ページビューの合計

2010年11月27日土曜日

Leica M9その後 点検完了

 以前報告した、Leica M9の気になる不具合(?)、点検修理完了。

 メールでライカジャパンに問い合わせていた事象は以下の通り。

 1)電源オフでもシャッターボタンを押すとLEDが明滅する。
 2)シャッターボタン半押しでAEロックが出来ない。
 3)シャッター半押しで露出補正リング回しても補正値が設定出来ないことがある。
 4)SDカード挿入でも「カードがありません」表示が出ることがある。
 5)再生時に画面ズームインして、スクロールすると他の画面に飛ぶことがある。

 メールでの回答では、5)についてはファームウエアーアップデートで解消されているとのこと。他は
基本的には実機を見て点検を勧めるとのことであった。

 以来、忙しくてなかなか修理点検に出せなかったが、ようやく昨日銀座のライカショップへ持参し点検を依頼。早速夕刻には、ライカショップより点検結果が電話で伝えられた。とても早い対応だ。

 1)については、上部基盤に作動不良があったとのことで交換修理。
 2)は、ソフトレリーズ時には半押しでシャッターが切れるのでAEロックは出来ない仕様となっているとのこと。標準/分離チャージで使用すればAEロックは可。
 3)露出補正リングは異常なし。但しシャッター押し方によりやや微妙なズレが発生することがある、とのこと。
 4)SDカードは基本的には指定カードを使用して欲しい。また、カメラで時々初期化をすることを推奨、とのこと。

 銀座のライカショップの対応はスピーディーでテキパキしていて、こちらの質問にも的確に答えてくれ、非常に好感が持てた。プロフェッショナルな印象で、だいぶ信頼感を回復することが出来た。
 無限大ピンと点検と調整もやってもらい、愛機は今朝宅配で早くも手元に届けられた。

 しかし、ショップの技術の方がコメントしていたように、SDカードの認識の有無が起こりうる点、時々カードの初期化しないと不具合が発生する可能性があることなど日本製のカメラではまず有り得ない点だ。こうした所は改良が必要だろう。またこの点に関して、ドイツ本国側からの正確な情報と説明が不足している印象を受けた。

 また、ソフトレリーズ設定ではAEロックが使えないことなど、マニュアルには一切記載がない(日本語版には追記されている)。これもショップ側は謝っていた。補正リングの問題も、微妙な押し加減が設定に影響するのでは使いにくい。まして基盤不良で電源作動不良が起きるのは論外だ。道具としての完成度に今一歩のブラッシュアップを期待する。

 とりあえず一件落着だが、ドイツライカ社は日本人スタッフの迅速なテキパキサービスに助けられ顧客を失わずにすんだ。日本人のプロダクト、サービスの品質に対する要求水準は非常に高く、本国の方はそれに対応するモノ造りに必ずしもなっていない事がある。それを補って、信頼性を担保しているのが日本のローカルスタッフのサービスだ,という事を知った一件であった。

 この逆は私の米国会社でのサービス品質管理プラクティスでいやという程経験したが... こういうギャップを乗り越えて本当のグローバル品質になってゆくのだ、とも。

2010年11月24日水曜日

紅葉散らすな御室戸の山

 今年の紅葉は例年にない美しさ。

 夏の猛暑で木が傷み、秋は短く寒さが急にやって来た今年。
 こんなときは紅葉はどうなるんだろうという心配をよそに、例年よりやや早く紅葉のシーズンがやって来た。それも鮮やかな赤や黄色の織りなす錦繍の秋。日照時と夜の寒暖の差が大きく,うれしい予想外の鮮やかな赤が浮かび上がって来た。

 関西に住む人の特権の一つは、この紅葉のシーズンを堪能出来ること。紅葉の名所がいたるところにある。特に奈良、京都の歴史を彩る紅葉風景は時空の旅人をワクワクドキドキさせる。もっとも短い期間にすべてを回ることが出来ないのが悩みの種。こんな贅沢を言える幸せ...

