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2021年2月2日火曜日

古書を巡る旅(8)サミュエル・ジョンソンとジェームス・ボズウェル 〜英国紳士必読の書「サミュエル・ジョンソン伝」とは?〜

 

James Boswell [The Life of Samuel Johnson LL.D.] 4 volumes 6th Edition 1811



 「ロンドンに飽きたものは人生に飽きたものだ」。「燕麦はイングランドでは馬に食わせるが、スコットランドでは人間が食う」などの言葉をどこかで聞いたことがあるだろう。これらはいずれも18世紀後半の英文学の大御所、サミュエル・ジョンソン:Samuel Johosonの言葉である。彼はイギリスで初めての体系的で「完全」な英語辞典を編纂したことで知られる。すなわち英語のレジェンドの言葉なのだ。彼の辞書には多くの皮肉とウィットに富んだ言葉が収録されていて、彼の「独断と偏見」によって編纂された辞典はジョンソン色に染まったものだという。また彼の伝記である「サミュエル・ジョンソン伝」には多くの彼の言動、警句について記述されている。これは彼のいわば弟子ともいうべきジェームス・ボズウェルによって著された

 イギリス人の独特の言語表現や思考様式はこのあたりが起源となっているようだ。私のイギリスとアメリカの両方で暮らした経験による「独断と偏見」に満ちた観察でも、イギリス人独特の皮肉っぽいジョーク表現と、アメリカ人のなんのヒネリもないストレートなジョークとの違いに同じ英語なのにこうも違うのかと驚きを感じたものだった。アメリカ人にとって「Yes」は「Yes!」以外の何ものでもないが、イギリス人にとっては「Yes indeed, but...」であり、アメリカ人の「Good !」はイギリス人の「Not so bad...」である。人にものを尋ねるときの「Could you possively excuse me to ask you a question ?」などものすごくへりくだっているようで、「君には答えるのが難しいこと聞く私を許してくれる?」と馬鹿にされているようでもある。I have a question!と言えば済むのに... 仮定法を用いて婉曲に表現をヒネらないと気が済まないのは、日本人の謙遜や返事の曖昧さと似通う点があるようにも感じるがそうでもない。日本人は謙遜ばかりしてYseかNoかはっきりしないし、京都人の「いけず」が本音と建前を区別できない余所者を婉曲にバカにするのと違い、イギリス人は意思ははっきりしているがストレートにそう言っては、自分がバカみたいで損した気がするだけなのだ。またイギリス人の愛するユーモア、ギャグもなかなかに奥が深い。BBCのかつての人気番組Monty Pysonの上品とは言わないがヒネリの効いた辛辣なジョークの根源は何か?オックスブリッジ出身者でスクリプトと演技をこなす「知的」な番組の「笑いネタ」、Ministry of Silly Walkは何を言いたいのか?オウムやスパムがどうしていつもテーマとして出てくるのか?など真面目に悩んでしまう日本人にははなはだ理解できない。彼らの発する嫌味も秀逸である。LSEの学生の時、ゼミでの討論中に英語の不自由な私が、用意したカンペを見ながら論点を述べると、すぐにチューターの教授が私のカンペ指差しながら「君が今読んだメモの第二パラグラフのところをもう一度読んでみてくれ(read it again)!」などと嫌味ったらしい質問をくれた。討論の時は自分の言葉で即応せよ!ということだが、今の論点をもう一回説明せよ!、メモを読むな!と素直に言わないのか?気の弱い日本人留学生は、言われた通りにもう一度メモを読み上げた。ゼミが終わったあとでウェールズ出身のゼミ仲間が「あれがイングランド人の教養とやらいうものだ」と、これまた皮肉たっぷりに私に囁いた。こうした皮肉のやり取りは時に上質でニヤリとすることもあれば、嫌味にしか聞こえないこともある。真の教養人として感心することもあれば単なるエセ教養人、すなわちスノッブ:snobとして失笑すべきこともある。イギリス人のこうした表現スタイルの根源を追いかけると、どうもこの「ドクタージョンソン」なる人物に行きあたるようだ。彼の英文学史において果たした役割と、その後継者たちのレガシーが今のイギリス人の言語表現や思考様式を形作っていることに気がつく。

 なかでもボズウェルの「ジョンソン伝」:Boswell's "The Life of Samuel Johnson"はイギリスの教養人の必読書と言われている。伝記文学の最高峰と評されイギリスの英語による文学や教養の基層に位置付けられている。これを読んでみようと翻訳本を探したが、日本語に翻訳された「ジョンソン伝」や彼の警句集は意外に少ない。古くは岩波書店版があるが絶版になっているようだ。あとはみすず書房版。日本では英文学の古典といえばシェークスピアやディケンズは多く研究され翻訳されているがジョンソンはあまりポピュラーではないようだ。そもそも日本語化したものをパラパラと拾い読みしてみたが何かピントこない訳文が多い。というか難しい表現になっている。研究者、訳者のそれぞれの受け止めであるから非難すべきことではもちろんないが、そりゃそうだろう!英語表現の持っている比喩や皮肉を読み解くには、その背景の理解がなければなるまい。なかなか他言語には簡単には翻訳できない。ところでAIはジョークや比喩をどのように翻訳するのだろう?興味深いテーマだ。それはそれとして明治の西欧文化ならなんでも食らいついてみようという時期には大学や旧制高等学校ではジョンソン伝やジョンソン英語辞典が幅を利かせていたようだ。きっと帝大のお雇い英国人教師たちが英文学の基礎として持ち込んだのだろう。その時の漢文調の翻訳がそのまま現代まで承継されている感じがする。これでは漢学の素養も英語の素養もない現代人の我々には理解できるわけがない。イギリスではジェントルマン、教養人の必読書と言われる「ジョンソン伝」も日本では敷居の高い難解な書籍と化しているようだ。やはり原書に当たってみることが肝要と考えた。かと言って私は英文学者でも、翻訳家でもないのだから原書を読んで日本にこれを広めてやろうなどとは考えていない。しかしイギリスを改めて知るためにも18世紀という時代に「時空旅行」して、この頃の空気を吸ってみたい気にはなる。なのでこの「ジョンソン伝」は以前から気になっていた。そしてこの、James Boswellの「The Life of Samuel Johnson LLD」6th editionの原書に出会った。1811年にロンドンで出版された4巻からなるセットである。




