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2018年9月5日水曜日

猛暑の夏「自分史」初版刊行!

 今年の夏はひどい夏だった。六月の大阪の地震に始まり、七月の西日本の広域豪雨水害、六月末の梅雨明けとともに全国的に連日35度越えの猛暑、九月に入ってからの大型台風の関西直撃。何人の尊い命が奪われたことか。夏は災害目白押しの苛烈な日本列島という印象。2020年の東京オリンピックはこんな七月に開催される。本当に大丈夫なのか? そんな中、我が家ではニューヨークから娘夫婦が孫娘連れて里帰りしてくれた。ジジババ大喜びで孫と夏休みを楽しむはずが、娘一家が羽田についた翌日に母が転んで骨折、救急搬送、入院、手術。転院してリハビリの開始。連日病院通いすることとなった。予定していた夏休みの計画は全てパア。幸い母は順調に回復してくれリハビリに専念しているが、この猛暑に弱い定年男は精神的にも体力的にもへばってしまった。

 しかし、グッドニュースもある。ようやく懸案の「自分史」の初版が出来上がってきた。いわゆる「私家本」という非売品の限定出版だ。この歳になると、これまで過ごしてきた社会人としての自分の仕事人生を振り返り、過ごしてきた時間、経験したこと、感じたことを思い起こしながら記録しておきたい衝動にかられる。定年男が一度は夢見る「自分史」出版だ。私も3年ほど前から構想し、企画し、時間に余裕が出てきてからは原稿を書き貯め、編集して出版原稿にまとめる作業に取り組んできた。なかなかまとまらず苦労したが、ようやく出版にこぎつけた。編集が難物であった。プロの編集者のようなわけにはいかないが、商業ベースに乗っけるわけではない限定版の「私家本」なので自己流でやった。自費出版にしては体裁はなかなかの出来栄えとなった。これは印刷会社のデザイナーさんのお知恵を借りた次第。

 そもそもなんで「自分史」を纏める気になったのか?もちろん自分の人生の中で最も多くの時間を過ごした仕事世界を振り返り記録しておきたいという自分のためであることは間違いない。しかしもうひとつには、家族に家庭人としての私以外の「私」を知らせておきたいということがある。リタイアーエイジになると、非常勤の仕事を引き受けてはいるものの、以前に比べると自由な時間ができて家にいることが多くなる。と、家内と話す時間も増えた。しかし、家内は私の家庭人としての側面はともかく、社会人としての人生を知るよしもなかったことに気づかされた。人生をずっと寄り添ってくれた家内ですらそうなのだ。まして子供達はどうなのか? 気がつくと息子、娘はとっくに独立して家を出ている。それでも時折、家族が集まり話しをすることがある。しかし、私がどういう人生を送ってきたのか、なぜあんなに海外転勤が多かったのか、世界中飛び回って一体何をしていたのか。何に喜び、何に悔し涙を流したか。実は彼らは何も知らない。そのことに愕然とした。さらに今やそんな昔のことなぞ関心すらなくなっている。そりゃそうだよな。今や自分たちの家庭と人生で手一杯なのだから。家のことも顧みず、ただ企業戦士として外を駆けずり回り、時々家に帰ってきて寝そべっているオヤジのことを、なんで知らないのか、なんで関心がないのか、という方が無理というものだ。気づくと家にいて仕事のことや人生をじっくりと家族と話す機会もなかった。もっとも当時はあんまり仕事のことは家族に話したくもなかった。「会社レジャーランド」説を提唱した偉大な先輩がかつて我が社におられた。なぜオトーサン達は家に帰らないのか?会社に夜遅くまでいるのか?会社を出ても新橋を徘徊して家に帰らないのか?それは会社が楽しい楽しいレジャーランドだからだ。家に帰りたくないからだ。「でなきゃ、こんなに会社にいつまでも居る筈がね〜じゃね〜か!」と。私は当時このご高説に苦笑はしつつも、「なワケないよね」と。人々に敬愛される大先輩の独特の皮肉と受け止めていた。が、今振り返ると家に帰らない理由はそれだったのかもしれない。少なくとも会社がオトーサン達の居場所だったのだ。家は寝に帰るところ。私もそんな怠惰な昭和/平成のオトーサンだったのだろうか。「子は父親の背中を見て育つ」と言われるが、背中を見ている時間すらもなかったに違いない。あるいは垣間見た「背中」に嫌気がさして、父親とは違う道を選んだに違いない。

 人に語れるような大した人生を送ったわけでもないのだが、年取ると、せめて子供達、孫たちに、お父さんは、お爺ちゃんは、こんなことしてたんだよ、ということを知って欲しいという衝動にかられる。だからと言って今頃こんなもの書いても手遅れ感は否めない。多分これを読んだからといってそれがどうしたと言うのだ。急に父親を理解し、共感を抱くことはないだろう。私も父から研究者としての人生の集大成である退官記念論文集をもらった時、それを読んだ記憶はない。父もその論文集に関してなんの説明もしなかった。それよりも父は日常の生活の中で「親父の背中」を見せてくれたものだ。その「背中」が色々語ってくれた。父が亡くなり、父の思い出を家族で語ろうと、小冊子を企画した時に初めてこの論文集のページをめくった。本箱の片隅に埃をかぶって忘れられた存在然として並んでいる冊子を見つけて手に取り、ああこんな本があったのだと思い出す。それでいい。私は父のようにはなれなかった。今更後悔しても後の祭りというものだ。私のささやかな「自分史」もせめて本棚の片隅に残っていてくれれば良い。エンディングノートとして残ってくくれれば良い。


