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2021年8月8日日曜日

パラドックスの夏が終わった 〜「これにて一件落着」なのか?〜

 

お台場に設置された聖火台

閉会式


緊急事態宣言下で外出自粛を求められるなか、64年の東京大会を観た「昭和老人」にとってオリンピックのテレビ観戦は、退屈で鬱々とした巣篭もり中のまたとない時間潰し、いや楽しみとなった。あんなに「こんな時にオリンピックやるなんておかしいじゃないか!」と息巻いていたのに、アスリートの活躍に歓喜し、興奮し、涙し、そして金メダルの数をカウントして朝から晩までテレビに齧り付いている自分を見て、まさに奴らの「術中にはまった」と苦笑いする日々であった。あのSNS上を席巻した怒りのコメントはなんだったのか?上から目線のボヤキ漫才?いや老人性パラノイア、はたまた老人性不定愁訴だったのか? 無観客試合という異例の開催が、自宅でのテレビとネットにかじりつかせることになったことも皮肉だ。頑張ってチケットを手に入れた人には残念だろうが、我々のように一枚もチケットをゲットできなかった「ドンくさい」人間には、小さな声で「ザマアミロ」と快哉を叫び、下劣な溜飲を下げるTV観戦だ。もっとも開会式と閉会式のチケットに大枚叩いた人たちの間では、このTVを観て「これにこんな大金払わされるなら払い戻してもらう方がよかった」との声も...まさかの「金返せ、金返せ」コールというわけだ。

事前の人選トラブルが相次いだ因縁の開会式と閉会式の出来栄えについては敢えてここではコメントしないが、しかし観客席に人影もなく歓声なく、静寂の中でただただアスリートが真剣勝負で競い合う姿が新鮮であった。がらんとした競技場にアスリートの掛け声や息遣いが遮るものもなく響き渡るオリンピックはそうないだろう。また世界が注目するイベントに海外から人々が集まり交流する祭りを求めることも不自然ではないが、こういう時期だからそういう祝祭の色合いは取り除かれても仕方ない。天皇陛下も開会宣言で「祝う」というお言葉を使われず「記念する」と述べられた。アスリートは、こういう困難な時期に開催されたことに感謝し、「ありがとう東京」の言葉を異口同音に語る。そして、だからこそこれまで磨いてきた技と力を、こうして与えられた舞台で出し切るべく競技に専念する。ある意味でのスポーツの原点を見た感じがする。もちろん海外からの観客はなく、選手団/関係者/マスメディアなどの多くの海外からの訪問客との交流はシャッタアウトされ、街に親善友好、祝祭のムードはない。期待する経済効果もなかった。本来ならこれだけでも開催する意義は半減しただろうが、そこはそれ「アスリートファースト」のIOCだ。競技さえできれば他のことは良い。どうせ放映権料を取っているのでTVで観れば良いのだし、開催さえしてくれればよいのだ。まして開催国の国民にパンデミックの厄災が及ぶかどうかIOCの問題ではない、それは開催国の責任だろう...と。

こうして強行されたオリンピックは、始まってみると多くの国民がテレビ、ネットで観戦し、コロナコロナで鬱々とした日常に束の間の非日常的なわくわく体験を思い起こさせてくれた。アスリートの活躍に元気をもらい、そしてアスリート同士の敵味方を超えたフェアプレーとレスペクトに感動をもらった。日本は史上最多のメダルを獲得し高揚感に包まれた。結局はメダルの数が大会が成功か否かを評価するのだと人は言う。だとすればこの東京大会は日本にとって大成功であったことになる。政府、大会関係者は胸を撫で下ろしているのだろう。そして、やはりこのTokyo 2020に「感動」した我々は、まんまと為政者の「策略」にはまってしまったのか? いやそうではあるまい。オリンピック開催さえすれば、なんだかんだ言ってもコロナの鬱憤を晴らし、日本選手の活躍でメダルラッシュとなれば、コロナ対策でミソつけた政権に対する国民の不満も和らぐに違いない(選挙で勝てる!)。そういう読み/期待は、開催期間中に起きた異次元の感染爆発(ついに全国で史上最多の1日の感染者15000人超)と、現場の医療崩壊危機。それに対する相変わらずの政治の迷走、思考停止に儚く潰え去った。オリンピック開会式セレモニーというスイッチが入って、一瞬、パンデミックからオリンピックへとモードが切り替わったかに見えたが、夢の饗宴に酔いしれた17日間は、閉会式と聖火の消灯とともに消え去った。たちまち酷暑の夏と、まだそこにいるパンデミックという悪夢のような現実に引き戻された。政府はコロナの感染爆発とオリンピック開催は関連性がない、と述べているが、オリンピック関係者の感染は450人を超えた。組織委員のバブル方式は機能したのか。その検証はなされていない。海外からの持ち込みだけでなく、日本からの持ち出しはこれからだろう。これからどういった影響が出るのか経過観察が必要だろう。また世論調査では60%がオリンピック開催で、緊急事態宣言と言われても開放感と気の緩みが出た、と答えている。「緊急事態宣言」と「オリンピック開催」というパラドックス。「真夏の夜の夢」の後に残った未曾有の感染爆発と、一年の延期と無観客のオリンピックで残った膨大な赤字と借金、そして危機的な日本の政治と経済の劣化という置き土産を目の当たりにして、国民は現実の厳しさに気付かされる。すでに当初の予定を大幅に超えてしまった1兆6千万円大会経費の回収は無理だ。誰がそのコストを負担するのか?そして商業主義主導で金にまみれ、政治をも動かすオリンピック興行主というIOCの正体も見てしまった。なぜこんな酷暑の夏に競技を集中させるのか。開催国だけでなく世界中がパンデミックで苦しんでいるのになぜ開催を強行するのか。素朴な疑問が湧いてきて、そうだったのか!と現実を知る。そもそもオリンピックって何?誰のためにやるのか?という根源的な問いにもぶち当たったこの夏である。

今回、オリンピック史上も前代未聞の大会となったことは間違いない。パンデミック下の一年延期、無観客、聖火リレー/交流行事中止など異例ずくめの開催。この東京大会は後世にどのように記憶されるのだろう。今回の緊急事態宣言とオリンピック開催という二律背反のパラドックスは、普段気づかない色々なことを気付かせてくれた。その一つが政治やこの国のリーダのあり方である。非常事態下におけるオリンピック開催強行は、為政者が目論んだような、国民の不満をそらして、政治への信頼回復(選挙で勝つ)や、国威発揚や、愛国心の醸成を生み出したわけではなく、むしろ皮肉にも為政者やリーダー、社会的エリートと言われる人々の、いざという時の混乱と迷走を露呈したように思う。オリンピックにしろパンデミックにしろ頑張って結果を出したのはアスリート、ボランティア、大会スタッフ、そして医師、看護師、保健師、警察官、自衛隊員、救急隊員、エッセンシャルワーカーなどの個々人であったということ。要するに現場で全ての仕事を額に汗し、手を汚し、足を動かして走り回って実行し、目的の遂行を支えた人々であったということ。彼らの努力と活躍がなければ、困難な環境下での大会運用もできなかったし、アスリート自身の努力がなければメダルラッシュもなかった。短時間での大量のワクチン接種も進まなかったし、通常医療を抱えながらの感染症対策医療現場での命の救済もできなかった。結果を出したのは彼らだ。海外のメディアから、困難な時期の開催に謝意が示され、SNS上に多くの賞賛のコメントが投稿されているのも、こうしたアスリートの活躍や現場を支えた人々へのそれだ。一方でこうした有事における事態把握、課題認識、方針/政策決定、具体的な対処責任を負う政治家、官僚、リーダーと言われる人たちは国民の負託に応える結果を出せていない。国民の不安と懸念を振り切ってオリンピックは強行して終わらせたが、パンデミックは終わってない。経済の回復もまだだ。事態を見据える視座、合理的な判断力に欠け、国民への共感力も、事態の推移の想像力も欠如し、迷走と妄言をかさねたあげく、矛盾した結論へと突き進んだということになってしまっている。「上は三流だが現場は一流だ」と揶揄される所以だ。あの戦争へと突き進んだ顛末を彷彿とさせる。そして完全な破滅に直面しているのに終戦の意思決定を躊躇していた事実(おりしも76年目の広島、長崎原爆忌である)。トップの意思決定に合理的な根拠がなく優柔不断であること。失敗を認めない、都合の悪いことはなかったことにする思考回路。「根拠のない楽観主義」と「無謬性」という虚構。責任の所在を曖昧にする組織風土。これまでの歴史にたびたび出現した問題解決に取り組む「組織風土」の宿痾がまた今回も再現された感がある。