 それでも,今年の秋は高野山に始まり,室生寺、談山神社と巡ることが出来た。談山神社は奈良の紅葉名所としては超有名どころで、訪れた当日は車の大渋滞と人出でまいったが、その割にはイマイチであった。かえって桜井からの行き帰り、渋滞でのろのろ運転のバスの窓から見たの路傍の紅葉が素晴らしかった。

 去年は京都東山の南禅寺、永観堂、真如堂、今戒光明寺の素晴らしい紅葉を楽しんだ。今年は少し違う場所を探訪しようと三室戸寺を訪ねることにした。

 ここ京都宇治の三室戸寺は、ツツジ、石楠花、紫陽花、蓮、そして紅葉で有名な花の寺。京都は紅葉の名所が多いが、シーズンの人出でも有名だ。何しろ東京からも新幹線で2時間程で来れる。JRの「そうだ京都へ行こう」などと言うTVCMに誘われる東京の住人がいかに多いことか。

 幸いなことに三室戸寺はそれほどの混雑もなく,ゆっくりと紅葉を愛でることが出来る。穴場と言うにはちょっと有名過ぎるが,意外な穴場かもしれない。

 三室戸寺は西国観音霊場十番札所。約千二百年前の光仁天皇勅願により、千手観世音菩薩を御本尊として創建されたお寺である。京阪で中書島乗り換えで宇治線三室戸下車。徒歩15分。

 あまり能書きは要らないだろう。とにかく稀に見る今年の美しい紅葉スライドショーをご堪能下さい。

     暮れはつる 秋のかたみにしばし見ん 紅葉散らすな御室戸の山 ーーー西行法師



2010年11月21日日曜日

金沢 北のみやび

  先週は金沢に仕事で出かけた。出張であちこちへ行くたびに,地方都市のそれぞれの美しさと,文化の香りと、穏やかな人々の暮らしを垣間みることが出来るのは役得かもしれない。特に金沢などうらやましがられる出張先の代表だろう。忙しく駅/空港と出先とホテルの間を行き来するのだが,時間を見つけて垣間みるその町の佇まいにふれることは楽しい。

 考えてみれば明治維新以前は,地方都市は,単なる「地方」ではなくて,それぞれの国の大名の「お膝元」でありいわば「みやこ」であった。廃藩置県が行われ、中央集権で東京一極集中となってゆくのは明治以降の出来事だ。戦後の高度経済成長、さらにはグローバル化の中でそれが加速される。

 人々は豊かさを求めて,こぞって東京へ出てゆこうとした。いや田舎にいても次男坊以下は田畑もなく,働く仕事場もない。憧れの東京。「花の都、うれし楽し,夢のパラダイスよ東京」。イナカには何にもない、と自虐的な歌がはやり、東京へ出てゆく恋人の後姿に涙する。東京は生き馬の目を抜く激しい競争社会。脱落する若者もでる。故郷の山河を思い望郷の思いにとらわれる。しかし,帰る所はない。「故郷は遠きにありて想うもの...帰る所にあるまじや」だ。都会で孤独と戦いながら生きてゆく。時々は「ふるさとの訛なつかし停車場」を徘徊する。いつかは故郷に錦を飾ることを夢見て...

 そんな「東京」、「地方」という二分法、二元論が明治以降この国を支配して来た。
 気がつくとバブル崩壊。さしもの高度経済成長は過去のものとなり、20年もの経済停滞期を経験し、未だに立ち直れない。いち早く西欧流の近代化を果たしたアジアの優等生、アジア唯一の経済大国を自任して来た日本は,いまや中国や韓国、さらにはインドやASEAN諸国の目覚ましい経済成長を横目で見ている情けない状況に陥ってしまった。いや、そういう成長期を過ぎて、成熟した大人の時代を迎えたといっても良い。