カバー写真はニューヨークマンハッタン42丁目の通り。
東側の陸橋から撮影した。



2018年8月23日木曜日

(速報)ニコン新ミラーレス機ついに登場 〜Zマウントシリーズ発表〜










(掲載した写真は、ニコンHP, ヨドバシカメラHPからの引用)


 本日23日、ついにニコンのミラーレス機がベールを脱いだ。デビューした新しいマウントはZマウントと称し、Fマウントよりも大口径の内径55mm、フランジバック16mm。マウントの大口径化に伴い、レンズ設計に大幅な余裕が生まれ、今後高性能レンズの登場が期待できるという。ついにニコン「不変のFマウント」とは異なるマウントが登場した。ある意味ではFマウントの桎梏から抜け出る機会とも考えられ、成功すればニコンの歴史の画期となるだろう。しかし、これまでのFレンズ資産はどうなるのだろうという不安も。

 9月下旬に、まず4575万画素の高画素モデルZ7が、続いて2450万画素の普及機Z6が11月にリリースされる。すでに量販店では予約を受け付けている。ヨドバシカメラではボディーのみの価格がZ7は¥437,400(ポイント10%付き)。Z6は¥272,700(ポイント10%付き)で出ている。

 Z7はスペック上はかなりアグレッシブなカメラに仕上がっているようだ。仕様を見るとどれもハイエンドの数字が並んでいる。常用ISO25600という高感度と4575万画素という高画素を両立させている。フルサイズ裏面照射型CMOSセンサー、画像エンジンもEXPEED 6となり、かなり高速処理が可能となっている。画素数がこれだけあって、かつ高精細なEVFを備えるとなると強力なプロセッサー、画像エンジンが不可欠で、大幅にパワーアップしていると思われる。仕様を見る限りほぼ最高峰のカメラといって良さそうだ。問題は、そのスペックを活かしきる使い手の力量と、撮り手の感性を乗っけられる「道具」に仕上がっているかだ。

 外見は、従来のFマウント一眼レフのイメージに拘らない新しいデザインが取り入れられている。写真を見る限りなんとなくソニーαシリーズの形状に似てきたのかな? ミラーレス機は無意識に同じようなパッケージングになってゆくのかもしれない。実機を手にしてみなければなんとも言えないが。D850のペンタ部のデザインにクラっときている私には、Zのペンタ部(ペンタは無いのだが)の形状には面食らう。従来の Fマウント一眼レフのパッケージング、流麗な形状に慣らされている身には少々違和感がある。慣れる時間が必要な気もする。

 D850などに比べると、ミラーがない分だけフランジバックが短くて、ボディー自体は薄くなっている。全体的に小型化、軽量化が図られているが、マグネシウム合金製で防塵防滴シールもしっかり施されていて、剛性感、信頼感はニコンフラッグシップのものだ。そこに高性能が凝縮されている感が強い。その分、グリップがやたらに大きく感じる。これも実際にホールドしてみないとなんとも言えない。他社フルサイズミラーレスと比べると、ソニーαはボディーサイズが小さくてグリップのホールド感がいまいちだ。小指が余ってしまう。一方、ライカSLはグリップはしっかりホールドできるが、いかんせん鉄アレーのような重量感がとてもミラーレスのイメージには程遠いカメラに仕上がっている。Z7、Z6はこの辺りのサーベイをしっかりして製品に反映させていることだろう。

 Zマウントレンズ群のロードマップも発表されているが、当面(年内)は24-70/4の標準ズーム、50mm/1.8、35mm/1.8の3本。2019年以降、58mm/0.95Noctなどの高性能レンズが登場する予定だ。大口径、ショートフランジバックというZマウント化への勇断を奮っただけに、これまでとは異次元の新しいレンズ群が続々と登場するのだろう。当面は従来のFマウントレンズ資産を同時にリリースされるマウントアダプターでどう活かしきれるのか、これも注目点だ。

 肝心のEVFの見え方はどうなのか?数字上は369万ドットの有機ELファインダーであるが、これこそ実機を見てないのでなんとも言えない。ちなみにLeica SLのそれは440万ドットで、Leica CL は270万ドット。しかしCLのEVFのほうがより見えが美しい。EVFはドット数だけで判断できない。ファインダーの見えは写欲を左右する重要な要素なので是非早くのぞいてみたい。ただ現時点で残念なのはファインダー接眼部がFシリーズプロ機のアイコンともいうべき円型ではなく、普及機の四角になっているのが気になる。Fのイメージを引きずるユーザのノスタルジアなんだろうか。

 はやく実機を試してみたいものだ。



 ニコンの公式サイト:

 1)本日の午後一時からライブで流されたもの。現在はアーカイブ化されるまで見れないようだ。
ニコン発表イベント(ニコンHPから)

 2)ニコンHPにはZ7,Z6の詳細が掲載されている。
ニコンミラーレス、新Zマウントシリーズ、本日発表!



