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2022年11月3日木曜日

増上寺建立400年記念 三解脱門楼上内部特別公開 〜400年前の江戸がそのままここにあった〜


楼上に「釈迦三尊像」「十六羅漢像」


芝増上寺建立400年記念 三解脱門(三門)楼上内部特別公開があり見学してきた。11年ぶりの公開だそうだ。江戸っ子にはおなじみの朱塗りの壮麗な三門は、これまで何度もくぐったことはあるが、登楼は初めてだ。京都南禅寺三門のようにいつも登れるわけではなくて、こうした特別な機会にだけ登れるので期待が膨らむ。常時公開ではないので臨時に二階の床板を一枚剥がしてそこに鉄製の非常階段を掛けてある。この急ごしらえの階段は狭くて勾配が急でなかなか登るのが大変だ。楼上は思いの外広くて、そこには釈迦三尊像を中心に十六羅漢像、歴代上人像が門の外を向いて鎮座まします。門の二階とは思えない荘厳な仏の世界が広がっている。このときは特別拝観のため尊像がライトアップされていたが、本来なら薄暗闇に金色の仏像が神々しく鎮まっていて、門扉を開けると外光が釈迦三尊に射すのであろう。仏像は薄暗い堂内の自然の明かりの中で拝観するのがもっとも良い。ともあれ、いつも気づかずにこの門をくぐっていたのだが、頭上で仏様たちが見守ってくれていたのだと知るとありがたさがいや増し、解脱門をくぐるたびに煩悩が払われるような気がした。これからは門前を通るときには楼上の釈迦三尊像を拝ませていだだこう。また。楼上からの展望もなかなかの絶景。江戸時代のようにここから江戸湾が見渡せるというわけにはいかず、周りをビルに囲まれた現在の東京の風景が広がっている。しかし江戸400年の時空を遡る世界を夢想しながらの絶景を体感できる。

この三門は国指定重要文化財。元和8年(1622年)建立で、増上寺が江戸時代初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物である。増上寺(山号は三縁山)は浄土宗大本山で、本尊は阿弥陀如来。元は1393年(明徳4年)創建の古刹である。江戸に入った徳川家康により徳川家菩提寺となり、徳川家康に仕えた大工棟梁、大和国の中井正清の設計監修に基づき大々的に造営し直した。中井正清は江戸城天守閣、二条城、増上寺、日光東照宮、江戸の町割りなど、徳川家お抱えの大工頭として活躍し、彼が残した建築遺産を全国あちこちで見ることができる。日本の建築界のレジェンドの一人だ。

こうして増上寺は、徳川家康により徳川家の菩提寺となり、江戸時代を通じて上野の寛永寺とともに隆盛を誇ったが、徳川幕府の瓦解、明治の廃仏毀釈の嵐の中で多くの堂宇が破壊され、境内敷地が没収されて大半は芝公園となった。上野寛永寺のように上野戦争の現場となって境内全域がが灰燼に帰すことはなかったものの、先の大戦による戦禍で本堂(現在のものは再建されたもの)や歴代将軍の墓所も焼失し、現在遺構として残されたのはこの三門はじめいくつかの門だけになってしまった。しかも移築された門が多い中、創建時の位置でその姿を今に留める三解脱門(三門)は、歴史遺産としても貴重である。増上寺の門に関する「うんちく」は過去のブログを参照願いたい(2018年10月3日増上寺と芝公園(2)〜そして門が残った〜 )

この三門の建築様式は、三戸二階二重門、入母屋造り、朱漆塗り。朱塗りの壮麗な建築物である。東日本で一番大きな門だという。三門とは、中央に大きな門、左右に小さな門を連ねた三門形式の門(山門ともいう)。南禅寺、建仁寺、妙心寺などの禅宗寺院や、知恩院などの浄土宗寺院(増上寺も浄土宗だが)の本山クラスの大寺院の門であることが多い。別名の「三解脱門」とは、「空解脱」「無想解脱」「無作解脱」の三境地で悟りの道に至る、あるいは三毒、三煩悩、すなわち「むさぼり」「いかり」「おろかさ」を解脱することを意味する。そなわちこの門をくぐると悟りを開き煩悩を解脱できるとされる。楼上には釈迦三尊像(釈迦如来に脇侍に騎獅の文殊菩薩、乗象の普賢菩薩)、十六羅漢像、当山歴代上人像が安置されている。いずれも木像で、釈迦三尊像は創建時に京都の仏師によって彫られた(東京都指定文化財)。先述のように、気が付かぬうちに頭上から門をくぐる迷える衆生を救ってくださっていたのである。有り難いことである。南無阿弥陀仏。

そして、この三門楼閣からの展望がまた絶品である。今でこそスカイツリーや高層ビルの展望フロアーからの展望が楽しめるのでこれくらいの高さの景色などが珍しくないが、ここから展望する芝公園、大門、浜松町の景色は格別だ。昔は高い建物は少なく、増上寺三門は「高層建築」であった。しかも庶民が登楼できるところは限られていたので、こうした大寺院の三門への登楼は絶好の行楽の機会でもあったことだろう。何しろここから江戸湾が見渡せたというのだから絶景に違いない。概してこうした、いわば「高層建築」であった寺院の三門には様々なエピソードが残されている。京都の南禅寺三門は、あの大盗賊石川五右衛門が楼上から満開の桜を眺め、「絶景かな絶景かな〜」と大見得を切ったと場所とされ、歌舞伎「楼門五三の桐」の名場面となっている。一方、同じ京都の大徳寺三門は、千利休の切腹のきっかけとなったとされる因縁の門である。利休が、三門の上部(金毛閣)を寄進したことに感謝した寺が、彼の木像を楼上に安置した。しかし大徳寺三門をくぐる秀吉の頭上に利休像を置いたのは利休が主君である秀吉を謀殺しようとする企ての証だ、との言いがかりをつけて切腹に追い込んだという事件。大泥棒や切腹などといった有名人のドラマチックなエピソードこそないが、ここ芝増上寺三門も江戸っ子にとっては人気のスポットだった。愛宕山の展望台とともに高いところから江戸の街と海を見渡す絶好の場所だったことから浮世絵にも度々取り上げられた。「江戸名所図会」にも芝増上寺三門からの眺め描かれており、当時の人気を伺わせる。人は高いところに憧れる。そこから俯瞰する世界にいろんなドラマが生まれる。



1)釈迦三尊像

釈迦三尊像と十六羅漢像

仄暗い空間に金色に輝く仏像が映える

釈迦如来像を中心に脇侍に文殊菩薩像、普賢菩薩像



太い柱と梁がこれだけの空間を支えている



2)十六羅漢像、歴代上人像













3)三門楼上からの展望

真正面は大門
もはや海は見えない

「江戸名所図会」の芝増上寺
江戸湾が見える

手すりが低いので高欄には立入禁止

臨時の上り階段

下り階段



4)三解脱門外観

大門側から
楼上の扉が開いているのが見える


境内から







広重の増上寺三解脱門



5)大門(かつての増上寺総門)


奥に三解脱門が見える





6)三門公開記念の御朱印


三門公開記念の御朱印



(撮影機材:Leica M11 + Summilux 50/1.4, Tri-Elamar 16-21/4, Leica Q2)




参考写真:南禅寺三門、大徳寺三門



南禅寺三門

三門楼閣
楼閣からの展望
石川五右衛門が唸った絶景

大徳寺三門

千利休が寄進した金毛閣