最後に、最初にスルーした開会式、閉会式の出来栄えの話についてやはり一言付け加えたくなった。厳しい評価の根っこにあるのは、要するに何をメッセージとして世界に伝えたいのかがはっきりしない、ということに尽きる気がする。このコロナパンデミックに見舞われる世界で、今行われるオリンピックにことよせて何を伝えたいのか。「あなた」のメッセージが「我々」に伝わってこないのである。「復興五輪」なんて本当に考えていたのか?と言いたくなるほどぐだぐだになってしまった。一つ一つのパフォーマンスや演奏や寸劇、ダンスは一流のパフォーマーや演奏家、歌舞伎役者を動員しているのだが、パーツである「コント」が全体としてのモティーフ、ストーリーに繋がらない。盆踊り、東京音頭、歌舞伎、和太鼓はこのストーリー上になければ、唐突な昔ながらの日本文化紹介コーナーにしか見えなくなる。参加者であり主役のはずの各国選手は3つに分断されたエリアに閉じ込められて、イベントに参加することもなく、「ショーの傍観者」になることを強いられている。ストーリーライター、総合プロデューサーがいない。指揮者のいないオーケストラだ。政治、経済、企業にビジョナリーリーダーがいない、全体最適を図れるリーダーがいない状況と同じだ。人々を惹きつけ、共感を生み、想像力と期待を掻き立てるものが感じられない。閉会式で披露された次期開催都市パリのフランス国歌演奏に合わせたParis 2024のビデオメッセージは、大勢のパリ市民の参加を得て簡潔で明快なパリオリンピックへの期待感を沸き起こす表現とストーリーでまとまっていた。比べるわけではないが、日本の総合的なプロデュース力、オーケストレート力との違いを見せつけられることになった。いやそうは思いたくないが総合的な文化発信力の違いかもしれない。そもそも例の如く電通に丸投げして、お笑い芸人を総合プロデューサーに起用している段階で、もはや限界かな?と。そしてこの開会式、閉会式のメッセージ不達が今の日本が置かれている状況を象徴しているように感じた。例に挙げるまでもなく、言葉によるメッセージ力がキモであるはずの政治家の、演説/スピーチや国会答弁、プレスコンファレンスでの原稿ボー読みを見るとよくわかるであろう。少なくとも間違えないように読んで欲しいものだが、読んでる本人が書かれている中身のメッセージやビジョンを共有してないから、2ページも読み飛ばしても本人は文脈の不連続に違和感を感じないのだ。リーダーに求められる能力とは何か?日本に欠けているものは何か?大きな課題を突きつけられている。開会式、閉会式の空虚感は日本の抱える課題を象徴している。


Paris 2024
次期パリ大会開催に向けたポスターの一つ



2021年7月23日金曜日

緊急事態宣言下の東京2020オリンピック開幕! 〜1964年とどう変わった?後世どのように評価されるのか?〜

1964年10月10日東京オリンピック開会式(朝日新聞アーカイブスより)


2021年7月23日の空


残念ながら五輪はすぐに風に流されてしまった

無観客、と言われてもね〜...
自宅でテレビ観戦が今回の王道?

一見、無観客に見えない会場。隈研吾マジック!こうなること予想してたのかな?

青い地球が浮き上がる演出
ドローンを使っているとか

大坂なおみが聖火点灯

聖火も点灯!大団円!ということでお開き


1964年10月10日、秋晴れの雲ひとつない青空の下、東京国立競技場でアジアで初のオリンピックが開会式を迎えた。あの真っ青な秋晴れの空にブルーインパルスの編隊飛行が描く五輪のマークがくっきりと浮き出た、今でもその光景が目に焼き付いている。古関裕而のオリンピックマーチが耳の底に響く。ワクワク、ドキドキする感動を与えてくれた東京オリンピック。中学生であった私に今でも鮮やかな記憶として残っているあの日。

19年前の惨めな敗戦から目覚ましく復興し、高度経済成長が始まった1964年の東京でのオリンピック。首都高速や環七、モノレールや豪華ホテルが次々現れる首都改造、新幹線開業、国立競技場、日本武道館やオリンピックプールなど華麗なオリンピック競技場が次々に建設され、日本が輝いていた時代だった。世界に誇れる「一等国」になったと皆がナイーブに信じた。世界に恥ずかしくない「公徳心」とか「公共マナー」が話題になり、ゴミ捨てマナー、整列乗車、交通マナー、公衆衛生など「民度」の向上にも努めた。舗装道路が少なく砂ぼこりまみれで交通渋滞が激しく、ゴミが散乱する汚い街東京が変わるきっかけになった。今は東京は世界一綺麗で安全な大都会だ、なんて言われているが、昔は違っていたのだ。その一方、古い東京、江戸の面影は消えてゆき、江戸下町の人情も紙のように薄くなってしまった。まあ、日本が一生懸命前進しようと頑張り、そのためには街が壊されても、自分の家が取り壊されても、掘割が埋められて水都江戸が姿を消しても、そして人情が薄くなっても「やむを得ない」と諦めた。オリンピックが大義となって全ての破壊も挑戦も許された時代だ。みんなが前を向いて進むことしか知らなかった。与えられた目標にむかってみんなで突っ走る。日本人の得意とする「集団成長モデル」が確立した瞬間だ。開高健の言葉、「満員電車で通勤して夜遅くまで働くので勤勉かと思えば朝からパチンコ屋が満員!」「近代的なビルがあると思えばその横には小さな建物が苔のようにびっしりへばり付いている」これが1964年頃の東京であった。

 そして東京2020オリンピックがついに今日、2021年7月23日に開会式を迎えた。1964年のオリンピックから57年後のことである。コロナパンデミックによる一年の延期という前代未聞の事態をへて今日を迎えたわけだが、今年になってもコロナは一向に収まらないどころか、変異株の登場で新たな感染爆発に見舞われる世界。こんなパンデミックのさなか、開催か、中止かとの論議の末(開催ありきであまり議論したとも言えないが)、IOCの恫喝と政治の思惑により開会強行(というか、なし崩しで開催)とあいなった。国民の55%が開催には反対。70%が政府の説明に納得しない、といっているのも関わらずだ。ただし観客を入れない無観客という前代未聞のオリンピックになってしまった。この間、開催国国民の不安と疑念をよそに、政府の思惑、IOCの独善性が露呈し、「そうだったのか!」が次々と明らかになる事態を目の当たりにして、頑張ってきたアスリートには気の毒だが国民のオリンピック熱はすっかり覚めてしまったようだ。「こんな時に何故オリンピックやるんだ?」「誰のためのオリンピックなのか?」という疑問符と、このオリパラを機に感染拡大中のパンデミックはどうなるのか?医療は大丈夫か?という不安と。公道での聖火リレーはほとんどが中止。とても歓迎ムードやお祭りムードでないことだけは確かだ。64年の時のワクワク、ドキドキはどこへいってしまったのか。

感染者数はここへ来て東京で千人を超える日が続き、22日時点で1979人。全国的にも急速に感染が拡大し、再び5000人を超えた。ついに第5波到来である。世界的にインド由来の変異株中心に爆発的な感染拡大が始まり、日本でもオリンピック期間中、開催都市である東京で4度目の「緊急事態宣言」: State of Emergencyが発令となった。しかも選手他オリンピック関係者の感染者も次々と確認され22日時点で106人となっている。しかし、それでもオリンピックはやる(IOCコーツ副委員長は「緊急事態:State of Emergencyでもやる!」と恫喝)。日本はワクチン接種が遅れていて。いまだに国民の20%しかワクチンを打っていない。急速に進めてきた接種は、突然ワクチン供給不足を理由に、急ブレーキ。にもかかわらずオリンピックはやる。オリンピックやりたいというなら、何故それに合わせてワクチン接種を進めなかったのか?誰でもわかることができなかったのは何故?「頭の良い人たち」が集まって下した「頭の悪い結論」の結果だ。一番の課題は医療体制の崩壊の危機だ。感染しても入院して治療してもらえない人の数が急増する。自宅で適切な医療処置がないまま死亡する人が現に出ている。保健衛生や医療の現場にとってはオリンピックどころではない戦時体制といって良い状況だ。そんな事態なのにオリンピック関連の感染者や熱中症患者の受け入れ要請をしてくる組織委員会に医師会は反発している。国民の命と健康を守れない可能性が高まっている。政治家も行政も医療専門家も口では危機感を言い募っているが、実際の意思決定と行動はその危機を回避する方向にはなされていない。「オリンピックはやる!」という意志だけは明確だが。

どうしてこんな合理的とはとても言えない意思決定ができるのか、みんなが「おかしい」と言いながら、コトはズルズルとなし崩しで進んでいく。街は今日から始まったオリンピック4連休の人出で溢れかえっている。わざわざこの時期に設定した4連休。新幹線や飛行機も久しぶりに帰省客で混雑状況だ。無観客の開会式が行われる国立競技場の周りは、少しでもオリンピックの雰囲気を味わおうと大勢の群衆が取り囲んでいる。東京は8月8日まで緊急事態宣言中じゃないのか?県を跨る移動は「自粛」するんじゃないのか?出かける人の意識が低いというのか?無観客なのに何故オリンピックだからと言って4連休にするのか?そうしておいて「不要不急の外出は控えよ!」と同じ人物が言うのは何故?全く支離滅裂としか言いようがない。

そもそもこのオリンピックは招致の時から混乱の極みであった。政治主導の迷走劇。方針の撤回と、運営責任者の辞任の連続。運営責任者に人権、人間の尊厳と歴史観への理解と配慮がない人物が多すぎる。結局は面白おかしいお笑いネタのノリでイベントとして捉える人間が中心のプロデュースに成り下がっていたわけだ。それが世界に通用すると思っている。しかもそれをチェックするマネジメントの見識も体制も責任者も不在(いや責任者はいるのだが、その適否を判断できる人ではなく丸投げ)。さらに用意周到とは無縁の粗雑なプロセス。日本品質はどこへいったのだろう?

国立競技場設計デザインの変更(2015年)

オリ/パラロゴエンブレムデザイン盗用疑惑で差し替え(2015年)

東京招致贈収賄疑惑で竹田JOC会長辞任(2019年)

暑さ対策でマラソン、競歩の札幌開催への突如変更

コロナパンデミックで開催の一年延期(2020年3月)

総合プロデューサー野村萬斎辞任(2020年3月)

森大会組織委員会会長の女性蔑視発言で辞任(2021年2月)

開会式演出プロデューサーの女性タレント容姿揶揄問題で辞任(2021年3月)

開会式直前に楽曲担当の過去の「いじめ」問題で辞任(開会式3日前)

反ユダヤ揶揄で開会式ショーディレクター解任(なんと開会式前日!)