見開き
左にSamuel Johnson肖像、
右が表紙であるが経年変化で肖像が転写されてしまっている


初版のJoshua Reynoldsへの献辞の最後に
My dear Sir, Your much obliged friend, And faithful humble servant,
という英国らしいへりくだり表現
London, April 20, 1791, James Boswell



第6版の改訂に携わったE.M.すなわちEdmond Maloneの告知。
Foley-Place, May 2, 1811, E.M.


革装の背表紙が美しい

革装の背とマーブルカバーの装丁



まずは登場人物を簡単に紹介しておく必要があるだろう。

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnson (1709-1784)

 イングランド中部リッチフィールド生まれ。オックスフォードに学ぶが、家が貧しく中退。のちにオックスフォードから修士号を得る。英語辞書 (A Dictionary of the English Language) 編纂 (1755)、詩集編纂、シェークスピア作品集編纂で功績。チョサー、シェークスピアに次いで英文学の歴史に画期をなす大御所である。英語辞典は当時、イギリスにはドイツやオランダ、フランスに比べキチンを選定編纂された辞典がなく、ジョンソンがこうして声に動かされてスポンサーもないにも関わらず一人で短期間に編纂を完了した。その内容はかなり彼の独断と偏見に満ちたものが多くあるが、20世紀になってオックスフォード英語辞典ができるまで、最も権威ある辞典であった。また彼はさまざまな「警句」を残したことで有名。これらはボズウェルの「ジョンソン伝」で詳細に伝えられている。また彼が手がけたシェークスピア作品集はマローンによって継承された。

Samuel Johnson (1709-1784)

ジェームス・ボズウェル:James Boswell (1740-1795)

 スコットランド・エジンバラ生まれの法律家。エジンバラ大学、グラスゴー大学で学び、グラスゴー大学ではアダム・スミスの倫理学の講義を直接聴いた。若い頃には諸国遊学の旅(当時流行のGrand Tour)に出てオランダのライデン大学などでも学んだ。のちにロンドンのインナーテンプル(法曹学院)で学び弁護士資格を取得。弁護士としては不遇であったようだが、1763年にジョンソンと出会い、彼に傾倒してその後、伝記文学の最高峰、教養人の必読の書と評される「ジョンソン伝」:The life of Samuel Johnsonを書いたことで英文学の世界に名を残した。イギリスにおける伝記文学、日記文学の大御所と称されている。のちにBoswellianと呼ばれるれるような記録魔ボズウェルの一言一句の書き留めが「ジョンソン伝」を産み、サミュエル・ジョンソンの名を後世に残したとも言われる。

James Boswell (1740-1795)


エドモンド・マローン:Edmond Malone (1741-1812)

 同時代人でジョンソンと繋がりがある人物に、以前のブログで紹介したエドモンド・マローンがいる。彼はアイルランド・ダブリン生まれで法律家。ダブリンのトリニティーカレッジで学び、のちにロンドンのインナーテンプルで学び弁護士資格を得ている。ボズウェルと同じ時期に在籍しているが二人がそこで出会ったという記録はない。ジョンソンと出会い、彼のシェークスピア作品集の編纂事業を引き継ぎマローン版シェークスピア全集(下記ブログ参照)を出したことで知られる。また一方、マローンはボズウェルの死後は「ジョンソン伝」を引き継ぎ、第6版まで改訂を行なっている。さらにマローンの死後、彼の「シェークスピア作品集」はボズウェルの子、ジェームス・ボズウェル2世が編纂を引き継ぎ、現在のマローン版シェークスピア全集の完成を見ている。古書を巡る旅(4)エドモンド・マローンの「シェークスピア全集」の謎 2020.8.18

Edmond Malone (1741-1822)


 このようにジョンソンとボズウェルとマローンは同時代を生き交遊関係を結んだ。ボズウェルとマローンは年齢も同じで、父ほど歳の離れたジョンソンを太陽とした、いわば「英文学の宇宙」を生み出していった。またボズウェルはスコットランド人、マローンはアイルランド人でともにロンドンのインナーテンプルで学んだ法律家だ。それぞれの父親が法律家や政治家であったこともあるが、この頃は爵位を有する上流階級やジェントリー(大地主階層)の家系でもない限り法律家になることが立身出世の道であったようだ。しかし、どちらもそのような「末は博士か大臣か」の立身出世で名をなすのではなく、むしろそうした出世街道からはドロップアウトして文学の道で後世に名を残す偉業を達成したことになる。すなわち共にジョンソンと出会って「教養人」としての目が開かされ、シェークスピア作品集やジョンソン伝の編纂者となったわけだ。時代はイギリスが1770年代の産業革命の絶頂期に至り、1776年のアメリカ植民地13州の独立。1779年のフランス革命による王政の終焉、やがては1804年ナポレオン帝政の前夜であった。政治や経済や社会が大きくパラダイム転換してゆく世紀変わり目の激動期であった。これまでの価値観や考え方が通用しなくなっていった時期だ。なんだか今の時代に生きる我々にとってはデジャヴだ。イギリスはアメリカ植民地を失ったとはいえインド支配を広げ、産業革命で世界の工場となり、世界に冠たる大英帝国繁栄への道を直走っていた。ちなみに日本では江戸時代中期。徳川吉宗から家重、家治、田沼意次、松平定信、天明の大飢饉、平賀源内、青木昆陽、賀茂馬淵、本居宣長、与謝蕪村が活躍した時代だ。ある意味で日本独特の江戸文化が醸し出されてパクス・ジャポニカを満喫していた。