2018年8月21日火曜日

Leica M10-Pデビューとアンリ・カルチェ・ブレッソン生誕110年



アンリ・カルチェ・ブレッソン生誕110年
(マグナムフォトより)


 予想されていた通り、Leica M10-Pが8月21日に発売となった。通常のLeica M10、いわゆるレッドドットライカに続いて「プロ用」のPが登場したわけだ。M10登場から1年半なので、これも想定内。次は来年くらいにM10モノクロームがでてくるのだろう。ライカMシリーズお約束のラインアップシーケンスだ。ちなみに23日にはニコンが新しいプロ仕様ミラーレスカメラ、新マウントレンズの発表を行う。いろいろ賑やかになってきた。

 で、どこが「プロ用」なのか?

1)レッドドットライカロゴマークがない(プロは目立つ赤バッチをテープで隠す)。
2)代わりに軍艦部に筆記体のLeicaロゴが(かっこいい!)。
3)シャッターの静音化(メカニカルシャッターとして。電子シャッターはない)。
4)タッチスクリーン導入(ライブビュー時のピント拡大などに便利)
5)ライブビュー時の水準器の復活(M Type240まではあったのにM10でなぜか廃止されていた)

 その他は、従来のM10とセンサー、メモリーサイズ、画像エンジン、そのほかのスペックも全く同じ。あっ、それからホットシューカバーーがプラスチックからメタルに... 価格はM10の約10%プラス。ライカ社は「控えめな存在感」を打ち出したという。特にメカニカルシャッターながら従来のフィルムライカなみの静音性を実現した点が最大の特色。シャッターユニットをボディーに直付けするのではなくダンパーを介して取り付けることで実現可能となったという。このシャッター音はなかなか好ましい。外で撮影するときにはよく耳を済まさねば聞こえないほど。しかし、電子シャッターの無音とは異なり、撮影時にシャッター作動を静かに確認(手に伝わるわずかな振動を含め)することができる。これまでの金属的な残響がなくなった。ステルス性云々もさることながら感性をくすぐるお道具の域に仕上がっている。ファンの間では、これでボディーサイズ、シャッター音ともにフィルムライカのフィーリングに近づいた、と歓迎する声がある一方、誰がこのPを敢えて買うのか?という声も。これもいつものライカを取り巻くよくある「反応」だ。どれだけの本当のプロがこれにこだわり、Pの登場を待望しているのか我々素人にはわからない。しかし、いよいよデジタルMも完成の域に入ったと感じさせる出来栄えだ。

 今年はあのレジェンダリーなライカの使い手アンリ・カルチェ・ブレッソン生誕110年だ。彼のライカM3にズミクロン35mmなど、単焦点レンズ一本で、軽やかにパリの街を撮り歩く姿。「決定的瞬間」など、数々の後世に残る名作を残したストリートフォトグラフィーのスタイルはまさに「神業の世界」である。このスタイルがライカをレジェンダリーなカメラに押し上げている。であるから、デジタルカメラ化した今でも、その「神器」の装いと、直感:intuitionを引き継いでゆかねばならぬ。ソフトウェアーで定義してゆく機能的なスペックよりも、手にしたフィーリングや、シャッター音などの感覚に訴えるスペックが尊ばれる。伝統工芸の伝承や文化財保護の精神に近い。現代のデジタル技術、効率化された生産技術、科学的、経済的合理性の中でその精神がどう生かされていくか。手に馴染む「お道具」に仕上がるのか。その結果がM10-Pのようなカメラを生み出すのだろう。ソニーの最新のミラーレスで沸き立つファン層の理解を超える世界なのだ。ライカカメラの「存在の合理性」は独特のものである。

 とはいえ、我々のような凡人、シロート写真愛好家には、なかなかその「存在の合理性」は納得しがたい時がある。特にそのプライスタグを見せられた時。はるかに安い価格で、もっと高機能で使い勝手の良いカメラが山ほどある。そうした「技術的合理性」「経済合理性」に満足せず、己の懐の深さ(浅さ)に打つ勝てる人だけがライカに手を出す。結局は「理性」よりも「感性」という、もう一つの価値判断基準を持ち合わせるか否かで決まる。ただブレッソンがいまも現役のフォトグラファーであったら、案外ソニーαでストリートフォトを撮っているかもしれない。彼はレジェンダリーライカだから使っていたわけではない。その時代に手に入る、もっともコンパクトで、ミニマルで、自分の直感を載せれるカメラを道具として選んだ。当時はそれがライカだった。いまならどのカメラを選ぶのだろうか? まさかスマホ!?とはさすがに考えたくないが、結局オールドファンの「それはない!」「そうあって欲しくない!」というノスタルジーが、今でもソニーでもなく、ましてスマホでもなく「ライカという精神世界」を後押しするのだろう。



個人的にはシルバークロームが好き

軍艦部のLeicaロゴ

タッチスクリーンになりスワイプ、ピンチができるようになった。
プロが求めた機能なのだろうか?