 そんな時,心折れて、ふと我々が飛び出し、捨てて来た故郷、地方、田舎に目をやると,そこには破壊されずに残された文化や,心穏やかな風景、町並み、生活風習が残されているではないか。経済成長に取り残された地域であればある程,すなわち田舎であればある程、それが残されていることに気付く。

 なあんだ,こんな所に美と安らぎが隠れていたのか。そういえば忘れてたなあ。よくぞなくならずに今まで...まさに「美の壷」

 その美しい町の代表の一つが金沢だ。現代的な評価軸でいえば人口45万の政令指定都市にもなれない北陸の一地方都市に過ぎないが、かつては加賀前田家百万石の城下町で、京都や江戸にも負けない文化の華開いた町だ。兼六園に代表されるその繁栄の面影と雅な趣が今も町の随所に感じられる文化都市だ。こうした空気は雲州松江でも感じることが出来る。

 江戸期にはこうした独特の文化を育んだ「地方都市」が日本全国いたるところにあった。徳川幕藩体制は、基本的には地方分権の時代であった。重要伝統的建造物群保存地域に指定されている町はたいてい,こうしたかつて地方文化が花開き、物流や金融の中心として栄えた「地方都市」であった。皮肉にもその後の明治維新や戦後の経済成長などの激震に取り残された町である。不幸なことなだったのか,幸運なことなのか,その評価はこれからかもしれない。

 こうした町に共通の構成要件はつぎのとおり。城郭、大名庭園、藩校、武家屋敷、商家、町家、花街、寺社仏閣という「ハコもの」の道具立てが揃っている。それに「中身」たる偉人、文化人、芸能、食、職人技、工芸、そして祭り。こういった道具立てがなにがしか揃っている町がいまでも風格を保っている。金沢はその代表格だろう。

 ただ実態はなかなか「地方の活性化」につながっていないのが現実だろう。この経済低迷のアオリを受けているのはまさに「地方」都市である。しかし、従来型の経済成長モデルで考えるから旨く行かない。やっぱり東京型都市像を追いかけているからだろう。あるいは工場誘致、などという20世紀型産業構造を軸に「活性化」モデルを組立てるからだ。

 ここでも「活性化」モデルイノベーションを行わなければならない。そもそも「活性化」って、何を活性化することなのだろう?むしろ町毎の価値の多元性を再認識することが必要だろう。もちろん経済的な価値に繋げていくことが豊かさと成長のベースには必要だ。しかし、ある程度の経済的付加価値が保証されることがボトムラインであろうが、地方にはこれまでの経済成長を軸とした価値観にとらわれない新しい価値創造、資産の再評価、活用が求められよう。

 あれ?こんな評論家コメントを書くつもりではなかった。最後は、意に反して「NHK時論公論」風になってしまったが...

 とにかく金沢は素敵な街だ。秋晴れの好天にも恵まれた。兼六園、金沢城はもとより、橋場町、卯立山公園、近江町市場、犀川、浅野川、主計町... 高校生の時に旅し、出会った加賀乙女との甘酸っぱい思い出とともに。

2010年11月14日日曜日

女人高野室生寺 紅葉始まる

 高野山の紅葉を愛でたばかりだが、女人高野室生寺へ足を伸ばした。紅葉が見頃になったという。

 近鉄大阪上本町から急行で約一時間。室生口大野でバスに乗り継ぎ15分程で到着する。ただしバスは一時間に二本しかない。しかし,不思議なものでそれでもあんまり不便を感じることがない。だいたい急行の到着時間に連動しているようだし、石楠花の季節や、紅葉の季節には臨時バスも出て、それなりの対応がなされている。何より流れている時間がゆったりしていて、一時間に一本でも,二本でもそれなりに生活が回るようになっている。不思議なものだ。都会のように5分ごとに電車がやってくる便利さが、むしろ生活を忙しくしているのだろう。