 最高の伝記文学書として広く認知されているボズウェルの「ジョンソン伝」初版は1791年四折判2巻として出版された。出版物の大量印刷、大量販売の始まる直前の時代である。ボズウェルの出版に対する意気込みは並々ならぬものがあっただろう。この初版本は、現在は大英図書館に収蔵されるような稀覯書となっている。その後ボズウェル自身により改訂(第2版)が行われた。1795年のボズウェルの死後は、盟友のエドモンド・マローンにより第3版(1799年)から第6版(1811年)まで改訂が行われた。のちのジョンソン研究の定本となる1934〜50年に出版されたいわゆるHill・Powell 版(全6巻)は、ボズウェル亡き後、マローンにより改定された第3版を定本にしたものと言われる。

 今回入手した本書「The Life of Samuel Johnson」全4巻は1811年の第6版だ。エドモンド・マローンが改訂に携わった最後の版である。その第6版へのコメントで、インナーテンプルに在籍していたボズウェルの次男によって読み返されタイプミスや印刷の誤りが訂正された、また新しく発見された記事や手紙が加えられ、最も完全な版になったと述べている(前出の写真参照)。これが同時代のジョンソンのいわば愛弟子による最後の改訂版である。背は革装で、表紙/裏表紙はマーブルボード装丁の豪華な仕上がりの書籍である。構成はジョンソンの生涯における言葉や記事、資料を1735年から1756年まで時系列的に採録している。章立てや分類もないので読むのには辛抱がいる。年代でページにアクセスすることができるほか、53ページに及ぶ索引:Indexが巻末についている。ちなみにこのIndex、欧米の書籍には必ずと言って良いほど巻末についている。これの出来の良し悪しで本の値打ちが決まるとさえ言われるが、不思議なことに日本の本にはついていないことが多い。これは何故なのだろう?これもまた別に研究する必要がある。ともあれこの第6版が書誌学の専門家からみてどの程度画期的なものであるのか、希少価値があるのかよくはわからない。マローンによる改訂版であり、のちの復刻ファクシミリ版とは異なり、18世紀末から19世紀初頭の出版物へのこだわりと意気込みを強く感じる貴重なオリジナル本である。去年入手したマローンの「シェークスピア全集」全16巻、1816年版とともに我が家の貴重な洋古書コレクションであることは間違いない。古書の良いところは、ページを開くと、一瞬にしてその時代の空気が部屋に充満し、一気にその時代にワープできる点にある。少しカビ臭い匂い、古い活字、紙質の経年による劣化、シミ、たまの鉛筆での書き込み... 写真もない時代の銅板プリント等々、時の流れを閉じ込めたカプセルである。今回も神保町の北沢書店にお世話になった。いつものことだがこの書店の書庫はお宝の巣窟だ。イギリスへの旅行が躊躇われるこの時節、この東京神保町の「知のラビリンス」は「時空トラベラー」にとって願ってもないタイムトンネルの入り口である。この「時穴」を通り抜けて18世紀のロンドンへ旅をする。店主の時空旅への計らいにこの場を借りて感謝したい。


ドクタージョンソン語録

 先述のようにサミュエル・ジョンソンは、人々には親しみを込めて「ドクタージョンソン」と呼ばれ、後世に伝わる数多くの警句を残している。イギリス人の警句好き、比喩好き、皮肉、ブラックなユーモア、直接的な言い方ではなくて、持って回った言い方などはここにルーツがあると言って良いだろう。もっとも教養人ぶったスノッブな物言いにイラッとすることもあるが。かといってアメリカ人のあまりにもストレートで、ひねりのないジョークにもうんざりだが。上質なsense of humor, wittに富んだepigramは好きだ。いくつか私のツボにはまったジョンソン語録を紹介しよう。

「ロンドンに飽きたものは人生に飽きたものである。なぜならロンドンには人生で手に入る全てがあるからだ」when man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.(サミュエル・ジョンソンといえばこれ。最も有名な言葉だ)

「老年期に思考が鈍くなってくるのは本人が悪いのだ。頭の使い方が足りないのだ」It is a man's own fault, it is from want of use, if his mind grows torpid in old age(仰せの通り。耳が痛い)

「不幸な人間が全くいないよりは少しの人間が不幸な方が良い。これが一般には”平等”という状態なのだ」it is better that some should be unhappy, than that none should be happy, which would be the case in general state of equality.(なんとに皮肉な...)

「あなたのいう平等主義者は上のものが自分たちのレベルまで下がってくることは望むが、下のものが上がってくることは望まない」your levellers wish to level down as far as themselves; but they cannot bear levelling up to themseives(この視点...)

「私はすべての人類を愛する。アメリカ人を除いて」I am willing to love all mankind, except an American(独立戦争の話をしてるとき「奴隷を使っている連中が、自由を!と叫んでいるんだ」と。)

「天国で召使いになるより地獄で君臨する方が良い」Better to reign in Hell, than serve in Heaven(鶏頭となるも牛後となるなかれ)

「地獄への道は善意で敷き詰められている」Hell is paved with good intentions(なるほど...)

