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2017年4月26日水曜日

日比谷公園へ行こう! 〜チューリップ/ハナミズキ/新緑で溢れる都会のオアシス!〜

 私の通っていた会社は日比谷公園の真ん前にあった。オフィスの窓からも公園が見えるし「我が家の庭」みたいなものだった。現役時代には、一時期、地下鉄霞が関駅から公園を横切って会社へ通勤していた。冬の朝など雲形池のツルの噴水が真っ白に凍りついていたものだ。霞が関の役所や国会議員会館との間を行き来もした。予算編成時期や国会開会中の役所は不夜城だった。夜の日比谷公園からみえる窓明りが目に浮かぶ。超勤手当青天井などと豪語する「長時間労働」なんて普通だった。日比谷野外音楽堂では労働組合団体の「総決起集会」。公園の周りには右翼の街宣車。シュプレヒコール!「ガンバロー!」と、大音量「軍艦マーチ」の応酬。結構賑やかなエリアだった。もちろん昼休みには仲間と公園内の松本楼で百円カレー食べに行ったり、オープンテラスでスパゲッティ食べたり。束の間のオアシスであった。日比谷図書館に資料の図書を取りに行ったこともたびたび。入社したての頃は公園の鉄棒が先輩方の人気で、昼休みになると、近所の会社や役所から常連さんの「キン肉マン」や「げんきだイクゾー」達が群がって鉄棒していた。ちょっとした名物だった。私はやらなかったが、先輩方の「体操ニッポン」の「ウデ」を崇め奉るための観客として動員された。また、ジャージに着替えてランニング(ジョギングとは言わなかった)する一団もいた。こちらは私も何回か駆り出された。かなり本気出して走りこむ。全然ゆるくない。汗びっしょりになって上がり、午後からの仕事は猛烈に眠かった。今もやってるんだろうか? 夜はサラリーマンの聖地新橋界隈を徘徊。家には寝に帰るだけ。時には会社の地下2階の簡易ベッドでお泊まり。朝から晩まで日比谷村で暮らしているようなものだった。だから日比谷公園はとっても昭和なサラリーマンのオアシス。文字通り「我が家の庭」だった。

 一方、バブル時代が終焉を迎えると噴水前のベンチに一人ポツネンと座っている疲れたサラリーマンの姿も多かった。男の孤独と哀愁を感じる光景だった。リストラされて、朝、家族には会社へ行ってくる、といって家を出て、日がな一日公園のベンチに佇み、夕方にはまた家に帰って行く。そんな人もいたのだろう。また、なにやらいわくあり気な二人連れも真昼間から木陰に佇んでいた。明らかにサラリーマンとOL(ああっ!古い言葉だ)。しかし、ここではやめといたほうがいいだろう。この辺りは会社の顔見知りが多いので、油断してベンチに座ってたり、「♫二人だけの〜ところを〜誰かに見られ〜🎶」たりすると、すぐに「オマエ、さっき日比谷公園で何してたんだ?サボってたのか?まさかデートじゃないだろうな?」などと冷やかされる。だから公園でゆっくりと時間を過ごすなどということはなかった。もちろん本当に忙しかったし...あまり息抜きする場所という感じではなかったように思う。

 あれから40年。定年を迎え、時間もゆったりある。公園を散策するリラックスした気分も出てきた。都会のオアシスであることを再発見する心の余裕も生まれた。改めてここを訪れると、まるでいままでの日比谷公園とは異なる別世界になったような気がする。不思議なものだ。先輩上司や同僚や、部下に見つかる心配もない。デートするような彼女もいない。一人カメラぶら下げて、四季折々の花や紅葉をブラパチする。ベンチにも座る。「ついに我輩も悠々自適人生!」と思ってたら、「先輩じゃないですか!やはりこんなところで写真撮ってるんですか!」と大きな声で近寄ってくる奴がいる。油断大敵だ。そうだ、まだあのビルには後輩がたくさんいるのだ。みんな結構偉くなって... ヤバイ。まだここは生々しくて危険だ。

 ともあれ、この公園は美しい。春はチューリップ、ハナミズキ、そして新緑が目に鮮やかだ。やがてバラが咲き誇る季節に。雲形池の晩秋の紅葉が美しいのだが、春は春で、青紅葉の池端がまた異なった趣を醸し出す。一斉に美しい花々で満たされる都会の公園。相変わらずサラリーマンが忙しく行き来する公園。連れ合いはここのテニスコートでお仲間と毎週テニスを楽しんでいる。奥様方はアクティブだ。そっと、見に行ってみる。元気にビシバシとラリーの応酬中。サーブもバシッと決まっている。これじゃあ家庭内のラリーでも勝てないわけだ。コート脇のベンチには所在無げに昼休みを過ごすサラリーマンのオヤジたち。コンビニ弁当食いながらぼんやりとテニスの試合を眺めている。コートの間にある大きな藤棚が美しい房を何本も垂らし始めている。夏には木陰を提供してくれる藤棚だ。テニスやってるグループは総じて中高年以上。そりゃあそうだ。真昼間から都心の公園でテニスに興ずるのは現役じゃあないだろう。元気な中高年プレーヤーと、くたびれたサラリーマン観客。そのギャップがなんとも日比谷公園ストーリーだ。意外に子供連れのママ友チャリンコ軍団も多いのに気づく。フェンスで囲まれた一角には遊具もあり子供たちがワイワイ賑やかだ。どこから来るんだろう。こんなところがあるなんていままで全く気づかなかった。そもそも母親と子供たちの昼間の生活模様を垣間見ることなど皆無だったし... 日比谷公園の知られざる一面だ(私が知らなかっただけだが)。