 ちなみに奈良県内でバスを運行する奈良交通という会社はこのような閑散路線を多く抱えている。有名なのは日本一長い路線バス。奈良県の大和八木から、十津川村を経由して和歌山県の新宮まで走る路線を運営している。地域サービスの維持と収益確保に苦労していると思うが,観光客向けのサービスはきめ細かい。なにより運転手さんや補助の車掌さん(?)も気さくで,親切だ。

 バスは美しく黄色や赤に彩られた山肌を観ながら渓谷沿いを進み、深山幽谷の地室生寺に着く。室生寺は太古の室生火山群により形成された室生山の山麓に開かれた。このような神秘的な山と渓谷に囲まれたステージは、日本古来の神々のおわします磐座,神籠のイメージに近い神聖な場所。このような所に興福寺の高僧により、奈良時代後期から平安初期に開山された。本家高野山が厳しい女人禁制をとっていたため、女性でも参詣出来る真言道場として開かれ、女人高野と呼ばれるようになったという。
Kondou_all
 室生寺はその昔は、東の長楽寺,西の大野寺,北の丈六寺、南の仏隆寺を四門と呼び,この内を聖域としていた。参詣者はそれぞれの門から峻険な山を越え、渓谷を渡り、この室生寺へたどり着いた。今でもこれらの寺から室生寺に至る道は険しい山岳道だ。昔の人々の信仰への熱意,特に女性がこの険しい道のりを越えてこの地へはるばる参詣したことを考えると,この地の持つ引力の強さを感じざるを得ない。

 平安初期の建築である金堂の御本尊、一木造りの釈迦如来立像と、同じく一木造りの十一面観音菩薩が華麗で洗練された趣を持っている(国宝。室生寺のHPから引用)。金堂の諸仏は外陣から立ったまま拝観するのだが、この位置だとちょうど梁が釈迦如来の御尊顔を隠す形になっていてる。それでみんなしゃがみ込んで下からお顔を拝見する。少し残念だが、そもそも立ったままというのが間違ってるのだろう。

 しかし狭い金堂内に所狭しと並ぶ諸仏の佇まいは、このような深山幽谷の地に極楽浄土を見るような気がする。特にこの十一面観音立像は女性の信仰を集める優しい仏様だ。もう少し時代が下った平安中期以降に阿弥陀信仰が盛んになったとき、貴族がこぞって立てた阿弥陀堂の原型を見るようでもある。

 平成の台風で倒壊した後に再建された五重塔,これも平安初期の建築である。鎌倉期の建築である權頂堂をみてさらに奥の院までは石段を300段程登る。多くの観光客は、この急峻な石段を見て,奥の院へ登るのを諦めてしまうが,奥の院からの室生の里の眺めも捨てがたい。それに奥の院の御朱印はもちろんここでしか頂けない。それでもオジイちゃんオバアちゃんが手すりにつかまりながら,杖をつきながら,この石段を上ってゆく姿に元気をもらう。関西のお年寄りは元気!

 それにしても紅葉が美しいこと。石楠花で有名な鎧坂の辺りはから上はそれほど紅葉していない。權頂堂の前のもみじが紅葉するととても画になるのだがまだチト早い。山門周辺の銀杏と紅葉の赤と黄色のコントラストが際立っている。また,室生寺へ至る渓谷沿いの紅葉が素晴らしい。バスに乗ってると、オバアちゃん達が「みてみて、きれいやわあ」「うわー、すばらしわあ」と歓声あげてワアワアと盛り上がっている。気取らず素で室生寺への旅路を楽しんでる乗客と,ホントにきれいな景色にこちらも楽しくなってしまう。

 室生寺の入口の橋のたもとに橋本屋という旅館がある、今はもう旅館はやってないそうだが、自慢の山菜懐石料理を出してくれる。座敷の窓から赤い橋を見ながら昼食。なかなか美味しい。ここは写真家の土門拳が室生寺の諸仏の写真を撮り続ける為に定宿としたことでも有名。部屋には土門拳の撮った十一面観音の写真が飾られている。