ライブビュー時の水準器が復活。これが一番嬉しいかも。


(写真はライカジャパン社HP、「デジカメWatch」記事から引用させてもらった)


(追記)2018.8.30
 ライカ社は熱心なファンに頭から冷水をぶっかける会社だ。上に記述したせっかくの高揚感が台無しになるような事態に遭遇した。もううんざりで言いたくも無い。これまでも幾度もの故障と、信じられないような数々の不具合、バグに慣らされ、少々のことでは驚かない胆力を備えたつもりの私も、今回ばかりは呆れ果てモノも言えない。一番に予約を入れて発売日に入手できた喜び、興奮、期待は、まさかの思いがけない事態に無残に打ち砕かれた。開封されたばかりの新品のM10-Pシルバーをセットアップして電源を入れた途端、シャッター速度を制御する測光システムが壊れているではないか! Autoに設定すると、ファインダー内の表示は1/4000と32秒(長時間露光)が交互に点滅し、そのままシャッター切ると、露出オーバー(真っ白!)か露出アンダー(真っ黒!)となる。ロシアンルーレトでも楽しめというのか!マニュアル設定とすると、選択したシャッター速度は出ているが、絞りを回してもファインダー内には適正露出を示す●表示が出ない。▶︎がうろちょろ落ち着きなく暴れている。どこが適正露出なのかわからない。これらはライブビュー(LV)モードにすると発生しない(シャッター幕を跳ね上げて、センサーで直接測光するからだ)。シャッター幕上のグレーに当たる光の量を読んで露出決定するという、ライカM6以来の自動露出機構が壊れているのだ。中古じゃない。新製品、新品のカメラだ!

 そもそもライカ社は製品出荷時に検品をやらないのか。同梱されているサイン入りのサーティフィケートはなんなんだ。これには「This Leica product was meticulously examined by experienced professionals at several stages of production.」「This product has been packed by xx」とある。「途中では検査したけど最後のステージでは検査していません」「私は梱包しましたが出荷検品はしてません」と読むべきものなのか?検品していたらこんなお粗末なで明らかな初期不良を抱えたまま顧客の手元に製品が届けられるはずがない。これは以前にも指摘した同社の数々の品質管理の問題の一つだが、それにしても今回の初期不良は近時稀有なお粗末さだ。中国製のフェイク、コピー商品でも開けたら壊れてた、なんてこと経験しなくなっている。ドイツ製とはこんなお粗末なものなのか。

 今年の夏は私にとって家族の怪我や病気が重なり、最悪の夏だった。夏休みも取れないまま、ただただ忙しく猛暑に苛まれたストレスフルな夏だった。せめてもの楽しみは、ついにM10ーPシルバーが手に入るということ。かわいそうな私のストレス解消に、とワクワクして待ったM10-Pシルバー。まさかこれがストレスの上塗りになるとは思ってもみなかった。脱力感半端ない。

 これだけファンの信頼と期待を裏切るカメラもない。いかに世間がライカ伝説に酔いしれようと、現代のライカ製品は、そのプライスタグに品質が伴わない虚飾のカメラに成り下がってしまっているのではないか。ライカの持つレジェンダリーなブランドイメージに見合わないお粗末な品質管理、マネジメント。これでは早晩またライカ社冬の時代を迎えることだろう。私も「ライカお粗末ネタ」ブログを書き飽きた。ネタがエンドレスで書き始めるときりがない。基本的に悪口は言いたくないし。

 今回もライカジャパンのサービスチームの努力により、2日で原因を特定し、(修理に3ヶ月かかるドイツ送りすることなく)修理完了となった。むろん保証期間中(!)なので無償修理。当初は露光機構部品の不具合かと思われたのだが、やはり測光システムのプログラムの不具合であった。またしてもソフトウェアーに弱みを抱えるカメラ、という基本的な課題をここでも露呈した形だ。顧客ファースト、プロフェッショナルな対応で問題解決してくれた銀座のサービススタッフに謝意を表すとともにドイツ本社への顛末のフィードバックを依頼して引き上げた。ライカ本社は、またしても日本の優秀なサービススタッフと我慢強いライカファンに助けられて、顧客を失わずに済んだ。


2018年8月11日土曜日

ニコンよお前もか! 〜ついにフルサイズミラーレス登場!?〜

 ニコンが新マウントフルサイズミラーレス機をいよいよリリースするようだ。一眼レフの王者「ニコンよお前もか!」と思わず言葉が出てしまった。ミラーレスというとフラッグシップ以外の系列のカメラという捉え方であったが、本格的なプロ用、ハイエンドアマチュア向けのラインアップが予想されている。ニコンのミラーレス市場再参入。かつて1型センサー搭載のミラーレスを出しているが、撤退した経歴を持つニコン。フルサイズでの再参入。しかも新マウント導入。永遠不滅のFマウントをついに放棄するのか? ニコンミラーレスには色々意見があるようだ。今更? 一眼レフはどうなる? Fマウントレンズはどうなる? しかし、これは間違いなくニコンにとって大きな「時代の画期」となるだろう。不可逆的な歴史の理を感じるからだ。


