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2022年9月6日火曜日

日比谷通りのリフレクション景観を楽しむ 〜皇居お堀端はSteel and Glass Streetになっていた〜


皇居の日比谷濠

東京ミッドタウンテラスから日比谷通りの眺め


日比谷通りは日比谷公園から大手町までの間は、皇居のお堀端を走る首都東京のメインストリート。美しい通りである。世界の主要な都市に負けない景観である。戦前は帝都東京の顔ともいうべき通りで、重厚な御影石作りのビルジングが立ち並んでいた。しかも皇居を見下ろすなんてもってのほかと、高さ制限が設けられて、横一列に揃った整然とした景観が美しかった。これは戦後の高度経済成長前夜までそうであった。私の子供の頃に日比谷交差点から眺めたお堀端の日比谷通りは、第一生命ビル、帝劇、明治生命ビル、東京會舘、東京商工会議所ビルなどの重厚な建物が一列に並ぶ壮観な景色であったことを覚えている。

東京駅前の東京海上本社ビルが初めてお堀端のビルとして高層化が認められたのを皮切りに、高度経済成長期には次々に大手町、丸の内、日比谷界隈のビルの高層化が進んでいった。もっとも、かつてのお堀端の整然としたビル街の景観と、歴史的な建築物の修景保存を目的として、低層部は元のままのファサードを生かし、上層階に高層ビルを継ぎ足す工法が取り入れられた。その結果が今のような景観である。かつての整然とした街並みの面影は多少残されたものの、高さも質感も不揃いな街並みになってしまい、どこか帝都東京、いや首都東京の荘厳で重厚な雰囲気は失われた。時代の流れだから仕方がない、経済発展のためにはやむを得ない。そう考えて誰も景観の変更に異を唱える人はいなかった。この「仕方がない」「やむを得ない」は日本人の諦めの常套句である。そうして何でも破壊を受け入れてきた。

今の日比谷通りから丸の内、大手町あたりのビルを見ると、どれもガラス張りの鉄骨高層ビル、いわゆるSteel and Glassビルになってしまい、どれも同じように見えて個性がない。経済的な合理性だけが前面に押し出されて、遊びもゆとりも感じない。要するに、工場で製品化されたガラス壁やサッシを建築現場で鉄骨に貼り付けるというカーテンウォール工法で簡単に組み立てれる。しかも地震大国の日本であっても高層ビル化が可能なのは、ビル自体がゆらりと揺れる柔構造という日本人が発明した耐震技術なのだから素晴らしい。確かにこの頃の高層ビルは建つのが早い。地下基礎工事が終わるとあっという間に上物は出来上がる。全く素晴らしい技術、工法である。しかし、ということは壊すのもあっという間。要するにプレハブビル:prefabricated buildingである。建築物はもはや不動産ではなく、耐久消費財である。100年持つ建物など無用の長物というわけだ。古い歴史的な建築物を保存しリノベしながら長く使う。そんな発想はない。それでは金が回らない。資本の論理が働かない。作っては壊す。不断のスクラップ/ビルドが日本経済を成り立たせているのだ!「歴史ある都市景観」などと言っていたら経済は回らない。何年周期で都市景観が一変するのが東京という街なのだ。これは渋谷だけではない。皇居お堀端でも同じことが起きている。我がサラリーマン人生の汗と涙が染み込んだ日比谷界隈も近々、4棟まとめて取り壊し、再開発ビルが建つ。ロンドンやパリ、ベルリンやローマ、ワシントンDCのような歴史を纏う都市景観というものは東京には似合わない。ベアトが愛宕山山頂から写した150年前の江戸/東京の黒瓦、築地塀の街並みは、跡形もなく姿を消した。仮に災害や戦争がなくても、これから150年後の東京に、今の日比谷通りに並んでいる最新の建物は一つも残っていないだろう。全く別の景観に変わっているだろう。それが東京だ。輪廻転生というか色即是空というか。これが日本のSDGsなのだ。

今まさに日比谷通りを歩くと、こうしたビルのガラス壁面に映る青空と白い雲のリフレクションが美しい。秋の気配を感じるお堀端の街路に次々とこうしたリフレクションが連続し独特の景観を生み出している。これらは先ほどの高度経済成長期のSteel and Glassビルのなせる技である。近代的で都会的な景観だ。しかしジョン・レノンではないが、ロスアンゼルスの日焼けした肌、ニューヨークの早歩きとアクセント。憧れの都会のシンボルそれがどうしたっていうんだ、東京のガラスリフレクション。こうした景観も、長い歴史の中では一時のこと。やがては、まるでそんなリフレクションなどなかったかのように建物ごと人々の記憶から消え失せていく。かつての御影石の重厚な帝都東京の面影が日比谷通りから消え失せてしまったように。どんな街に生まれ変わるのだろう。そう、今のうちに見ておかねばならない。うつろいゆく街の一瞬の輝きを。



日比谷公園からの日比谷通り
帝国ホテル(1970年(昭和45年)竣工)、
旧大和生命ビル(1984年(昭和59年)竣工)、
NTT日比谷ビル(1961年(昭和36年)竣工)、
東京電力本店(1972年(昭和47年)竣工)、
みずほ銀行本店(1981年(昭和56年)竣工)、
これらは一括して取り壊されて再開発される。一番古い建物で61年、新しいものでは38年で取り壊しとなる。

内幸町一丁目街区再開発計画
2030年度第1区高層ビル開業、2037年度以降全体完成予定とか
(NTTアーバンソリューションズほか事業体報道発表資料より)


日比谷公園から見る東京ミッドタウン
ガラスの筒のようなタワー
かつての三井銀行本店跡

日比谷堀

第一生命ビル(1938年(昭和13年)竣工)
占領時代の連合国GHQ
ここだけはガラスビルではない

松の緑越しにガラスビルが

明治生命ビル(1934年(昭和9年)竣工)
低層部のクラシックなファサードと高層部のGlass and Steelのコントラスト


尊王のシンボル楠木正成像もビルに囲まれてしまった


日比谷通り

グラン東京サウスタワー
復元された東京駅赤煉瓦駅舎とのコントラスト

モノリス的な存在感

KITTEビルのファサード
微妙な凹凸でリフレクションにも表情が

KITTEビル
東京中央郵便局の外壁だけ残したいわく因縁の建物

建て替えられた丸ビル、新丸ビルと行幸通りの空
こう見ると両ビルともに一時代前の建物らしさが既に漂っている...

(撮影機材:Nikon Z9 + Nikkor Z 24-120/4)