「燕麦:イングランドでは馬に与える穀物、しかしスコットランドでは人間が食す」Oats: A grain in England is generally given to horses, but in Scotland supports the people(英語辞典)

これに対しスコットランド出身のボズウェルは「だからイングランドでは馬は優秀で、スコットランドでは人間が優秀なのだ」と反論した話は有名。この辺の本歌取り的なやり取りはセンスがあって好きだ。

 こうした多くの警句は英語辞典やこのボズウェルの「ジョンソン伝」に書き留められたものである。ボズウェルはジョンソンとの会話の中で、彼の発言を細大漏らさず一言一句を書とめ記録に残した。彼は「存在すること」は「記録されること」。すなわち「存在の証」として「文字で記述されること」と考えた。逆にいえば「文字に記録されていないものは存在しない」も同然、と考えた。なんだか「Googleで検索されないものはこの世に存在しないもの」と同義だ、と宣ったネットの覇者の言葉のルーツはここにあるのではと考えてしまう。ともあれボズウェルの記録がのちに多くのジョンソン語録を後世に伝えることになった。のちの人は、こうした記録魔、メモ魔を、尊敬の念を込めてBoswellianと呼ぶようになる。ジョンソン伝で頻繁に使われる「As Johnson said,」は、漢籍における「子曰く」に相当するイギリスの教養人の引用の常套句となっている。すなわち会話の中で「As Johnson said, ....」と始まり、正確に彼の言葉を引用して話をすることで教養ある人物とみなされ、仲間として受け入れられることが期待される。かつて海外の多くの外交官が「ジョンソン伝」を英語のテキストとしてを研修に取り入れたという。一方でこれが知ったかぶりのエセ教養人snobをも生み出すことにもなる。なるほど少しイギリスがわかってきた感じがする。が、なかなかイギリスも奥が深い。


ロンドンに現存するJohnson House
手前はジョンソンの愛猫Hodge the cat像
17 Gough Street, London, EC4A 3DE

(肖像、ジョンソンハウスの写真はWikipediaより引用。その他の写真はLeica SL2 + Apo Summicron 50/2で撮影)

2021年1月27日水曜日

オスカー・ワイルド「幸福の王子」へのオマージュ


 ショートストーリー:「ハトとおじさん」


(ハト)「おじさん、冬空に一人ボッチでヒマそうだね〜」

(おじさん)「そういうおめえだって高いところに一人ボッチでヒマそうじゃねーか」

(ハト)「ハトが忙しいわけないだろう!」

(おじさん)「いつも大勢集まって忙しそうに首振ってマメ食ってっるんじゃねえのかい?」

(ハト)「最近そういう生活に疲れたのさ」「おじさんもそうなのかい?」

(おじさん)「バカ言っちゃいけねえよ!コロナで仕事無くなったし、行くとこもないし...」

(ハト)「人間は大変だねえ〜。ハトはコロナにかからないから関係ない」

(おじさん)「ハトはいいねえ、羨ましい」

(ハト)「じゃあ、おじさんもハトになるかい?」

(おじさん)「やめとくわ。だって首あんなふうに振れないし...」

(ハト)「人間でも上手なのいるよ。鳩首会談って、アレ人間だろ?」

(おじさん)「いっぱい集まって頷いてるアレ?」「やっぱりハトやめとくわ」



しながわ区民公園にて



公園を散策していてこの場面に出会った時、ふとオスカー・ワイルドの「幸福の王子」という童話が脳裏をよぎった。幼いときに読んでもらったこの話がなぜか心に深く刻まれたとみえて、こんな年になってふと思い出した。このベンチのおじさんは多分気高く慈愛の心を持った「幸福の王子」ではない。フェンスに止まっているハトも「幸福の王子」の心のメッセンジャーの「ツバメ」ではない。むしろ「幸福の王子」の眼差しの先にある世の中の理不尽に苦悩する人々を象徴する一人であるし、南に帰るアテもツモリもない都会のはぐれハトである。しかしその視点の対比がより現実が抱える問題をビビッドに浮き立たせているように思えた。こんな時代だからこそ「自己犠牲」の物語が美しく心に響く。しかしこの「幸福の王子」と「ツバメ」の話は、人の痛みを知る慈愛の心の持ち主にだけ問題の解決を期待する空気に警鐘を鳴らすものだ。自分さえ良ければという人々、他人に無関心な人々、責任を取らない為政者などの空疎な心と対比させることで、困難に立ち向かう時に大切なものを照らし出して見せた。オスカー・ワイルドらしい皮肉が効いている。そして冬空の下、公園のベンチにポツネンと佇むこのおじさんの寂しそうな後ろ姿と、我関せずで虚空を見つめるハトの姿が、この物語をもう一つの側面から描いているような気がする。


オスカー・ワイルド「幸福の王子」
Wikipediaより






2021年1月16日土曜日

クラシックカメラ遍歴(9)Robotという名のカメラの物語 〜AI+Roboticsはここに始まった?〜

 

Robot Royal 36, Sonnar 50mm/2, Xenogon 35mm/2.8, Tele-Xenar 75mm/3.8



「ロボットは写真の世界で何ができるだろうか?」
50年代当時はユニークな問いであっただろう。
デジタル時代の今、この問いの答えは...