ニコンのTwitter上で公開されたフルサイズミラーレスのティザー広告画像
出典不明のリークイメージ


 カメラ事業の世界も他の事業分野と比べて例外ではなく、技術イノベーションが、そのプレーヤーに皮肉な歴史上の巡り合わせを強いる。1950年代初頭、ライカM3の登場でのライカの光学レンジファインダー機を越えられず、一眼レフ(プリズム/クイックリターンミラー!)に転換したニコンが、やがてライカを凌駕し、一眼レフでプロカメラ市場の世界制覇を成し遂げた歴史はあまりにも有名だ。しかしそのニコンがデジタルトランスフォーメーションという技術パラダイムシフトに伴って登場したミラーレス、すなわち電子ビューファインダーを搭載したカメラの扱いに揺れている。先述のようにニコンもニコン1として一度はミラーレス市場に参入している。しかし、フラッグシップ機とは別系統のアマチュア向けのラインアップとしてであった。そして今、ソニー(かつてのミノルタ)αシリーズがミラーレスフラッグシップの先頭を走っている。いよいよニコン、キャノンの牙城であるプロ向け機材市場への参入を始めた。一方レンジファインダーにこだわって周回遅れを期したライカも、この機会に雪辱を果たすべくミラーレスでゲームチェンジャーになろうとと躍起になっている。デジタルトランスフォーメーションへの道はマイスター職工企業ライカには厳しい道のりのように見える。それでもレンジファインダー機Mシリーズとは別系統のLマウントのSL, TL2, CLを次々投入してきている。キャノンも動き出した。銀塩フィルムから画像センサー+画像エンジン(ソフトウェア)へと、撮像に必要な要素技術がデジタルシフトするに伴い、フィンダー自体も光学レンジファインダー、一眼レフ、ミラーレス(電子ビューファインダー)と革命的なパラダイム転換が進んでいるわけだ。

 ユーザから見ると面白い時代になったが、メーカーから見ると大変な時代になったものだ。光学レンジファインダーやミラー/プリズムファインダーがハイエンドカメラのクラウンジュエルである時代が終わろうとしている。電子的なデバイスが光学的なデバイスに100%取って代わるとは思わないにしても電子ビューファインダーが、アマチュア向けのギミックのような付加物である時代が過ぎ、本格的な撮影に使える高精細なファインダーに進化してきたことは否定できない。それに伴い徐々に主役の座を占めつつあることに違和感はない。一方でこうした技術の進化が製品のコモディティー化の速度を飛躍的にあげていることも否定できない。スマホカメラがその代表だ。単価は低いが量を稼げるコンパクトカメラがスマホカメラの登場で大打撃を受けている状況を考えると、プロ向け、ハイアマチュア向けフラッグシップ機はカメラメーカーの生命線になるだろう。もちろんニコンもキャノンもカメラなどイメージング機材だけでなく、半導体ステッパーや医療用機器、OA機器などの領域での競争も厳しい。今やこれらの産業用機器が、じつは我々が考えている「カメラメーカー」の主要な営業収益源となっているのであるが、カメラファンの視点でみると、なんとかカメラ事業継続を望みたい。ニコンブランドは大きな価値のあるブランド、いわばカメラ界の大名跡である。ライカの道など真似る必要はないが、このブランドエクイティーを生かした成長戦略もあると考える。

 ニコンが8月23日に「特別な発表会」をライブ配信すると予告したこの時期、私はニューヨークからやってきたVictorとShioriと共に、品川のニコンミュージアムに後藤フェローを訪ねた。レジェンダリーニコンF3の開発者で、その後、次々とニコンフラッグシップ機の開発、市場投入をリードしてきたマエストロ後藤さんにお会いできただけでニューヨークのフォトグラファー達は舞い上がっていた。しかし、私の関心はもちろん話題のミラーレス。後藤さんから、間も無く発表されるニコンフルサイズミラーレスについて、人より少しでも早く情報を聞き出そうと、色々水向けるが全く口が硬い。普段は熱くカメラを語る後藤さんも、本件に関しては「今は言えない」の一言。引っ掛け質問にも反応せず、なんとか新マウントについて「ポロっと」喋ってしまわないかと誘導尋問を仕掛けてみたが片鱗も聞き出すことができなかった。「Fマウント用アダプターは出しますよ」と。しかしこれはすでに発表済みですから知ってます。「ここだけの話ですが...」などと軽々しく話をしないところは流石だ!こうなるとますます期待がふくらむ。さあ、発表が楽しみだ。どんなニコンシリーズが登場するのか!



愛機F3とその生みの親後藤フェローとの感動の記念写真!


ニコンのウェブサイトに新マウントフルサイズミラーレスの関する一連のテザー広告が:

https://events.imaging.nikon.com/live/jp/


以下は「デジカメWatch」ウェッブ版記事を引用。

ニコンは7月23日から、同社Webサイトで新型カメラを予感させるコンテンツを複数公開している。ここで8月10日時点の内容をおさらいする。
・7月23日:スペシャルサイト公開。新型カメラを予感させる映像が初公開
・7月25日:「新マウント採用のフルサイズミラーレスカメラ」開発発表
・8月23日:“ニコンの特別な発表会”ライブ配信日
・9月1日〜:全国7都市の巡回イベント「ニコンファンミーティング2018」
8月23日13時(日本時間)から“特別な発表会”のライブ配信が予告されており、7月25日に開発発表された「新マウント採用のフルサイズミラーレスカメラ」の正式発表が期待できる。9月1日からは、日本の7都市を巡回する「ニコンファンミーティング2018」も決定している。
8月23日に正式発表され、9月1日からのファンミーティング会場で実機を試せる、というのが予想できる流れといえよう。
8月に入ってから、それぞれ30秒程度の動画「MOUNT」と「BODY」の2本が公開されている。
「MOUNT」は、ニコンFなど歴代一眼レフカメラのマウント部がアップになる映像。マイナスネジ4本で固定されたシンプルな見た目のFに始まり、最新のD5ではビスも増え、AFカップリング、電子接点、可倒式の連動ガイドなど多機能になっていることがわかる。ラストシーンでは、新マウントのバヨネットが4枚爪(Fマウントは3枚爪)で、取り付け指標とレンズ脱着ボタンが3時位置に見える。
バヨネットの形こそ1959年から変わらなかったニコンFマウントだが、あらゆる機能の“建て増し”を実現してきたマウントでもある。新型ミラーレスカメラに用意されるというFマウントアダプターが、その連動機能をどこまでサポートするのか楽しみだ。
「BODY」は、ニコンI型からニコンD5までの様々な操作部がクローズアップされる。具体的にはシャッター速度ダイヤル、レリーズボタン、ファインダーの接眼窓、電源レバーなど。新しいフルサイズミラーレスカメラが、玄人好みの操作性であることを期待させる。



2018年7月7日土曜日

根津美術館探訪 〜こんな美術館があったのだ!〜

 
庭園とロビーはガラス壁面で遮られているが、まるシームレスな空間であるかのような効果を演出している。


 根津美術館のことは知っていたが、一度行ってみたいと思いつつなかなか訪れることもなく時間だけが流れた。先週のNHKの日曜美術館で、フランス人美術史家、ソフィー・リチャードが10年かけて日本各地を旅して選んだ「訪ねる価値のある」美術館の紹介番組が放映された。その中にこの根津美術館が選ばれていた。これがきっかけとなって、行ってみようということになった。ここで紹介された「フランス人がときめいた日本の美術館」という本は、英文ガイドブック「THE ART LOVER'S GUIDE TO JAPANESE MUSEUMS」の和訳版である。もともと日本を訪ねようという人々向けの旅行ガイドブックである。日本語版のタイトルがいかにも日本人受けしそうなタイトルに変更されているので、フランス人の美人がときめいた美術館だから行く価値があると言うのか?と天邪鬼を言いたくなるが、本の内容、評価の視点には傾聴に値する点が多いと感じた。ここでは欧米諸国の大美術館とは異なり、日本には小さいけれど珠玉のような、プライベートだが素晴らしいコレクションの、地方にあってもわざわざそのためにだけでも行く価値のある多様で個性的な美術館があることを教えてくれる。日本人にとっても有益なガイドブックだ。

 我々はともすれば、自分たちの文化や芸術の普遍性に気づかないでいることがありがちだ。「国内」で評価されても「国外」では通用しないという内外二元論的評価軸がある。もちろんそういったものもあるが、時としてそこに日本は遅れていて海外が進んでいる、田舎のものは都会に劣る、という自虐的な評価軸が潜んでいる場合がある。もちろん明治の頃のフェノロサや岡倉天心の日本文化の再評価活動、欧州におけるジャポニズムブームによって逆触発されるなどの経験がある。また柳宗悦や濱田庄司、バーナードリーチなどによる民芸運動により地方の生活者の中に美を発見した経験を持つ。しかしいまだに自分たちの持っている美意識や価値観のグローバル性、普遍性に気づいていないことがある。一方で「外国人が見たニホン」というと、これまた最近の流行りの「Cool Japan!」みたいな「美しい日本」「日本は素晴らしい!」的なプロパガンダやマインドコントロールに陥りやすい。これも一種の自虐的評価の裏返しに見えなくもない。そうではなく、美意識や価値観は多様であり、人によって評価は異なる。一律に海外で認められたから素晴らしい、田舎にあるからつまらない、という風にかたずけないで、異なった視点、多様なセンスからの評価に触発されることがある、という点に気づき、それを自分としてどう評価し咀嚼するかするかを考えれば良い。そうすれば新しい発見があるだろう。

 そういう視点での根津美術館巡りは確かにユニークな体験であった。ちょうど「はじめての古美術鑑賞」という企画展があり、漆の装飾と技法について古代中国の作品から近代日本の作品まで、その進化の過程を知り、それぞれの時代における美の煌めきを一堂にするというもの。まさに美の「時空旅」を楽しむ企画である。中国、朝鮮の「唐物漆器」である堆朱、螺鈿、彫漆から、これらを取り込み咀嚼した上で日本独自に発達してきた蒔絵など、まさに「時空を超えた」至極の世界を堪能できる。しかし我々にとっては珍しくないこうした「企画展」をソフィーは賞賛している。企画に応じて展示替えを行う。これが日本の美術館の特色の一つであるという。そういえば海外の美術館にそういったイベントや企画はなかったか。

