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2017年3月31日金曜日

桜はまだだ... 春爛漫の大和路を歩く(1)〜東大寺/春日大社/奈良公園 編〜

 いよいよ桜が開花。東京ではぼちぼち咲き始めた。ということで3月27−29日、奈良、大和路へ枝垂桜ハンティングに出かけることにした。今回は、入社同期組3人で出かけることにした。皆、定年を迎え、金はないが時間はたっぷりあるご隠居さんになった。40うん年前の新入社員当時は入社後全国の電話局に現場実習訓練として一年間配属されるのが通例であった。この時関西に配属された同期生の中のこの3人は、週末になると奈良や京都に出かけ、写真を撮り回ったものだった。初めてもらった給料から一眼レフカメラとレンズを買った。その仲間が40うん年ぶりに奈良に集合したというわけだ。当時NIKONの一眼レフを所有する仲間をうらやましそうに横目で見ながら、愛機ミノルタSRをぶら下げて徘徊した40数年前を懐かしく思い出す。気のおけない仲間と楽しい撮影旅行であった。

 考えてみると、あの時の関西配属が、私を写真好き、大和路好きにしたきっかけであった。私のその後のサラリーマン人生は、東京はもとよりロンドンやニューヨークを拠点に海外勤務が長くなった。ニューヨークから帰国して第一回目の定年を迎えたのち、大阪勤務となり、再び関西生活を送った。この時大和路の魅力を再発見することになった。長く海外生活を送ると、「海外かぶれ」「現地ボケ」「アメリカ出羽守」になると言われるが、実は帰国後、日本ってなんと美しく、魅力に溢れた国だろうと、これまであまり気がつかなかった母国の側面を再発見する。特に田舎の美しさに目を見張る。イギリスの田舎も美しかったし、豊かで今でも憧れるが、日本の田舎はそれに負けていない。そこに蓄積された長い歴史と人々が育んだ文化、ライフスタイル。稲作文明「豊葦原瑞穂の国」の象徴たる田園風景。それを彩る四季折々の花々... 今まで気づかなかった「美」。目から鱗が落ちた。こうしたことに気づくことができるのも、海外生活のおかげだ。

 というわけで出かけた奈良/大和路散策。しかし今年の関西は開花が遅れている。例年他の桜に先んじて咲き誇る氷室神社の枝垂桜もまったくの蕾。大野寺の滝桜も、長谷寺も枝垂れ桜は全く咲いてない。もちろん吉野桜もやまざくらもまだまだ。緋寒桜や河津桜がちらほら。というわけで桜のない大和路を散策することになった。しかし、負け惜しみじゃないけど、桜直前の早春の佇まいもまた捨てがたい。むしろ大和路の春めいた古都の「滅びの美」といった佇まいを楽しむには、観光客がドッと押しかけない今が絶妙のタイミングなのかもしれない。我々が敬愛する入江泰吉先生の写真にも桜満開の大和路よりも、梅や馬酔木、コブシや椿が楚々と路傍を彩る風景写真のほうが多い気がする。古代、万葉集や古今和歌集に歌われる花は梅であり桃であって桜ではなかった。いまや桜は日本人の象徴のように捉えられているが、それは比較的新しいことだ。桜が開花すると世の中全て桜一色になってしまう。他の春を彩る花々が霞んでしまう。花見だ、桜撮影だ、と桜前線に沿って慌ただしく桜ハンターが右往左往して落ち着かない。しかし、この桜狂想曲直前は、梅やサンシュユ、レンギョウ、花桃、菜の花、馬酔木、春を彩る花々が一斉に咲き誇っている。この春の足音こそ心に響く前奏曲だ。

 まず第一回は、定番コース:外人観光客でいっぱいの奈良公園/興福寺/東大寺/春日大社をめぐる散策。そして第二回は静かな長谷寺、室生寺、大神神社と回る。第三回として白毫寺、新薬師寺、高畑町界隈、そして我らが巨匠、入江泰吉写真美術館を巡る。




奈良県庁屋上から東大寺大仏殿、二月堂を望む

この洋館は奈良国立博物館

この時期の奈良と言えば馬酔木

氷室神社は未だ枝垂桜は蕾
ハクモクレンが主役


観光客で溢れる東大寺南大門あたり
近年外国人観光客が多くなった



南大門で見つけたリトル・プリンス










何をお祈りしたの?