RobotはドイツのOtto Berningが1931年にドイツで創業したカメラメーカー。ゼンマイ式のスプリングモーターを用いてフィルム巻き上げ、連写ができるユニークな機構を有するカメラとして人気がある。今でこそ連写機能は当たり前で秒速何コマという速度を競っているが、当時はライカが底部に速写用巻き上げレバー(ライカピストル)を装着可能として、その速写性を謳っていたが、ゼンマイを用いた連写機能の内蔵は革新的であった。これに追随していくつかゼンマイ式連写カメラが世に出たが、これほどの人気と持続性をもって世に評価されたカメラは稀有だ。しかも、そのオール金属製の堅牢でずっしりした作り、一部のスキもガタもない緻密なメカがなんといっても魅力だ。もとは24×24のスクエアーフォーマットからスタートしたが、18×24のハーフサイズフォーマットや、戦後は24×36のライカ版(フルサイズ)フォーマットのカメラも出した。戦争中はドイツ空軍向けRobotを製造(Lufftwaffen Eigentum)し、そのコンパクトさと連写機能が評価されてメッサーシュミットなどの戦闘機に搭載された。同じドイツ製でもライカやコンタックスとは違った佇まいのカメラだ。

シャッターは最速が500/1秒のロータリー式の金属リーフシャッター、全速シンクロ。フィルムは専用マガジンに装填して撮影する。レンジファインダーは戦後のRoyal model III以降搭載された。全機種がレンズ交換式で、次のようなトップ光学機器メーカーからレンズの供給を受けた。どれも秀逸な高品位レンズである。

Carl Zeiss (Tessar, Sonnar, Biotar)

Meyer Goelitz (Trioplan, Primotar, Telemegor)

Schneider-Kreuznach (Xenar, Xenon, Xenogon, Tele-Xenar)

Rodenstock (Heligon, Radiator)

驚くのは、こうした戦前の欧米のカメラメーカーは、戦後は日本製のカメラに淘汰されて消滅するか、カールツアイス社のようにカメラ事業から撤退した会社が多いが、ライカ社とともに現在も存続し事業継続している。デュッセルドルフでRobot Visual Systems GmbHとしてアウトバーンなどの交通系監視カメラ、産業用モニターカメラメーカーとして、最新のセンサー技術、AI連携のロボットカメラとして活躍している。戦前のゼンマイモーター連写フィルムカメラ「ロボット」が、文字通り最新のAI + Roboticsのスタートポイントであったとは驚いた。

... というような説明は、いいろいろな専門書が出ているので、詳しく知りたい方はそちらを参照願いたい。ちなみに私のネタ本はこれ。


Cyclope社刊1996年

ところで、私にとってこのRobotは、クラカメにズブズブとのめり込むきっかけになったカメラである。有楽町にあった(今でもある)Dカメラで、店主が弄っているカメラを見て、目が釘付けになった。なんとかっこいいメカニカル精密カメラだ!聞くとロボットだという。一目惚れした!触らせてもらった。すごい!ずっしりと手応えがあり、しっかりと厚みがあるダイキャストボディー。メッキの質感がマットで貼り皮のざらざら感の官能的なこと。レンジファインダーのビューファインダー窓と測距窓の位置がレンズ中心線に対して正対称に位置している。アクセサリーシューもそうだ。ということは外付けファインダーを装着したときに、ちょうどレンズの真上に位置し、視差が生じない。ライカで気に入らないのはこの辺が無視されていることだ。デザイン上もなんか収まりが悪い。ロボットのこの合理的にバランスされたボディーデザインも一目で気に入った(下記の比較写真)。もちろんゼンマイモーターのジーッという巻き上げ音がたまらなかった。レンズはカールツアイスのゾナーがついている。これをみて一発で撃沈だ!ロボットはシステムカメラとして「ロボットエコシステム」を形成していて、色々な優秀なレンズやアクセサリー類が出ている。もっともライカに比べると希少種であったことも確かで、なかなかカメラ自体もレア物の部類である。したがって交換レンズやファインダーなどのアクセサリー類のお宝ハンティングにも苦労することとなる。おかしなもので、それが惹きつけられる理由の一つでもある。無いとなると欲しくなる。これがコレクターの基本的な病的症状である。ともあれこれまでロボットに関する予備知識があったわけでもないく、研究したのちに惚れ込んだわけでもない。まさに一目惚れである。大体カメラに限らず私の一目惚れに狂いはない。私が最初に引かれたものはまず間違いなく良いものであり後悔したことはない。目利きとカンには自信がある。このロボットもそうした自信に基づくコレクション(!?)の一つである。


Robot Royal model III
レンズ中心線に対しレンジファインダー窓、外付けフィンダー
さらにはシャッターダイアル類が左右対称に配置されている。

Leica IIIf
レンジファインダー窓、測距窓、外付けファインダーは
レンズ中心線と無関係に配置されている



コレクション1)Robot I (1934~ )

ゼンマイ式モーター内蔵の26mm スクリューマウントカメラの第一号だ。このマウントは1938年には改良版のRobot IIが出た。また戦後の1950年にRobot Starが市場投入された。しかし、このオリジナルのI型が一番デザイン的にも、メカ的にも気に入っている。ビューファインダーは横向けに回すことができる。これは被写体に気づかれないよう撮影するスパイカメラ的な撮影を可能ならしめる。また、撮影枚数をカウントするダイアルがユニークだ。一見すると乱数表のようなダイアルだが、一枚撮るごとに円盤が回転して矢印が正確に枚数を指し示す。誰が考え出したんだろう。しかしなんといっても軍艦部のゼンマイ巻き上げノブが目立つ。これは堅牢で巻き上げやすいサイズになっている。カチカチと正確に巻き上げてくれゼンマイが切れることはなさそうだ。信頼感がある。ドイツだ!戦後のソ連製の(ライカコピー機)レニングラードもゼンマイ巻き上げ式だったが、手に入れて2日目にはゼンマイがボディー内でブチ切れて、ものすごい音がして一巻の終わりであった。ソ連だ!もっとも価格もびっくりするくらい安かったので笑って済ませた。


Tessar 50mm/3.5, Tele-Xenar 75mm/3.8

軍艦部には左から
ビューファインダー、ゼンマイ巻き上げノブ、シャッターボタン、撮影枚数カウンター


シャッター速度設定ダイアルが下部に


大きなゼンマイ巻き上げノブと
ユニークな機構の撮影枚数カウンター(一見乱数表のような円盤!)
シャッタが不用意に落ちないよう安全装置がある

非常にコンパクトなカメラ!