 帰りは東海道自然歩道を歩いて室生口大野駅まで帰った。全行程1時間程で、室生寺からはしばらく上り坂が続き、栢野森峠を越えるとあとは、だらだらとした下りが続く。よく整備された石畳の道であるが,これが意外に歩きにくい。地中から湧き出る水と苔で滑りやすく,杖が必要だ。途中で拾った木の枝で杖にした。杉木立の中を延々と歩くので森林浴になるが眺望はきかない。かえってバスが走る道路沿いの方が渓谷に沿って歩くので景色が良いし,歩道も整備されているのでいいかもしれない。疲れたら,途中で走ってくるバスに手を挙げて乗せてもらうことも出来る。

 杉木立を抜けると自動車道路に出る。ススキを見ながら少し歩くと,大きな磨崖仏が渓谷の水の流れの向うにおわします。銀杏の黄色に彩られた大野寺の磨崖仏を拝ませていただき、室生口大野から帰途についた。

2010年11月10日水曜日

高野山 レジェンドの地に紅葉を愛でる

 秋の休日、連れ合いと初めて高野山へ行った。

 大阪難波から南海電車の特急「こうや」で1時間半ほどで極楽橋へ。なかな快適な電車だ。途中橋本からは勾配を登る山岳ルート。曲がりくねった渓谷沿いをくねくねといくつかのトンネルをくぐりながら登ってゆく電車。なんとなく箱根登山鉄道に似ている。極楽橋駅は標高514m地点だ。途中、九度山を通過。ここはあの真田昌幸、幸村親子が家康によって幽閉されていた所。

 極楽橋でケーブルカーに乗り換え山上の高野山駅へ。5分程で到着する。この駅は歴史ある木造駅舎。しかし,残念ながら慌ただしく山上バスに乗り換える為,ゆっくりと鑑賞する時間がない。バス専用道路と乗降広場だけで回りに見るべき所もなさそうだ。
 電車、ケーブルカー、専用バスという乗り継ぎルートは信貴山朝護孫子寺への行程と似ている。山岳宗教都市への交通は何処もおなじようだ。

 さて、山頂はにぎやかな宗教都市の感。それにしても道路は車の列で埋まっている。動かない。歩くのが一番。
山上バスは女人堂から金剛峰寺、根本大塔、大門へ行くか、奥の院へ行く2ルートで運行している。普段は一時間に1〜2本程度だが,この時期は臨時バスがピストン輸送しているので便利だ。

 お山は里より一足先に紅葉が始まっている。杉の古木に囲まれて金堂や根本大塔、西塔などの数多くの堂宇が立ち並ぶ壇上伽藍,さらに奥の院辺りの黄色、紅色の紅葉が目に鮮やかだ。黄色い葉が徐々に紅く変わっていくのだろうか、ハイブリッドな紅葉が多いように思う。遍路姿の参詣客がここかしこに。南無大師編照金剛の袈裟を羽織り、金剛杖を片手に金剛峰寺に参る姿が高野山の風景を独特なものにしている。

 ヨーロッパからの観光客も多い。彼等にとってもなんとエキゾチックで神秘的な聖地であることか。ちょうど我々がギリシャのデルフォイを訪ねた時に感じた霊感、東洋人である我々がオリーブの杜に包まれたデルフォイ神殿を目のあたりにして圧倒されたように、彼等も塔堂の力強さに心奪われ、高野山の一木一草に霊力を感じるはずだ。宗教の違いや人種、民族の違いを超えた「何か」を感じるはずだ。

 ここでは歴史的な史跡,というだけではなく、今に生きる信仰の場である。高野山真言宗総本山、教団本部所在地であり、多くの善男善女が訪れる祈りの場である。多くの巡礼は宿坊に泊まり時間をかけて塔堂伽藍に参詣する。

