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2011年10月25日火曜日

私の知らないニューヨーク散策 ービレッジ、ソーホー迷宮彷徨ー

 前回書いたように,私にとってのニューヨークとはミッドタウンであった。国連ビルのすぐ近くの我がアパートから休日に散策する場合でも南は34丁目辺りから、せいぜいマディソンパークまで。それより南にはあまり行った事がなかった。チャイナタウン、サウスストリートシーポート辺りは時々観光目的で行った。ミートパッキングディストリクトには仕事で行った事がある。150ハドソンには我が社のl重要施設があったのでよく行った。もちろんダウンタウン、ウオールストリート辺りは仕事でよく行ったが,その途中の通過スペースが全く私の頭の中では空白地域なのだ。

 グリニッチビレッジ、ソーホー、イーストビレッジ....名前は聞くがどの辺なんだ?その定義がハッキリしない。人によっては「何だもったいない,せっかくNYにいて」と言われそうだが。かつて東京から出張で来た本社の社長をビレッジの有名レストランへ案内した事があったが、リモドライバーが連れてってくれたので,今でもそれが何処なのか分からない。あそこは雰囲気抜群でロマンチックなところだった。ニューヨーカーが結婚のプロポーズする時に使うレストランだとか。少なくとも背広姿のオッサン達が集団でメシ食う所ではない。今から考えるとおかしな事を日本人サラリーマン達は場違いな場所でやってたんだな。銀座や原宿の中国人ご一行様を笑えない。

 そもそもミッドタウンから南へ下がり14丁目から西南へ向うと,いきなり通りが斜めに走り始める。ユニオンスクエアーまでは良いが、ワシントンスクエアーの西、ウエストビレッジ辺りになると,ミッドタウン的な整然とした東西南北の方向感がすっかり狂わされてしまい、自分が何処にいるのか分からなくなる。ルール違反だろうこの斜め45度の道は。しかも番号ではなく名前が一つ一つの通りについている。ブリーカーストリート。モートンストリート... 覚えられない...

 ビレッジ歩きのスタートは地下鉄BDFMのWest 4th Street駅!娘とその連れ合いが案内してくれた。彼等はグリニッチビレッジの住人なのでスイスイ歩き回る。この駅のすぐ近くに住んでいるのだが、私はいくら道を教えてもらっても、一人では娘夫婦のアパートにたどり着けない。ジェラート屋の角を右へまがり、パン屋の角を左へ入る。リゾットのおいしいレストランが見えたら、信号渡り緑の並木道の中を真っ直ぐに...なんて説明ではミッドタウンニューヨーカーは無理なのだ。数字で言ってくれ、37 and 1とか...

 ここへ来ると、ニューヨークは古い町だなあと感じる。ボストン、いやロンドンの下町にも劣らない歴史を感じる町並みだ。ロンドンのウエストエンド、メイフェアーほど都会的でハイソな雰囲気ではないが,都会の田舎,まさに村(ビレッジ)の雰囲気だ。カムデンタウン、ベルサイズパーク、ハムステッドって感じか?有名なアーティストの住宅やアトリエ、スタジオが並んでいる。セレブな街なのだろう。町並みはハーレムと似ている。古い4〜5階建てのタウンハウスの連続だ。ただ違いは廃屋になってるか否か。そう言うとビレッジ住人の顰蹙を買うかもしれないが、もともとハーレムもオランダ系移民の高級住宅街だったんだって。しかも、今はアポロシアターはじめNYのもう一つの観光名所になっている。

 緑濃く、住民が顔見知りで緊密なコミュニティーを形成している地域だ。住民の職業も、ビジネスマンや勤め人,というよりは、様々なアーティスト、俳優、学生。あるいは高等遊民。金持ちではないかもしれないが,生活の質を重んじ楽しむライフスタイルの持ち主達。素敵なレストランや,カフェも成金趣味でない所が良い。何気ない街角のカフェに超有名人がこれまた何気なく座ってる雰囲気が良い。カップルも男女とは限らない。堂々とゲイの集会場もある。それがまた街の文化になっている。人々はフレンドリーで他人行儀でない。ミッドタウン程のオープンさはないのかもしれないが、一度住人になれば皆友達だ。京都の町家や江戸の下町、田舎のコミュニティーの色合いが残っているのかもしれない。やはりビレッジだ。