コレクション2)Robot Royal model III (24×24)  (1953~ )

戦後のロボットはバヨネットマウントになった。そしてレンジファインダー式となり正確なピント合わせが可能になった。連写機能付きである。I, II型に比べてサイズが大きくなった(この前にビューファインダー(距離計なし)のRobot Royal model IIが出た)。しかし、このサイズ感もカメラをしっかりホールドして撮るには必要だ。なんでも小さくすれば良いというものではない。そしてなんといっても、今流行りのインスタグラム御用達のスクウェアーフォーマットだ。ローライやハッセルブラッドと同様のスクウェアーを35mmフィルムで採用するなんて先見の明があったのだろうか? だが、残念ながら、今このロボットでインスタ投稿する人はいないだろうから、時代が早すぎた?のか。先述のようにボディー正面から見ると、レンズ位置に対して、ビューファインダ窓、距離計窓、さらにアクセサリーシューが正しくシンメトリカルに配置されてる。さらにシャッターダイアルと連写モードダイアルも綺麗に左右対称の位置に鎮座している。この技術的合理性とデザイン的な整合性がなんといっても精神衛生上たまらなく良い。レンジファインダーカメラはこうでなくちゃいけない。



Tele-Xenar 75mm/3.8付き

Xenongon 35mm/2.8付き

シンクロ接点はX, Mが正面左下に用意されている


軍艦部
I、II型にあったゼンマイ巻き上げノブが無くなった
メッキの質感はマット調でざらりとしている

ゼンマイ巻き上げレバーは底部に移された
Make sense !


連写切り替えレバー


スクエアーフォーマット
フィルムは専用カートリッジに入れて装填する


外付けスポーツファインダー
スクエアーフォーマット用

この外付けファインダーには画角の選択機能、パララックス補正機能が装備されている


大口径のXenogon 35mmレンズ
このレンズの作りは工芸品と言って良い美しさがある。
レア物で、探してすぐ見つかるものではない!

バランスのとれた美しい工芸品の佇まい!


コレクション3)Robot Royal 36 (24×36) (1955~ )

フルサイズフィルム版。連写機能は省かれている。フルサイズフィルムでは無理があると判断したためか? 連写レバー跡にはRoyal 36のエンブレムがエレガントに鎮座ましましている。この後、連写機能を付加した改良版が出されている。また距離計窓が四角から円形に変更された。ちょっとシンメトリーなデザインが損なわれた感じで残念だが... しかし、メカニカルで技術的な合理性を重視したデザインのIII型に比べ、少しエレガントで洗練された佇まいとなった感じがする。ロボットも身なりを気にし始めたようだ。

この後、ロボット社は交通監視用、防犯用のカメラを次々市場に投入し、この業界のリーディングカンパニーに成長していった。もちろんフィルム送出動力は、ゼンマイから電気式のモーターへ代わり、そのフィルムがなくなりやがてデジタル化してカメラは激変し、加えて顔認証やAIを活用したバイオメトリクス認証へと進化したゆく。まさにロボットはAIとともに知能を持ったロボットとなって行った。しかし、知能を持って進化したロボットよりも、戦後50年代のゼンマイで動くメカニカルなロボットのほうが、より愛着を感じるのは、同世代人の単なる懐古趣味、ノスタルジアなのだろうか... 


端正な姿のRoyal 36

Sonnar 50mm/2付き
バルサム切れが発生しているが写りに問題はない。流石のゾナーだ!
連写切り替えレバーがなくなり、Royal 36のエンブレムが

レンズのピントリングには指掛かりがあり、操作しやすい配慮が

軍艦部はIII型モデル(24×24)とほぼ変わりない


シャッター速度設定ダイアル


TEWE製の外付けズームファインダー
28mmから200mmまでカバーする
ライカと違ってレンズの中心線上に位置するのが好ましい

昔のカメラはファインダーの覗き穴が小さい。

珍品レンズEnna Lithagon 24mm/4
当時としては超広角レンズ



(撮影機材:Leica SL2 + Sigma 45/2.8 DGDN。このシグマ標準レンズはコンパクトで近接撮影にも活躍してくれる万能レンズだ。ボケも悪くない。ただ開放2.8にすると独特のハロが出るので、それが嫌な場合は2/3段ほど絞れば解消する。歴史に名を残したレガシーカメラを最新の若造カメラがレスペクトを持って撮る。これもまた善きかな。)




2021年1月7日木曜日

コロナパンデミックと「民主主義」の運命 〜2021年年頭の憂鬱〜

連邦議会に乱入し一時占拠するトランプ支持者 CNNより


2021年元日の富士山
東京の元日は快晴であることが多いのだが...