 高野山は真言宗の根本道場。弘法大師、空海が814年に開いた真言密教の聖地である。その後、真言宗は時代とともに分裂,集合を繰り返し、今や18宗派ありそれぞれに総本山があるそうだ。金剛峰寺は高野山真言宗の総本山。ちなみに長谷寺は真言宗豊山派の総本山である。

 空海は四国は讃岐の生まれ。四国八十八ヶ所巡礼(お遍路さん)などの弘法大師信仰は空海の説く法と彼の人徳、人望によるものだ。平安初期のもう一方の天才、最澄、天台宗を開いた伝教大師とともに遣唐使として唐に学び,帰国してそれぞれに仏教の奥義を説き,互いに激しく論争した。言うまでもないが比叡山延暦寺は最澄が開いた天台宗の根本道場だ。

 高野山は我が家にとっても身近な山であった。大阪に生まれ育った父にとって高野山は、学生時代の夏休みには友達と籠り勉強した思い出の地。大大阪の喧噪を離れて避暑に最適な所だけに,心静かに勉学に励めたのだろう。後の父の人生の基礎を育んだ土地と言っても過言ではない。祖母方の実家の墓所も高野山にある。こうしたことから祖母からしょっちゅう高野山の話を聞かされていた。やっとその伝説(レジェンド)の地、高野山に来れたわけだ。

 空海が今も瞑想していると言われる御廟のある奥の院。その2キロに及ぶ参道の両側は広大な墓地である。徳川家が高野山を菩提寺としたこともあり、多くの江戸期の大名が墓所とした。そうでなくても秀吉や信長などの歴史上の有名人物の墓が並んでいる様子は高野山ならでは。それ以外にも多くの一般の人の墓も、そして企業の墓がユニーク。物故従業員や創業者一族を祀るものが多いが、広告塔のようでもある。ロケットを墓石にしたS・M工業の墓地が威容(異様)を誇る。ここは宗派に関係なく墓を建てることが出来るそうだ。そして高野山に墓所を構えることが一種のステータスにもなっているようだ。ここも紅葉が美しい。静けさとは無縁の人出であったが...

 今回は一日駆け足で回ったが、やはり宿坊に泊まりゆっくりと過ごすべきだと感じた。今回は下見だ。また来よう。もう少し静かな時に...ゆっくりと心を無にして。

2010年11月8日月曜日

タイムカプセル 橿原・今井町の時空旅

学生時代に奈良を旅した時、驚きの光景を目にしたことが今でも忘れられない。

 近鉄大和八木から橿原神宮方面へ電車が進む。すぐに八木西口駅に着く。そこを過ぎるとやや高架になって国鉄桜井線と交差する。

 車窓からは畝傍山が見えていたが、ふと眼を転じると黒々とした甍の波が続く古色蒼然とした町並みが目に飛び込んで来た。その一画だけまるで時間が止まり、過去がそのまま何かの拍子に凍結保存されてしまった。そんな街並がマッシブに広がっている。街全体がタイムカプセルに閉じ込められたような佇まいだ。

 電車はドンドン速度を上げてゆき、あっという間に、その不思議な空間は視界から消えていった。そして私の記憶の片隅にその光景が刻まれたまま、それを脳の記憶装置から引き出すこともなく30年余が過ぎてしまった。

 そこは橿原市の今井町である。大阪に住むようになって学生時代から気になっていたあの不思議な街の面影、あのときの記憶がよみがえり、その街へタイムスリップすることにした。30年ぶりにあの電車から見た街に出かけた。




 室町時代後半14世紀に一向宗(浄土真宗)の道場(後の称念寺)がここに出来、今井町は寺内町としてスタートした。やがてこの中世環濠集落を母体に安土桃山時代には6町が周囲約3間の堀と土塁に囲まれた武装宗教都市が形成された。織田信長の一向宗攻めの後に、今井町は和睦し町の姿が後世に引き継がれることになる。