柳が芽吹き、新緑が青空に映える

西方浄土へ誘う階段



二月堂から大仏殿越しに生駒山を望む



日が傾き始めた
夕陽刺す西方浄土の姿を見るような


春日大社参道にかかる夕陽


春日大社表参道の灯篭



鹿たち



奈良公園で見つけたリトル・プリンセス

桃と梅

飛火野

(撮影機材:SONYαRII + FE24-240 Zoom)


2017年3月30日木曜日

ついにLeica M10が戦列に!

 
Leica M10 + Noctilux 50/1
外付けEVFを付けたM10が最もその能力を発揮するMレンズはやはりコレでしょう。
開放絞りの薄いピントもしっかり確認できる。

 今年1月28日発売開始後、すぐに予約したにも関わらず、滑り込みアウト!初期には数台しか入らず、狭き門だったようだ。どうしていつもライカはデビュー直後にこうも品薄なのだ!「焦らし」マーケティング手法もいいかげんにして欲しい。そして3月24日に、マップカメラから予約していたブラッククロームボディー入荷の連絡があった。大学受験不合格者への補欠連絡みたいな喜びだ!結局2ヶ月弱で手元に来たわけだ。前モデルのM Type240は半年待ちだったのに比べると、ライカ社が説明していた通り、これでもかなり納品が早くなった、ということなのだろう。

 前回のブログで、入手前の店頭ファーストインプレッションを書いたが、実機を入手して感じたことを書いてみたい。

1)薄さだけでなく一回りサイズダウンした感じ。実際には厚さ以外は変わっていないのだが印象的にはよりコンパクトになった感じがするのが不思議だ。手触りは、昔のM4ブラッククロームを彷彿とさせる。少しエッジが尖っている感があって手が痛い。まだ新品なので角が取れてないせいか(〜なこたない?!)

2)ブラッククロームボディー、ブラックペイントレンズとの若干質感不一致があることに気付いた。マット調で硬質な感じが良いのだが。実際ブラッククロームレンズは少ない。オールドレンズのTele-Elmarit 90/2.8くらいだ。シルバークロームレンズはあるのでシルバークロームボディーの方が良かったかな?あるいはシルバークロームレンズを装着しても様になる。やはりオールドレンズであるSummicron 35/2の八枚玉などベストマッチだ。

3)シャッター音がやや甲高くなって金属質な感じ。シャッタ機構を取り換えたとは聞いていないが。ボディーシェルや内部の基盤等の実装の影響なのか?まあ、M3のように真鍮ボディーシェルに布幕フォーカルプレーンシャターじゃないので、あの「ことり」という詫び寂びは無いのは致し方ない。

4)背面のボタンが三つになったほか、機能がシンプルになった。ビデオがないのはOKだし、撮影テンポが悪いアドバンストシャッタがなくなったのは別に困らない。しかしなぜ無くした、というのがいくつかある。その一つがLV撮影時の水平器表示。個人的には、水平器が無くなったのは不便。なぜ無くしたのか?復活してほしい。全体にメニューが簡略化され、選択肢が減りカスタマイズの余地が少なくなった。それにしてもライカ社は機種毎にまるで別の会社の製品ではないかと思うほどメニューのカテゴリー分けや、操作手順が異なっている。SLともQともType240とも異なる。もちろんTとも。機種ごとに学習が必要だ。なぜ操作性に統一感がないのだろう。他社製品の場合、機種は違っていても、基本的な視覚レイアウト・メニュー編集が統一されていて直感的に迷いなく使えるのに。