 また庭園が素晴らしい。緑濃い園内には伝統的な茶室や神社、仏堂まであり、あちこちに石像の古美術が散りばめられている。個人の邸宅を用いた私立美術館ならではである。都心にこんな広大な緑の空間が存在していること自体驚きだが、隈研吾設計のの本館建築がその庭園という空間と展示室ロビーという空間が、一枚の壁面ガラスで隔てられているもののまるで一体化されていて、美術館には禁じ手である外光を建物奥深くまで採り入れる造りとなっている。まさに美術館を作品の「墓場」にしない効果を演出している。美術館エントランスは竹の生垣と白い砂利のアプローチとなっており、まるで都会の現代建築であることを忘れさせ、これから始まる美術館巡りという物語のプロローグを演出している。こうした美術館のしつらえ、佇まいも独特のものであろう。さらに、私も大好きなのは美術館にあるレストランやカフェである。これが美術館巡りにとって重要な要素となる。極端に言えば、これらの良し悪しでその美術館の好き嫌いが決まると言っても良いくらいだ。根津美術館のカフェは圧倒的な緑の海にたゆたうアトリウムだ。それそのものがこの美術館の重要なインスタレーション、構成エレメントになっている。平日にも関わらず混んでいる理由もよくわかる。

 根津美術館は、表参道交差点から明治神宮に反対方向、御幸通りを散策すること6〜7分。両サイドにはブティックやブランドショップ、カフェが並び、正面には六本木ヒルズの建物が遠望できるという、まさにお洒落な街に位置している。現代建築巡りという視点から根津美術館を眺めると、安藤忠雄の表参道ヒルズと双璧をなす隈研吾の美術館本館である。現代日本を代表する二人の建築家の作品を楽しめるそのロケーションセッティングは流行の最先端エリアのそれであるが、一方、古くからの邸宅街という戦前の東京の面影を生かしたセッティング(根津邸と同潤会アパート跡地)という、「時空ミックス」のユニークな空間となっている。

 根津美術館について:
東武鉄道社長などを務めた実業家、初代根津嘉一郎の古美術コレクションを引き継いだ社団法人根津美術館が、1941年に旧邸を改造して開館した私立美術館。国宝、重要文化財を数多く含む日本、東洋古美術約7400点を所蔵する。旧本館は戦災で茶室を含み大部分が焼失したが、戦後増改築を行い再建した。2006年から3年半をかけて大々的な建替を行い新本館が誕生した。設計は隈研吾。竹のエントランスや、庭園からの外光を取り入れて館内ロビーと一体化した自然な景観を創造した素晴らしい建物である。美しく広大な庭園を含む都会のオアシスというにふさわしい素敵な美術館である。


エントランスは竹の生垣と砂利の小道
京都の寺のようなセッティングだ















ロビーから庭園へ
七夕の笹が季節を感じさせる
初夏の樹々の緑が目に眩しい


庭園内には4つの茶室がある











赤とんぼ
青とんぼ
























庭園側から美術館本館を眺める
緑の大海にたゆたうカフェ
再びロビーへ
六本木ヒルズを望む。
次を右折してすぐが根津美術館







2018年7月2日月曜日

Leica M10 ファームウェアー問題その後 〜マイナーな問題なのか?〜

時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : Leica M10 ファームウェアー問題: Leica M10  最新のライカM10をゲットしてから4ヶ月余り経った。その完成度に満足し、出番が大いに増して手放せない愛機になってきた。ところがその蜜月ムードに水を差すような出来事がまたぞろ発生しはじめた。ライカ社から見れば大した問題ではないのかも...


 と指摘したのが去年の7月であった。そして今年の6月29日になって、ようやくM10のファームウェアーアップデートver.2.4.5.0がリリースされた。前回指摘した不具合(露出補正値の表示不具合)はやっと修正された。ついでにLEDがピカピカ点滅して鬱陶しいのもオフにすることができるようになった。ライカジャパンのサービス担当が言っていた通り、バグ修正に一年かかったことになる。しかし、バッテリー残量表示不具合(減ってるのに100%表示のまま。突然残量不足表示に変わる)はなぜか直っていない。バッテリー側の問題なのか?特に言及はない。SNSで指摘されていた「露出オーバー」バグ(私の個体では確認できなかった)はどうなったのか。いずれもライカ社の発表したファームウェアー修正リストにも載らない「その他のマイナーな不具合」にカテゴライズされるものだ。「だから大したことじゃないじゃないか、大騒ぎするなよ」ってことなのか?しかし、マイナーかもしれないが、日本のメーカ製品では絶対に考えられない、しかも高級カメラとは思えないような「お粗末」な不具合がなぜいつまでも修正されないのか全く理解できない。高度なプログラマーの手を借りなければならないようなコードの書き換えではないだろう。何しろマイナーバグなのだから。しかしこんなお粗末な不具合をいくつか抱えたまま、またライカ社はお得意の限定版商法を展開。M10をベースに通常価格の倍以上のプライスタグのついた「ナンタラバージョン、リミテッド」を連発している。中でもドイツヴェツラー本社ビル「ライツパーク」限定モデルは、ライカ社の最近の増収増益という短期的な好業績に浮かれた記念モデルだ。

 最近私は考える。ライカ社はユーザの意見、コメント、販売現場の声、あるいはサービスフロントでの故障クレーム収集、これらの分析、フィードバックのサイクルが十分機能していないのではないか。いくら使い手に媚びないカメラだとは言っても不具合はちゃんと直して欲しい。一部の有名フォトグラファーや評論家のコメントは聞くが、一般のユーザの意見は聞かない、いや届いてないのだ。不都合な真実を投げかける批評家はシャットダウン。最近、あの辛口ブロガーもライカサイトに登場しなくなった。政治の世界に流行りの忖度マーケティングなのか。忖度マスゴミを取り巻きにしていては政治も経営も破綻する。故障やマイナーな不具合への対応の仕方に、企業としての顧客への姿勢がはっきり見える。他社のカメラではありえないたびたびの故障やバグに遭遇した経験から学んだことは、ライカ社にはKAIZEN活動などというTQCのプロセスが存在してないようだということ。これでは企業の持続的な成長は望めない。短期的な売り上げ増に悦び、豪華な本社ビル「ライツパーク」など建設しているようではライカ株は「売り」だと言われても仕方ないだろう。