 江戸時代に入ると、寺内町には近在から多くの人が移り住み、在郷町として発展する。徳川幕藩体制の下で180年間天領となるが、住民には大幅な自治権が与えられ、町政は今西家、尾崎家、上田家の惣年寄により運営された。
このころから多くの商人が移り住み、木綿、両替商などで栄え、独自の通貨とも言える「今井札」の発行も許された。また大名相手の金融業も盛んになる。江戸時代初期には家千軒、人口四千人に達する繁栄を見たといわれた。

 しかし,そのような街は筑後の吉井、宇陀松山、五條、河内の富田林など日本の地方にあちこちにあるが、今の今までその街がこれほどまでそっくりそのまま保存されて残っていることが驚きだ。現在、伝統的な町家が全体の6割を占め、9件は重要文化財、3件が県指定文化財、6件が市指定文化財となっているという。

 今井町の町並み保存運動が起きたのは昭和30年ころからで、50ー60年頃には住民と行政が一体となって建物の修理、保存、修景、道路整備を行った。平成5年には、重要伝統的建造物群保存築に指定されている。

 街を歩いてみると,想像していた通りの不思議な空間がよく保存されている。かなり修復された建物が多い。昔のイメージを思い出し、崩れかかった町家や滅びの美を求めがちだが、思いのほか新しく整備が行き届いている。電柱の地中化も進み、道路もカラー舗装され、こぎれいな街になっている。

 しかし、ここは保存の為の街ではなく、人々が普段の生活を営む場である。公開されている町家にも住人がいて、日々の暮らしがそこにある。田舎の街にありがちな過疎化や、人がいなくなって空家化した建物が並んでいる様子はないように見える。

 NPO法人のボランティアの人に伺うと、ここに住みたいという人も結構多いが、住む以上は住民としての生活を営むことが条件とか。奈良市のならまちのようにレストランにしたり、カフェ開いたり、お土産やの改造したり、観光客向けの施設は歓迎されないとのこと。確かに食事する所が見つからない。お土産屋もない。観光地ではないのだ。

 重要文化財の今西家住宅を見学させてもらった。ここはかつて惣年寄りを努めた今西家の住まいである。しかし,その構えは住居というよりは、城郭のようだ。中に入ると、大きな土間があり、その前には座敷が三つ並ぶ。その中央の座敷には重厚な張り出し縁がある。ここはその昔は自治都市今井町の警察であり裁判所でもあったそうだ。いわばお白洲だったのだ。二階には簡易な牢屋もあった。やはり単なる住居ではないのだ。

 説明してくれた今西家のお内儀は、このような文化財に暮らす誇りと苦労を語って下さった。建物の維持管理と見学者のマナーに苦慮しているようだ。現代的な生活様式や快適さを求めることも我慢しなければならない。しかし、伝統ある今西家の末裔として歴史的な文化遺産を引き継ぐ気概を強く感じた。

 こうした建物の公開にもなかなかのご苦労があるんだ。訪問者は無責任に見て回って,生活者の立場を忘れている。住んでる人に言わせると「見せ物じゃないぞ」と言いたい所だろう。パブリックな場とプライベートな場と、なかなかきれいに一線を引くのは難しい。しかし、こうした町家は人の生活が今に引き継がれているからこそ貴重なのだ。博物館のように静態保存されたり、テーマパークのようなフェイクな町並みではない。だからこそ,見学する方もそれなりのマナーと見識を持つ必要がある。

 街に掲示されている「文化財、守れる人が文化人」の標語の前で立ち止まってしまった。

2010年11月2日火曜日

魅惑のズミクロン ライカM9の出来すぎたツレアイ

週末の「東大寺ワンダーランド散歩」の写真は,どれもライカM9+ズミクロン50mm,35mmで撮影。
一眼レフ+ズームレンズで撮影することに慣れていると、このレンジファインダーを通してみる景色はまた異なった趣がある。視点を変えて時空旅に出る時によい。