5)LV撮影での操作感が向上。M Type 240に比べサクサク行くようになった(もちろんLVオフにした方がよりサクサク感があるが)。フォーカスピーキングも大きく改善した(色の選択も可能に)。そういえばType240にもあったんだ!と言いたいほどわかりにくかった。拡大もダイアルでズームアップできるようになっただけでなく、+を十字キーで動かして拡大したいところを選べる。なんとライカがここまでやるか!ミラーレスカメラ化したM!を印象付ける。外付けEVFもT用のもの(GPS機能付き)が流用できる。ホットシューへの噛みつきもよく、Type240のように簡単にすっぽ抜けることはない。アイセンサーもキビキビ反応して快適に撮影できる。デザイン的にも良いルックスになった。ただ、LV撮影時の撮影情報表示(シャッター速度、 ISO感度、レンズ情報、露出補正などなど)が、表示するか否か、の二択になった。しかも「表示する」にすると、シャッター半押しで表示が消える。一方「表示なし」にするとシャッター半押しで表示される。どういう思想でそういう仕様になったのかよくわからない。Type240では、「表示する」を選んだ以上、シャッター半押しでもずっと表示されているのだが。この辺りが仕様に一貫性が感じられない例の一つだ。ファームウェアーで改善できるのだろうが、機種ごとにいちいちファームウェアーコーディングし直しているのだろうか。

6)バッテリーは薄くなったが、その分持ちが悪くなった。特にLVモードで撮影していると、ボディーが暖かくなって、たちまち減ってゆく。連写なんかするとてきめんだ。特に外付けEVFを装着するとGPS機能も起動し「電波を発する機器」になるので、みるみるバッテリー残量が減ってゆく。表示が100%を切ると、あとは雪崩のごとくなくなってゆく感じで不安が募る。バッテリー一個では1日の撮影はとても持たない。ここでもライカは伝統の「レンジファインダーで撮るべし」という「お作法」遵守が求められているのだろう。SONYα7シリーズもバッテリーの減り方が早い、と評判が悪い。ただSONYα7には外付けのバッテリーグリップが用意されているが、M10にそういうアクセサリーはない。予備バッテリー携行は必須。さらにバッテリーチャージャーも携行すべし。というわけで予備バッテリー需要が膨らんでいるのか、バッテリー単品購入しようとしても現時点で、品薄で入荷待状態だ。なぜこうもいつも市場投入タイミングが遅れるのか... M Type240のバッテリーは長持ちしたなあ!あれなら心配なく1日中撮影に没頭できたのに。

7)背面右上の回転ホイールが小さくなった。回しにくい。サムレストつけるとさらに回しにくくなる。機能割付も露出補正とフォーカス拡大のみ。カスタマイズできない。個人的には露出補正ができれば困ってないが、不満な人もいそうだ。

8)売り物のISO感度ダイアル。とくにコメントはない。なぜISOを独立ダイアルにしたのかよくわからない。多分、シャッターダイアル、絞りダイアル、ISOダイアルが手動で扱えるレイアウトにしたのだろう。あって役に立たないわけではないが、どうせなら露出補正の方を+ーの設定が可視化できる独立ダイアルにしてほしい。なぜかライカは頑なに露出補正操作のプライオリティーを低く位置付けているようだ。やはり光学ファインダー見ながらマニュアルでシャッター速度と絞りを設定しながら撮る、という昔ながらの撮影スタイルを前提にしているのだろう。

9)細かいことだが、背面左下のLEDの点滅が鬱陶しい。スイッチ入れても、撮影しても、再生しても、再生画面をスクロールしても、何かを読み込むごとに明滅する。暗いところでは意外なほど明るくて目障り。実はType 240でもLEDが同じように明滅するのだが気にならなかったのはなぜなのだろう。理由は簡単、LEDが右下にあるのでグリップした右手の陰になっていて見えなかっただけなのだ。左に移ったのでピカピカするのがもろに見えるようになったわけだ。撮影にとって本質的なことじゃない「重箱のスミをつつくような」話だが。

