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2018年11月30日金曜日

2018年紅葉探訪 〜大阪城編〜




 大阪城公園は外国人観光客でごった返している。特に中国人観光客の数がすごい。ここはどこ?、私は誰?状態だ。光臨歓迎!聞こえてくる言葉も中国語ばかり。ワイワイガヤガヤ賑やかに近ずいてくるおばちゃんのグループの音量に、やはり「言葉がわからんと大声に感じるなあ」と思っていたら、なんや大阪のオバチャンや!。そんなこともあるのが大阪。大阪弁と中国語は韻と平仄が似ているのかもしれない。大阪のオバチャンも中国のオバチャンもカッコつけずおおらかですっきゃね〜! こうした賑やかな大阪城公園の意外な穴場は西の丸庭園。ここには大阪迎賓館と芝生広場がある。江戸時代には大坂城代屋敷があったところだ。結構な広さなのでイベントなので使われるスペースだ。この季節もなんだか電飾満載の夜間ライトアップイベントはあるようで、子供向けの電飾巻きつけられたフィギュア〜がいっぱい用意されていて日が暮れるのを待っていた。要するにイベントがない限りわざわざ入ってみようという観光施設ではない。しかも200円の入園料がいる。このコスパでは大阪人は絶対足を踏み入れない。欧米からの観光客は英語の「West Palace Garden」という魅力的な名前に惹かれて入ってくることもあるが、「金返せ!」とすぐに出てくる。私も大阪在住時、一度も足を踏み入れたことはない。今回、ある会合に向かう途中、時間調整で公園内を通り抜けるついでに、通りかかった西の丸庭園の受付で「中は何かあるんですか?」ととぼけた質問してみた。受付の女性は「中に茶室があってそこのイロハモミジが今真っ赤で綺麗ですよ!」と。聞いてみるもんだ。早速200円払って(ちなみにシニア割はない)初めて中に入った。なんとここからの大阪城天守閣の姿が最高に美しい。何より観光客が少なく、ゆったりしている。これが200円のコスパだ。そして、庭園の一番奥にある生垣に囲まれた茶室前にたどり着く。誰もいない。ここは松下幸之助翁の寄付による豊松庵である。なるほど大阪城を背景に今を盛りに紅葉が真っ赤に燃えている。なかなか見事だ。独り占め状態だ。京都の有名寺院で、行列して何千円も払ってもみくちゃになりながら紅葉見るよりいい。静謐なたたずまいも気に入った。茶室自体は門に鍵がかかっていてて、関係者以外立ち入り禁止。茶道の心得のある人以外お断り!みたいな無粋な看板が立っている。興ざめだ。禁止する方も、ズカズカ入ってゆく方もおよそ茶道の精神とは無縁の輩たちなのだろう。

 さはさりながら、ひととき晩秋のイロハモミジを堪能することができた。200円の入場料は無駄ではなかった。


豊松庵入り口





松下幸之助翁寄贈による茶室「豊松庵」




西の丸庭園からの天守閣が見事
大阪迎賓館

焔硝蔵
徳川大坂城の火薬庫であった
茶室の真向かいにある

西の丸庭園内の遊歩道



(撮影機材:Leica CL, Vario-Elmar-T 18-56 ASPH,  APO-Vario-Elmar-T 55-135 ASPH,  Super-Vario-Elmar-TL 11-23 ASPH)



2018年11月22日木曜日

旧公衆衛生院及び東京大学医科学研究所 〜近代建築遺産 内田ゴシックの再生〜





 久々に近代建築遺産を巡る旅に出た。と言っても都内の地下鉄三田線白金台から徒歩1分の旅。閉館となった旧国立公衆衛生院の建物が、最近リノベされて市民に開放されたと聞き出かけてみた。白金から目黒にかけては東京都庭園美術館や自然教育園があり、その目黒通り沿いに古色蒼然としたアカデミックな建築物が並ぶ一角があることには気づいていた。東京大学医科学研究所が白金にあることも知っていた。しかし公衆衛生院が隣接していたことは知らなかった。白金台駅を出ると、左の門が東大医科学研究所、右が旧公衆衛生院だ。緑濃いキャンパスに分け入ると改めてこんなすごい建物があったのかと感動する。さすが東京だ。開発著しい都心とはいえ、江戸以来の歴史を持つ帝都東京の建築遺産は豊富だ。そしてそれを貴重な都市の記憶、建築遺産として保存し、修復して現代の都市生活に生かそうとしている。東京が未来に向かって文化的にも成熟した豊かな街になるには、古いものの破壊ではなくこうしたリノベーションと持続的な活用が必要だ。