2018年7月1日日曜日

原宿表参道散策 〜オー!シャンゼリゼ?〜






 東京に出てきたばっかりの九州男児クンにとって、原宿表参道の街並景観は衝撃であった。銀座や渋谷、新宿はただただ人が多い殷賑な街という印象であったが、ここは、パリのシャンゼリゼ通りみたいだと驚嘆したものだ。初めてここに来たのは高校生の時だったろうか。もちろんその頃はシャンゼリゼなど行ったこともなかったのだが、なぜか並木の美しい大通り、両側に洒落たお店が並ぶ都会的な街並みを一律にシャンゼリゼ通りとイメージしていた。少し高低差のある通りを青山通り側から見渡すと一直線の通りが少し下り、やがて少し登る。やがて緑の並木道の先には明治神宮の森だ。それがとても美しく、オシャレに見えた。それで写真でしか見たことのなかったChamps-Élyséesと勝手に見立てたわけだ。

  ここを歩くとダニエル・ビダル(Danièle Vidal)のオー・シャンゼリゼ( Les Champs- Élysées)のメロディーが今でも頭の中でぐるぐる回り始める。あの頃の彼女、とっても可愛くてまるでフランス人形みたいだった。その彼女が日本語でも歌うんだから九州男児クンは撃沈であった。1969年のことだ。彼女、今も健在なのだろうか。

 ' Aux Champs-Elysées, aux Champs-Elysées  
 Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit  
 Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysées …'

 あれから40年...  本場パリのシャンゼリゼも散策した、ロンドンやニューヨークなど世界の美しい町並みを訪ねることもできたが、その上でここ原宿表参道界隈の佇まいは、やはり世界に誇れる町並み、都市景観だと再確認した。シャンゼリゼほどの道幅はないし、凱旋門も無いが、江戸とは異なる東京の新しい風景だ。表参道はその名の通り大正9年明治神宮の参道として作られた。出来た当時は舗装もされていない埃だらけの道だったそうだが、やがて舗装されケヤキが街路樹として植えられ緑陰を作る美しい通りになった。ケヤキは大きく育ち街に風格を与えてくれる。パリのプラタナスもいいが、日本の都会にはケヤキが似合う。やがて和風の響きのある「神社の参道」は、洋風の洒落た「アベニュー(Avenue)」に変身していった。

 かつて参道には同潤会アパートがそのレトロモダンな姿で立っていた。このアパートは昭和2年に建てられ当時はハイカラな集合住宅として表参道のランドマークになっていた。戦時中の空襲では同潤会アパートも被災したが戦後補修され、表参道のランドマークであり続けることができた。高度経済成長時期になると住居というより、場所柄ブティックやギャラリーとしてリノーベートされて使われることが多かったが、2003年に論争があったものの取り壊しが決まり、2006年に表参道ヒルズ(安藤忠雄設計)に建て替えられた。ちょうどニューヨーク在住中のできごとだったので彼の地でニュースとして聞き、代官山の同潤会アパートとともにあのレトロアパートが無くなるのか!と残念に思った覚えがある。帰国後一度行って見たいと思っていたが、意外に訪れる機会がなく、気がつくと今になった。全部取り壊され建て替えられたのかと思っていたが、一部が残されているのにビックリ!レトロとモダンのハイブリッドになっている!参道景観にアクセントを与えているではないか。今や表参道は東京のファッションストリート。ブランドショップ街。歩いている女性もみんなカッコいい。プロダクションのスカウトがウロウロしている場所なので、その気の女の子たちは意識して気張って歩いているのだろう。最近は竹下通りや裏原宿(ウラハラ)が若者や外国人観光客に人気のスポットになっている。そういえば昔から神社の参道は参詣の善男善女で賑わう所なのだ。

 ふと気がつくとその場の佇まいから浮いているオジさんがいる。カメラぶら下げて散策するでもなく徘徊している。挙動不審な怪しいオジさん。そういう自分がいる。あの時の九州男児君は、すっかり「垢抜けた?」都会人、いや世界を股にかけるグローバルトロッターになったのだが、ふと時空を旅してここに戻ると「浦島太郎はたちまちオジーさん」になってしまった。乙姫様にもらった玉手箱は絶対開けないつもりだったのだが!


表参道から先は御幸通り
六本木ヒルズを望む


PRADAビル






表参道

旧同潤会アパートも一部残されている
表参道ヒルズ

早くも梅雨明け。日傘がいる季節に


同潤会アパート

表参道ヒルズ

安藤忠雄設計の表参道ヒルズ内部
自分が何階にいるのかわからなくなる幻視構造

青山通りから原宿駅の向けて高低差がある

梅雨が明けた!

JR原宿駅
これも建替え計画進行中