10)WiFi, GPSが使えるようになった。GPSは外付けのEVFを装着した時だけ機能する。WiFiの方は、Leica ImageShuttleをスマホにインストールしてM10と接続して使用する。QやTLやSLと同じ機能が初めてMに搭載された。さすがのMシリーズも、SNSやクラウド上のフォトアーカイビングなどのネット時代の写真表現ウィンドウを無視し得なくなった。かといって、あくまでもスマホやタブレットをプラットフォームにするので、保存できる容量が心配になる。私の場合、やはりDNGで撮ってパソコンでのポストプロダクションというプロセスも不可避なので、あまり使わないかもしれない。確かにFaceBookやInstagramへのM10からの直接アップできることに可能性を見いだせるかもしれない。

11)新しいCMOSセンサーは2400万画素のまま。より高画素を望んむユーザーもいるようだが、これで十分だろう。むしろこの画素数で高感度ノイズをうまく制御、低照度撮影時の画質を高いレベルに保持した点が評価できると思う。色味は、少し落ち着いた感じになったのかな。ひところのようなホワイトバランスオート時の「暴れ」はなくなったが、あのころのトラウマで、色味の変化をセンサーの性質と思わなくなってしまっている。先述のように高感度画質レベルは満足できる。6400くらいまでは常用だ。ノイズが出ても嫌な感じではなく、フィルム時代の高感度フィルムのそれを思い出させてくれる。何と言っても階調の豊かさ、ラチチュードは秀逸。暗部も潰れもない。デジタルカメラでは致命的な白トビ部分も情報がちゃんと残っていて、LRやPSでの後処理でかなりのところまで復元できる。この辺はすごいとしか言いようがない。JPGで撮っても満足のいく画になったが、やはりDNGで撮って後処理で自分のイメージにあった画作りを楽しむ「お作法」がライカの真骨頂だ。

 結局、今回のM10の最大の特徴は、この新しく開発されたCMOSセンサーと画像処理エンジンMaestro IIに尽きると思う。

 これまでデジタルMボディーは、必ずしもMレンズの高性能を十分にサポートしきっていないのではないかと疑問を持たれてきたが、M10で完成域に達した感がある。Maestro IIという高速画像処理エンジンと、新CMOSセンサーの高解像度、高感度特性、階調の豊かさといった大きな進歩がMレンズの性能を遺憾なく発揮できるボディーの出現を可能にしたといってもよい。「MレンズはMボディーで撮るのが一番!」ということになった。当たり前が当たり前になった凄さ。またLVの「信頼感がましたことで、高速レンズ、とくにNoctiのピント合わせが正確にできるようになった。ただ一番マッチする常用レンズはSummilux 50,35だろう。だからライカはやめられないのだ。あとは、上記に感じたいくつかの点は、取るに足らないマイナーなことに思えてしまう。

 Mは、私のような素人には「持っていること」が「嬉しい」カメラであったが、実用的には意外に出番が少なくて、ついついソニーα7シリーズを持ち出してしまう状況がつづいていた。またLeica SLはいいのだけども、あの重量にはげんなりだ。特に望遠ズームは規格外の大きさで適当な収納ケースもまだ見つからない有様。M10はとうとう、ぶら下げて見せびらかすファッションアイテムカメラから、実用機としていつも持っていたいカメラになった。出番が増えることだろう。Mに合った撮影スタイルを体感し、被写体を積極的に探しに街に繰り出したくなる。もちろん今回のM10には、ユーザからのフィードバックが幾つか反映されたとはいえ、使い手がカメラに慣れ、「お作法」に習熟しなくてはならないという、プロダクトアウト思想はまだ健在なのだ。