 ここは、江戸時代は江戸城に近いこともあり、佐賀鍋島家、萩毛利家など名だたる大藩の上屋敷があったところだ。そこに日本初の西欧式公園が出現した。いまでも外堀の名残を園内に残しているが、大名庭園を見慣れた目には洋風の珍しい新名所になったに違いない。周囲には鹿鳴館や赤煉瓦建築が建ち並び、やがてフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルが威容を誇る近代日本の帝都のシンボルであった。御一新直後は一時、火薬庫や陸軍用地となったそうだが、1873年(明治6年)太政官布告で帝都東京に公園を設置することとなった。当初は上野寛永寺境内の上野公園、芝増上寺境内の芝公園、浅草寺境内など、寺社境内を公園指定する形であった。しかし日比谷公園は初めて計画段階から公園として設計施工された。1893年(明治26年)日比谷公園と命名され、設計コンペが行われた。1902年(明治35年)着工、翌年開園した。戦後の高度経済成長期、バブル崩壊を経て、グローバルエコノミー時代へと、結構激変の時代を過ごした我がサラリーマン人生、その心の故郷、サラリーマンのオアシス、日比谷公園はこうして生まれた。



2015年12月7日のブログ。紅葉の季節の日比谷公園を散策したときのブログ:














(撮影機材:Leica M10+Summilux 35/1.4 ASPH. この35mm単焦点一本で撮る潔さが気持ちの良い一日であった)


2017年4月24日月曜日

お江戸の「高低差」に薫風を感じに行く 〜根津神社・白山神社・小石川植物園散策〜


新緑とツツジに彩られる根津神社楼門


 以前、文京区白山に住んでいたことがあった。その時はあまり知らなかったのだが、いまになって我家の生活圏は、実は非常に複雑な地形の上に存在していたことがわかった。当時も「坂」の多い所だと感じさせられていたが、それもそのはず。実はこんな地形(下記のGoogle earth地形図参照)だったのだ。もともとは人が耕作し定住するには十分なスペースに乏しい、台地と谷が織りなすどちらかというとワイルドな場所だったといっても良い。縄文遺跡はそこかしこに見つかるらしいが、稲作を旨とする弥生遺跡は、比較的スペースのある本郷台地上の弥生町東大構内(弥生時代の名の元になった)で見つかっているというのが面白い。いまは都市化して、びっしりと地表を建物が覆い、台地と谷筋の区別を見分けることは難しいが、数々の「坂」がその地形の記憶を呼び起こしてくれる。現代のこの辺りの東京居住民は、狩猟も採集も稲作農耕も行わない都市生活者なのだ。

 桜狂想曲も終章を迎え、新緑と薫風に包まれる季節になった。今回、昔住んでいたという懐かしさもあって久しぶりに、その我が家ゆかりの土地を訪ねてみようということになった。つつじで名高い根津権現(神社)を訪れ、その足で白山神社(アジサイで有名だがさすがにまだ早すぎる)、小石川植物園の新緑とめずらし花々を愛でるべく歩を進めた。結果、本郷台地、白山台地、小石川台地を上がったり下がったり、尾根筋と谷筋を股に掛ける1.6万歩の散策となった。再び下記の地形図を参照いただきたいが、これだけの高低差は、太古には、中小河川が複雑に流れていて、武蔵野台地の東端部を侵食し、舌状の高台、河岸段丘、谷筋扇状地が形成されていたことにより生み出されたものである。タモリじゃあないが、「高低差ファン」にとっては嬉しくなるような所に住んでいたことになる。

 谷中を散策した時にも述べたように、「谷中」は文字通り上野台地と本郷台地の谷筋に当たる地域だ。現在の上野不忍池から北へ伸びる「不忍通り」に沿って東に位置するのが谷中だ。ここも昔は川だったのだろう。本郷台地には、「谷根千」の「千駄木」、「根津」がある。尾根筋の本郷通りに沿って根津権現や旧加賀藩邸跡、すなわち東京大学がある。そこから西へ坂を下ると白山通り。白山上、白山下の地名が示す通り、北方向に向かってゆるゆると上り坂の家並みが続く谷筋の町だ。ここも昔の川筋が目に浮かぶような地形だ。この白山通りを西へ横切って、再び坂を登ると白山神社がある白山台地へ。登ったかと思うまもなくすぐにこれを降り、新白山通りを渡ってさらに西へ進むと、今度は小石川台地の坂を登ることになる。ここに以前住んでいた。そして、今回久しぶりに懐かしの彼の地(「小石川台地」)を徘徊し、坂を下り東京大学小石川植物園、すなわち旧幕府御薬園、小石川療養所跡へと進んだわけだ。まあ、よくこれだけの坂を登ったり降りたり、東京の都心にいてちょっとした尾根筋、谷筋横断ハイキングコースを歩いたことになる。東京人は結構足腰が強いのだ。