 ソーホーはファッショナブルな店が建ち並ぶ洒落た街だ。有名ブランド店も多くて原宿表参道的な雰囲気だ。
 イーストビレッジは最近日本食の店が増えて、チョットしたジャパンタウンになっている。中でも博多ラーメンの一風堂が超人気店で、店の前には行列ができている。中は入った事はないが、ランチミーティングも出来るそうだ。博多とんこつラーメンでランチミーティングってどうなの?と思うが、これがNY流のラーメン食文化の消化方法なのだ。しかしビックリした!スシに続いてラーメンがトレンディーな日本食になっている。別に良いんだ。本家博多のラーメン屋の常連であるだけに、そのギャップに少しクラっとしただけだが...

 茶庵というレストラン/ティーハウスも洒落ている。ちゃんとした茶室を備えていて要望に応じてお茶を立ててもらえる。今までのステロタイプの日本食レストランはもうニューヨーカーには飽きられて、こうしたおしゃれで素材を活かした食文化が受け入れられ始めたんだろう。昔はイーストビレッジと言えばインド料理店のイメージだった(単に私の中で、だが)、やはり歩いてみるものだ。

 これからはビジネスマンからアーティストに変身だ!? 今までオレはニューヨークの半分以下しか知らなかったって訳だ。久しぶりのNY散策。けっこう目から鱗の経験だ。ハマりそうだ。

2011年10月23日日曜日

小粋なFujifilm X10  ーXシリーズ第2弾登場ー

富士フィルムの高級コンパクトXシリーズの第2弾、X10が発売になった。35mm単焦点レンズのX100が出た時に,次はズームか?と噂されていたものが、年内に出た訳だ。X100は発表から話題を呼び、一時は在庫不足でウェイティング状態だった。この成功に富士フィルムも意を強くしたのであろう。このようなきちんとしたカメラ造りはなかなか商用化しにくいものだが、経営陣の決断と,ユーザのサポートによる市場形成の成功をカメラファンとして多いに喜びたい。

 さてX10の主な特色だが、
1)28ー112mm相当の光学4倍ズームレンズを搭載。Fujifilmが誇るSuper EBCレンズである。f値2.0〜2.8の明るさ。全域で優れた解像度を実現。
2)コンデジによくある電動ズームではなく手動でズーミング。金属カムによるスムーズで確実なズーミングが可能に。往年のコンタックスフィルムコンパクトを彷彿とさせる。
3)2/3サイズの1200万画素EXR-CMOSセンサー採用。フォーサーズより小さく、高級コンパクトが採用している1/1.7よりは大きなサイズ。ちなみにX100はASP-Cサイズである。
4)ボディーは黒一色で、X100と同じ形状デザインを踏襲しているがサイズは一回り小さい。軍艦部もX100を引き継いでいる。天板、底板にマグネシウム合金を使用し、剛性感、重量感ともに他と一線を画す手触りとホールディング感を実現。
5)ファインダーはガラスプリズムを使用した本格的な高倍率光学ズームファインダーを採用。ただし、OVFのみで、撮影情報表示はない。X100の特色であったOVF,EVFのハイブリッドファインダーは搭載されていない。
6)液晶モニターは明るくクリアーで見え方は抜群。
7)シーンに最適なモードを自動選択するEXR設定が出来る。
8)X100同様、フィルムシミュレーションモード搭載。さすがフィルムメーカーのカメラ造りだ。

