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2019年11月6日水曜日

旧安田善助邸「松滴庵」訪問 〜帝都東京の別邸街、大井町にその痕跡を探索する〜

旧安田善助邸茶室「松滴庵」

現在の品川区大井町あたりは、かつては江戸朱引の外。江戸前の海岸べりは東海道品川宿、武蔵野台地の南の外縁部は武蔵国荏原郡大井村であった。大井と言うとすぐに思い浮かべるのが大井競馬場や大井埠頭コンテナヤード、新幹線大井車両基地。しかし、それは戦後の、しかも海岸べりの埋立て地域の話。古くからの海岸段丘の崖をよじ登った台地上は、湧き水があちこちにあり、水神様が祀られ、その湧き水で野菜を洗って江戸へ出荷するという近郊農業を生業とする人々が住む大井村であった。明治に入ると、その大井村界隈には隣の大森山王界隈まで、政官財界の大物の私邸/別邸や、軍人官僚の邸宅が多く設けられ、さながら帝都別邸街の様相を呈していた。現在も高級官僚の公邸(誰も住んでいない国有遊休不動産になっているが)や、大企業の社長私邸、あるいはその跡地に社宅や社員クラブといった風情の住宅が多い地域だ。都心にも近い郊外で、公務を離れてゆっくりと過ごすには最適な地域だったのだろう。中でも、現在の池上通り(大井本通り)の大井三叉付近にあった、伊藤博文の大井別邸が有名であった。一時はニコンの社員クラブに利用されていたようだが、残念ながら14〜5年ほど前に売却されて解体され、なんの変哲もない集合住宅になってしまった。伊藤博文邸の建物は出身地の萩に移築されたが、大井町の自慢の和建築の豪邸であったのにもったいないことをするものだ。このあたりのマンションは、こうしたまとまった敷地を持つ旧邸宅跡に建てられたものが多い。

もう一つが、その旧伊藤博文別邸から池上通りに沿って西へ10分ほど歩いた所にある旧安田邸である。そう言ってもピンとこない人が地元にも多いと思うが、現在の区立の品川歴史館である。ここは安田財閥一族の一人、安田善助の邸宅跡だ。善助は安田財閥の総帥安田善次郎の甥で、傘下の銀行、保険会社、鉄道会社の社長を歴任した。安田財閥といえば、東京大学安田講堂や日比谷公会堂の建物を寄付したことで知られているほか、都内には墨田区の安田庭園(善次郎邸跡)や一族の邸宅がいくつか残されている。この大井邸宅もその一つであった。ここはその後、電通の社長吉田秀雄邸、さらに財団法人「吉田秀雄記念館」となったが、1985年(昭和60年)に品川区に移管されて、品川歴史館として一般公開されている。邸宅は昭和初期に建てられた和風木造建物であったが、現在は鉄筋コンクリート造りの建物となっている。往時を忍ぶ遺構としては庭園と茶室の「松滴庵」が残されている。「松滴庵」は創建当初のままの姿を保っている。当時は茶湯は財界人の嗜みとしてこぞって邸宅に茶室を設け、盛んに茶会を催した。数寄者同士のコミュニティーが形成されてたことも知られている。ここ「松滴庵」にも高橋是清、藤原銀次郎、根津嘉一郎など多くの政財界人が訪れたという。現在は区民に公開されており、茶会を開くこともできる。