まさに迷走の末の傷だらけのオリンピックだ。

「そんなこと言ったって始まってしまえばみんなオリンピックを楽しむんだよ」という人の心を見透かしたような米国三大ネットワークの一つ、NBCの会長の言葉。それがオリンピック放映権を牛耳る金権黒幕の言葉であるだけに、なんともやりきれないが、人々は結局はアスリートの活躍に狂喜乱舞し感涙するのは間違い無いだろう。開会式のお祭り騒ぎがが始まっただけで、スイッチがコロナからオリンピックに切り替わったような反応がSNS上に表れている。頑張るアスリートが悪いわけではない。素晴らしい競技に感動するのが悪いわけではない。祭りを求める庶民が悪いわけでもない。複雑な気分だ。1964年の時も、オリンピックに懐疑的であった作家、評論家も、一旦始まってしまうと「感動」を書き綴り始める。「テレビに齧り付いている民衆を見て「自立した抽象性」が人々を感動させる」と、芥川作家石川達三が書いている。東洋の魔女のストイックな戦いをテレビで観戦した有吉佐和子もその感動を激白している。まさに無観客、自宅でのTV/ネットでの観戦が主体となる今回の大会においては、その「自立した抽象性」に感動し酔いしれる人が増えるのだろう。しかもSNSで感動を共有するという、57年前には無かった事象が出現する。それが現代のリアリティーだと感じさせるデジタルテクノロジーの進化なのだから。しかしそれはそれでリアリティーを喪失した世界に別の危惧を抱かせるように思う。本来なら競技場でアスリート/観客一体となって感動を共有するはずのものなのだが。

選手団や関係者が続々と来日している。しかし、組織委員会が用意する検疫体制や日本人との接触を徹底的に避けさせる「バブル」と称する感染隔離対策に色々問題が発生している。基本は来日した選手/関係者をオリンピック選手村とホテルに隔離し、複数回のPCR検査を実施し、陽性者は出場させない。濃厚接触者も一定時間試合から隔離する。基本的に競技会場との間を行き来する以外、外出を許さない。違反すると関係先入場IDを没収する。報道関係者も同じ隔離政策が適用される。ところがこの措置に対する関係者の批判が相次いでいる。電車やバス、タクシーなど公共輸送機関に乗れない。コンビニで買い物すらできない。特に報道関係者は開催国の街の様子の取材ができないとクレームが。しかし一方で当然こんなルールなどものともしない連中は必ずいる。日本人のように言われたことを粛々とやる人間ばかりではない。マスクもしない、ワクチンも打たない。ルールで強制されることを絶対拒否する人間が必ずいるのだ。実際に外出やショッピング、飲食を楽しむものが出ている。逃亡して日本で働きたいと姿を消した選手も出てきた。いちいち組織委員会も監視などできないのだし。それに対し事務局はGPSによる監視体制の強化で対抗する。もういたちごっこの喧嘩だ。そして、想定通りというかオリンピック選手/関係者に感染者/陽性者が相次いでいおり、すでに100人を超えている。。

この来訪者をめぐる事態は我々日本人にとって、ある時代の混乱と迷走をデジャヴとして蘇らせる。すなわち幕末に黒船来航で開国したが、外国人を居留地横浜に押し込め、外出を制限し、日本人との接触を制限したやり方を彷彿とさせる。外国人を歓迎してに門戸を開いたのか、それともやはり本音は鎖国なのか?幕府のやり方は右顧左弁して徹底せず、それでも外国人はどんどん日本へやって来るし、来れば居留地にじっとはせず外へ出かけ、時に日本人とトラブルを起こす(その際たるものが生麦事件だ)。しかも、開国とともにコレラや天然痘などの感染症が日本に蔓延し、生活物資の買い占めなどで物価高を引き起こし、こうしたことが庶民を不安にしていった。これが開国反対、外国人襲撃という「攘夷」の根底にあった。攘夷は何も「神国日本を夷狄に蹂躙されてはならぬ」という尊王攘夷思想とか、「みやこに夷狄を入れるなんてもってのほかや」という孝明天皇の御意と関係なく、庶民にもわかりやすい形で不安と脅威を与えた。まさかこのグローバル時代の現代に!そんな攘夷だなんて、と思うかもしれないが、日本人に根強い「ウチとソトの二分法」による区別という思考様式が、こういうことをきっかけにムクムクと蘇り、外国人を見たら警戒せよという理不尽なルールがまかり通る瞬間である。あるホテルが「外人用」「日本人用」とエレベータを分けたことから大騒ぎになった。現在のオリンピック選手、競技関係者、報道クルーにたいする「バブル規制」はまさに現代の居留地である。コロナパンデミック、緊急事態だから仕方ないだろうという意見もあろうが、そもそもそんな状況で世界から人を招いてお祭りイベントやろうというのだから無理がある。その無理筋の結果、また「日本は特異な国」という悪評が蘇ることにもなりかねない。海外からの観戦者を受け入れないという決定はしたものの、本来海外からの歓迎すべき賓客であるはずが、まさかの「不良外国人」扱いされて「攘夷」の対象と化している。どこが「おもてなし」なのか?つまらないいざこざを惹起してコトをあらぬ方向に持っていってしまう。こんな異常な状態で開催強行するコトで、オリンピックが目指す本来の「平和の祭典」「友好の祭典」「多様性の祭典」で無くなってしまうのでは開催の意義はない。本当に「誰のためのオリンピックなのか?」残るのは不信感と後味の悪い思い出だけなんてごめんだ。

我々日本人が1964年に感じた東京オリンピックへの高揚感、ワクワク感、選手の活躍の感動、憧憬、スポーツの果たす役割といったものが、この56年でどこかへいってしまい、利権と政治の手段に堕してしまった感のあるオリンピックへの倦怠感があるのも事実だ。このきっかけとなったのはロスアンジェルスオリンピックだ。商業主義によるオリンピック興行成功は当時評価されたが、金と権力は腐る。結局はこうした世界がパンデミックに見舞われても金と政治を優先する。IOCは金儲けと政治プロパガンダを請け負う興行主に成り下がってしまった。IOCが近代オリンピックの原点に戻らないのであればもうオリンピックはいらない。クーベルタンはあの世で嘆いているだろう。どうも今回の一連の事態がIOC(ともう一つWHO)の評価を決めたようだ。一方で中国の新華社は北京冬季オリンピック開催を前にして、「日本は国威発揚の機会を失った!」などとコメントしているが、これこそオリンピックの開催意義を履き違えた国家の時代錯誤を露呈させてしまったようなコメントだ。彼らにとって北京冬季オリンピックは、結局「偉大なる中国共産党」の威光を世界に遺憾無く発揮するための政治的なプロパガンダの場なのだ。そうして人民の愛国心と党への忠誠心を高める。そのためには(前車の轍を踏まないよう)絶対成功させなくてはならないと言っている。我々日本は違う。「国威発揚」なんて時代はおかげさまで何十年も前に通過した。ナチスドイツのベルリン大会じゃあるまいし。戦前の日本の「お国のための愛国心」じゃあるまいし。あくまでも世界中から集うアスリートの活躍を祈るのみである。

1964年の東京オリンピックは日本にとって一つの時代のプロローグであった。戦後復興が終わり輝かしい未来に向かう「高度経済成長」と「グローバル化」という、日本にとっての右肩上がりで前進あるのみの「ある時代」の幕開けを飾るにふさわしい国家的イベントであった。新幹線、高速道路などの社会インフラ整備、建築遺産となりうる競技施設、ホテルなど、目に見えるレガシーを多く残した。しかし56年後の2020年の東京オリンピックはどうなのか?、皮肉にもコロナパンデミックがそれに加わって、その「ある時代」の賞味期限が来ても足踏み状態(空白の30年)が続き、それを乗り越えられないビジョンと目標を失った日本を象徴するイベントとなるように思えてならない。すなわち「ある時代」のエピローグである。実はコロナパンデミック、これこそ逆説的ではあるが現代に吹き渡る「神風」なのかもしれない。このオリンピックというノスタルジックな1964年の栄光の思い出に浸り、それに現代の状況を重ね合わせながら強行する東京2020。それにコロナパンデミックという先行きの見えない危機が覆い被さったこの嵐がまさに「神風」なのだ。しかし、この「神風」は、日本人が大好きな「根拠のない僥倖による奇跡」を引き起こしてくれるものではない。ようするに「八百万の神々の警告」だ。普段、日本の神は教えを説かないが、今回は国難に際して「災い転じて福となせ」「それはあなた自身がやることだ」と説いている。このエピローグは新しい時代の始まりを予感させるものでなければならない。東京2020が残すレガシーは決して新幹線や高速道路や競技会場などの物理的構造物ではないだろう。日本の政治体制にも、幕末の徳川幕藩体制と同様の運命が待ち受けている。攘夷から討幕へ。庶民の鬱積した感情のマグマが動き始め、やがては大きなパワーとなって噴出する。コロナパンデミックと変則オリンピックは日本に混乱をもたらすが、同時に中期的には変革をもたらすだろう。成熟国家への道といっていいかもしれない。黒船騒動は、最初は徳川幕府の緊急事態への対応の混乱が問題となったが、のちにそれが幕藩体制そのものが抱える根本的な問題に関わっていることに人々は気づいた。今回もこれを機会に「ある時代」の旧弊を捨て去り、「来るべき時代」を創造するムーヴメントに繋げなくてはなるまい。黒船が攘夷を引き起こし、やがてそれが倒幕という旧体制の打破へと転換し、新しい時代を創造する明治維新へと転変していったように。