 手動ズームはスムースかつ確実。操作性に信頼感を感じる。また、ズームリングを28mmに回す事によってカメラの電源ONとなる。この辺の使用感は抜群で,カチッとした確実性が伝わってくる。

 ボディーサイズも、大きすぎもせず、小さすぎもせず、丁度手に収まる。一般的なコンパクトデジカメはそもそも小さすぎて扱いづらい嫌いがあるので、このくらいのサイズはうれしい。

 金属削り出しのリング、ダイアル類のクリック感もいい。不用意に動いたりしない。X100は露出補正ダイアルや電源スイッチがいつの間にか動いていて慌てる事があった。

 レンズの解像度はなかなか素敵だ。全域で素晴らしい画を楽しむことが出来る。センサーサイズに限界があるので、ボケには少々不利だが、明るいレンズなので望遠側でのポートレート撮影や、マクロではまずまずの結果を得ることが出来る。また、ズームレンズにありがちな樽型、糸巻き型の歪曲も少なく、周辺光量不足も少なくて単焦点レンズに匹敵する性能をたたき出している。マクロモードは通常マクロの他、1cmまで寄れるスーパーマクロも使えるのがいい。

 ちなみに、このX10から富士フィルム社製のデジカメブランド名、FinePicsを使用しなくなった。新しいXシリーズのスタートという意味合いを持たせるつもりなのであろうか。なんとなくパッと見ると、X10、X100は10倍、100倍に見えてしまうが...

 このごろの富士フィルムはなかなかマニアの心をくすぐる高品位なデジタルカメラを出してくる。これからも楽しみだ。しかもMade in Japanという信頼感を前面に出して。最近の他社のミラーレスやコンパクトはみな中国製やタイ製。時代だから仕方ないのだろう。しかし、いまや80%程の製品の製造をタイに依存しているニコンはこのたびのタイの洪水でヒヤリとした。幸いミラーレス新製品のニコン1は中国で製造していたので、タイで製造しているソニーのNEX-7のように発売延期の憂き目を見なくて済んだのだが...

 話がそれたが、ともあれX10はいいカメラだ。小気味の良いワクワクするようなカメラだ。何処へでも持って歩きたいハンディーさと質感、適度な重量感。ひょっとするとX100より使い勝手の良い小粋なカメラに仕上がっているかもしれない。予約しておいたので,発売とともに一番にゲット出来た。デジカメもようやく高品位な製品が市場に登場するようになり、家電製品化からの脱却に向い始めた事はうれしい。

(早速、神戸北野の異人館街散策でデビューしました。まずは作例をごらんあれ)



(通常マクロで撮影)




(スーパーマクロで撮影)



(望遠側で撮影。画質劣化は見られない)



(28mmで撮影。屋内でも諧調がしっかりしている)




(28mmで撮影。歪曲は少ない。)




(Lumix DMC-LX5で撮影。ブツ撮りがヘタクソでスミマセン...)


2011年10月20日木曜日

私の知ってるニューヨーク散策 ーミッドタウン徘徊ー

 4年ぶりにニューヨークへ行った。ニューヨークにいたときはあれ程頻繁に東京と行き来していたのに、一旦日本へ帰ると、なんとニューヨークは遠い街である事か... 

 私の活動拠点であったミッドタウンはビジネス、エンターテイメント、観光の中心だ。お金と時間さえあれば最高に楽しい所だ。逆にお金も時間もなければ冷たい街だ。ビジネスで成功して摩天楼のトップフロアーにオフィスを構えるのも,没落してホムレスになるのも紙一重。アメリカの繁栄の象徴かもしれない。その繁栄の輝きがまばゆい分、その影もはっきり見える街だ。世界経済の中心である金融街はダウンタウンのウオールストリートだと言われるが、最近は意外にミッドタウンに集まってきている。9.11以降特にその傾向が強い。日系の金融機関もミッドタウン集中だ。