邸宅本館は残念ながら取り壊され残っていない。跡地に、先述のように品川歴史館の鉄筋コンクリートの建物が建てられているが、館内一階に旧邸の書院と、庭園に面した縁側の一部が往時の面影を残す遺構として再現されている。庭園は所有者の変遷に伴い改造されてるが、年季を感じさせる桜と紅葉の古木があり、その季節の彩りが楽しみだ。また、風流な水琴窟が庭園に設えられているのが珍しい。これは品川歴史館の建設工事中に庭の中から見つかり復元したものだという。水琴窟は日本庭園に独特の仕掛けで、江戸時代文化文政の頃の庭師が生み出したらしい。一時盛んに作庭に取り入れられたが、やがて忘れられた時期があったようだ。ここの水琴窟はいつ頃に設けられ、いつ頃地中に埋れてしまったのか記録も残っていない。この復元された水琴窟の不思議な音色は何も故事来歴を語ってくれないが、時空を超えた瞑想世界に誘ってくれるようだ。さらに変わったところでは8世紀初期飛鳥時代〜奈良時代初期の竪穴式住居跡が敷地内に見つかっており保存されている。この周辺には竪穴式住居が複数検出された「鹿島谷遺跡」がありその一部だ。大井あたりの台地上には早い時期から人が集まって集落を形成しいていたようだ。そういえばここから池上通に沿って西へ行くと大森貝塚遺跡があり、この一帯は縄文時代から集落が形成され、先史時代から人の生活の痕跡があちこちに見出される地域なのだ。思いがけないところに古代への小さな「時空トンネル」があった。

現在は品川歴史館となっているこの建物と庭園は、池上通りと鹿島谷から旧東海道へ下る通りの交差点角に位置し、鹿島神社、大森貝塚庭園が近い。品川歴史館には、時々の企画展が催されるほか、常設展として明治初期にモース博士が発見、調査した大森貝塚の遺物も多く展示されている。また江戸時代の東海道品川宿のジオラマが展示されていておもしろい。しかし、これだけ旧邸、屋敷の跡があちこちにある大井町や品川界隈のお屋敷街としての歴史については触れられていないのが残念だ。維新後の帝都東京の発展と変遷を辿るのにちょうどいい場所だと思うのだが。品川宿や大森貝塚ばかりが品川ではないのだが。


品川区立品川歴史館

庭園は秋の気配

庭園で発掘された8世紀初頭の竪穴式住居跡が保存されている
「松滴庵」待合
茶室「松滴庵」入り口


光悦寺垣





本館跡には品川歴史館の建物が建っていいる

本館から眺める「松滴庵」

本館沓脱ぎ石
旧邸本館の書院と縁側が一部再現されている

庭園
桜と紅葉の季節は素晴らしい

水琴窟を伴った蹲

左の穴の中に瓶が埋められていて、蹲から水が流れ落ちるたびにえも言われぬ響きを奏でる
風流な仕掛けだ

折しもお隣の鹿島神社の秋祭り
庭園の塀越しに子供神輿が見えた

(撮影機材: Leica CL + Vario Elmar-T 18-55/3.5-5.6 ASPH)



2019年11月3日日曜日

中延商店街 〜日々の暮らしの中に昭和が垣間見える商店街〜

 東急大井町線中延駅/都営浅草線中延駅から東急池上線の荏原中延駅までの間、約300mの商店街がある。一部がアーケード街になっている。ここは品川区の中延商店街である。品川区の商店街としては、近くにある戸越銀座商店街が有名で、最近は観光客にも人気。外国人も集まりお店も多国籍化してきている。しかしここ中延商店街の方は地元密着型。行列のできる店などはないし、インスタ映えするお洒落なカフェもない。八百屋さんや肉屋さん、家具屋さん、美容院、洗濯屋さんと町の電気屋さん。なぜか和菓子屋さんが多い。ご多分にもれずコンビニやファストフードなどのチェーン店も増えているが、代々地元で商売してきたお店が軒を並べている。日常の生活の中に生きる「普段使い」の商店街だ。ホッとする雰囲気、佇まい。そうした日常の風景の中に「時空トラベラー」を引き付ける非日常的な点景が混在している。シャッターを下ろしてしまった古建築(昭和初期、大正末期)。老夫婦が昔ながらの銘菓を商う老舗。看板建築をリノベしたペットフードショップ。タバコ吸い放題の喫茶店。昭和に置いてきた光景だ。いつ頃からこの商店街が形成されたのかよくわかっていない。畑が広がっていたこの辺りが住宅地化し始め、東急電鉄の駅が出来てからだんだん商店街が形作られていったらしい。この辺りは古来、武蔵國荏原郡であった。律令時代の郡衙は戸越神社あたりにあったらしいが、その跡は見つかってない。1932年(昭和7年)に荏原郡は全域が東京市に編入されて郡が消滅する。大東京35区の時代である。荏原町は荏原区になり、戦後は品川区と統合され東京23区の時代となった。