 中心に高層の塔屋を置き、左右両翼に研究棟が広がる旧公衆衛生院の建物。隣接する東京大学医科学研究所と対をなす近代建築遺産である。両方とも東京帝国大学建築学科教授内田祥三(よしかず。第14代東大総長)の設計になる。連続アーチを用いたゴシック建築(内田ゴシックと呼ばれている)。どこかで見たことあると感じた方も多かろう。そう本郷の安田講堂、東大付属総合図書館、医学部本館も内田の設計だ。この他にも法文経一号館、工学部一号館、旧制第一高等学校本館(駒場旧教養学部1号館)など数多くの東大の建築物を設計した。関東大震災後のキャンパスの再設計を行い設けられた正門と安田講堂を結ぶ銀杏並木もこの時に内田教授の手になるもの。そして、これらの建築物のほとんどが現存し、日本のアカデミズムを象徴する建物として現在でも使用されている。東大本郷キャンパスのアカデミックな佇まいを演出しているのは内田ゴシックの建築物群だともいえる。

 この白金台の建物は、アメリカのロックフェラー財団の寄附/支援のもと、保健衛生に関する調査研究、公衆衛生の普及活動を目的として国が設立した公衆衛生院のために、昭和13年(1938年)建設された。その後、平成14年(2002年)に公衆衛生院は国立保健医療科学院に統合され、埼玉に移ったため、この歴史的建物はその役割を終えた。この敷地と建物を平成21年(2009年)に港区が買い取り、歴史的建造物として保存し、そのオリジナルの意匠等を生かした修復、耐震補強等の改修を施した上で、「ゆかしの杜」「区立郷土歴史館」として平成30年(2018年)にリニューアルオープンした。

 連続アーチを正面に配したファサードの重厚さに感動しつつ、エントランスを一歩中に入ると、そのロビー中央ホールの円形の吹き抜けが目に入ってくる。高級な石材やレリーフがふんだんに使われ、オリジナルの姿をよくとどめている。圧巻は4階の旧講堂である。340席を有する大講堂で、懐かしい階段教室である。天井材と座席のクッション以外はオリジナルの部材をそのまま使用しているという。この他に、旧院長室、図書室、食堂、6階の居住空間である寮が往時のまま修復保存されており、研究機関としての風格を今に残している。2階3階4階の教室や研究室であったところをうまく「港区郷土歴史館」の展示室として活用しており、建物ツアーと同時に、縄文時代から明治維新、昭和の高度成長期までの港区の道のりを振り返ることができる。こうして白金台に新たなお散歩ポイントができた。この辺りは、一時は「シロガネーゼ」などとハイソでお洒落ななエリアとして鳴らしていたが、最近はそういった言葉は流行らなくなったようだ。それでも、目黒通りに沿って、聖心女子学院、八芳園(旧大久保彦左衛門邸)、自然教育園 (旧白金長者屋敷)、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)とかつてのお屋敷を転用した素敵スポットが多い。そこにこの少々お硬いイメージの研究所がリノベして、素敵な仲間に加わった。大歓迎である!

 こうした建築遺産保存とその現代都市生活への活用。それを見るにつけわが故郷、福岡は残念な街になってしまったと悲しい気分になってしまう。貴重な近代建築遺産、倉田兼設計のセセッション様式の旧九州帝国大学法文系本館があっけなく解体されてしまったショックも冷めやらぬ間に、またしても福岡に残された最後のネオゴシック建築の日本銀行福岡支店の建物も間も無く解体のニュース。これまでも市内にあった近代建築遺産が次々と破壊されてきた。なんという文化感度なのか。東京、大阪に比べると高層ビルがないことがどうも悔しいようで、やたらに高層ビルを建てたがる。そのための航空法による高さ規制を緩和してもらうことに躍起になっているが、歴史を紡ぐ建築遺産にはほとんど注意が払われていない。まるでバブル時代の発想だ。急速に人口が増え、最近、神戸を抜いたとさわいでいるが、街にはどこか歴史の厚みというか風格が感じられない。中世の博多の黄金の日日も、江戸時代の城下町福岡の佇まいも、明治以降の経済都市福岡の繁栄も忘れ去られてしまい、奴国以来2000年という我が国屈指の歴史を有する都市の面影、痕跡はどこかへ消え失せてしまい、人々の記憶からもかき消されていっているようだ。今回の旧公衆衛生院建築ツアーで、学芸員の誇らしげな説明を聞き終えて真っ先に考えたのは、こうして破壊されず見事に保存修景された施設の存在と、その文化的遺産をも守ろうとする市民の意識へのレスペクトと、我が故郷の不甲斐なさであった。