とは言いつつも、オリンピックの喧騒が終わり、いつしかコロナも終息すると「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。諸々の迷走と混乱は人々の記憶から消え去る。まるで何事もなかったかのように。人は歴史に学ばない。カミュの「ペスト」の最後は「ペストは消え去らない。人間が忘れた頃、思わぬところで再び人間を襲う」。そのように結ばれている。




























2021年7月10日土曜日

古書を巡る旅(12)Things Japanese:「日本事物誌」 〜「古事記」を英訳したバジル・チェンバレンが描いたニッポン〜

 バジル・ホール・チェンバレン:Basil Hall Chamberlainは英国人で、明治期の御雇外国人として日本に38年間住み、海軍兵学校の英語教師として、のちに日本語と言語学の教師として東京帝国大学に奉職した。偉大な言語学者として名声を得ており東大時代に彼の薫陶を得た英才も数多い。しかし、いかに明治の御雇外国人とはいえ、少々奇異な感じがするであろう。英国人が東大で英語教師ではなく日本文学教師として教鞭をとったとは。彼は東大の文学部国文学科の祖と言われている。アーネスト・サトウ:Ernest Satow, ウィリアム・ジョージ.アストン:William George Astonとともに最も有名な英国人ジャパノロジストの一人である。ラフカディオ・ハーンとも親交があり往復書簡集が残っている。チェンバレンは世界で初めて古事記を英訳したことで知られる。これをはじめとして日本の古典に精通しており、いくつもの研究成果を発表している。戦後のジャパノロジスト、サイデンステッカーやドナルド・キーン、ロナルド・ドアー、最近のロバート・キャンベルの先達と言って良い。今回取り上げるのはThings Japanese :日本事物誌(1890年初版)である。これはチェンバレンが初めて日本を紹介するために取りまとめた書籍で、ヨーロッパで人気となり、重版されて彼が日本を離れてジュネーヴに転居してからも第6版が出版されている。 日本語訳は平凡社から東洋文庫シリーズ「日本事物誌」I, II 高梨健吉訳として出版されている。

以前のブログにも記したように、チェンバレンはラフカディオ・ハーンに大きな影響を与え、彼が日本、日本の文化に惹かれるきっかけを与えた人物の一人である。奇しくもこの二人は生まれが1850年の同い年。しかし、その生い立ちや背景が大きく異なる。この二人を巡る話を後半で取り上げる。

2020年6月12日古書をめぐる旅(2)ラフカディオ・ハーンを訪ねて


左からLafcadio Hearnの'Glimpses of Unfamiliar Japan', Basil Chamberlainの'Things Japanese'
そしてその和訳「日本事物誌」高梨健吉訳


バジル・ホール・チェンバレン:Basil Hall Chamberlainの略歴




1850年 英国ポーツマス郊外に生まれる。父は海軍提督(少将)、母はスコットランド貴族で、初めて琉球王国に寄港し、「朝鮮・琉球航海記」を表したバジル・ホール海軍大佐の娘。チェンバレンはホールの孫ということになる。母の死後、フランスベルサイユに住む父方の祖母、叔母に育てられフランス語、ドイツ語で教育を受ける。ブラジル大使など国際的に活躍する一族の中で育った。大英帝国、ビクトリア朝時代の英国人のエリートの姿を象徴するようなバックグラウンドといっても良い。しかし体が弱く、オックスフォード入学を断念。1869年に療養を兼ねて3年間の外遊に出る。マルタ、イタリア、スイス、ギリシアなどを訪れたのち、東洋へ向かうテルモビレー号に乗船して長い航海に出る。そして1873年に日本にたどり着く。

1873年(明治6年) 御雇外国人として来日(23歳の時)

1874−82年 海軍兵学校の英語教師

1882年 初めて「古事記」:KO-JI-KI or Records of Ancient Mattersの英訳を発表

1886年 東京帝国大学外国人教師(日本語学)に就任

1888年 「口語日本語ハンドブック」:A Handbook of Colloquial Japanese出版

1890年 「日本事物誌」:Things Japanese初版

1891年 マレー版「日本旅行ガイドブック」:A Handbook of Travellers in Japan アーネスト・サトウ共著の初版を引き継いだもの

1904年 箱根宮の下富士屋旅館に文庫を建て逗留 執筆活動に勤しむ

1911年(明治44年) 離日。 東京帝国大学名誉教師に ジュネーヴに居住 執筆活動を続ける

1934年 日本事物誌の改訂(第6版)を行う

1935年 ジュネーヴにて没す


チェンバレンの日本研究者としての功績

こうしてみるとチェンバレンは23歳で来日し、61歳で離日。通算38年日本に滞在した。この滞在期間中、東京帝国大学では後進の指導にも尽力し、中でも直接の指導を受けた上田萬年(かずとし)は、チェンバレンの後任として東京帝国大学国語学教室主任教授となり、さらに文科大学学長、文学部長として日本の国語学、言語学の基礎を築いた。また学生として指導を受けたことはないが佐々木信綱もチェンバレンの愛弟子の一人で能楽、謡曲のインスピレーションを得たと言われている。

彼の研究著作でやはり特筆すべきは古事記の英訳であろう。どうやって日本語を、しかも古典を学んだのか。古事記英訳に取り組んだのは日本に来て9年目のことである。彼は「私は外国語を学ぶことがいつも好きであった」と言い、すでにフランス語、ドイツ語で教育を受けているのでマルチリンガルではある。それにしてもいかにチェンバレンが数ヶ国語を使いこなすとはいえ、ラテン語系列以外の言語である日本語を古典から学び、さらには琉球語、アイヌ語にわたり学び研究している。これは大変ハードルが高い挑戦であったろうと推察する。その成果が評価されて帝大の言語学教師とともに「日本語学」の教師になっているのである。チェンバレンの最初の日本語教師は両刀を腰にたばさんだ老武士であったと述べている。最初に手がけた本が古今集。おそらく素読からスタートしてのであろう。これに含まれている「君が代」を英訳している。それ以外にも古典を数多く学んだ。さらに近代作品も読んだ。その後、古事記の英訳、「琉球語の文法と語彙に関する試論」「芭蕉と日本の俳句」「アイヌ研究より見たる日本の言語、神話、地名」等々を次々と発表した。このように琉球語とアイヌ語についても研究しているが、彼の研究アプローチはあくまでも日本語との関係を念頭に置いたそれである。その結果、琉球語は日本語とルーツを共有する姉妹言語。アイヌ語は似ているところもあるがルーツは異なるとしている(東京女子大の櫻井美智子氏の研究がある)。また万葉集に用いられる「枕詞」の研究も行なっていたようである。これに関しては現代の若手の研究者の論文(早稲田大学博士課程の高橋憲子氏)がネット検索で引っかかってくるので興味ある方は参照願いたい。こうしたあくなき好奇心と探究心、猛烈な語学力が、彼をしてジャパノロジストの巨人たらしめたのだろう。もっとも古事記に登場する天照大神、大国主命、イザナギ/イザナミをどう訳したのか。その訳が適切なものであるのか論争があるようだ。ギリシャ神話の神に擬えているという。これらは後世の研究者から批判されて、より適切な訳に変えられていったが、ともあれ西欧人による初めての翻訳であることの画期は色褪せることはない。彼の英訳「古事記」については日を改めて読んでみたい。


「日本事物誌」:Things Japanese

日本事物誌はそんな彼が取りまとめ出版した初めての日本紹介の本である。主に「アジア協会雑誌」に投稿された論文や評論から抜き出して編集されたもので、版を重ねるごとにテーマが取捨選択され、アップデートされ、その割には手に取り易いコンパクトな書籍に収めている。欧米からの日本に関する体系的な情報ソースへの期待に応える形で編纂された。A to Zという順で項目を記述する事典的な体裁をとっているが必ずしも事典ではない。トピックによっては紙幅を費やして詳細かつ熱心に彼自身の視点による分析と評価を記述しており、俯瞰的に日本を眺めることはできるが、客観的な記述とも言い切れない。彼の個性的な、まさに「事物」観察記録であるといった方が良い。また明治維新から20年以上を経過した当時の日本の有り様や、日本の歴史、思想史を通史として振り返るなど新鮮な発見がある。

初版は1890年(明治23年)東京で出された。その後も版を重ね、1935年(昭和10年)に彼がジュネーブて死去する数ヶ月前に第6版が出された。彼は初版から45年経ったこの第6版の序文で、「この間に日本は大きく変わった。しかし、その変化も全てある定まった線に沿ってきたのである。それはあたかも、ほっそりした青年が成長して、肥満した中年の姿になったかのようである」と述べている。日本を見つめ解説してきた本書は、版を重ねてきたにもかかわらず、いくつかの項目の追加、統計数値のアップデートはあるものの基本的には変わらない(変える必要のない)人気の日本解説書であった。

彼独自の視点による日本の文化や歴史、風俗に関する解説は、日本人の視点で読むと、近代化を加速する「イキがった若者」たる明治日本人に対する大人の警鐘でもあり、若者に対する愛ある眼差しでもあるように読める。また版を重ねるに従って、日露戦争を境に欧米に広がる「黄禍」論や日本に対する警戒心に対して冷静で客観的な理解をするように力説している。とともに日本人に向かっては、欧米文化への懐疑や反発からくる国粋的な動きにも警鐘を鳴らしている。明治以降の日本の有り様を解説した日本人研究者の書とは異なる視点を提供してくれるところが面白い。特に、彼の「仏教」「神道」「儒教」「武士道」「日本人の特質」の解説は興味深い。日本人のその道の専門家による聞き慣らされた講釈でないのが新鮮だし、ある意味で日本人としての主観的な価値観に一定の距離を置き、この種の議論に付き纏いがちな右だ左だというレッテル貼りからも解放された簡潔な解説となっている。