 タイムズスクエアーは、ミュージカルと観光のメッカだが,ここにはモルガンスタンレー本社もナスダックもある。チョット場違いな感もしないでもないが、渦巻くネオン、いやデジタルサイネージのナカに株の値動きを流すティッカーや経済ニュースを流す電光掲示板(古い言い方だ!)が埋もれている事にご注意あれ。ウオールストリートで格差社会へのプロテストを呼びかけたデモ隊が集まっていたが、先週はこの一団がタイムススクエアーへ押し掛けた。これは単に人が大勢いる所でアピールしたいというだけでなく、金融業界の雄であるモルスタがいるからでもあろう。

 碁盤の目のような分かりやすい街路区画と林立する高層ビルが街の景観を形作っている。イエローキャブも最近はニッサンのハイブリッドに置き換わりつつあるようで,意外に奇麗な新車が走っている。これも街の景観を形付ける重要なエレメントだ。道路は相変わらずぼこぼこに穴があいている。所々赤白ダンダラ模様のチューブが路上に突っ立っていて,そこからスチームの白い蒸気が上がっている。ニューヨークの欠かせない光景の一つだ。 

 メトロポリタン美術館、近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館、フリックコレクションなどの世界の美を集めた施設も世界の富が集まるニューヨークを象徴する名所だ。目や、知性や、感性を楽しませるものだけでなく、人間の欲望の根源である食欲を満たす場所にも事欠かない。世界中のグルメを唸らせるレストラン。ビッグジューシーステーキ、オイスターバー、メインロブスター、ワイン、そして今やスシバーはニューヨークを代表する食のラビリンスになっている。路上ベンダーのプレッッツェルもホットドッグもワッフルもすべてアメリカサイズでカロリーオーバーは覚悟しなくてはいけないが...

 ともあれ、私にとってニューヨークと言えば,ミッドタウンのイメージだった。会社のオフィスも、ビジネスパートナーや取引先も、仕事もビジネスも,ショッピングも,エンタメも、観光も。そして住むのも... 何しろグランドセントラル駅から半径数キロ以内で生活していた。日本からの客がくれば観光も食事もこの辺で用が足りる。しかもほとんど歩いてまわれる範囲にあるのがうれしい。だからそれだけでこれがニューヨークだと思っていた。いや、これがアメリカだとさえ思っていた。

 セントラルパークはこのビルの林立するマンハッタン島の極めて人工的に切り取られた緑の公園だ。その自然とはかけ離れた長方形に区切られた「自然」がニューヨークらしい。ロンドンのハイドパーク、ケンジントンガーデン、リージェントパークとは成り立ちから違う。セントラルパークへ来ると、いたるところに大きな岩が露出しているのを目にする。このハドソン河とイーストリバーに挟まれた狭い島マンハッタンが、中洲などではなく、大きな一枚岩の岩礁である事を実感するだろう。

 別にここで観光ガイドを書こうという訳ではないが、やはりミッドタウンを描写しようとするとガイドブック的になる。それだけ皆に知られた世界的な街なのだ。欲望渦巻く街ミッドタウン、最高も最低も共存する街ミッドタウン、苦闘した街ミッドタウン、裏切りと背信の街ミッドタウン、ヤッターと叫んだ街ミッドタウン、楽しかったミッドタウン、思い出イッパイのミッドタウン。そういう感傷がガイドブックのナカにちりばめられた街ミッドタウン... 私にとってセンチメンタルミッドタウンになったのだ。昨今すっかり日本の影がこの街に薄くなってしまった分だけ余計に...