 この日は雨が上がった後のクリアーな青空。爽やかな空気のなかツツジが今を盛りに咲き誇っている。全ての品種が咲きそろっているわけではないが、根津神社のツツジ山も小石川植物園のツツジ園も瑞々しい花々の競演であった。写真としてはピーカンの晴れは、光のコントラストが強くあまり好ましくないのだが、日陰を狙ってみたら、意外に豊かな階調が表現できることに気づいた。あるいは、鮮やかな透き通るような若葉はむしろ青空を背景にシルエットを強調してみたり、逆光を生かして透過光を写し取ったりしてみるのものも面白い。いずれにせよ、このあたりはライカのMレンズ群の豊かな階調表現力と発色という素晴らしい性能のおかげと言わざるを得ない。しかもLeica M10という最高のマザーボディーを得て。今回は最新レンズ設計のSummilux 50/1.4とLeica Q Summilux 28/1.7およびApo-Summicron 75/2で撮影したが、実にイメージする画が表現できたように思う。この3本があればあえてズームはいらない。


文京区の地形図



本郷台地から白山通りに下る坂



根津神社参道の鳥居


根津神社楼門














ツツジ山

千本鳥居





白山神社参道
白山台地の南端に位置している
白山通りとの高低差が見て取れる

小石川植物園内の東京大学研究総合博物館小石川分館
近代建築遺産がキチンと保存利用されている

イロハモミジの緑のトンネル
秋の紅葉はまた格別








写真としては面白くないが貴重な品種だとか





旧帝国大学医学校本館
東京大学研究総合博物館として公開されている




2017年4月15日土曜日

桜咲く(3) 花のお江戸は花散らし雨!

 今年の桜は東京が全国で一番に開花。世の中の「早く満開になあれ!」との声に押されるように、気象庁は4月1日には東京満開宣言。しかし寒さが続きどこが満開なのだ?という有様。靖国神社の基準木のみが満開になったのだろうか?実際には周囲を見ても2〜3分咲き程度。4月に入っても、この満開宣言が早かった割にはなかなか本格的な満開にならずやきもきさせられた。福岡から帰って、気温も春めきようやく7〜8日の週末頃満開に。しかし、今度は連日の雨で、なんとも気勢をそがれる「お花見シーズン」となった。花冷え、花散らしの雨。目黒川は早くも花筏。7日は気温が10℃を下回り、仕舞ってダウンジャケットをまた引っ張り出す始末。しかも朝からかなりまとまった雨。これで今年の桜は散ってしまうのだろう。

 花のお江戸にはいたるところに桜の名所がある。定番の上野公園、千鳥ヶ淵、靖国神社、飛鳥山のほか、この辺では江戸時代末期には品川の御殿山も桜の名所だった。しかし幕末のお台場建設や、明治以降の鉄道建設で、御殿山は取り崩されてしまった。代わってというわけではないが、この辺りでは最近は目黒川沿いが人気のお花見スポットになっている。別に遠くまで出かけなくてもご近所も花盛りだ。あいにくの雨ではあるが、晴れていれば花見客のブルーシートで場所取りされる桜並木も、より静かに桜花の季節を楽しめる。今年巡ったお江戸のお花見コース、目黒川、八重洲さくら通り、大森界隈、どれも雨にけぶる桜花。目黒川は早くも花筏。忙しく動き回る人や車で溢れる街中でふと見上げる桜並木。桜花散り敷く雨の大森貝塚庭園。それも悪くない。

 だが、概して桜の季節は慌ただしい。やれ「開花はいつだ」「満開はいつだ」「桜前線が北上中」「見どころはどこだ」「あそこが咲いた、ここが散った」「晴れた、雨が降った」とほとんど一週間くらいの間に、右往左往する。日本中の景色が桜色に変わり、普段見慣れない風景が一瞬に現れる心騒がしい季節だ。私はむしろその「桜狂想曲」が終章に至り、街や里が落ち着きを取り戻す新緑の季節、「青紅葉セレナーデ」の方が好きだ。桜の陰に隠れて話題にならない花々も一斉に咲き誇っていることを知る。


目黒川沿い(大崎から五反田あたりは人も少なくゆったりと桜見物ができる)
















日本橋さくら通り(東京駅八重洲口から日本橋の高島屋、丸善につながる通りは都心のさくらの名所)














大森界隈(JR大森駅付近の線路沿いの遊歩道沿いは桜並木。大森貝塚庭園からの眺めも最高だ)










最後におまけの写真。12日になってやっと晴れたが早くも花吹雪。西大井駅あたり。

旧原小学校

旧原小学校


西大井駅