なかでも「歴史と神話」の項は古事記を研究し英訳したパイオニアであるチェンバレンのエッセンスが語られていると感じる。古事記の「神話の部分に語られていている作り話が歴史の部分でも数多く語られていることに驚く必要はない」。そもそも「神話と歴史が一体となって創作されているのだから」と。当時始まっていた皇国史観、忠君愛国思想への批判的研究を規制する政府のありようにも批判的である。

第5版以降新たに加えられた項目「武士道」の中で、これは新たに日本に加えられた「新宗教」である」。「もともと武人でなく文人であったはずの天皇への忠誠、忠君愛国を促すために武士道を唱えているのは如何なものか」と手厳しい(新渡戸稲造の「Bushido」はこれと反対のことを言っていると紹介している)。チェンバレンは国家主義的傾向、愛国主義的思想には極めて批判的であった。かつ非科学的な歴史解釈手法にも敢然と対決している。であるが故に国粋的立場に立つ研究者からは批判されるというオマケ付きだが。第6版は昭和初期には発禁処分を受けていた。

ただ第5版の序文の最後に彼は書いているが、「本書の主題は日本である。日本に対するヨーロッパ人の空想ではない。著者はただ、(ヨーロッパの)読者がさらに深く自分で日本についてより客観的に研究できるように、問題に対する考え方を示したいと思って言及したわけである」と。ここでいうターゲットの読者はヨーロッパ人である。日本にロマンと幻想と偏った知識で偏見を抱いているヨーロッパ人である。そう、もともと日本人を意識した書いたものではない。それを読んで日本人がどう感じるかは、彼はあまり意識していなかったのかもしれない。であるから、日本人に対する媚びへつらいや忖度はない。よってなお興味深い。

入手した原著は1905年の第5版でロンドンで出版されたものである。


'Things Japanese' 5th Edition 1905 London



チェンバレンの英訳による「古事記」:The Kojiki or Records of Ancient Matters
 ペーパーバック版
表紙に用いられた絵柄は全く時代錯誤だが...


ラフカディオ・ハーンとの交流

先述のようにラフカディオ・ハーンは、チェンバレンの「古事記」に触発されて日本に強い関心を寄せるようになった。チェンバレンはハーンと同い年(1850年生まれ)である。ハーンが日本にやってきたのは1890年。松江尋常中学の教師として松江に赴任した。この時すでに東京帝国大学の外国人教師であったチェンバレンの推薦もあり、1896年には東京帝国大学の英文学講師に就任している。二人は頻繁に書簡を交換し、日常の話題から文学論や日本論まで幅広く意見、評論を交わしている(エリザベス・ビズランド編集のラフカディオ・ハーン書簡集が出版されていて、チェンバレン宛の書簡が最も多い)

こうして日本で親交を深めた二人であったが、やがて考え方の相違が明らかになっていったと言われる。そしてハーンの死後(1904年)チェンバレンのハーン批判がピークに達したされている。もっとも、後世の研究者はこうした「対立」を殊更に面白おかしく捉えがちであるが、双方とも信頼関係、敬愛関係は強固であった。決してそれが破局したわけではない。結局は二人の立ち位置や日本への捉え方の姿勢の違いがその背景にあり、それぞれ異なる道を歩むこととなったと見るべきであろう。チェンバレンは「日本事物誌」の中で日本関係の書籍を紹介し、特にハーンの日本関係著作を紹介し、いずれもユニークなもので注目に値するとと激賞している。

ではどのように違っていたのか。少しだけ現時点での私見を述べてみたい。


ハーンの日本観と背景

フィールドワークを重視するジャーナリスト、小説家であり、学者、研究者ではない。日本文化と伝承説話への深い共感と愛が根底にあり、そこから日本を理解しようというアプローチ。のちの民俗学的視点と言って良いかもしれない。

背景には、幼少期のカトリックへの違和感と反発、アイルランド古来のケルト的自然神への傾倒、キリスト教伝来以前の自然神信仰、祖霊神信仰への回帰。これが日本の仏教伝来以前の神話や、仏教説話の多神教的宗教観への共感の下地になっていると思われる。

アイルランド、イングランド、ギリシャ、アラブという多様な血筋を受け継ぎ、その多様な文化と価値観を有する自分自身の生い立ちを意識無意識に感じていたのであろう。松江に到着して宿でひと夜を過ごした彼の記述によると、彼が夢見ていた日本と、現実の日本が寸分違わぬものであったことに感動している("Blimpses of Unfamilier Japan"の冒頭書き出しで述べている)。その後、日本が富国強兵を進め、近代化、西欧化して「一等国」への道を誇り始めるにつれ、彼が有する「日本のあるべき姿」との乖離が広がり、徐々に幻滅を感じ始めている。

2020年6月12日古書をめぐる旅(2)ラフカディオ・ハーンを訪ねて


チェンバレンの日本観と背景

書斎学派の視点、すなわち書籍を通じた研究者の視点、研究アプローチをとる。言い換えれば近代合理主義、実証主義的な研究手法を重視する。また西欧文明と対比する「未開の文明」への興味から来る比較研究的な姿勢が根底にあると思われる。

自身はマルチリンガルでコスモポリタンであり、日本への愛着と共感をハーンに劣らず持っているが、基本的にはアングロサクソンの視点に立ち、西欧文明、ラテン言語圏のイングランド、フランス、ドイツなどの比較研究アプローチをとっている。しかもハーンのように、キリスト教徒としての世界観と価値観への懐疑に立脚するわけではなく、それを底流とした西欧文明、文化を基盤、立ち位置とし比較対象としての「異教徒の文明」、東洋観、日本観になっている。

チェンバレンは日本事物誌の中でも、深い日本への造詣に裏打ちされた観察から、ヨーロッパ人の日本への理解の浅さと、一方的な西欧中心的な価値観に基づいた観察、あるいはエキゾチシズムから来るロマン主義に警鐘を鳴らしている。日本は変わった。古い日本は死んだ、とまでいっている。しかしその一方で、日本の文学についてこう述べている「日本文学は、その文学性において、英文学の詩歌と比べ劣るものである」「古典作品においても、想像的才能、思想、論理的な把握力、深さ、幅、多面性に欠けている」「総じて狭小で偉大ではない」「繊細なものには偉大だが、偉大なものには狭小である」とも。そう述べつつも「こう言うと日本の友人は私を批判するだろう」「私の心はいつも振り子のように揺れ続けている」と弁解もしている。ハーンに劣らず日本、日本人への愛に満ち溢れているのだが、言語学者、比較文化学者としての「科学的合理性」と「愛情」との葛藤も見せている。

ハーンはこの時すでに夭折していたが、もし生きていたらこのチェンバレンの日本の文学への評価を、西欧文明とは異なる日本独自の文明に根ざした文学の基層を理解しない言説であるとして異を唱えていただろう。その背景には、日本の文学作品はキリスト教世界観、思想に裏打ちされていない、所詮は「異教徒」の文化の限界である、という理解があると批判しただろう。チェンバレンがヨーロッパ人読者に「無理解による誤解やロマン」を戒めていることを考えると皮肉に見える。後世のジャパノロジストにおいてもハーンと同様の批判が展開されているが、古事記をその後英訳した英国人研究者もチェンバレンの先駆的な役割を高く評価しつつも、多くの誤解と誤りを正している。おそらくチェンバレンのこの理解は、短期間に西欧文明を取り入れて消化したと称する明治期日本人の高揚感への皮肉と、西欧文明の範を示すべき西欧人としての反応であったのかもしれない(アーネスト・サトウの日本観にも共通するものが散見される)。

また古事記に描かれた神話と区分なく歴史を語るストーリー展開も、これは何も日本だけが誇る独自の世界観ではない。中国の史書などにも見られるものであり、そのストーリーが一貫せず矛盾に満ち満ちた筋立てであるのは、太平洋諸島、中国などの大陸諸国に伝承された神話の数々を8世紀の編纂当時に取り入れた結果であり、必ずしも日本独自の神話だけで統一性を確保できているわけではないからであると分析している。この辺りは戦後になって皇国史観への批判、古事記/日本書紀の批判的研究が解禁になってもたらされる研究の先駆けとなる分析、考察であろう。さらには古代ギリシャ神話にも共通するもので独自性があるものではないとした。各国に伝わる神話が世界的に類似したエピソードを共有していることや、それらが地域を超えて交流していたことは神話学、民俗学的にも証明されてきている。しかしこうした理解は当時のハーンなどに言わせれば、ギリシャ哲学やラテン語文化、キリスト教世界観を前提にした理解であり、そのほかの世界を十把一からげにして論ずる愚と指摘したであろう。

一方のチェンバレンは、ハーンのこうした日本に対する共感と愛を基層とした「sympathetic understanding of Japan:日本への共感的理解」から出発するのは学者がとるべきアプローチではない」と批判している。いかにも近代の科学的合理性/客観性を重視する研究者の姿勢である。またハーンがヨーロッパ人としての自分を卑下しすぎているとコメントし、「ヨーロッパ文明はそう言う卑下に耐えうる力を持っているので心配はいらない」と皮肉を言っている。この批判はハーンの死後に出されてものであるが、ハーンが生きていたら、「私は学者であったことは一度もない」と反論しただろう。まあ、そもそも学問や言論というものはこのような自由で闊達な批判と修正が繰り返されるところに成り立つものである。