2021年がスタートした。毎年この時期になると越し方行く末を思い、ブログにしたためるのが「昭和老人」の行事となっている。昨年2020年の年頭には「欲望の資本主義」を振り返り、その道徳を忘れた「利己的な資本主義」から「利他的な資本主義」への軌道修正を思い、中国の経済成長に伴い忍び寄る「民主主義」の危機について考えた(「欲望の資本主義」の行く末「民主主義」の運命〜2020年の年頭に妄想する〜 )。しかし、その後2月には、その中国武漢における新型コロナウィルス感染発生と感染爆発が世界を震撼させ、あれよあれよという間に世界中に想像もつかないコロナウィルスパンデミック(COVID=19) が起きてしまった。そんなことで2020年はコロナコロナで一年があっという間に過ぎ去り、気づくとはや年の瀬を迎えていた。、そして年が明けた今も収まるどころかますます感染者は増加の一途をたどり、重症者、死亡者の数も急増している。今日はついに東京で感染者が1500人を超えた(1月6日現在)。全国では6000人を超える勢いである。まさに、第一波、第二波への優柔不断の対策とこれからくる侮りと油断と、経済活動優先、GoToキャンペーンのツケがこの第三波感染爆発を招いたと言って良いだろう。これは日本に限ったことではなく、感染者が一番多いアメリカも全く感染は収まっていない。ヨーロッパやアジアでも感染は収まるどころか、再び拡大に転じている。イギリスでは新種の変異ウィルスが見つかって新たな感染拡大が始まった。ワクチンの接種がアメリカやイギリスで始まったが日本はまだだ。その一方、感染発祥の地、中国では抑え込みに成功して新たな感染者は出ていないと(中国共産党政府は)発表している。その結果、いち早く経済活動も再開されて、他の国が経済活動の停頓に苦しむ中、高い経済成長率を達成していると、その一人勝ちぶりをアピールしている。

2021年の今年はその資本主義の行く末と同時に、昨年も懸念した「民主主義」の行く末を案じなければならない事態となった。人類が長い闘争の歴史の中で獲得した民主主義という理念と価値観に対する懐疑的視点の増長と、密かに進行する全体主義/権威主義の伸長である。あるいは科学的合理性に対する反発や不信感、反知性主義が「陰謀論」なる妄想を広めつつある事態。コロナパンデミックがそのきっかけを与え。加速させている。

特にコロナパンデミックという人類を襲う危機への対応をめぐって起きる政治リーダーシップへの信頼感の話である。ここでも全体主義的、独裁的な統治体制の方が、自由で民主的な体制よりもよりスピーディーで有効な感染防止対策をとれる。その結果、いち早く経済成長を取り戻すことができるとその体制の優位性を中国共産党は強調する。すなわちアメリカを中心とする民主主義モデルの対極モデルを誇示して見せている。経済成長とコロナ克服という上潮ムードを強調し、国際世論の反発をものともせず、傲慢とも思える手法で、なんの躊躇もなく香港の市民の言論を弾圧し、身体を拘束し、国際的な合意である「一国二制度」を破棄し、さらに「次は台湾だ!」と恫喝する。まるで我が物顔で「なにか文句あるか!」と言わんばかりの対応である。危険なのは、今はそれを批判的に見ている自由主義、民主主義国家の人たちが、コロナで揺らぎ始め、自信を喪失して、ある時点で、コロッとそうした全体主義的な体制の支持者に転換してしまう恐れだ。これは中国型の全体主義だけではない。極右的、排他的な独裁主義にも言えることだ。いとも簡単に、しかもあっという間に対極にある世界に変わる。こうしたことは想定外の出来事ではないことを歴史が示している。

アメリカはついに昨年11月4日の大統領選挙で民主党のバイデンが勝利した。科学的合理性を信じないトランプに対し、コロナパンデミックがバイデンに味方したと言っていいだろう。ともあれアメリカ国民は悪夢のトランプ時代にピリオッドを打つという賢明な選択をした。感染対策も経済対策も外交も、トランプの4年間の負の遺産を払拭して、再びアメリカを民主主義、法治国家の騎手として再生するきっかけができた。我々同盟国の人間にとっては、とりあえずアメリカという国、アメリカ人に失望しなくてもよくなった。しかし一方、トランプは敗北を認めず、選挙に不正があったと主張して訴訟を各州で相次いで起こし、証拠も提示しないので相次いで敗訴している。それでもホワイトハウスに居座る姿勢を崩していない。連邦議会の上下両院合同会議がバイデンの大統領選の勝利を確定する今日1月6日、トランプの「議会に押しかけろ!」という煽動に応じた支持者が選挙結果の無効を主張して暴動徒と化し、選挙結果確定審議中の議会に乱入した。一時議会を占拠し議事を妨害。死者まで出ている。選挙結果を覆そうと乱入した暴徒に議会が占拠されるなど前代未聞の醜態だ。民主主義への暴力による挑戦でありアメリカの歴史に大きな汚点を残すこととなった。さすがに民主党だけでなく共和党からもこの暴挙への非難声明が相次ぎ、ブッシュ元大統領やトランプの盟友ペンス副大統領、マチス元国防長官もトランプを非難している。皮肉にもこの暴挙はトランプの危険性を顕在化させる効果を持ち、共和党のトランプ離れを加速させる結果となる。民主主義、法の支配の旗手、アメリカがまるで、中南米のベネズエラのマドゥーロや、旧ソ連のベラルーシのルカシェンコなどの独裁大統領のような反乱扇動、クーデターや政権居座りのアジテータの様相を呈している姿は醜悪でみていられない。悪夢を見ているようだ。今日、大統領選挙結果はバイデンの勝利が確定した。そして上下両院でも民主党が多数を占めることになった。これもコロナパンデミックが与えた天の声だ。しかしアメリカには自己中心的で民主主義や法の支配の価値なんぞ認めない、排他的、人種差別的な思想を手放していない層が確実に半分は存在していることがトランプの登場で明確になった。極右暴力集団が大手を振って表舞台に登場してきていることも明らかだ。トランプはそうした歴史の闇に葬られてきたはずのゾンビを復活させた。バイデンが勝ってもアメリカの分断は傷は深く、傷ついたアメリカへの信頼の回復、修復には時間がかかるだろう。アメリカの終わりの始まりを予感させる。そんなトランプが中国共産党によるの強権的支配体制をいかに声高に非難しようとも説得力は全くない。その自由と民主主義と法の支配の唱導者であるはずのアメリカが危機に瀕している。その危機はトランプが招いた。