今年一月のブログ: Leica M10デビュー 〜ライカMはいつまでもライカMだ


Leica M10 + Summilux 50/1.4 ASPH
Leica M10 + Tri-Elmar 16-18-21ASPH

Leica M10 + Summilux 50/1.4 ASPH

Leica M10 + Summilux 50/1.4 ASPH

Leica M10 + Summilux 50/1.4 ASPH

2017年3月10日金曜日

「カメラの聖地」大井町散策 〜Nikonのある町〜


こんな昭和な街並みも残る


 大井町と聞いてどんな街をイメージするだろうか? 競馬場?大井埠頭?元京浜工場地帯?大井町阪急?きゅりあん? 鉄道ファンなら(といっても中高年以上)国鉄大井工場か。少なくともさしたる名所旧跡も見当たらないし、はやりのお洒落なお店もないので、なかなか話題になるような人気のエリアというわけにはいかないだろう。たぶん住みたくなる街ランキングトップテンに入ることもない。だが、そう捨てたものではない。私のようなカメラファン、そして「時空トラベラー」にとって大井町は決して記憶から消え去ることのない地名である。ここは知る人ぞ知る「カメラの聖地」なのだ。そうカメラファン憧れの世界ブランドNikonの大井工場所在地なのだ。丁度ライカファンにとってWetzlar GermanyがErnst Leitzの創業の地、カメラの聖地としてその名が記憶に刻まれているのと同じで、大井町はNikonの創業の地である。あのレジェンダリー一眼レフカメラNikon Fが生まれた聖地なのだ。



NIPPON KOGAKU TOKYOというロゴが刻印された
Nikon F最初期型
この大井工場101号館で生まれた

ニコン大井工場101号館
去年の姿

今年、取り壊しに向けて覆いがかけられた


 Nikon Corp.の前身は1917年(大正6年)創業の日本光学工業。もともとは軍用の光学兵器開発製造するために設立された。のちのトプコン(東京光学工業)が主に陸軍用製品を供給したのに対し、海軍用製品を開発製造した。1933年(昭和8年)に、大井町のシンボル的白亜の殿堂大井工場101号館が建設された。有名なのは戦艦大和の艦橋に装着された巨大な測距儀。これがここで製造された。

 戦後は民生品にシフトしていった。特にカメラは戦後日本の復興のシンボル的な製品となった。いまでは世界のNikon:ニコン(ナイコン)! プロはもとより、アマチュアにとっても憧れのカメラだ。私の子供の頃は、Nikonのカメラなんぞは、手に入れたくてもなかなか入荷しない高嶺の花だったことを覚えている。しかし、そんなNikonも戦後のカメラ事業創業の頃は苦闘の連続だった。当時、プロの写真家にとって圧倒的に支持されていたのは、ドイツのErnst LeitzとCarl Zeiss。特にオスカー/バルナックが開発した35ミリ判フィルム(ライカ判)を使う小型カメラLeica。その改良版のLeica Mは究極の光学レンジファインダーを搭載し、他社の追随を許さない圧倒的な精密光学機器の精華であった。これにNikonなど日本のカメラメーカーは無謀にも挑戦し、多くのいわゆる「ライカコピー」を生み出したが、結局追いつくことができず、一眼レフ方式のカメラ製造に転換した話は有名すぎる。しかし、その結果、レンジファインダーではなくてペンタプリズムを搭載した一眼レフカメラは、その優秀なレンズ群と共に報道カメラマン始め、多くのプロに支持されるようになり、カメラ市場を制覇する。こうして戦後日本のNikonが名門Ernst Leitz社を抜いて世界一のカメラメーカーに成長することになった話も改めて述べる必要もないだろう。
1933年に開業した101号館

現在の101号館
取り壊しが始まった。


無残な姿に...

