11月6日、これまでに例のない接戦と言われてきたアメリカの大統領選挙は蓋を開ければトランプの完勝である。激戦州を完全制覇した。アメリカ国民は彼を大統領に選んだ。これは「アメリカ合衆国」という、人類の歴史にとって輝かしい自由と民主主義と法の支配の理想国家の250年にわたる実験が終焉に向かいつつあることを予感させる出来事である。
He needed the Pennsylvania story for Victory! It's done well. photo by Evan Vucci/AP |
専制主義は民主主義から生まれる。独裁者は民主的な選挙で選ばれる。民主的な選挙がいつも民主的なリーダーを選ぶとは限らない。そして「選挙で選ばれた」というお墨付きをかざして政権に居座り専制的な独裁政権が生まれる。ディストピアは民衆から生まれる。民主主義というフィクションを纏った独裁主義は過去も現在も珍しいことではない。ムッソリーニもヒトラーも最初は選挙で国民から選ばれた。プーチン、ネタニヤフ、アサド、マドゥーロだってみんな選挙で選ばれた。公正な選挙であったかどうかは別として。だから彼らは自分を独裁者だと称していない。選挙で選ばれていないのはスターリン、毛沢東、そして習近平と3代世襲金王朝。彼らですら「人民共和国」「民主主義人民共和国」の国家元首を名乗っている。民主主義は独裁者を正当化する仕掛けに成り下がっているのか。まさに民主主義のパラドックス!
自由と民主主義の母国、アメリカも例外ではない。自由と民主主義や法の支配を人類の「普遍的価値」だとも思っていない人物が既成の政党を乗っ取り、選挙で選ばれて大統領になり、上下両院議会も制す。最高裁判所も押さえた。マスメディアもソーシャルメディアも金と権力で意のままに支配する。もちろん最高司令官として軍を掌握し、核のボタンに指を乗せる。刑事事件で有罪判決を受け、まだ重大な刑事事件で起訴され裁判中にもかかわらず司法を黙らせて大統領になる。起訴は政治的弾圧だ!と吹聴する。フェイクとプロパガンダを垂れ流す。自分にお世辞を言ってへつらういかがわしい取り巻きを閣僚に取り立てる。あるいはそんな人物を独裁者に祭り上げて意のままに操る奴も出てくる。まさかアメリカで?と思うなかれ。Make America Great Again ! 本当にアメリカは偉大な国と言えるのか。歴史に学ばない愚かな人物を大統領に選んでしまったアメリカの民衆は愚かなことをしてしまったのではないのか。アメリカは自由主義陣営のリーダーであることをやめるということだ。それがアメリカのプライドと国益に沿うことなのか。
民主主義は危機に瀕している。「愚かな民」は、パンとサーカスを与えてくれる独裁者を熱烈に支持する。「賢い民」はグジャグジャ批判するばかりで投票に行かず、間接的に独裁者を当選させる。フロリダの豪邸にふんぞりかえる富豪が貧者の救済、失業者に職を、特権階級の打倒を訴える。弱い者の味方だ!と。愚かな民草は、かつては「独占的」なマスメディアによって操作されたものだが、この頃は「民主的な」メディア、ソーシャルメディアによって操作される。嘘も真実も見分けがつかない雑多な情報が乱れ飛ぶソーシャルメディアは愚かな民草を操作する格好のメディアである。しかも国境を超えて他国からの干渉も容易だ。独裁者もソーシャルメディアをよく使う。インフルエンサーなどという得体の知れない奴らを取り込み、あるいは作り出すのは容易だ。フェイクかどうかよりもフォロー数が大事だ。「衆愚政治」という言葉は昔からあったが、今は別のフェーズの「ポピュリズム政治」に遷移している。暗殺者に命を狙われ一命を取り留めた英雄!なんてストーリまで身に纏って「神は我を生かした。これは何を意味するかわかるだろう」などと絶叫する。「俺は神に選ばれた男だ!」
自由主義・民主主義の父、ジョン・ロックは「市民政府論」を書いた時、もちろんソーシャルメディアの出現など夢想だにしなかったが、「愚かな民」の存在に気づかなかったのか?「社会契約」を守らない政府に対する「市民の抵抗権」を主張した時、彼の頭にあった「市民」は公平で、倫理的で、利他的な共感力を持った「理性的市民」(この頃台頭してきたジェントリー層が念頭に?)を想定していた。かたやトマス・ホッブスの「万人の万人に対する闘争」の民衆は、自己欲求剥き出しですぐに暴力に訴え自力救済に向かう「自然人」を想定していた。だからホッブスは絶対王政こそが闘争を避け、暴力から命を守る仕組みである。闘争をやめさせるのは専制君主だけだ。だから「社会契約」を結ぶ相手は専制君主だと。一方でフランシス・ベーコンは同じ専制君主でも「愛と知性を備えた啓蒙君主」が有能な大法官とともに統治する理想国家を夢想した。(ただの)専制君主よりは知性と教養と愛に溢れているはずだし、ベーコンは科学の発展の力を信じその科学が実現する理想国家は啓蒙君主(すなわち多少優しい専制君主)が確かなものにすると考えた。彼の政敵エドワード・コークは、そんなナイーヴな妄想を一蹴し、「法の支配」「議会の優位」を絶対視して専制王権と激しく対峙した。同時に「王権」を否定せず共和制を支持しなかった。独裁者クロムウェルよりは議会中心の立憲君主制の方が良いと。この点ではロックも同様であった。しかしロックの「市民の抵抗権」、コークの「法の支配」を独立戦争でイギリスから勝ち取ったのはアメリカ 植民地の東部十三州である。自由と民主主義と法の支配の守護者!のアメリカだ。専制君主もいない理想的な「共和制国家」である。しかし、ベーコンの言う愛と知性を備えた「啓蒙君主」もいなかった代わりに、愛と知性を備えた「啓蒙国民」もいない。