 東京には戦後ある時期まで(多分1964年の東京オリンピックから高度経済成長期の初期まで)こうした商店街があちこちにあって、それが日常の風景であった。地元の個人商店中心に形成されていて、まだ大型スーパーやコンビニや、ましてネットショップなどない頃だ。下町ではないが、しかし山手の雰囲気でもなく、下駄ばき普段着の町。立ち並んだ電柱には桜や紅葉の造花が飾り付けられ、「✖️✖️商店街」の文字が記された提灯や街路灯が設置され、路面に建ち並ぶお店の軒下の看板が連なり、店員さんの「らっしゃいらっしゃい」の威勢の良い掛け声が通りに満ちている。賑やかで狭い通りに人通りを縫うようにバスが通る。その通り一本後ろが住宅街である。まさに、当時人気のNHKテレビドラマ「バス通り裏」の世界だ。これが幼い頃の記憶に残る東京の住宅街の風景であった。いつの間にかこうした商店街を形成していた店が、一軒、また一軒と廃業し、姿を消してシャッター通り化していった。駅前に大型スーパーができ、商店街のお店の後にはマンションや狭小なプレハブ集合住宅、コンビニが建ち並ぶ。何か寂しく、味気ない街並みに変貌していく。今や、その大型スーパーも経営不振の時代に入り閉店するところが増えている。小売業の変遷と言って仕舞えばそれまでだが、街の佇まいがそれによって大きく変容させられている。それだけにここ中延商店街の短いアーケード街の屋根の下に凝縮された、あの頃の「商店街」の記憶にホッとする。

 大阪には天神橋筋商店街や心斎橋筋商店街など長大なアーケード街が今もある。黒門市場は大阪ミナミのランドマークといって良い。空堀通り商店街のような時空の迷宮への入り口のようなところもある。文化の多様性にあふれた鶴橋商店街や桃谷商店街も大阪的だ。環状線や私鉄沿線の駅前には、駅を起点として、それぞれに地元の顔を持った商店街が伸びている。日々の暮らしに密着した商店街の存在、これが大阪という街を特色付けているように思う。京都には寺町通、新京極、錦市場など独特の歴史を背負った商店街があり、わが故郷、福岡/博多には川端通、柳橋連合市場、新天町、西新町商店街など、それぞれ違う個性を持つ商店街がある。そう、商店街はその町の歴史と住人の気質を醸し出す顔のようなものだ。変化の激しい東京にもそうした顔がまだ残っていることは嬉しい。が、どこか関西のそれとは違うように感じる。それが何かはよくわからないが、多分、その土地の長い歴史に根ざしたディープな迷宮さが足りないのだろう。時間で熟成され、片隅の埃にも歴史のアカが凝縮し、あるいは腐り始めたような匂いがない。東京は町の新陳代謝が激しくて熟成された姿が残される余地はない。商店街は徐々に消滅しつつあって存在感が他の街に比べ相対的に薄れていっている。要は破壊と建設が延々と継続される現代を生きる都会なのだ。そんななかここ中延商店街には、一瞬ではあるがどこか関西の商店街の匂いがする。迷宮と言うには短すぎるがノスタルジアを感じる空間である。



中延商店街
意外と東京では少ないアーケード街である。

なぜか八百屋さんが多い
しかも安い!

こちらはさらに激安を売りにする八百屋さん
思わずいらないのに買ってしまうこの安さ!

老舗の和菓子屋さん
お年寄りの憩いの場になっている
古建築を改造したペットフード屋さん
ワンちゃんが外でお待ちかね
アーケード街の外にも老舗の和菓子屋さん


立ち話コミュニケーションは当たり前

人形町のあの名店がここにも
だんだんマンションに侵食されていくのだろう
このシャッターが開くことはもうないのだろう
せめてこの戦前の看板建築を残して欲しいものだ

第二京浜国道の交差点が商店街の出口

突如お風呂屋さんが出現
ただし煙突がない...