日本人にとっては圧倒的にハーンの方が人気があり、チェンバレンはあまり知らない人が多い。また海外でもハーンは人気の作家である。しかし、その人気はハーンが日本に帰化した「日本びいき」であり、日本を深く愛してくれたからということばかりではない(チェンバレンもそういう意味では40年の長きにわたり日本に住まった「日本びいき」であったし日本を深く愛していた)。ハーンの市井の庶民から聞き書きした説話や小説や評論を軸とした表現方法のほうが多くの人々には受け入れやすく、また海外においてはエキゾチックなストーリーテラーとしてのハーンが人気を博するのは理解できるだろう。一方のチェンバレンは、研究論文と学術的な書籍を主たる表現手段とし、先述のような科学的合理性を旨とするアカデミア:研究者としての観察姿勢を世に問うたわけである。確かにチェンバレンの日本論、その批評は、当時の日本学界では斬新であり、西欧諸国においても、明治以降急速に西欧化してきた日本を理解する上での貴重な論文であり研究書であり参考書であった。しかし、それは先述のように言語学者、研究者としての、客観的/合理的アプローチに基づくものであり、庶民から説話を聞き取り、記録するといった現場を踏むアプローチによらない手法によるものである点が、ハーンとは異なる。どちらが正しくてどちらかが間違っているという類の話ではないように思う。ただ、より幅広く、多岐にわたって日本の事象をカバーしたのはチェンバレンのほうであろう。

チェンバレンの日本観と、ハーンの日本観。それぞれどのように読み取るのか、どう受け止めるのか。結局は読み手次第である。日本人研究者とは全く異なる視点を持つこと。こうした複数の視点で物事を見る習慣、それによって物事を判断する習慣を身につけておくことが、混沌として不確実な世の中にあって物事を一方的で間違った理解をしないために必要であることを改めて感じる。


2021年6月19日土曜日

時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay (アーカイブス): 豊後杵築を散策する 〜高低差ファン垂涎の城下町〜


今から5年前、2016年6月の豊後杵築への旅を振り返るノスタルジックアーカイブス。最も印象に残った街。美しい街並みに美しい人々。いや美しい人々が住まう街は美しい。もう一度訪ねたい街。



時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : 豊後杵築を散策する 〜高低差ファン垂涎の城下町〜: 城下町杵築は坂の町  杵築は国東半島の南の付け根に位置する小さな城下町だ。高山川と八坂川に挟まれて守江湾に面した要害の地。江戸時代は豊後杵築藩3万2千石。徳川譜代の能見松平家の城下町で明治維新まで続いた。国東半島の南半分が領国。戦国時代には大友氏の家臣であ...

2021年6月4日金曜日

コロナワクチン狂騒曲「上は三流でも現場力はすごい!」 〜日本を支えているのはエリートではない?〜

 

東京大手町の自衛隊大規模接種センター

コロナワクチンの高齢者への接種が始まった。はじまるまでは混乱の極みであったが、ようやくぼちぼちと接種が進み始めた。ここへきて日本の接種の遅れが顕著となり、それを内外から批判されているからか、首相は7月末までに高齢者接種を完了させると言い出した... 遅きに失するとしか言いようがないが、そもそもワクチンは全て海外からの輸入頼みで、必要な数量の確保がまだできていない。自治体への配分もどういう基準でなされているのか、余る自治体があるかと思えば、全く焼け石に水程度しか入ってこない自治体もある。概して大都市への配分は微々たるもの。接種は市区町村に丸投げでその対応がまちまち。予約システムもにわか開発(業者丸投げ)で仕様もまちまち、医師看護師確保もまちまち。高齢者が予約すら取れずに右往左往する。接種が早々と終わったところがあるかと思えば(概して小さな町村)、なかなか進まないところ(概して大都市)も。ちまちま、まちまち... 

しかし、東京、大阪では5月24日から防衛省/自衛隊(医務官、看護官と民間看護師、民間サポータのチーム)による大規模集団接種が始まり、まちまち自治体をよそに着々と接種を進めている。ワクチンはファイザー製ではなく、認可されたばかりのモデルナ製。これを見習って都道府県でも大規模接種会場を設けて接種を進める体制を取り始めた。我が家も5月29日に予約が取れ、タクシーで高齢の母を連れて大手町の接種会場にゆき、第一回目の接種を終えた。とりあえずほっとした。会場はそれなりに高齢者で混雑していたが、受付から問診、接種まで驚くほどスムースに進み、二回目の予約も終えた。スタッフのお年寄りに寄り添ったサポート(椅子を出す、車椅子準備、待たせない、介助必要な人向けの介助要員の待機など)、無駄のない人流コントロール、テキパキとした対応に驚かされた。自衛隊だからなのか、統制のとれた現場力が半端でないことに驚いた。ワクチン対策はこれ迄すったもんだして、混乱の極みであったが、いざ動き出すと現場は驚くほどのパワーを出して接種を進めている。日本を支えているのは「上の人」ではなく「現場の人」であることを痛感した。自治体の接種現場も同様に一人一人の努力で支えられているのであろう。ちなみに我が地元の某区の接種を待っていたらいつのことかわからない(見通しがつかないのが一番困る)。予約開始になっても電話もネットも繋がらず予約が取れない。90歳を過ぎた母の予約の見通しが立たないのには参った。しかも65歳以上は6月中旬から予約開始だと!遅すぎる。接種会場は数こそ多いが一ヶ所あたりの接種回数は極めて限られていて、近くの会場はすぐに満杯。やはりこういうことは大規模にやるか、かかりつけ医や老人宅への訪問接種などこまめにやるかだろう。スケールの小さい市区町村に丸投げしての中途半端なお役所仕事では混乱だけが起きる。予約システムについても自衛隊の方は、極めて合目的的に割り切った予約システムとなっている。区の予約システムうのようなめんどくさいID/PWの設定などない。氏名や住所の投入もない。市区町村から発行された接種券番号と区市町村番号、それに生年月日。この3点をいれるだけ。簡単!その結果システムは軽くて、投入時間も短く輻輳しにくい。本人確認は現地で受付時にバーコードで行う。極めて簡単だ。一方で市区町村の住民情報データベースとリンクしてないので、予約時に本人確認ができない(接種権番号を出鱈目に入れても予約できる)。また市区町村と二重予約が起きる。これは「重大な」欠陥だ!とマスコミが大騒ぎした。しかし、これはもともとシステム設計者の想定済み。とにかく接種予約という目的に特化した簡単な手順にして混乱を誘わないようにすること。自治体の住民情報データベースから遮断して個人情報への不正アクセスを断つこと。この二つに配意した結果だ。そしてうまく行っている。みんな不安だから二重予約する。それをやめろというなら安心して確実に摂取できる体制にすべきだろう。そして市区町村の方はキャンセルしようとしてもまたウェブサイトにアクセスできないという悪循環。非常時のシステムはどうあるべきか、やはり防衛省/自衛隊の方が一日の長がある。今回防衛省/自衛隊の中でも、ワクチン集団接種という本来業務ではないことをやるべきか省内で議論があったという(いかにも役人が問題視しそうなテーマである)。しかし、非常時に国民の生命と安心安全を守るのはまさに自衛隊の仕事との判断。何よりも医務官、看護官の積極的な参加意思表示があり幹部の意思決定を後押ししたようだ。災害出動でも大きな成果を挙げ、実績を積んでいる自衛隊ならではである。このようなパンデミックにおける国防の役割を果たす有事対応能力を見事に示した形だ。自衛隊の株は大いに上がった。

それでも日本の接種率はまだ全国民の2%程度で、世界の中でも最下位レベル。アメリカはすでに41%、イギリスが39%になっており、1日の感染者数も激減しているしイギリスは死者数0となった。課題はさらに接種率を上げて国レベルの集団免疫をいかに早く獲得するかに移っている。すでにロックダウン解除が進み、経済活動が再開されている。そこで日本の政府は今度は接種率を上げるために、高齢者でなくとも接種を進めるとして、64歳以下を対象に、企業、職場や大学での接種を今月から始めると言い始めた。政治や役所の人のフリを見ないと動き出さない体質丸出しだが、それにしても口で言い出すのは勝手だが、やるのは現場の人間だということをわかっているのか。結局、実行は「現場力」頼みだ。しかしこうなると接種率という数字を上げるために、高齢者の接種は完了した(「完了」ではなく「終了」させる!?)として先を急ぐつもりなのかと勘ぐりたくなる。まだ接種できてない高齢者がいるのに切り捨てなのか?まさか弱者切り捨てて数字だけ上げるつもりではないだろうな。何と医療従事者ですらまだ接種が完了していない。依然として上の方は思考プロセスと判断基準の混乱が収まっていないようだ。本当にどうしてこんなに情けない国になってしまったのだろう。

なのにオリンピックだけは強行しようとしている。この背景にはIOCのゴリ押し(IOCのコーツ発言「緊急事態でもやる」)があるということもわかってきたが、それに抵抗できないホスト国政権トップの情けなさ、優柔不断。いや本音は「止めるとオレの政治生命がヤバイ」が原因であることもわかった。政府専門家分科会の尾身会長もついに、「こんなパンデミックでは普通はオリンピックなどやらない」と言い出した。医師もオリンピックへ協力は今の状況ではできない、と協力辞退を言い始めている。大会ボランティアもすでに2万人が辞退した。国民の間でも世論調査では80%以上が中止か延期。ネット上での開催反対署名も50万件を超えた。金と政治にまみれたオリンピック。国民の理解が得られないオリンピック。誰のための何のためのオリンピックなのか。仮に感染の問題が薄らいだとしても、とっくにオリンピックの開催意義を失われている。あと50日に迫っているのだが、すっかり色褪せて興醒めとなったオリンピックは果たしてどんな塩梅になるのか楽しみだ。じっくり観察させていただく。TOKYO2020は後世にどんなオリンピックとして記憶されるのだろう。少なくとも「人類がコロナに打ち勝った証」とか「こんな時だからこそ人類が分断を乗り越えて」とか評価されることにはならないだろう。