壮麗なゴシック建築
連続アーチのエントランス

内田ゴシックの象徴だ


2階にエントランスホール

円形の吹き抜け天井

レリーフデザインが素敵だ




3階吹き抜けから2階エントランスホールを見下ろす


さらに吹き抜けが

旧院長室

大講堂
懐かしい階段教室











 隣接する東京大学医科学研究所(旧伝染病研究所)と付属病院。こちらも内田ゴシックの建物。公衆衛生院との関係がよくわかっておらず、建物も似ているので、地元では両方合わせて東大関係の研究所だと思っていたようだ。それも致し方ない気がする。どう見ても一体的な東大白金キャンパスにしか見えない。医科学研究所の方も都心には貴重な緑濃い杜の中にあり、アカデミックで静謐な環境だ。元はドイツから帰った世界的な医学者/細菌学者である北里柴三郎が初代所長として迎え入れられた私立の伝染病研究所(伝研)(福沢諭吉、森村市左衛門などが資金を出した)であったが、1914年、内務省所管から文部省所管に変わることとなり、東京帝国大学に統合されることとなった。これに反対した北里柴三郎始め志賀潔などの研究者が大挙辞職した(いわゆる伝研騒動)。北里柴三郎は同年11月には私財を投じて北里研究所を創設する。こんな歴史を持つ研究施設だ。ちなみに北里研究所も白金にキャンパスを有している。



本館建物
これも内田ゴシックの東大建築
ここにも連続アーチが
(撮影機材:Leica CL + Super Vario Elmar TL 11~23 ASPH。建築写真に最適な広角ズームレンズ。歪曲収差も周辺光量も良く調整されていて気持ちよく撮影できる。)




2018年11月18日日曜日

伊豆奈良本散策 〜高低差200mの隠れ家へ〜



奈良本の鎮守の森「水神社」

相模湾の波濤

 まずはこの二枚の写真をご覧いただきたい。鬱蒼たる鎮守の森と相模湾の荒波。この山里と海を象徴する景観が高低差200m、歩行距離4キロほどの間に並存している。これが我が隠れ家のある伊豆奈良本だ。奈良本は、現在は賀茂郡東伊豆町奈良本となっているが、江戸時代は奈良本村であった。明治の合併(奈良本村、大川村、白田村、片瀬村)で城東(きとう)村となった。その名は「城(しろ)の東」ということではなく「天山の東」からきている。その後、昭和になって隣接する稲取町と合併して現在の東伊豆町となった。そもそも奈良本はその名の通り、飛鳥・奈良時代に大和奈良から移り住んできた人々によって開かれた集落であった。以前にも紹介したように、伊豆は古代より都から遠く離れた遠流の地であった。記録にある最初の流刑者は、大津皇子に連座させられた舎人、トキ道作(箕作:みつくり)であったと言われている。奈良本の南、下田街道沿いには箕作を祀る小さな神社があり、箕作の地名が残っている。彼に代表されるように流刑者と言ってもほとんどが政治的敗者で、みやこの政争に敗れたやんごとなきひとびとであった。その子孫が連綿として受け継いで来たどこか雅で品のある言葉使いや、立ち居振る舞いにこの土地の持つ「鄙には稀な佇まい」を感じることができる。こうした長い歴史を持つ奈良本は、現在は熱川温泉として知られている。江戸時代には熱川と北川(ほっかわ)は奈良本村を構成する集落であったが、今や奈良本という地名よりも熱川の方が認知度が高くなってしまった。熱川温泉は湯量豊富で町中に林立する湯泉井から湯けむりが立ち昇り、川には温泉が惜しげもなく流れ出て湯気を上げている。しかし温泉街はどことなく寂れていていまいち元気がない。海岸沿いの一等地の旅館も、そのいくつかが廃業に追い込まれている。建築物の外壁にはツタが絡まり、取り壊されもせず屹立する無人の巨大コンクリート建造物はまさに廃墟ツアーができそうだ。