 その大井工場101号館は2016年解体が決まり、83年の歴史に終止符を打つこととなった。そして2017年に入っていよいよ解体が始まった。そのNikonの栄光の歴史を象徴する白亜の殿堂は、いま無残な姿をさらしている。あのレンジファインダーカメラNikon Iに始まり、名機Nikon SP、そして伝説の一眼レフNikon Fもこの101号館で開発、設計、製造が行われた。F3まではここで製造されたそうだ。ニコンファンにとってはまさに聖地と言わざるを得ない。そこが取り壊されてしまう。折しも今期決算でNikon Corp.は、本業のカメラだけでなく、レンズ、メガネ、さらには半導体ステッパーなどのハイテク製品を含め、業績の不振を露呈してしまった。老舗が希望退職を募る状況は悲しい。デジカメ時代になってカメラメーカ各社は冬の時代を迎えるところと、新たなビジネスチャンスを見つけ出すところと明暗が分かれている。Nikonはきっと名門光学機器メーカーとしての再生を果たすものと期待している。


 時代は繰り返す。名門Ernst Leitz社のちにLeica社も、かつてはNikonに市場を奪われて経営破綻に瀕した。スイスの会社の買収されてLeicaはその創業の地Wetzlarを去り、新天地Solmsへ移り再起を期することとなった。そして時はめぐり、老舗ブランドを生かした戦略でしだいに好調の波に乗り始めたLeicaは、再びその創業の地Wetzlarへ戻って来た。会社の復活を象徴するように。LeicaとNikon。良きライバルは輪廻転生。巴のように時間差で浮いたり沈んだり絡み合い転がりながらながら生きのびてゆくのだろう。LeicaもNikonもそのブランドイメージは強烈だ。レジェンドといっても良い。そうしたアセットを最大限活用した新しいビジネスモデルを創造することだろう。


ニコン大井事業所

光学通り
この左手が101号館

 ところで、日本のWetzlarともいうべき大井町を歩いてみよう。JR大井町駅からNikon大井製作所に向かう「光学通り」を進む。徒歩20分程で聖地到着。通りの街路灯にずっとあの「Nikonロゴ」と「光学通り」のサインがでているので間違うことはない。地元では誰もが知っている通りだ。実は横須賀線のJR西大井駅が一番近い最寄駅だ。駅ホームから工場の建物群が見える。ここが現在の大井製作所だ。今はここでカメラを作っていないそうだ。新館ウエスト館は本社っぽく見えるが、本社は品川インターシティーにある。

 前述のように、大井町といえば、大井競馬場が有名だし、大型コンテナ船の出入りが忙しい大井埠頭を思い浮かべる人もいるだろう。線路の東側は工場が立ち並ぶモノ造りの街、労働者の街であった。大井町駅前にはカネボウがあったが、やがて撤退し、その跡地を小林一三氏が買い取り、大井町阪急百貨店が出来た。その後改装され阪急大井町ガーデンになっている。立会川が駅前を流れていたが、暗渠化して、「立会通り」という地名にその痕跡を残す。戦後の闇市の名残の東小路や平和小路がディープな世界を今に残している。「路地裏探訪ブーム」で最近は人気が出てきているという。一方、東急大井町線はお洒落で人気の自由が丘や二子玉川へ連れて行ってくれる。臨海高速鉄道線も深い深い地下に駅ができ、西は渋谷、新宿へ。東はお台場へつながっている。2020年のオリンピック会場に出かけるのも便利!というわけだ。隣のJR品川駅には新幹線駅が開業し、さらにリニア新幹線駅もできる。羽田空港の国際線増便も有之、ますますこの辺りは便利で賑やかになってきている。なんだか、しばらく忘れていたバブルみたいな様相だ。