問題はアメリカだけではない。まさに我が日本も同様だ。このコロナパンデミックのような危機は、世界中の国のリーダーの資質の優劣を見事に炙り出して見せた。我が「言霊の助くる国」日本のリーダーの「言葉なき会見」。他人(官僚)が書いたメモを棒読みする「首相」。国会答弁で118回もウソをついた「前首相」。政治家は言葉こそが命であるのも関わらず、国民の心に響かない政治リーダーの口から出てくる言葉という呼気。息をするようにつくウソ。「躊躇なく」「俯瞰的に」「丁寧に」と、本来の意味を知っているのかと聞きたくなるような「副詞」を連発して喋るが、その意味の通りに実行された試しがない。意思決定が極めてスローで、しかも結果を出していない。もちろん国民への説明責任を果たしているとはいえない。打ち手はいつもtoo late too littleだ。国民に向かって「お願い」しかしない我が国の政治リーダーについて、塩野七生はこう言っている。「国民にお願いしかしない政治家は政治家ではない」と。政治家は国民の負託に応えうる「俯瞰的」ビジョンと強い信念を持ち、民情を見てリーダーシップを発揮して「躊躇なく」実行し、国民に「丁寧に」説明して説明責任を果たす。そして肝心なのは「一切の結果に責任を負う」。その覚悟を持って初めて政治家と言える。そうした意思決定の責任を明確にしない空気、根拠のない楽観主義、「赤信号みんなで渡れば怖くない」が、あの戦争を引き起こし、あの戦争の終わりを引き伸ばした。最後は「天の声」が日本を滅亡の淵から救った。このパンデミックも同様、誰が責任をもって意思決定するのか。首相は担当大臣の顔を見つめ、担当大臣は自治体の首長の顔を見、自治体の首長は首相の顔を見る。誰も自分が責任者として「決める」気がない。「責任を取る」気がない。あの戦争のように結局誰が責任者なのか有耶無耶のままカタストロフィーに突入してゆく。極東裁判で戦犯になった人を責任者にして幕引きを図る。いや、あれは戦勝国がやった一方的な裁判なのだから不当であると主張する人がいる。では連合国による極東裁判とは別に、日本人自らが、この300万を超える我が同胞を死に追いやった未曾有の戦禍に対する責任を総括したのか?こうした歴史に我々は学んでいると言えるのか。コロナパンデミックは日本人に今でも民主主義の担い手としての自覚を問うている。

民主主義国家と言われる国のリーダーが、全体主義国家の独裁体制を批判する。人権無視を非難する。それは間違ってはいないしその非難は正しいが、あなたのその言説に説得力はあるのか、自省して襟を正す必要があるのではないか?全体主義国の独裁指導者の美辞麗句やパフォーマンスに説得力を感じてしまう人に、どう民主主義に共感できるメッセージを届けることができるのか。戦争や経済恐慌、パンデミックのような先行き不透明な未曾有の危機に瀕した時に思考停止して言葉を失う民主国家のリーダーに幻滅する国民は、能弁な指導者につい傾倒してしまうことを歴史は教えている。救世主の登場を渇望する。そこに現れる能弁者を救世主だと勘違いする。ヒトラーは雄弁で「信頼の政治」を標榜して圧倒的な人気を博した。彼を打ち破れる政治家はいなかった。軍事力を背景にした軍人の勇ましい言葉、敵対感情剥き出しの「鬼畜米英」「一億火の玉」という愛国プロパガンダに政党政治家は沈黙し、不承不承か、積極的にか、いずれにせよついていった。フェイクを交えながら、封印してきた「本音」をあからさまに語るトランプ人気に共和党は乗っ取られ、彼の支持者がクーデタよろしく議会に乱入し占拠する。民主主義はいつも危険に晒されている。国民は魅力的な言説を弄するポピュリスト指導者に容易に傾く危険性を孕んでいる。民主主義はそもそも全体主義よりは非効率的で、意思決定に時間がかかる。主権者たる国民は獲得した権利を行使し、責任を果たすために普段に多様な情報を取捨選択し咀嚼してが面倒な意思決定義務を負うシステムだ。それを厭うと独裁者が現れることを知っておくべきだ。独裁者は有能であればあるほど危険だが、一方で凡庸で無能であるほど破滅的だ。政治リーダーを民主主義国においては主権者たる国民が監視しなくてはならない。香港の市民が為政者を監視し、批判する行動は民主主義体制下にあって市民の当然の行為だ。これを弾圧する独裁政権とその傀儡政府に抗議するのは当然である。こうした香港や台湾の人たちの「民主主義」「自由」「法による支配」という普遍的価値観を守る戦いをみて、我々日本人は何を感じているのだろうか。コロナの中で「巣籠って」いるだけなのか。

コロナパンデミックは当面終息しないだろう。ワクチンの普及も効果も未知数だし今年もコロナと付き合っていくことになるだろう。これまで当たり前だと考えてきた生活/行動様式や制度、規範、慣習を棚卸ししてみることが強いられる事態となっている。これを機会に、神が人類に与えし試練を、これからの良き世の中に生まれ変わらせるためにも、この際甘んじて受け入れて、出直さなければならない。カミュの「ペスト」の最後に描かれるように不条理は消えない。一旦収束しても「ペスト」は無くならず人々に不幸と教訓を与えるために形を変えて再びどこかに現れる。そんな中でも「民主主義」「自由」「法の支配」という普遍的価値を守るためにも、単なる「昭和老人」の「新春ぼやき漫才」で終わらせてはなるまい。


CNNの映像より









アメリカの民主主義の歴史に汚点を残す見たくない光景だが、アメリカの終わりの始まりにならぬことを祈りたい。