 熱川の名の由来は、温泉が、文字通り湯水のごとく流れる川、これを熱川と呼んだことに由来すると言われる。元々は濁川と呼ばれ、上流の奈良本集落の水神社あたりでは現在も濁川と表示されている。古代に奈良から流されてきた人々の末裔がこの濁川の清流(!?)に感謝し、河岸の鎮守の森に水神社を建て都から神を勧請して祀った。しかし、現在の川はあまり綺麗とはいえず、温泉用のパイプが河岸に乱雑に張り巡らされ、川底石がゴロゴロと散乱するおよそ美的センスを感じない河川である。かつては生活排水も流れ込んでいたそうだ。伊豆熱川駅を降りると赤い橋が目に飛び込んでくるが、その下にはいきなりこの温泉パイプラインの管乱(!)風景が。急勾配を下る川なのであまり清流を楽しむ親水公園的なしつらえは難しいのかもしれないが、もう少し整備して、景観に配慮すれば、この地の名の由来ともなっているこの川自体が温泉郷らしい景観を生み出すと思う。残念ながらあまりそのようなことを考える人はいないらしい。

 先述のように、奈良本の魅力は高低差200m、徒歩4キロの間に山の魅力と海の魅力が詰まっている点だ。古代のやんごとなき血筋の流刑者たちの子孫は、この温暖で、穏やかで、明るくて豊かな土地に魅了されたであろう。確かに都からははるけき彼方だが、四国の祖谷谷や九州の椎葉村のような峻険な山谷を分け入り、外界から隔絶された秘境、落人集落という感じはない。しかし、伊豆半島東岸のこの山と海の高低差間を縦に移動するには急な坂や階段を上り下りしなくてはならない。奈良本の里は、天城山の東の山麓斜面に広がる温暖で穏やかな山里である。山里というと谷あいの集落を思い浮かべるかもしれないが、ここは天城山麓の、決して広くはないもののスペースが確保されている土地柄で、いちご、みかん栽培など稲作以外の農耕に適した豊かな農村を形成している。この山里から旧坂を下ると、風景はドラマチックに変わり、海岸沿いに湯けむりの温泉街があり、太平洋の波が打ち寄せる海岸線が連なる。伊豆七島を望む東伊豆海岸の絶景ポイントである。

 奈良本の我が隠れ家の料理は「山家料理」と呼ばれ、猪や鹿肉、わさびなどの山菜、みかん、山桃など豊かな山の幸に、稲取港、北川(ほっかわ)港で水揚げされる新鮮な金目鯛、鯵、マグロ、いか、かに、ウニなどの海の幸が並ぶ。文字通り山海の珍味を、夏は縁側で蚊取り線香とともに、冬は囲炉裏端で真っ赤に燃える炭とともに楽しめる。天城山系と相模湾に挟まれた地形は東伊豆独特のものではあるが、同時に山の幸と海の幸が食卓を飾る日本独特の豊かな食文化がこの密やかな奈良本の里には凝縮されている。


囲炉裏の炭が赤々と輝いている
もうそんな季節だ

山海の珍味が食卓を飾る
囲炉裏端で浮世を忘れる

奈良本の郷土の味「へらへら餅」
自家製の自然薯と胡麻味噌で作る素朴な味

天城山系にも時代の波が
風力発電とリゾートマンション

六地蔵

寄進された狛犬の基壇には「伊豆國城東村奈良本」とある

名残のコスモス

民家は立派な生垣で囲まれている


湯けむりの熱川温泉
伊豆熱川駅前


熱川海岸

波濤の彼方に水平線

下田湾
ペリー艦隊が停泊した、吉田松陰が密航しようとした、伊豆の踊り子が涙した、
それが下田港
(撮影機材:Leica CL, Vario Elmar18-55, Super Vario Elmar 11-14. Leica CL用のズームレンズはなかなか非凡。お手軽なASP-Cフォーマットカメラ用キットレンズを想像するといい意味で期待を裏切られる。軽量で取り回しが良く、しかも金属鏡胴の質感は高品位。写りは高解像で階調も豊か。CLのEVFの見えの良さとあいまって旅には最適のパートナー。さすがLeicaだ。といってもこのズームレンズシリースはすべてMade in Japan.ライカ一神教原理主義者に言わせると異端のレンズなのだ。異端大いに結構!この写りを見よ!)



2018年11月14日水曜日

明治維新150年 〜「文化大国」への第一歩〜

自然と一体となった日本建築
西欧建築から見ると木と紙でできた簡素なものであるが。
その縁側から新しい世界が見える


 今年は明治維新から150年。文明開化、富国強兵、殖産興業に邁進して来た日本。
欧米列強に負けないアジア初の西欧型近代国家を目指した。そしてついに「文明国」「一等国」の仲間入りへ!よくがんばったなあ!しかし、その「文明国」「一等国」とはなんであったのか?

