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2010年5月24日月曜日

Nikon F3に憧れる

ここんところ、故あって時空旅に出れない状況が続いている。

季節も新緑の候、あおによし奈良の都も人であふれているというのに、私は、遥か都を離れ、天さかる鄙の坂東の地で悶々としておる。

こんなときはカメラネタだ。

久しぶりにニコンF3を防湿庫から出してみた。なかなか手にいい感触が伝わってくる。スクエアーなフォルムが精悍な感じだ。もっとも当時はジウジアーロデザインの洒落たモデルだったのだけど、今見ると無骨な感じで印象が違うのが面白い。

出た当時はメカニカルな精密機械に電気で動く装置をいれるなんて「弁当に生ものいれるようなものだ」と、カメラ批評家先生方から評判がよろしくなかった。すなわち日持ちしない、すぐ腐るようなものを入れてはいかん、という訳だ。

確かにニコンのフラッグシップとしては初めての電子シャッター、AE導入だったのだから、ニコンFやF2などの純粋なメカニカルカメラに慣れていたプロ達には、道具としての信頼感に大きな違和感があったのだろう。ニコンの新技術導入プロセスには独特のものがある。初物には極めて慎重である。電子シャッターやAEなどの技術はまず、中級機であるニコマートシリーズに投入し、技術的な完成度や枯れ具合、市場の反応、そしてプロの受け入れ可能性などを、綿密に評価した上で、フラッグシップ機、ニコンFシリーズに導入する。

こうして生まれたのが日本初の電子シャッター+AE化されたニコンのフラッグシップ、F3だ。今のデジカメ一眼レフに比べると、シンプルで、剛性感が高く、硬派の機械に仕上がっている。しかし当時は何とはなしに軟弱な印象があった覚えがある。

なんと言ってもでかいペンタプリズム部が特徴的。ファインダーは等倍でとても見やすい。カメラはやはりファインダーだ。そういう意味では、保守的かもしれないが、ペンタプリズムを持たない光学ファインダレス一眼が最近はブームだが、これじゃあ、写欲が半減する。ライカの売りも、あのレンジファインダーの見え方の美しさだ。

当時の評者が、眉をひそめた「弁当のなかの生もの」すなわち腐りやすいはずの電子部品も、我が所有機では快調に動いている。何故かメカニカルなサウンドすらするので、思わずメカニカルシャッターだったっけ、と思ったりする。さすがにシャッタースピードを表示する液晶画面は小さくて見にくいが、最小限の「生もの」を入れてみた感じだ。もっともこちらもしっかり機能している。

デジカメは便利だ。しかし、そのデジカメ、という短縮系の響きに、カメラのソリッドで信頼感ある道具、というイメージは沸いてこない。お手軽な家電製品化したんじゃあつまらない。家一軒分の価格だったライカや、それほどでもないにしても、高嶺の花だったニコン(事実なかなかアマチュアには回ってこなかった)、というあこがれの域にあったカメラ達。

ニコンというブランドの信頼感とあこがれが、このF3を掌に転がしていると蘇ってくる。










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2010年5月11日火曜日

連休も終わり...東京にいてボンヤリ考えること

 気候不順な連休の始まり、そして初夏のような連休後半。時空トラベラーはなぜか東京の自宅で家族団らん。春日大社の砂ズリの藤も、平城遷都1300年イベントも、高速道路無料化狂想曲にも結局無縁。

 この頃、東京という街は経済活動の中心ではあっても、本当に豊かな文化や心安らぐ生活のよりどころになる街なのか、疑問を持ち始める。歴史や古い文化や、懐かしい生活の匂いなどが、かなりかき消されてしまった街だ。そんな街に郷愁を覚える世代が出来るのだろうか?東京が故郷だ、と自慢出来る世代が育つのか?

 明治初期にベアトが愛宕山頂上から撮った東京(江戸)の街の乾板写真には、黒瓦わら、白壁、土蔵の連なる巨大な都市の姿が写し出されている。ある意味壮麗な景観を有する都市である。今その痕跡はかけらも見取ることは出来ない。明治期の近代化という名の都市改造、関東大震災、東京大空襲、そしてバブル経済真っ盛りに起こった「地上げ」という都市破壊などで徹底的に街の姿が変わってしまった。これほど100年程の間に都市景観がこれほど変わってしまった都会も珍しい。しかも建造物はまるで消耗品でもあるかのように次々と造っては壊されて、日々街の様相が変わってゆく。ダイナミックではあるが、心の落ち着きは感じられない。

 「東京化」を目指した地方の大都市も、多かれ少なかれ望み通り様相が変わってしまってミニ東京が実現できたではないか。あの大阪でさえ...

 明治維新から戦後のこれまでの経済成長路線の中で、忘れ去られ、打ち捨てられ、破却され、草むしてしまったものの中に、実は我々日本人が大切にして来たものが残っているんではないかと思うようになった。自分自身がこれまで捨てて来た、あるいは顧みなかった「価値」に「価値」を再発見する旅に出たいと思うようになった。

 「都会」と「田舎」という二分法で語るならば、または、「東京」と「地方」という東京人(そのほとんどは「地方」出身者だが)独特の分類法で語るならば、その「田舎」や「地方」にこそ、幸いにもそれらが残されていることに気付く。うれしい。

 皮肉にもご維新や戦後の経済成長から取り残された、過疎地、僻地や田舎と呼ばれる、まるでなんの価値をも生み出さない地域のように形容される所にこそ、それらが生きながらえている。人間の経済的な欲望の所作の埒外に置かれて忘れられた空間。空襲にも遭わず、地上げにも遭わず、打ち壊しにも遭わず、近代化の波にものまれず、地価も上がらず、買い手もなく、若者がみな都会へ出て、静に朽ち果てた「田舎」に、安らぎの景観が保存されている。

 東京にいてそんなことを考える連休もまた楽し、か。

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