2025年年頭にあたって今年もまた恒例の「水晶玉」占い。さて2025年をどう見るのか。去年は次のような「水晶玉のご宣託」があった
時空トラベラー The Time Traveler's Photo Essay : ChatGPTより良く当たる!水晶玉が見た2024年の世界: バイデンがホワイトハウスの階段で転んだところが見えます。 トランプが笑いをこらえてガッツポーズしているところが見えます。 プーチンが高笑いしているところが見えます。 ゼレンスキーが親露派に失脚させられるところが見えます 習近平が地球儀見ながらほくそ笑んでいるところが見えます。... どうだろう、2024年の「水晶玉」占いは結構当たったじゃないか。バイデンの高転び、トランプの高笑い、プーチンのほくそ笑み、日本の不透明感は当たり。ゼレンスキー失脚、NATO崩壊、アジアでの戦争開始は外れたが、時期がずれただけでその確率は高まった。
今年の「水晶玉のご宣託」は、去年に加える新たな項目はなさそうだ。だからといって喜んではいけない。これ以上のリスクはないと言っているわけではなく、TRUMP2.0が始まるのだ。不安定化とそれによるリスクが一段と危険度を増すと告げているのだ。ある意味で占い師でなくても読める顕在化した危機になってしまったということだ。民主主義のパラドックス。欲望の資本主義。「法の支配」の「法による支配」化。これらは今年また一段と進むだろう。選挙イヤーでポピュリスト政党が躍進し世界の秩序は大きく変化する。無秩序なAIとカオスなSNSによってこれまでの民主主義のルールや価値観が大きく変わる。重要な言論プラットフォームになったSNAは企業によって運営され、自己規制もルールもない。金で支配した声のでかいものが勝つ。情報リテラシーは自己責任化する。そしてこうした急速な変化に人々が思考停止状態となる。この一年は後世の歴史家が歴史の転換点と評価する年になるかもしれない。アメリカは、関税:Tariff、国境の壁:Wall、二国間取引:Dealでますます内向きになる。グローバルサプライチェーンがズタズタになり、国内ではインフレが高まり雇用が失われ、貧富格差はますます広がる。これがうまくマネージできないまま世界中に分断が広まる。民主主義や自由、法の支配といった歴史的にアメリカが進め、守り、仲間を作ってきた戦いから撤退し自国に引き篭もるわけで、ならず者国家や非国家テロリスト政権にとっては願ってもない追い風というわけだ。あるいは西欧流の価値観と秩序に否定的な勢力に「ほれ見ろ!」と勢いを与える。国際機関、地球温暖化対策、自由貿易、核廃絶、安全保障といった多国間の枠組みやルールが崩れ、二国間の相対取引契約でブロック化してゆく。ロシアはやったもの勝ち!の味をしめ、さっそく次を狙う。「大ロシアの夢!」。アメリカの抑止力はない。むしろアメリカもロシアに負けないでやったもの勝ち競争に参入。「Make America Great Again!」。中国は少子高齢化と経済の行き詰まりで、アメリカ同様内向きになるが、国民の専制的統治への不満のはけ口を外に用意しておかねばならなくなる。台湾はそこで利用される。「おお!偉大なる中華民族」。ここでもアメリカは出てこない、絶好の機会到来だ。朝鮮半島はもともと不安定で東アジアの火薬庫。一触触発でさらに不安定化している。しかしアメリカは動かない、こうして台湾海峡と朝鮮半島から日本は戦争に巻き込まれる。日清/日露戦争、満州事変という歴史が教える地政学的リスクシナリオの展開だ。やはりアメリカは出てこない。アジアに戦争の危機がヒタヒタと迫ってくる。Gゼロとはそういう世界規模の安全保障リスクを意味する。友邦を裏切る国に未来があるとは思えないが、そんなアメリカの未来を心配をしている場合ではない。自国優先主義はそんな連鎖を世界に広げる。
ちなみにイアン・ブレーマーの「ユーラシアグループ」は今年に起こりうる10のリスクを挙げ、2025年を「冷戦初期に匹敵する地政学的に危険な一年」としている。すなわち「Gゼロ」が世界を危機に陥れる。去年のリスクは「アメリカの分断」だった。それが世界に拡大するということか。
残念ながら悲観的材料が目白押しの2025年。
「門松やディストピアへの一里塚」「めでたさも中ぐらいなりオラが春」ではある。正月休みはジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」を読んでいる。別に童心に帰ったわけではない。世界最高の政治風刺物語を苦笑いしながら読み耽り憂さ晴らし。このご時世、なかなか示唆的で、読んでいていちいち合点することが多い。面白い一節があるので紹介したい。ガリバーが日本:Japonからイギリスに帰国する途中で立ち寄った架空の島国ラグナグでの不死の人物の話だ。
西がJapon:日本, その東にある島がLugnagg:ラグナグ ちなみに「ガリバー旅行記」に出てくる国々はJapon:日本以外はどれも架空の国 |
「大きな島国であるラグナグ王国に着いたガリヴァーは、不死の人間ストラルドブラグの噂を聞かされた。自分がストラルドブラグであったならいかに輝かしい人生を送れるであろうかと夢想する。しかし、ストラルドブラグは不死ではあるが不老ではない。老衰から逃れることはできず、いずれ体も目も耳も衰え集中力も記憶力もなくなり、日々の不自由に愚痴を延々こぼし、歳を取った結果積み重なった無駄に強大な自尊心で周囲を見下す低俗極まりない人間になっていく。ラグナグ国では80歳で法的に死者とされてしまい、以後どこまでも老いさらばえたまま、世間から厄介者扱いされ、人間に対する尊敬の念も持たないまま生き続ける。そんな悲惨な境涯を知らされて、むしろ死とは人間に与えられた救済なのだと考えるようになる。」
不老でない不死。老いさらばえて「その結果積み重なった無駄に強大な自尊心で周囲を見下す低俗な人間」。「人を人として尊敬しない人間」。こんな人間で満ち溢れ、彼らにコントロールされる世界。死こそが人間に与えられた救済だという。このカリカチュアライズされた世界こそディストピアだ。18世紀の作家、ジョナサン.スイフトの強烈な皮肉を21世紀に生きる我々はどう受け止める?