JR大井町駅



平和小路入り口
人気店だが本日休業で誰も並んでない
こちらは行列

東小路

 歴史を遡れば、江戸時代には大井は江戸の近在。品川宿のさらに西に位置している荏原郡大井村であった。あたりは地下水脈豊富な江戸の近郊農業地帯であった。いまでも町内あちこちに水神社がある。明治以降、東京が帝都となってからは政治家、軍人、官僚が多く住む住宅地になった。伊藤博文の大井別邸があった。伊藤公の墓所も西大井駅近くにある。別邸は最近まで池上通り沿いに存在していて、ニコンの社員クラブとして使われていたが、残念ながら解体され、今は無粋なマンションが建っている。ちなみに解体された建物は、伊藤公の故郷萩に移築されている。大井は品川区に属し、海岸線に沿っている旧東海道あたりも大井だが、もう一方、旧大井村の鎮守の鹿島神社あたりからは高台に位置している。鉄道、道路といった交通の便がよく、住みやすい住宅街である。西大井あたり(出石町、金子山町など)は隣の大田区山王に隣接する比較的閑静な立地である。豪邸とまでは言えないまでも、それなりの敷地を有し、囲い塀、鬱蒼とした木立の庭を配した戸建ての立派な邸宅が多い。しかし、最近は御多分に洩れず、相続税対策であろうか、そうした古い邸宅の売却が進んでいて、一軒の屋敷があった土地が更地にされると、その跡地には3〜5軒くらいの狭隘なプレハブの3階建住宅がギッチリと隙間なく立ち並ぶ。生け垣も塀もなく、一階が全てガレージと玄関で、道路にママチャリや子供の遊び道具、植木鉢が散乱するという生活感丸出しの住宅街に変貌しつつある。公/私の境界が曖昧な雑居地化し人口密度が高まり、街の瀟洒な景観も、邸宅街としての品格もどんどん失われてゆく。山手の下町化が進んでいる。しかし下町の人情は育っているのだろうか?

 Nikonのある「光学通り」を一歩脇に入ると、そこにはまだ昭和な街並みが残されている。三間通りは道幅3間。道幅が狭いが旗の台、中延から西大井経由大井町まで延々と一直線に伸びている(車は大井町方向の一方通行)。商店街としてはシャッター通り化しているが、看板建築の商店も残されている。これだけの「昔繁華街」が連なっているのに感動する。一歩通りを入るとさらに狭い路地が網の目のように伸びていて、どこからどこまでが個人宅の敷地なのかわからない世界が広がっている。かと思えば大きな樹木が塀越しに緑陰を作り出しているような邸宅もまだある。時空を超えた不思議な世界だ。さらに、驚きは銭湯が多いことだ。どれも現役で、ニコン工場の周りだけでも3軒の銭湯がある。別にニコンの従業員向けにあるというわけでもないだろうが。まだそうした需要がこの辺りの街にはあるということだろう。庶民的な街でもあるのだ。街角には水神様やお稲荷さん、お地蔵さんが鎮座ましましていて江戸の在「大井村」の佇まいをよく残している。古い道標があちこちに残っているのも珍しい。江戸の外なので江戸切り絵図にも出てこないし、歴史の舞台となったような名所もない。人気のお散歩コースとして取り上げられることもない。おしゃれなカフェやレストランもない。ないない尽くしなのだがなぜか惹かれる大井町。「世界ブランドNikon」を生み出した大井町。不思議を体感したいなら是非お越しください。


ニコンのある光学通りと並行する三間通りは昭和な雰囲気が残る


東光寺のしいのきとお地蔵様
大きなみかんの木がある家


昭和な商店街

看板建築商店群
路地という迷宮へ
大井三又の地蔵堂
東京には珍しく地蔵堂が街角にある。
京都、大阪、奈良では良く見かけるのだが。



鹿島神社のお祭り
水神様もあちこちに祀られている
大井は地下水脈が豊富なところだ

旧大井村の総鎮守鹿島神社


光学通りにある
東京浴場

みどり湯
大盛湯

























 ちなみに今回の撮影機材はLeica Q Summilux 28mm f.17 ASPH。Leicaの目で見るNikonの聖地というわけだ。Nikonへのレスペクトを込めて大井町へ切り込んだLeica。なかなかドラマチックだ。そのうちLeicaへのレスペクトを込めてNikonをぶら下げてでWetzlarに乗り込んでみたいものだ。