2019年10月31日木曜日

世界遺産 首里城炎上 〜必ず復活するぞ琉球の風!〜

首里城正殿

守礼の門



今朝、驚きのニュースが飛び込んできた。那覇市の世界遺産、首里城が炎上し、正殿、南殿、北殿が全焼した。なんということだ。絶句... 言葉がない。かつての琉球王国の王宮。堅固にして華麗なる琉球王朝の城(グスク)。沖縄県民、日本国民全ての貴重な文化遺産にして、日本の文化の多様性のシンボルが一晩で失われた。先の大戦で国内唯一の戦場となり、戦災で失われた首里城は、戦後、本土復帰したのちに市民の力で復元、再建された。にもかかわらずその努力は水泡に帰し、建造物は灰塵に帰した。地元、沖縄の方々の心中察するに余りある。

今から8年前に、私は仕事で那覇市と宜野座村に出張した。那覇支店と宜野座のデータセンタを訪ねたのだが、やはり印象に残ったのは壮麗な首里城と、延々と続く米軍基地、そして美しく輝く辺野古の海であった。振り仰いだ首里城の威風堂々とした勇姿が目に焼き付いている。それが無残な姿になってしまった事を思うと胸が痛い。

かつて中国の明、清王朝の朝貢冊封体制下にあった琉球王国。やがては日本の薩摩支配を受け、首里城正殿の左右には中国風の北殿、日本風の南殿が配され、双方からの使節を受け入れてきた。幕末の1853年、ペリー艦隊が那覇に寄港し、強引に首里城に押しかけ大統領国書を手渡している。江戸湾浦賀沖に出没する直前のことである。首里城は琉球王国の東アジアにおける地政学的な立ち位置を示す貴重な史跡であるばかりでなく、大国に囲まれた小さな海洋王国が、軍事ではなく、現実的な全方位外交と中継貿易で繁栄し、平和を維持し、高い文化を育んできたという歴史を学ぶ縁ともなる文化遺産である。こうした海洋王国、琉球の歴史と、大国の戦乱に巻き込まれた戦中、戦後の沖縄の苦悩の歴史、そして日本の、世界の向かうべき方向を指し示す歴史の証人としての歴史をしっかり心に刻むためにも、心より首里城の早期復興を祈念したい。


2011年2月25日のブログ:

時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : 琉球の風 ー成長のポテンシャルはここにありー: 仕事で沖縄へ出張。3年前にシンクタンクの遠隔地医療のプロジェクトで琉球大学を訪問した時以来だ。 大阪伊丹からの便は満席。こんな季節に,何故?と思ったが、沖縄は今が一番過ごしやすい季節なのだ。暑すぎもせず寒くもなく。確かに...


なんと無残な.....
(朝日新聞デジタル版より)




2019年10月27日日曜日

SIGMA fp + 45mm 1:2.8 DG DN 〜久しぶりにワクワクするカメラが登場!〜

 シグマという会社は面白い。昔はニコンやキャノンなどの純正レンズに比べて廉価で入手しやすい交換レンズ群を提供するサードパーティーレンズメーカであった。ライカの一眼レフRシリーズ向けにズームレンズをOEM供給してきたメーカーとしても知られている。悪いが、これまであまりハイエンド製品を提供するメーカーとのイメージはなく、我々のようなカメラ好きだがお金のない学生や、ニコンには到底届かないアマチュアカメラマンに、安い交換レンズを提供するメーカとの理解であった。ところが最近はニコン、キャノン用だけでなくミラーレスのフロントランナー、ソニーアルファシリーズ向けに個性的な高品位レンズ Artシリーズなどを次々に出している。さらにライカ社のLマウントアライアンスに参加し、低廉な普及型製品から高品位製品へとシフトしている。あまり公表はされていないがライカ社との長年の提携関係があり、ライカ社の最近のレンズ設計、製造にはシグマの参加があると言われている。技術的にはそれだけの実力を有する会社なのだ。デジタルカメラも製造しておりユニークな製品がラインアップされている。本社は神奈川県川崎であるが福島県会津に工場がある。コストダウンのために製造を海外に出すオフショアーをやらず、日本で開発、製造することにこだわる。

