岳寺近くに、木喰但唱上人によって創建された寺。堂内に五智如来を造立した。座高3メートルを超える大きな五体の仏像で「芝大仏(おおぼとけ)」として評判になり、江戸名所図会にも描かれている。東海道品川宿へと続く人通りの賑やかなところなので江戸の名所となり、年間を通して大勢の参拝客があった。大和高取藩植村家の菩提寺になる。

明治末期になって芝高輪から如来寺が現在地に移転。さらに養玉院が1923年(大正12年)に下谷から移転。二寺が合併して養玉院如来寺となった。なぜ江戸を離れて荏原郡大井村に移転したのか?廃藩置県で対馬藩宗家、大和高取藩植村家という大名檀越がなくなり、寺の維持が難しくなったことや、関東大震災後の再建が困難であったことが大きな理由のようだ。廃仏毀釈の影響もあったのか。何やらありそうだが詳細は不明。

寺の本尊は養玉院から伝わる阿弥陀如来立像。平安時代末期作と伝わる。無量光殿阿弥陀堂に安置されている。もともと平家の知盛の持仏だったが、壇ノ浦の戦いで平家が滅び、安徳天皇が入水したときに海中に沈んだとされる。それが時を経て対馬に流れ着いて宗家の持仏となったと伝承されているようだ。そんな!と思うがだいたい縁起、由来とはこんなものだ。宗家は渡来系の秦氏の末裔と言われるが、これ以降桓武平氏を名乗る。そのためにこの仏像流転のストーリーが必要だったのだろう。

五智如来は芝高輪の如来寺の仏であった。大日如来を中心に、東の薬師如来、西の阿弥陀如来、南の宝生如来、北の釈迦如来の五仏で、密教世界、金剛界の五つの知恵を表す。江戸時代初期1635年(寛永12年)の造立であるが、その後火災で焼け、薬師如来以外は後世の1746年(延享3年)に再建された。やがて、大日如来(現世安穏、所願成就)、薬師如来(病気平癒、無病息災、滅罪)、阿弥陀如来(現世安穏、極楽浄土)、宝生如来(福徳財宝、病気平癒)釈迦如来(知恵聡明)という現世利益を求める庶民信仰の対象となった。現在の場所は人通りの多い、あるいは交通アクセスの良いところとは言えないので、参詣者で賑わうと言うわけには行かないだろう。それにしてもこの3mを超える5体の大佛(おおぼとけ)は荘厳である。西大井に突然、金剛界五仏が降り立ち密教曼荼羅世界が出現した。5体の如来のお顔はつい最近まで赤銅色であったが、金鍍金が施された。元のお顔もそれはそれで良かったが、やはりライトアップされた黄金に輝く御尊顔は神々しい。

全国に五智如来坐像が安置されている寺はいくつかあるが、最も古い五智如来坐像は京都の安祥寺で平安初期の9世紀の作。中心仏の大日如来像は京都国立博物館に置かれている。高野山三昧院多宝塔には運慶作と言われる五智如来坐像が安置されている。こちらは鎌倉時代の作。空海の教王護国寺である京都東寺の立体曼荼羅には21体の仏像が並んでいるが、その中心に位置しているのが五智如来像である。そんな五智如来がご近所さんだなんて誠に有難いことだ。


江戸名所図会にある芝の如来寺
「芝の大仏」参詣で賑わったという

大日如来像



「瑞応殿」扁額

五智如来像が安置されている瑞応殿 
1624〜44年(寛永元年)建立、1760年(宝暦10年)再建。明治末に移築

春は桜、秋は紅葉が

紅葉はまだまだ

阿吽の仁王像



左手が本堂 元は養玉院本堂で1628年(寛永5年)建立。大正12年移築 奥が瑞応殿


無量光殿阿弥陀堂

阿弥陀堂から新幹線が見える

対馬藩宗家墓所

大和高取藩植村家墓所

荏原七福神 布袋様







山門



五智如来御朱印




アクセス:
JR横須賀線西大井駅から徒歩10分
都営地下鉄浅草線馬込駅から徒歩10分

拝観:
午前9時〜午後4時 無料

(撮影機材:Nikon Z8 + Z Nikkor 24ー120/4、Leica M11-P + Tri-Elmar 16-18-21/4)