1868年の明治維新以降、近代化を推し進めるに連れ、西欧列強諸国との帝国主義的な脅威と軋轢の中、軍事大国(富国強兵)への道を歩んできた。そしてそれは昭和20年1945年の未曾有の敗戦で破綻した(明治維新から77年目である)。そして1945年の敗戦以降、戦後復興から冷戦構造の中、高度経済成長/経済大国への道を歩み始めた。そしてそれは平成3年1991〜93年バブル崩壊以降、「失われた10年」「失われた20年」として終焉。低成長/少子高齢化の時代へ向かう(平成時代の終わる2019年は敗戦から74年目となる)。こうして振り返って見ると、この明治維新から150年という「文明国」「一等国」への道は、前半が軍事大国としての大日本帝国の興亡史。後半が経済大国としての日本国の興亡史であったことが理解出来る。来年は平成が終わり新しい元号が定められる。しかして次の100年は何を目指していくのか?これからはどういう「文明国」「一等国」を目指して日々努力していこうとするのか?

 世界は冷戦以降の国際協調を主軸とした体制の終焉を迎え不安定な「不確実性の時代」へ向かう。戦後、アメリカを中心とした秩序と論理の共有という西欧的な価値観の崩壊が進む。すなわち「パクスアメリカーナ」の終焉だ。ゼロGの混沌の世界へ突き進む。これまで人類が営々として築き上げてきた民主主義や法の支配、自由貿易体制、国際協調/グローバリズムの退場だ。トランプを大統領に選んだアメリカ人は、アメリカが戦後リードして来たこれらの価値観をそろそろと引っ込め、店じまいして世界の舞台から退場してゆく道を選んだ。それが彼の言う「Make America great again!」なのだ。フィルムを巻き戻して西部開拓時代、19世紀、20世紀の古き良き時代に戻ろう!?というわけだ。そこで我々はハッと目が覚めた!少なくとも、日本にとっては明治維新の近代化や、昭和敗戦後の経済復興、自由と民主主義導入のような時期に目指した「欧米先進国」というお手本、先行ロールモデルがない時代にこれからは突入するのだと。その「欧米先進国」が路頭に迷い始めたのだから。その隙をついて中国やロシアなど遅れてきた「資本主義もどき国」が新しい自分たちの価値観とルールを押しつけようと台頭してきている。古代より中華文化圏的東アジア秩序/価値観の中で生きてきた日本が、旧文明に別れを告げ、明治に目覚め西欧列強に追いつき追い越せ、「脱亜入欧」「和魂洋才」を掲げて邁進した時代は150年で終わりつつある。明治維新150年とはそういう世界の曲がり角の時代と同じタイミングであることに気づかされる。

 国権の伸長や帝国主義的拡張、戦争に邁進していた時代、資本の論理、経済合理性を極限まで追求し高度経済成長に邁進していた時代。そういった時代は早晩終わりを迎える。これからは少子高齢化、低成長、成熟のフェーズに入ってゆく。過去の「大国の興亡」の歴史を見てゆけばわかる。長いか短いかの違いはあるにしても一つの国のライフサイクルでもある。猪突猛進時代に、見逃して来た、見捨てて来た価値や思想を、これから再評価してみてはどうか。それが新しい成長、いや成熟の時代への資源となるように思う。来年は今上陛下が譲位され、新天皇が即位される。明治、大正、昭和に続き平成が終わる。改元、その次の時代は、軍事大国でもなく経済大国でもなく、文化大国への道の一歩を踏み出すことになる、そういうパラダイムに進んでゆくのが良いと考えるようになった。戦争に疲れたら、資本主義の論理に疲れたら、トランプに疲れたら、花鳥風月を愛でよう。自然と戦うのではなく自然と共生しよう。温帯モンスーン特有の風土、静謐な精神、一木一草に神宿る世界に身を委ねようではないか。

 岡倉天心は言う。「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国とみなしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国とよんでいる。」......「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとすれば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」岡倉覚三(岡倉天心)著「茶の本」より。