 そのシグマから最近発表されたのが、このSIGMA fpとLマウントレンズSIGMA 45 mm f.2.8 DG DN Contemporary だ。ついに今月25日に発売となった。pfはフルサイズセンサーミラーレスとしてもっともコンパクトなカメラとなった。小さくても金属の塊の剛性感あるボディー/鏡胴でズッシリとした手応えだ。そのスクエアーなフォルムは、シンプルであるがむしろ個性的だ。とても万人向けのカメラではないだろう。おそらく量販店やネットショップの人気トップ3に入ることはないであろう。レンズはライカLマウント。こんなカメラが堂々と企画され、発売されカメラ好きの手元に届くようになったことは嬉しい。ライカのLマウントライアンスに参加しているので、レンズ、カメラともLeica SL, CLシステムと互換性がある。もちろんパナソニックLumix Sとも。

 このカメラ、レンズともに全てMade in Japan。最近希少となった感がある国産だ。ニコンもキャノンもソニーもハイエンドカメラでも裏を見ると中国やベトナムやタイ製。量産品は企画、設計は日本でも、製造、組み立てを海外にオフショアーしてコストカットする。しかし、人件費が跳ね上がりコストメリットがなくなった中国からChina plus OneでASEAN諸国へのシフトが進んでいるが、そろそろきちんとした信頼感の高い造りの「日本製」が、多少コスト高でも良いという人が増えている。中国人は日本製を選んで買ってる。このシグマのこだわりはその先取りだろう。Made in Japanは高品質、高品位のブランドになっている。もう一つ量産品の気に入らない点はエンジニアリングプラスチックの多用だ。かなりのハイエンド機でも軽くて丈夫、安くて、経済合理性は抜群の化成品素材を多用している。実用的なのだが、お道具感に欠けるので個人的には食指が伸びない。この点でも金属外装で武装したシグマのfpとContemporary Lensへのこだわりは好感が持てる。

 一方、シグマはデジタルカメラの領域では、買収したシリコンバレーのFoveonのセンサーをコアに独特のSIGMAワールドを形成している。固定的なFoveonファンが存在する。しかし、今回は2460万画素のフルサイズベイヤーCMOSセンサーとした。あえて「普通のセンサー」にしたことには意味がある。スチル専用ではなく今回はシネマとのシームレスな結合を優先しておりその方が合理的だと判断したようだ。ちなみに2020年にはスチル専用の新たなフルサイズミラーレスカメラを発表するといっている。こちらは新たな設計のFoveonセンサーだという。

 このfp (フォルテッシモ、ピアニッシモの意)の命名のセンスにも唸らされる。味気ない記号ではなく、表現者の「お道具」にメッセージが込められているように感じる。詳しいスペックはあちこちのネット上に紹介されているのでここで重複して説明はしないが、その特色を一言で言えば、ポケットに入る(実際はちょっと無理だが、それくらいコンパクトだという例え)フルサイズセンサーカメラ。も一つ言えばスチルカメラにシネカメラの機能を融合させたスチル/シネシームレスカメラ。さらにも一つ言えば、デジタルビジュアルエコシステムの母艦。デジタルスチル撮影、シネシューティングの機能をコンポーネント化した。すなわちスチル撮影でもシネ撮影でも、システムをカスタマイズできる自由度を提供するカメラだ。特にシネマモード撮影(動画)にこだわりが感じられる。驚くのはシネマDNGモードを備えていて、USBーCポートに外付けのSSDを繋いで撮影、記録できる。したがって、小さなボディーに拡張性:Scalabilityを可能ならしめるためのインターフェース、ガゼット増設ネジが用意されていて他社製品との組み合わせも可能。もちろんマウントアダプターを介して様々なレンズを使用できる。ホットシューすら別部品になっている。流行りの電子ビューファインダー:EVFもないが、ディレクターズモニターの接続が可能だ。。システム化するにつれ、大きなレンズを装着するにつれ、ハンドグリップが欲しくなるが、ちゃんと別売りで2種類用意されている。このfpの拡張性を、既存のカメラの固定された特徴を再構成する「デジタルカメラの脱構築」というキーワードで説明している。この辺りも柔軟な頭と豊かな感性で生み出されたオープンプラットフォーム発想のカメラだと感じる。