このコロナパンデミック騒動では「上は三流でも現場力はすごい!」を実感させられた。この言葉は日経ビジネスの5月25日のコラムに掲載された河合薫氏の表題をもじったものである。まさに、指摘の通りこれが日本の底力だ。一旦やると決まれば現場はどんどん動く。人は知恵を出す。きめ細かい配慮や、行き届いた心配り、「おもてなし」など本領発揮である。しかし、そこへ至るまでの上部の意思決定プロセスとコミットメントがグダグダであることが多い。これは政治の世界でも、官僚の世界でも、企業の世界でも言える。今回のパンデミックは大きな組織におけるリーダーの役割と責任と能力の問題を白日の元に晒した。現場や社会の実情を見もせずに、現場から遠く離れた会議室の机上で抽象的な現状分析をして、具体性のない判断をし、結果を直視しない。かといって大局的なビジョンもなく、突破力もないリーダーたち。そもそも大きなエスタブリッシュされた組織ほどその閉鎖組織独特の(外部からは窺い知れぬ)ロジックが優先されて、それに基づく人事でトップや幹部が決まり、その人物がそのロジックに基づき意思決定する。そういう仕組みが、いざというときには役に立たないということを見せつけられた。すなわち「頭の良い人たち」が集まって「頭の悪い結論に至る」である。いわゆる進学校から一流大学を出てとんとん拍子でエリート街道まっしぐら。もちろん人にもよるが、不測の事態に対応する能力や、何もないところで新しいゴールを設定して結果を出す能力は涵養されてこなかったのが日本の社会的エリートだ。結果に対する責任の負い方も知らない。失敗するリスクを避ける「大過なく任期を全うする」が金科玉条である。今回のケースは、現役時代の理不尽と無力感、隔靴掻痒を覚えた経験を思い出させる。エリートではないが、いくばくかの組織を率いる地位にいたこともある自分を顧みても、苦い出来事に「心当たり」がある。適切かつ合理的な意思決定ができなかったことに愕然とさせられたこともある。理にかなった結果がついてこないのだ。こうした失敗はたいていは現実に起きていること、起きるであろうことを正しく認識していなかったことに起因している。あるいは理解していても、判断する際のロジックが現場の実態とかけ離れていることが多かったように思う。結局「合理的な」判断と意思決定とは、現場の問題をストレートに解決するものでなくてはならない。当たり前のことのようであるが、それができていないのが現実である。トップやリーダは、その結果生じる組織内ロジック違反の理不尽さを受け入れる覚悟と度量が必要だ。あのときに投げかけられた「エライ人はいざというときには役に立たない」という言葉がいま、脳内をぐるぐると駆け回り、心中をかき乱す。自省しても時すでに遅しである。

2021年5月12日水曜日

「根拠のない楽観主義」「神風」は日本の宿痾なのか? 〜「この道はいつか来た道」〜

 

「かくて日は沈み 一将功ならずして 万骨枯る」

コロナパンデミック対策、ワクチン接種で混乱が続いている。感染は大型連休を前に大波である第四波を迎え、政府は重い腰を上げて3回目の「緊急事態宣言」を出した。短期集中と称し連休明けの5月11日に終わる予定だったが、東京に限らず大阪や兵庫など関西圏は変異ウィルスによる感染者数が首都圏を上回り、しかも重症患者が急増し医療崩壊の瀬戸際となるありさま。さらには福岡、愛知など地方の都市中心にこれまでにない感染者数を記録し続けている。まさに全く感染が収束する見込みはなく、毎日6000人以上の感染者数を記録し、死者数も1万人を突破するなど止まるところを知らない勢いである。したがって緊急時事態宣言を福岡、愛知にも広げ31日まで延長することとした。しかし、度重なる「緊急事態宣言」や「蔓延防止対策」、「休業要請」と「時短要請」での乱発で、人々は何がいけなくて何がいいのかわからなくなっている。国民は自粛疲れというよりは徹底しない小出しの「自粛要請」の連打に「オオカミ少年」状態で、パンデミックを押さえ込む効果が薄れてきている。いくら総理大臣や担当大臣、自治体の首長が「密を避けて」「協力をお願い」などと言っても人流は一向に減らない。事業者側は休業要請や時短要請に応じてもその補償は不十分である。一方でワクチン接種は遅れに遅れて、医療従事者の接種率もまだ23%。高齢者(対象者3600万人)の第一回接種率など1%未満と、世界でもっともワクチン接種が遅れている国のグループに属しているという体たらくだ。厚労省のワクチン認可も遅すぎる。緊急事態に対応したものではない。ワクチン確保は完全に失敗した。そしてワクチン接種体制も混乱中だ。もちろん世界中どの国も未曾有の出来事で失策や試行錯誤はあるものの、トップがリーダーシップを発揮してその失敗に学び、軌道修正していった国もあることを知るべきだろう。日本の状況は一時は感染爆発で対策に失敗したと言われたアメリカやイギリスが、バイデンやジョンソンのリーダーシップで急速にワクチン接種を進めて感染者数の激減を実現させているのと対象的だ。

ワクチン開発競争から取り残され、その確保に失敗し、その結果としての接種の遅れは今更だが、市町村などの自治体に丸投げされている接種体制も混乱と人員不足を来たし、高齢者向け接種体制など、ある種の惨劇を見るようだ。インターネットも、スマホも使ったことのない75歳以上の高齢者にネットでの予約を強い、それができないなら電話で予約。その電話は何度かけても繋がらない。困り果てて役所の窓口に押しかける老人たちは、ここでは受け付けないと門前払いされて、途方に暮れ立ち尽くす。まさにワクチン難民だ。可哀想で涙が出てくる。そもそもいつになったら高齢者接種が終了できるのか、その目標も明確でない。首相はそういう批判を受けて今日になって「7月までには完了させる」と言ったそうだが、言うだけなら誰でもできる。それをやるのは現場の市町村と医療従事者。国はやれるための具体的な施策は示さない。国民に「お願い」しかしない政治リーダー。政治は何を行わなくてはいけないのか分かっていないようだ。政治の無為無策、迷走、思考停止、暴走は目を覆いたくなる。

感染は変異ウィルスがいまや大層を占めて拡大している。検疫体制が脆弱でイギリス型変異ウィルスの日本への侵入食い止めに、ここでも失敗した。あっという間に増え、いまや感染の80%はこのイギリス型変異ウィルスだと言われている。ウィルスは感染が拡大するに伴って変異が進むと言われているから、とにかく早期に感染数を抑える必要がある。これに失敗するとインドのように変異ウィルスによる感染爆発が起きる。インドでは1日の感染者数が40万人を超え、1日の死者数が3600人という恐ろしい事態となっている。もちろん医療は崩壊し、医者に見てもらえないまま死亡する人が出ている。そして死者の火葬すらできない。このインド型が入ってくると目も当てられないことになる。一時はアメリカやイギリス、EU諸国がこの危機にあったが先述のように、初動の失敗を反省して、トップのリーダーシップで対策を一変させて抑え込みに成功しつつある。

日本は「民度が高い」国だから、「ファクターX」の国だから、感染など広がらないのではなかったのか?コロナで1万人の死者が出ているのに「さざ波程度で笑わせるな」と宣った某内閣参与がネットでバッシングされている。この民を見下した態度...そんな人間が政権中枢にいる驚き。こういう事態においてもなおオリンピックを強行しようとする。「選手には無料のワクチン接種と医療従事者を選手村に常駐させて、必要なベッドも確保する。絶対に感染させないから安心してくれ!」とオリンピック委員会。「それができるならまず我々にしてくれよ!」と国民。ますます平和の祭典から離れてゆく。一方で開催強行に反発する一部の人間がSNSで、オリンピックに向けて努力しているアスリートに大会不参加表明を押し付けようとする。民心の乱れも引き起こし、高いはずの「民度」はどうなっていくのか。

国民に「お願い」しかしない政府、自治体とは何か?自助、共助ばかり「お願い」して公助はなし。「お願い」の内容は日々支離滅裂の度合いを増してゆく。感染が収まらないのは国民の自粛度が足りないからだ。政治の怠慢を通り過ぎて、無能を露呈し始めている。効果の出ない優柔不断な小出しの「打ち手」。専門家に相談して決める」と言いながら専門家の言うことは聞かない。科学的なエビデンスによる判断よりは、政治的な判断が優先する。世界最高を謳う医療先進国の医療崩壊。科学技術先進国のはずがワクチンは開発から製造まで全て海外からの輸入頼み。そして確保の失敗から来るワクチン不足。見たくない現実を毎日見させられる etc.etc.etc.

まあ、日々のニュースを見ていると、理念と言葉を持たない政治リーダーの迷走に次々と「文句」「皮肉」を言いたくなって止まるところを知らない。戦後の団塊世代にして70年安保/学生運動時代をくぐり抜けてきた昭和老人にとって老人性パラノイアを増進する怒りは精神衛生上良くないからこの辺にするが。

5月10日付の日経新聞のコラムに同紙の外交問題コメンテータの秋田浩之氏は、このコロナ混乱の政治のあり様を見て、昭和のあの時代の戦争に突入して敗戦に至る過程をなぞらえて、この政治意思決定プロセスは真珠湾攻撃以来80年何も変わっていないとの分析が掲載されている。今更だがまさに分析の通りだと考察。あえて加えれば、この80年に限らず、明治維新以降敗戦までの「根拠のない楽観主義」による戦争の歴史は、古代から続く「有事対応能力の欠如」の歴史の延長線上にある。誤解を恐れず言えば戦争/外交が下手な国家は「有事」に対処する視野、勘所、意思決定、突破力に欠ける嫌いがある。そうした思考回路が脳内に形成されず、また共有されていない。その結果、隣人を未曾有の戦禍に巻き込んだだけでなく、360万人以上の同胞が殺され、挙句に国土を外国軍隊に占領される完璧な敗戦という、「神州不滅」のはずの日本史上未曾有の事態に遭遇しながら、なおその経験と歴史に学んでいない。そしてまた同じことを繰り返す...これは日本の宿痾なのか?