2011年10月6日木曜日

ならまちの秋 ー紅葉だけが秋じゃないー

 奈良のならまちはカメラぶら下げて散策するの良いエリアだ。何度行っても飽きない。ヒマさえあれば何度も訪ねている。当てもなくぶらぶら歩くと必ず何か新しい発見がある。

以前にも書いたように、ならまちは飛鳥から移転してきた元興寺の広大な寺域が時代を経て,町家街に変化したものだ。萩で有名な現在の元興寺極楽坊は、当時の僧坊の一部が改装されたものである。屋根の一部に飛鳥から移された古代瓦(行基葺き)が現存する事もよく知られている。

ならまち(すなわち旧元興寺境内)には、現在の元興寺極楽坊の他にも、十輪院、福智院や五重塔芯礎、本堂跡などの大寺院の遺構が多く残されているが、多くは町家に変化している。こうした町家を主体とする町並みは江戸時代後期から明治にかけて形成されたもののようだ。なかには今も商売をしているつくり酒屋、晒問屋、薬種店が軒を連ね、今西家書院のような豪壮な建物も現存している。今井町のような環濠集落としての成り立ちとは異なるが、元興寺境内という区切られた空間がこれほどの街に変容したという事実にも驚きだ。大和の町の成り立ちを探る。知れば知るほどその奥深さにワクワクする。

ならまちからチョット新薬師寺の方向、東へ行くと、そこは志賀直哉など、文人墨客の住まいとして名高い高畑町だ。ここに、小さな西洋アンティークの店を発見した。店主は自らフランスやイギリスに骨董買い付けに出かけ,気に入ったものだけを店内に並べている。ユニークなのは、この小さいが瀟洒なお店自体、店主夫婦が古屋を借りて,こつこつと仲間と古材を用いてリノベートしたという、とても味のあるお店だ。いかにも古民家という風情と西洋アンティークの絶妙の取り合わせ。このお店のウエッブサイトも写真満載で楽しい。こうした店主の方のライフスタイルにも憧れを覚える。

本格的な紅葉にはまだまだ早い季節。まるでタイムカプセルのようなならまちを散策すると、あちこちに夏の名残とともに,秋の気配が見て取れる。時代を超えて季節は移ろい行く。さしもの今年の猛暑も、ようやく秋の涼やかさに入れ替わっている。秋晴れの古都に懐かしい日本人の心と、それにうまく融合した新しい生活のスタイルを再発見することが出来た一日であった。つぎは何を発見するのだろう,楽しみだ。




2011年10月4日火曜日

熊本城 ー九州の首都の栄光は今...ー

 出張で熊本へ行った。九州新幹線の鹿児島中央、博多間全線開通に伴い,新大阪から3時間ほどで熊本へ直通で行けるようになった。「さくら」は素晴らしい列車だ。欧州の優等列車に引けを取らない品格と質感を持つ。九州島内の緑濃い筑紫平野を南へ疾走する姿は美しい。この九州新幹線の全線開通の日は3月12日。そう、東日本大震災の翌日だ。一切のセレモニーはキャンセルされ、しずかに開業した。しかし,それでもJR九州のあの開業CMは感動的で涙が出るほどだ。名作でしょう、あれは。

 ところで、新幹線開通で熊本は活気づいているのだろうか?熊本駅前の住宅地が公示価格高騰率が日本一になった,と報道されている所を見ると、少しバブルしているのかもしれない。市内でタクシーの運転手さんに聞くと,たしかに熊本駅から街中まで乗る客が増えた,と言っている。「じゃあタクシーとしては新幹線歓迎だね」というと。「なんも。いっちょんもうからんばい」。新幹線が来る前は、東京や大阪から来る客は、たいてい飛行機。しかも熊本市街からはるかにはなれた阿蘇山との中間(は少しオーバー?)に位置する熊本空港との間を乗ってくれるんで、タクシーウハウハ状態だったと... なるほど。

 熊本駅はそもそも都心から外れた所に位置している。城下町の常で,明治の頃の鉄道開通に際し,陸蒸気への期待と忌避が相半ばして,鉄道停車場は大抵が御城下の外れに造られた。ここ熊本もそういう事だった。確かに駅前には何もない。最近になって国の出先機関が入るビルが中心街から移ってきたという。さらに熊本初の超高層マンションが建設中だ。しかしなあ... 新幹線側にいたってはましていわんや。広大な空き地が広がる。ここが地価高騰率一位なのは0がスタートだからかあ、と妙に納得。