 まさにその時がやってきた。その「文化大国」への道も決して平坦ではないだろう。しかし、先人たちが、そして我々が育み、培って来た文化には幾つもの知恵と理想がレガシーとして引き継がれている。例えば茶道はその日本文化の極致だろう。要するに「茶を飲む」と言う極めて日常的な事柄をここまで儀礼化し「非日常化」する文化だ。西欧人はこうしたことが芸術や文化として見なされることに驚きを感じていたものだ。抽象化された作法やしつらえ、道具。簡素な茶室とそこへ誘う待合、飛び石、庭園。そして一服の茶。そこに美を見出しもてなしの心を紡ぎ、広大無辺な精神世界を演出する。茶室に代表される日本の建築、数奇屋造りも、西欧の建築と比べると木と紙でできた簡素な苫屋である。我々が世界の国々を巡り、その壮麗、華麗な文化に触れると日本の文化はなんと簡素、素朴(あえて言えば貧相)なのだろうと感じる。茶室などは粗末な小屋にしか見えないではないか。しかし、そこには石造りの城館を世界中の財宝で飾り立てた壮麗な西欧の宮殿とは異なる豊かな精神世界が広がっていることに気づく。決して自然を征服して支配しようとする人間の姿を誇るのではなく、自然とともに生き、自然の一部として花鳥風月を愛でる自然人の姿を見る。物欲煩悩に苛まれ、行き着くところまで行ってしまった人間は、やがて全てを捨てて自然に帰ろうとする。そこでふと自分も、路傍の一木一草と同じ自然の一部なのだと悟る。ミニマルな生活に憧れる。しかし人間が人間たる理由は物欲ではなく、その精神的な喜びを感じることにあるのだと知る。これは何も日本人に限ったことではない。

 今、日本刀ブームだという。きっかけは刀を擬人化したゲームのキャラクターが人気沸騰、デジタルヒーローを追っかける「刀剣女子」が雲霞のごとく沸き起こってきたからだとういう。京都国立博物館で開催中の企画展「日本の名刀展」が連日大盛況である。動機の良し悪しを論ずるつもりはないが、日本の刀の持つ道具としての合理性(技術的、経済的)を超えた価値は日本の文化、日本人の精神性をよく象徴していると思う。刀はそもそも武器である。軍事的にはよく切れ、折れにくいと言う強靭な武器としての実用性が最も重要である。いくさがある以上それを量産化して大量に供給する産業が生まれ、刀鍛冶ビジネスは成長産業として地域、いや国の経済に貢献するだろう。しかし、そうした軍事的、経済的合理性だけでなく、その武器を美的価値、工芸品としての「良いお道具」へと止揚してゆくところが文化なのだ。刀鍛冶はただの職工ではなく職人となる。やがては天下に名をなす名人となる。こうして刀はレガリア、権威の象徴、贈答品、美術品へとその付加価値を増してゆく。さらには歴史を経るにつれ所有者の変遷というストーリーを身にまとう道具にまで進化する。あるものは経済的価値尺度で評価することすらできない「神器」の領域にまで達するのである。

 かつて19世紀後半にヨーロッパで沸き起こったジャポニズムブームは日本人の感性が世界的に影響を与え得た好例である。江戸時代の北斎や広重の浮世絵や琳派が西洋絵画の主流を写実派から印象派へと転換させた。さらには産業革命後の工業製品のデザインに、アールヌーボ様式さらにはアール・デコ様式の時代を招いていったように、日本の美意識や技法が世界的なトレンドを生み出した時代があった。こうしたジャポニズムは、漫画やアニメを経て、デジタル時代に向けてあらたなジャポニズムとして現代のアートシーンにおいて世界に影響を与え続けている。先ほどの刀をアニメの「擬人化」してゲームストーリーを創造するなど、まさにネオジャポニズム到来であろう。

 茶道にしろ刀剣にしろ浮世絵にしろ、深遠なる日本文化のホンの一端に過ぎないのだが、こうした美意識や価値観が世界に受け入れられ始めているのは驚きだ。東洋の神秘的、珍奇な習慣や珍品としてではなく、我々日本人の美意識や精神性、感性が世界的な広がりを持ち、普遍性を有する文化として受容され尊敬されていることを知る。岡倉天心が言う所の「しかるべき尊敬が払われる時期」が来たのだ。150年前に我々があんなに憧れた「文明国」「一等国」。軍事大国の破綻、経済大国の終焉をへて、その「文明国」「一等国」の次のあるべき姿、ロールモデルを世界の先進国に先駆けて実践して見せるにやぶさかではない。





茶室の待合
これから始まる小宇宙における物語を心静かに待つ