 シグマはLマウントアライアンスなので、もちろんLeica SL用の重いレンズも使える。マウントアダプターを介してLeica M、Rレンズも使える。ボディー内手振れ補正機能がないが、レンズ内手ブレ補正機能つきLレンズには対応していて、使用時には手振れ補正表示が出てキチッと止まる。しかし、そうでないレンズを使用する時には手振れに注意する必要がある。ただ、このカメラは高感度ノイズが驚くほど抑えられていて、ISO6400くらいは完全に常用域だ。したがってLeica Mレンズや、キットレンズの45mmレンズでも高感度に設定してシャッター速度を稼げば手振れの心配はない。シャッターは電子シャッターのみという割り切りよう。したがって高速移動する被写体の撮影ではいわゆるローリング現象があることを知っておくべきだ。外見の特色の一つに液晶パネル外周をグルリと取り巻くヒートシンクがある。シネモードなど、長時間の撮影を想定した冷却ベンチレータだ。これがこのカメラの性格、コンセプトを物語っている。

 同時発売された45mmのミラーレス用標準レンズがまた魅力的だ。いやむしろ、シグマ製品発表会ではレンズの発表が先で、ソニーEマウント用、ライカLマウント用の新企画として紹介された。そして、「One More Thing: もひとつおまけに...」としてfpを、まさにポケットから取り出して紹介して見せた。このプレゼンテーションタクティクスの巧みさ、センスの良さにも、山木社長の新しい感性と戦略を強く感じさせる。そう言えばなぜプレゼンしている社長が謎のfpロゴの入った黒いTシャツを着ていたのか、ここでようやく謎が解けるというストーリー展開、演出であった、

 フルサイズミラーレス用レンズはどれも大型化し重いものが多い。Leica SLのレンズのダンベルやバズーカ砲のような重量感には辟易する。しかし、この45mm単焦点レンズはは小型軽量のコンパクトレンズだ。スペック的には45mmで、50mmと35mmの隙間をいく焦点距離。F値は2.8と高速単焦点レンズ時代にコンサバなスペック。手ぶれ補正もない。しかし、そのクリアーでシャープな解像度、反対にアウトフォーカス部のボケ味は、なんでこうなるの?!というほど魅力的だ。最短撮影距離は24cmまで寄れるので、開放で撮ると結構なボケが楽しめる。開放、近接撮影だと少し解像度がソフトになるが、ちょっと絞るだけでキリリとした描写になる。周辺光量落ちや収差は感じられない(作例参照)。しかも鏡胴はブラックペイントのオール金属。その剛性感、絞りリングのクリック感もとても高品位な仕上げだ。レンズマウントのカッチリ感も最高だ。ガタガタするレンズマウントは不安になるものだ。おまけに付属の専用フードも縦縞模様の金属製(よくあるプラスチックではない!)というこだわりようだ。こうした「造り」にいたく感動してしまう。このカメラとレンズの組み合わせがベストマッチだが、もちろん、あの重いLeica SLボディーにも装着できる。この組み合わせだとSLが嘘のように軽快な取り回しとなるのが嬉しい。

 若い社長の個性とチャレンジ精神と、何より写真好きがこのカメラとレンズを生み出したことがありありと伝わってくる。社長と開発者の顔が見える「お道具」に仕上がっている。日本の製造業も、高性能だが低価格の量産品モデル(これで成長してきたのだが、そのモデルは韓国。中国にキャッチアップされ、追い越されてしまった)から抜け出て、より高付加価値、高品位、オンリーワンの使い手の感性に訴える製品を出していかねば生き残りできないことは自明だ。カメラという道具は特にそうした「特別感」が必要なガゼットだろう。いやあ、面白くなってきたぞ!ライカを超えるカメラが出てきそうな予感だ。再びライカバスターが日本に現れるかもしれない。