そもそもレンジファインダー機の性質から言って、
1)花などのクローズアップが出来ない(70cmまでしかよれない)。
2)茂みになった花や樹木のピント合わせに苦労する(二重像合致式の宿命)。
3)単焦点レンズだと自由にパースペクティブを変えれない(当たり前だが、体を動かせ)。
4)ファインダーとレンズとの視差があってフレーミングが難しい。
5)望遠系でのピント合わせが難しい。
6)ファインダーでボケが確認出来ない。

などの制約があるが、その不自由さが自ずとこのカメラで撮れる被写体と構図を決めることになる。大抵は50mmか35mmを装着して撮ることが多い。28mmになるとファインダーの中をぐるぐると見渡さないと全体が見にくい。外付けファインダーはカッコイイが、邪魔なので、結局この2本が常用レンズとなる。

 正直に言って、自然や風景写真にはやや不向きで、ポートレートやキャンデットフォト向きだと思われる。が、多少の窮屈さがあっても、単焦点レンズ、とりわけライカのズミクロンレンズの魅力からは逃れられないという弱みが使い手にはある。

 ズミクロン50mmを開放(F2)で撮る。被写界深度は非常に薄い。ピントの合った所の芯がしっかりしているのに対して、アウトフォーカス部分はなだらかにボケてゆく。背景のボケの美しさが魅力だ。ズミルクスのF.1.4だとさらにボケが楽しめる。ノクチルクスのF.1.1ならさらに...キリがない。被写体の立体感を強調する効果がある。
 また、M9はローパスフィルターを廃しているので、クリアーでシャープな画像が得られる。

手動でピント合わせするのだが、なかなかどうして、私の腕も劣ってない。ちゃんとピントが合ってくれている。慌てているときピンボケの山を築くこともないとは言えないが、合焦した部分のシャープさは最高だ。ただし手振れ補正なんて気の利いた装置は付いていないので、暗くてシャッタースピードが遅くなると時々ブレブレの写真が出来る。ごくごく当たり前の写真機の仕組みを思い出させる。もう一度修行をキチンと積んでいきたい,と思わせてくれる。

 いろいろと写真撮影の基本を思い起こさせるカメラだ。こうやって写真は撮ったものだ、などと。何しろライカレガシーと最新のデジタル技術を「見事に融合」させた道具なのだから。

 ズミクロンでの撮影上の問題点は、逆光時に薄いフレアーがかかって、コントラストが落ちる嫌いがある点だ。内蔵の短いフードを目一杯伸ばしてもなかなか解決しない。最新のコーティングを施したレンズに比べると、欠点と言えば欠点だろうが、使い方、撮影のセンスの問題とも言える。 最近のニコンのナノクリスタルコートのような高度なコーティングが施されていれば別だが、普通は撮影時に光を読んで撮る。「光を読む」クセ、を最近の自動化され、高価なコーティングされたデジカメは忘れさせてしまっている。極端な言い方をすれば,ただシャッター押せば一応の写真は撮れる。


ところで、このたびの撮影で気がついたのだが、M9はシャッターを静音モードに設定すると、シャッターボタン半押しでAEロックが出来ない。これは不便だ。で、結局今まで通り普通モードで撮影することにした。ちなみにシャッター音、チャージ音はどちらでも大して変わらない。正直言って違いが分からん。強いて言うならばM8.2の普通モードのシャッター音が一番静か。個体差があるのかな。これもライカだ。

 M9を使っていくうちにいろんな問題点に気がつき、いちゃもん付けて来たが、なんと言ってもレンズの魅力には勝てない。やはりズミクロンというレンズの秀逸さは何にも代え難い。だから文句言いつつもライカは手放せない愛機になってしまっている(期待ゆえの文句だ、どうでもいいカメラにはなにも言わない、などと子供や部下を叱る時の言い訳みたいだが)。ボディー側が早く完成度の高いものに成熟することを期待する。