そう言う観点では東洋の思想はもっと明快で合理的だ。儒教、孟子は「徳」を持った天子(君主)が天下を治めるのが理想だと考えた。その天子の徳を慕って、蛮夷の民が国々が朝貢して天子に臣下の礼をとる。それを慰撫し冊封して統治権威をあたえる。それが華夷思想である。しかし、その天子も徳を失えば人身が離れ天がそれを誅す。王権を他者に禅定する。これが「易姓革命」である。だから「万世一系の天子」は存在せず、独裁者も存在せず、不断の王朝交代が起きるのだ。統治権威は神ではなく人たる天子の「仁・義・徳」であり、独裁者を倒すのは「市民の抵抗権」ではなく「天誅」すなわち「易姓革命」だ。いわば民意を体した天の動き、自然の摂理だ。「社会契約」なんぞ存在しない。「王権神授説」も存在しない。東洋思想の方はある意味でわかりやすい。
妄想はそれくらいにして、それにしても民主主義は間違っているのだろうか。専制主義と闘い獲得したはずの自由主義も民主主義も、結局、再び専制政治を生み出す仕掛けになるというパラドックス。専制君主を打倒したはずが、民草はやっぱり独裁者を求める。飯が食えて、家に住めて、車が持てて、海外旅行で爆買いできれば自由も民主主義もいらない、そう嘯く民衆に支えられる中国共産党王朝。そしてラストベルトの民衆の熱狂に後押しされる「Make America Great Again: MAGA」王朝が誕生するアメリカ!かつてはパンとサーカスを求める民衆に滅ぼされたローマ帝国のように、民衆が食えなくなり、現世利益がなくなり、ちっともGreatでもないことに気づいた時、徳のない天子は易姓革命で滅ぼされる。民主主義と専制主義のパラドックスを解決するのは「愚かな民草」ではなく「神の見えざる神の手」に違いない。
とは言え、自由と民主主義は誰かから突然与えられたものではない。民衆が自ら戦いとったものだ。そして、それは不断に戦い続けなければ保持できない。自由と民主主義を当たり前のものとしか感じなくなった時、独裁者がじわりと現れる。自由も民主主義も「効率が悪い」「めんどくさーい」と感じた途端、「だろう!だからオレが決めてやる。戦争は一日で終わらせてみせる(侵略者に降伏すればいいんだ)。その方が早いぞ。俺に一票入れて任せろ、お前の金をオレが100倍にしてやる」オレの言うことに従ってれば「おまえは何も考えなくてよい」という奴が出てくる。彼らが本当に民草のために自己犠牲を厭わず働いた歴史的事実を誰も見たことがないにもかかわらず民は思考停止になる。しかし「愚かな民草」は飽きっぽいことを忘れてははならない。パンも娯楽もくれない独裁者は引きずり下ろされる。それを西洋では「抵抗権」という。しかし東洋では「易姓革命」と呼ぶ。
いよいよTRUMP 2.0スタート!そんな選択をするMAGAMAGAしいアメリカという国の本性を見た気がする。自分さえ良ければ良い。人がどうなろうと知ったこっちゃない。しかしそう言う利己主義は周り回って自分に跳ね返ってくるものだ。日本はどうする。自分で勝手に同盟国だなんて思うなよ。無条件降伏した国じゃないか。元々同盟国を守る義務なんかない。オレから武器買って自分で守れ!アメリカに守って欲しいなら今の100倍金払え。グローバルな自由貿易体制から離脱し「タリフ:関税」で国内産業を守る。「ウォール:国境の壁」で人の出入りを制限して移民の国アメリカを守る。あらゆる国際機関、多国間条約から脱退して、二国間の「契約」:Dealにする。日本の鎖国を開いたアメリカはとうとう自分が鎖国する巡り合わせになったようだ。民主主義、法治主義、自由、平等の唱導者にして守護者、という輝かしい歴史的役割はそろそろ重荷になってきたらしい。理想の共和国が普遍的な理念を脱ぎ捨てると、その本性はただの利己的な金の亡者であったか。世界は理でも義でもなく利で動く。皮肉にもMAGA: Make America Great Again!がアメリカ繁栄の時代:Pacs Americanaの終わりを告げる。アメリカは偉大でもなんでもない国になる。世界はそんなアメリカを尊敬も憧れもしない。それを見て欣喜雀躍している奴がいる。彼らが跳梁跋扈する番が来た。そして見たくもないにディストピアが始まろうとしている。ちょうどそんなタイミングに店じまいする。アメリカはそれで良いのか?
"Let America be America Again!"
by Langston Hughes in 1935
参考過去ログ:2024年2月10日「ジョン・ロック全集」