 シグマの山木和人社長、1968年生まれの創業家二代目社長だそうだ。最近流行の若手ベンチャー企業経営者ではなく、いわば老舗の伝統企業を引き継いだ経営者だ。創業者である父は光学技術の研究者であり自ら手を動かす技術者で、オンリーワン精神の持ち主であったらしく、下請けに甘んじることなく、独自のブランドで独自の製品群を世に出してきた。ニコンやキャノンという二大ブランドが厳然と存在する市場での差異化は難しく、「安さ」を売りにせざるを得なかった悔しさはいかばかりだったか。かといってコスト度返しのとんがった高級品を開発してもなかなか商業的に成功する道は厳しかっただろう。良い技術を持ちながら苦労してきたと思う。その父親の苦労を知り、オンリーワン精神を二代目はしっかり引き継ぎ、さらに新しい感性と、時代を見つめる眼と、最先端の技術を生かした製品の企画、製造にのり出だした。時代も後押しした。カメラ自体がデジタル技術イノベーションで、高性能化するとともに、コモディティー化が急速に進み(スマホカメラがその究極)、スペック的、コスト的な差異化が困難になってきた。利益の出にくいモノ作り事業モデルになってしまったカメラ業界で、差異化ポイントをハッキリさせて、それを高付加価値として受け入れてくれる顧客層を狙った製品を開発する方向に動いている。その差異化ポイントとは「人の感性を刺激する」道具造りである。高性能で高品位。コストはそれに見合っていれば高くても買う。そう云う高付加価値/差異化渇望ユーザを狙う。誰もが手を出す汎用品ではなく、こだわりを持った人が唸る「お道具」を丁寧に作り出す。かつてのライカの精神にも通じるものがある。長いライカ社との協業の中で学んだのかもしれない。先述のように彼はMade in Japanにこだわる。製造拠点である「会津」にこだわり続けている。良い「お道具造り」は結局「ヒト」という経営資源に依存するものという強い信念による。こういった個性的、かつ堅実な視点を持つ若い経営者がどんどん出てきて、日本をもっと面白くして欲しい。決してとっぴな発想ではないが、創業以来の目線の延長線上に、満を辞して今回の製品を生み出したのだろう。時宜を得た製品を生み出すためには、「時」を見極めることが必要だ。納得だ。これがスタートで、さらにユニークな世界のオンリーワンを次々生み出して欲しい。


SIGMA fp + SIGMA 45mm f.2.8 DG DN Contemporary

背面の配置
わかりやすいユーザインターフェース
EVFは内蔵されてないし、外付けも想定されていない。
右手の握り位置が狭くてこのままでは少々ホールディングが悪い
別売のハンドグリップが用意されている。




手のひらサイズ!
しかし意外に分厚いボディサイズ

USB, HDMI, MIC等のコネクター端子が配置されている
ネックストラップ用のネジを外せば、ホットシューユニットの装着、ジンバル、ドローン、シネマ用のフレームへの装着時にねじ止めができる。

レンズフードは金属製!
スチル撮影とシネ撮影をワンタッチで切り替えできる
このシームレスさが特徴
外見の特色のひとつはこのヒートシンク。
長時間撮影だと結構な発熱量がある
まるで液晶パネルが浮いているように見える。
EVFがないので背面液晶画面がすべてとなる。
視認性の高い3.15型210万ドットタッチセンサー
ここに取り付けるビューワーもオプションとして用意されている


(作例)

取り急ぎ試し撮りバージョン。
DNGで撮影。LightRoomでポジフィルム現像。







絞り開放(f.2.8)で近接撮影
ソフトフォーカスのようなふんわりした写り
(LightRoom でクロップ拡大)

しかし一段(f.3.5)絞るとクリアーで違った印象になる
(LightRoomでクロップ拡大)