振り返ればこの道はいつか来た道。宣戦布告もなく政治の意思決定もないままずるずると拡大していった日中戦争。合理的に考えれば勝てないことが分かっていたのに、日露戦争勝利という僥倖で憶えた「一撃講和」戦略で勝てると信じて開始した対米戦争。ドイツが降伏し、日本の負けがはっきりしているのに、全く当てにできるはずもないソ連に仲介による講和を期待した外交。連日の都市空襲、沖縄の陥落、広島の原爆投下、長崎の原爆投下、それでも「本土決戦」「一億総玉砕」を叫んで戦争を止めようとしなかった軍部。軍部独裁と言いながら軍部は終戦の責任を取らない無責任体制。終わらせ方のシナリオを持たずに始める戦争。最後は、超人的なパワー「神風」が国を守ってくれる。「神州不滅」神話に逃げ込む。そんなバカなと思いつつも、どこか漠然と万に一つの僥倖を期待する。そんな「根拠のない楽観主義」もまた日本人の宿痾なのか。政治のリーダーは国民を守ってくれないどころか国策戦争に駆り立て、最後は「お国のために死ね!」と言うのみであった。空襲があっても、老人、女性、子供しか残っていない市民を避難させるのではなく、バケツとハタキで消火せよ、と焼夷弾降り注ぐ街中にからの退去を許さなかった。こうした意思決定のプロセスと根拠を検証して、前者の轍を踏まない、後世に教訓として残すことができているのか。これをきちんと総括しないまま、戦後の冷戦構造の中での免罪符、その結果としての「高度経済成長」などに浮かれて、かつての失敗と責任と贖罪を忘却の彼方に追いやってしまう。こうした歴史に学ばない国の行く末は心許ない。ただこれは、中国共産党や韓国/北朝鮮の為政者たちが言う「正しい歴史認識」などとは全く異なる「歴史認識」であることを付言しておきたい。

今回のコロナパンデミックの混乱をみて、この国はこのままでは戦争になったら勝てない国だと確信した。逆説的だが、だから戦争をやってはいけない国だ。「有事」「戦時」と言う概念が日常の思考回路、制度や意思決定プロセスに存在してない。アメリカやイギリスなどの、かつての戦勝国には「平時」からこれがある。「戦時」「有事」を論じることががタブーではないし、「平時」の社会/経済システムに「有事」対応がビルトインされている。勝って兜の緒を締めよなのか、戦争慣れしているのか。またイスラエルのような準戦時体制下の国や、常に地政学上の緊張感に晒されている台湾の、コロナパンデミックへの対応は迅速かつ効果的であることを目の当たりにした。平和ボケした日本にそれを求めるのは難しいのかしれないが。今更ではあるが戦争は武器を使って軍隊が戦うだけではない。サイバーセキュリティーもパンデミックも戦争だ。ワクチンの日常からの確保は有事への備えである。経済戦争という有事にも対応遅れが出てくることになる。まあリーダーシップと責任なき政治に殺されるのはまっぴらごめんだというのが国民の本音だ。少なくとも今回、この国のリーダーにはその発する言葉とは裏腹に、国民の命と生活を守ると言う目線が乏しいことに残念ではあるが気付かされた。そんなどさくさに紛れて、国民目線を持たない無為無策の政治屋が憲法改正論議をリードしようとしているとすれば危険極まりない。国民をどこへ連れて行こうとしているのか。この国は主権在民の民主主義の国だということを主権者である我々がしっかり思い出して、主権者として振る舞わねばならない。そうでないとどこかの隣人のように選挙もない専制民主主義人民共和国になってしまう。彼らは我らの体たらくを見て、「だから民主主義なんて役に立たないのさ!」と悪魔の高笑いをしている。




2021年5月5日水曜日

「目黒インテリア通り」を歩く 〜ブラタモリ風「なぜ目黒通りはインテリア通りになったのか?」〜

 


目黒通りは、山手通りとクロスする大鳥神社交差点から、碑文谷、自由が丘あたりまでの数キロの間は「家具屋通り」あるいは「インテリア通り」と呼ばれている。なんと60〜70店ほどの様々な個性的な家具屋、インテリアショップが並ぶ。日本はおろか世界的に見てもこれだけの家具、インテリア関連ショップが建ち並ぶ通りはユニークだという。なぜこのような家具屋街、インテリア通りになったのかについては、後ほど解明してみたい。さて、JR目黒駅の西口を出て長い権之助坂を下り、目黒川を渡って歩くと山手通りとの交差点、大鳥神社を過ぎる頃からはまた上り坂となる。この通りは結構な高低差があることに気づく。この界隈は古くは目黒川を谷筋とする地形に開かれた街並みということになる。ちなみに目黒通り沿いに「元競馬場前」というバス停がある。ここには1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)まで目黒競馬場があった。ここで日本初の日本ダービーが開催されたが、わずか開催2年で閉鎖となった。ここには1マイル1600メートルのコースがあったが手狭であったことと、周辺が住宅地化していったことから、競馬場は府中に移転し現在のJRA中央競馬会東京競馬場となった。今でも重賞レース「目黒記念」にその名残を見出すことができる。住宅がびっしりと建ち並ぶ現在の街並みを見ると、ここに競馬場があったこと自体が不思議な感覚だが、かつては手狭な競馬場とはいえそれなりの広さを確保できる余裕があったのだろう。わずかにトラックのカーブの痕跡が住宅街の路地に残されている。


目黒競馬場の古写真(Wikipediaより)

ここでブラタモリ風「タモ手箱」が登場する!お題は「なぜ目黒通りはインテリア通りになったのか?」Ready? Go!

この通りは横浜から都心に向かう幹線道路で、沿線には自由が丘、碑文谷、学芸大学などの高級住宅地があり、セレブ御用達の店やレストランなどが立ち並んでいた。中でも目黒通り沿線には多くの外車ディーラーが並び、かつては「外車通り」との異名を持っていたという。一説では、そんなセレブ通りだから高級な家具/インテリアショップが進出してきたという。が、ちと話が出来過ぎていてやや「都市伝説」的である。もちろんそうした顧客向けの家具/インテリア店が存在していたことは事実であろうが、実際にはバブルの時代を過ぎ、その外車ディーラーの多くが撤退し、その跡地にインテリア関係の店が進出してきたというのが真相のようだ。確かに一定の敷地を確保できるし、地域柄からもセンスの良い顧客層がいるだろうということでこうした店が集まってきたとしてもおかしくはない。またフランスの雑誌ELLE DECOに取り上げられて海外でも一時話題になったことでますます出店が増えていったという。評判が評判を呼ぶという相乗効果だ。しかし出店している店は、必ずしもセレブ御用達の高級店ばかりというわけではなく、時代の移り変わりを反映して最近は若い世代向けやカジュアルで個性的でユニークな店が多い。北欧、イタリアン、ブリティッシュ、アメリカンから和風、アジアン... アンティークからレトロモダンな家具屋、オーダーメイド家具やインテリア装飾を手がける工房もあり、決して敷居の高いお店がズラリというわけではない。むしろ小洒落た小型の店舗も多く、ロンドンのポートベロやエンジェル、カムデンタウンのような骨董市的なテイストを漂わせる店も多くブラブラと見て回るだけでも楽しい。また通りにはこれまた素敵なカフェやレストランも並んでいるので歩き疲れたらふらりと寄るのもまた良い。

今回は、GEOGRAPHICAという英国アンティーク家具、骨董を扱う比較的大型のお店を訪ねた。三階建てのロフト風の建物で、地下には重厚なマホガニー家具、一階は洋骨董、二階がカフェ、三階にはオークやウォールナットの書斎家具が並ぶという英国好き、ブリトラ(British Trad)にはたまらない豪華な店だ。直営の工房を併設していて英国で買い付けた骨董家具の修復、補修を行っている。ちょうど「Travel Notes」という旅行をテーマとしたフェアーを開催中で、旅行書や19世のガイドブック、ポストカードなどのアンティーク小物、英国伝統のティーカップ、銀スプーンなどの食器、アクセサリーなどが比較的手頃なプライスタグで並んでいた。今回はいつもお世話になっている神保町の北沢書店さんがコラボ出店していて、素敵な洋古書を展示、販売。これまたクラシックな本棚に並んでいた。アンティークな英国家具と革装の洋古書のマッチングは最高で、まるで19世紀英国のカントリーハウスの書斎にいるかのような佇まいであった。この時期英国旅行など叶わぬ「時空トラベラー」にとって至福の時間を過ごすことができた。店内にはカフェレストランもあり、折からの連休で、しかも緊急事態宣言中の「遠出自粛期間中」でもあり、家族連れで賑わっていた。であるからして我々「前期高齢者」は遠慮して退散した。

それにしても東京は奥深い。まだまだ未知のゾーンがあちこちに潜んでいることを再認識した散策であった。


JR目黒駅西口を出て権之助坂を下る

目黒川にかかる目黒新橋

目黒川の桜はもう終わりで新緑が眼に染みる

立派な石柱を持つ橋だ

「元競馬場前」バス停


目黒インテリア通り

古民家活用の骨董店

タイ国大使館


GEOGRAPHICA

目黒通りのインテリア/家具ショップコミュニティーのポータルサイト。目黒インテリアショップスコミュニティー:MISC


(撮影機材:Leica SL2 + Lumix-S 20-60/3.5-5.6)