 熊本城は,疑いもなく名城だ。加藤清正が築城し,その後加藤家断絶後は細川家の居城となった。肥後細川は明治維新まで続いたにもかかわらず,この名城を築いたのは清正公(せいしょうこう)だと言う事実。加藤神社もあれば、清正公銅像もそびえる熊本。熊本人にとっては,清正公こそおいらの兄貴なのだ。細川さん,少しかわいそう。

 熊本城は西南戦争の時には九州鎮台として、官軍の拠点であった。土佐出身の谷干城率いる明治新政府軍が立てこもる熊本城を西郷軍は攻めあぐねた。田原坂の戦いなどの激戦の末、西郷軍は敗退。鹿児島の城山で自刃。こうして最後にして,最大の不平士族の反乱は終わった。しかし、この戦いのなかで熊本城の天守閣は燃え落ち、多くの櫓が破壊された。戦後(西南戦争の戦後)も破却が進むが、城跡は軍都熊本の基となる九州鎮台、のちの第六師団司令部として使われる。

 この頃から、熊本は九州の「首都」としての地位を固める。帝国陸軍はもとより、中央政府の九州出先機関はここ熊本にあつまり、旧制高等学校もいわゆるナンバースクール第五高等学校が熊本に設置される。ラフカディオ・ハーンや夏目漱石が教鞭をとった。なぜか九州帝国大学は福岡に持ってかれてしまったが,熊本は誰もが認める九州の中心であった。

 我が社もつい最近まで,九州総支社は熊本にあった。いまは九州本部は福岡に移転。ここは熊本支店に格下げ。往年のよすがを忍ぶものはその城を望む絶好のロケーションと偉容を誇る建物だけだ。ちなみに九州の拠点を福岡に移すにあたっては,熊本の地元からは猛烈な抵抗が予想された。まるで明治維新後に京都から明治天皇が東京へ「行幸」されたまま帰ってない(?)という例のように、最初は法人営業本部など営業拠点を福岡に移し、管理機能は熊本から移さない事で移転を進めた。しかし、本部長は熊本、福岡両方に椅子を持ち、行き来していたが、徐々にネズミの引越のように移り、結局最後は全てを福岡に移してしまったのだから、熊本人にすれば「やられた」という事だろう。京都人の気持ちがわかる?

 江戸時代、明治維新、戦前とあまりぱっとしない通過都市であった福岡はいまや人口150万を数える政令指定都市、九州の中心都市に発展。逆に新幹線が開通しても熊本は通過都市になってしまう可能性すらある。あるいはストロー現象で客が博多駅や天神の商業施設に吸い取られる。先ほどの熊本駅前の地価高騰も博多へ30分という通勤の便利さからか?? 

 九州新幹線で、鹿児島は多くの観光客を集めているようだが、熊本は,県の代表クマゴン(いやクマモン)が県知事に伴われて大阪に出張、熊本をアピールしてきたにもかかわらずその成果は... 先ほどのタクシーの運転手さんも「熊本はなんも観るもんはナカでっしょ」と切り捨てる。熊本城は?水前寺公園は?と水を向けると、「二つ観たらそれで終わりたい」と冷たい。食べるもんは旨いし,水はいいし...とさらにゴマを擦ると「馬刺と辛子レンコンだけですたい」。肥後モッコスらしい反応。取りつくシマもない。ミもフタもない。それを言っちゃあオシマイよ。まあまあそういわずに、この清正公の名城見るだけでも熊本に行く価値充分ですよ。木造で再建された本丸御殿も昭君の間も眼を見張る美しさですよ。緑の山と清流に包まれた壮麗な平山城、熊本城。本当に凄い城です。国の宝です。熊本人よもっと地元に誇りをもって。来年は九州で3番目の政令指定都市にもなるんだしね。道州制が導入されたら熊本が九州の首都に返り咲き...かな?